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マーク終末ケアに関わる人々

  終末ケアは本当に難しいです。考えれば考えるほど判らなくなります。
病気で医学的に終末を宣言された場合には、ある程度覚悟もできるし、医学的な終末を
受入れることができますが、老衰の場合には一人一人考え方が違います。
一人一人違うのが当然ですが・・・。私なりの考え方というのでしょうか、
親族、医師、看護師、介護士の方々にお願いしたいことを述べてみます。

 また、高齢の方に話を聴きますと殆どの方が「子供のお世話にならない」
「延命治療はして欲しくない」と話されますが、老衰の場合は、子供は悩みます。
少しは子供のお世話になりたいとも言って欲しいものです。
マーク   終末ケアは、苦しんでいる本人が主役です。
 
 1) 子供
 老衰的に終末期をむかえ、自分の意思を表現できない高齢者にとって何が最も大切かを
どのようにして察すればいいのでしょうか。
多分親族(子供)の意思が前面に出てくると考えますが、普段あまり介護・お世話をして
いない人はあっさりとしています。
一生懸命に、苦しんでいる親の面倒を見ている子供は、医師に、看護師に、介護士に思い
を述べて、何かいい方法はないかと悩み苦しんでいる様子が手に取るように判ります。

 1日でも長生きをして欲しいの一念で胃ろうを手術する、経管栄養補給をするなどと
なるようです。
しかし、それらが本当に苦しんでいる高齢者のためになるのでしょうか。
子供の満足感のために人工的な栄養補給がなされてもいいのでしょうか。
考えれば考えるほど判らなくなります。親に対する気持ちがあればあるほど悩みます。

 究極の状態で入院した場合に医師は胃ろうや経管栄養補給を進めるようです。
その状態で進められると家族として断ることができないとよく話されます。

 このHPによく出てくるAさんが、現在食欲がなく、ほとんど固形物は口にしません。
介護・看護スタッフやBさんは、1日1000CCの水分栄養摂取を目指して、口から摂取
を頑張っています。最近はそれもなかなかできなくなり、(水分のみの)点滴に頼る日々
が多くなりました。Aさん、Bさん頑張れ頑張れと言いながら、それらの行為は、Aさんが
主役になっているのでしょうか。時々疑問に思えることがあります。
 何時かは消える命です。しかし、残された者が悔いのない最後を迎えることができる
ようにと願うばかりです。私は、Bさんの力にはなれませんが、こころの支えになれば
と思っています。 正解はありませんし、だれもBさんが行っていることを否定できる人
はいません。例え兄弟であれ、、、
Bさんには、あくまでもAさんが主役であることを忘れないことです。

 2) 施設の職員のみなさん
 施設を訪問し、職員の皆さんを観察していますと、Aさんにこころを尽くしている様子が
手に取るように判ります。殆ど動けないAさんにいろいろな場所に誘い、新しい刺激を
試みてくれています。例え、Aさんがそれを理解できなくとも少しでも気分が晴れるよう
にと・・・・。
 Aさんの娘Bさんは、連絡ノートをテーブルにそなえ毎日日記のように書き入れていま
すが、最近は、夜勤の職員の方、ホームドクターの先生・看護職の方などが適切に記入を
してくださっています。
体力的に弱っているAさんの状況を少しでも書いてくれる職員の方には、頭が下がると
同時に安心できるとうれしそうに何時も話しています。職員の方々には、ほんの少しで
いいですから、Aさんの状況を書いて欲しいものです。Bさんはそれがうれしいのです。

 1日の水分摂取が不足している日などは水分を取るようにAさんに勧めてくれ、
ほんのわずかの水分でもとれるように頑張ってくれている職員がいるのです。
Bさんは、常に感謝・感謝と嬉しそうです。水分不足から来る体調の悪化を気遣ってくれ
ているのでしょう。常にAさんが、主役であります。無理に口にさせるようなことはあり
ません。自然に自然に介護してくれています。Aさんの“こころ”を大切にしています。

 3) 看護師のみなさんと医師の先生
 看護師の方々、医師の先生は、Aさんのことを何時もBさんと話合い色々な助言をして
下さいます。睡眠、おくすり、表情や発語など、Aさんのこころを察して下さいます。
「Aさんは、周囲の状況をとても気にする方・察知する方ですから、、、」と医師の言葉で

す。水分栄養量や尿などで、点滴その他の処置をしてくださっています。

老人ホームの高齢者は、命が無くなることが当り前のように、、、考えている方がいる
ようですが、(今までに訪問した老人施設で耳にした言葉)私達の1年分を10日や
そこらで生きているのです。 1分1秒を大切にしたいものです。
 下記の言葉は、看護の日20周年に述べられていた言葉です。Bさんはこの言葉で
どれだけ励まされているか判らないと言っています。
 
 「患者の微妙な心の動きまで見守り、ケアできてこそ看護職と呼ばれます。
  血圧を測る、聴診器で聞くという行為は勿論ですが、看護本来の姿である
  手と目で看るという行為のなかで  なにげない会話のなかで、
  実はあらゆる患者の情報をつかみとっているのです。
 
  そんな看護職の[命を支える技術]こそが感動を生む看護の原点となっています。

 4) 親族の皆さん
 親族の皆さん、「遠くにいて親のことが何もできない。本当はいろいろとしたいのに」
とはよく聴く言葉です。本当に何もできませんか、何かできる筈です。
例えば、1日に1回は親のことに思いをよせる。現在介護している施設や親族に感謝の
気持ちを表す。目の前にいる間だけ親のことを考えるようでは考えないことと同じです。
今、苦しんでいる親のこと、その親をお世話している職員のこと、親族のことを日々の
こととして考え続けて思いを寄せて下さい。
きっと何かを思いつくはずです。何をできるか、自分が何をしたいかが判ってくると
思います。言葉だけや宗教儀式では苦しんでいる親には通じません。
どうか行動に移して下さい。行動とは何かを、よく考えて下さい。

 5) 老衰のむずかしさ
 医療的な終末は、医師が医学的に決めることができます。例えば「末期がん」のような
場合は、しかし、老衰に対する判断は非常に難しいし、決めることはできません。
 老人ホームで生活している方は一人で食事をできる方は少ないのです。これらも考え方
によれば延命と言えるかもしれません。しかし、人間には、他人を思いやる愛情があり、
助け合う心があります。その観点からいいますと老衰により苦しんでいる高齢者はいつ、
どの時点で終末と言えますか。
 エンディングノートで延命はいらないと言ってもそれは医療的な病気を対象にしたこと
です。
私見ですが、「年を取ったらお世話をして」「生活が不自由になったら私を助けて」と
言ってみませんか。
老衰の親の面倒を見ている方々は延命について簡単ではありません。悩み苦しんでいます。
しかし、その苦しみは、自分の親が経験させてくれる貴重な時間です。
今後の人生の大きな糧となることでしょう。
誰も他人の親のことは口出しできませんし、答えはありません。残された人、介護した方
などが今後の人生に悔いが残らないように行動を取ることが正解といえると考えています。

                          シニア ライフ アドバイザー
                                 岡島 貞雄

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