スケッチ、いろいろなところで

 hagaki

イタリア


 たくさん歩き回る旅ですが、あちこちで気に入った風景などを見つけると描きたくなります。
ハガキ用紙で気に入っているのはゴッホブランドのコットンペーパーのもの。 これに鉛筆で下書きをして、万年筆で墨入れをします。 1枚書き上げるのに少なくとも1時間くらいはかかります。
 旅のときには休憩を兼ねて座り込みます。
カフェのいすとは限りません。道ばたの石段に座り込んだり、座るところがなければ立ったままのときもあります。
ユースホステルの屋上やベランダからコーラを飲みながら、ゆっくり夕景を描くのがいちばん幸せなときです。
campidoglio ローマにあるカンピドーリオ広場はぜひ描きたかったところ。広場に面する石段を上がりちょっと高くなったところで、しっかり日差しをあびながら描く。やわらかくふくらみをもたせた広場はお皿の模様のようにも見える。ここはミケランジェロが設計したと伝えられている広場です。
roma ベネチアは奇跡の街に思える。干潟の泥にいっぱいの杭を立てて、その上にこんな石畳の迷路の街ができているなんて。
地図と方位磁針を持って街をぐるぐる この迷路を歩き回るのを楽しみました。
Lucca ローマ時代の遺跡あとが住居になっている。円形競技場の真ん中は丸い広場になっていて、周りには外壁を利用して住居がぐるりと取り巻いています。
外壁沿いの道は 大阪の下町のように楽しいおしゃべりがあちこちから聞こえ、犬の散歩のひとや観光の人も通っていきます。
Ape P50 50ccのオート三輪、日本のミゼットよりもちいさいのかな。これは現役で働いている。このサイズならローマの細い裏道でも行けるので便利。 apeとはミツバチのこと。広場の朝市が開く前に野菜などを運び込んでいるところ。
しっかり働いている これと同じ大きさのオート三輪に この朝市の広場でいくつも出会いました。
Firenze フィレンツェの宿は4階の部屋、エレベータがなく階段をがんばって上ると、部屋の窓からドゥオーモの先端が見えます。昼間は強い日ざしでも夕方になるとぐっと涼しくなりました。
Vaticane バチカン市国はローマの中にある別の国、ここでハガキを出すポストを見つけたが バチカン発行の切手でないと受け付けてもらえないらしい。国境もなにもラインも引かれてないので間違って投函しそう。
Roma



スペイン

Sagrada Familia バルセロナにあるサグラダファミリア教会の尖塔に登らせてもらい、尖塔と尖塔を結ぶ細い橋のようなところで描く。他のところは通路の幅がひとり分しかなく、立ち止まってスケッチできるところは少ないのです。
ここはバルセロナの街をはるかに見下ろす とても高いところです。

cordba 乾いた大地のスペインでは 豊かに流れる冷たい水はとても贅沢。
アランブラ宮殿の中庭で。ライオンたちの噴水のはずだったが、わたしには11ぴきのねこに見えます。
cordba 昼間は暑かったコルドバも夕方になると涼しい風が吹いてきました。ユースホステルの屋上に コーラとハガキを持って上がり、いすを占領して。民家のスペイン瓦の風景を描きたかったので、ゆっくり時間を取って日暮れまで座り込みました。 翌朝 もう一度朝日を見に行くと、空いっぱいにイワツバメがたくさん飛び交っていました。
cordba

espana 食事はスーパーで買ってきたものをユースホステルで食べるか、または このような安いレストランで。地元の方がよく利用されているところはやはり安くておいしい。ここで日替わりメニューを注文するのがいい。はじめは辞書を出してメニューを調べてたが、となりのおじさんが食べているのを教えてもらって 同じものを注文した。
espana やはり、その土地のひとを描きたいけれど 見つめないように。きっと、私が描いてるのはわかってるだろうな。

prague プラハ城への坂道を上がっていくと街がよく見える。向こうにはVLTAVA川が流れている。
hungryface

ドイツ


hameln ユースホステルのそばを流れる豊かな水量のヴェッサー川。中洲にポプラが茂っているそばを運搬の小さな仕事の船が通っていきます。この川には、町の人との契約で人々を困らせていたネズミを笛で誘った伝説が残っています。でもこれは、実際の事件がもとになっているのだそうです。
fussen 夕暮れの遅いドイツの夏、ようやく暗くなりかけた石畳の広場には木のベンチが並べられ、カントリーミュージックで盛り上がっていた。ちょっと空いている席に座ってスケッチしようとしたら、すぐにビールのジョッキが運ばれてきた。飲まないで描くだけでもいいですか?というと笑顔で応対してもらった。
hameln2 ユースホステルを朝早くに出発して ヴェッサー川のそばにすわって スケッチを描いていると、棒をくわえた散歩の犬や自転車旅行の人たちが通り過ぎます。おじいさんが散歩に来られました。もう朝ごはんは食べたか?とたずねられました。わかったドイツ語はそれだけだったけれど 心配してもらったのはわかりました。ありがとう。
KastnerMuseum ドレスデンはエーリッヒ・ケストナーが生まれたところ。ケストナーの記念館があることを ここに来るまで知らなかった。
記念館は案内のひとに 説明をたくさんしてもらいながら部屋をまわっていく、残念だが聞き取れるドイツ語の単語はごくわずかだった。
ドイツに着いてから、本屋さんであちこち探していたケストナーの本「飛ぶ教室」Das fliegende Klasszimmer をここで見つけた。買った本に この記念館のスタンプも押してもらった。
庭に出て大きなプラタナスに包まれたちいさな記念館を描く。パンとリンゴとコーラの昼食をとりながら、ゆっくりスケッチする。

FrauenKirche ドレスデン市内の建物は 空襲ですべてというくらい壊されてしまった。この聖母教会も形がまったくなくなっていたそうです。ところどころに黒っぽい石積みが見えるのは もとの石材を元の位置を探して使っているから。
あまりに大きくてりっぱな Frauenkirche は描ききれるのか しばらく迷ってました。
morgen屋上にガラスドームのある国会議事堂、入場には持ち物検査があってなかなか入れない。
私の前に並ばれていたおばあさんにいっぱい話しかけられたが、単語もさっぱりわからない。でも気持ちは十分伝わってきた。残念だけれど急いでいるので 並ぶのをやめるわ、といっておられるようだった。

gent 川沿いのテラスで、生演奏とワインもあって めずらしく今日は ちょっと贅沢な夕食。
blussl ベルギー、ブリュッセルのYHの窓から。鉄製のベランダの手すりが それぞれデザインされた模様になっていてとても美しい。
rotterdam オランダの昔の漁船が運河に残してあった。センターボードが右の舷側に付いているのがオランダの帆船。
鬼号で北海を横断してしまったジョン船長たちが出会ったのも こんな漁船だったのだろう。
右舷のことをstarboard というのは、むかし舵の板が右側にあったからで このセンターボードではないけれど、
starboardというとこの船のことを思い出す。
canalbus オランダの運河で船のバスに乗った。船室は一段下がったところに座席がある。運河をゆったりした進む方でのんびりと進んでいく。
入り口の段に腰掛けた車掌さんはアイスを食べながら、操船する船長さんとずっと話し続けている。
magerburg 運河と跳ね橋がいっぱいあるアムステルダムの街。川べりの台船にちょこんとちっちゃな小舟が乗せてあった。
通勤もみんな自転車でたくさん道を行かれる。道ばたにとめてある自転車のとても太い鎖とがんじょうな鍵がすごい。
Metro Tour Eiffel エッフェル塔はとても力強くて大きい、この大きさを描きたくて 塔のそばで見上げながらスケッチを始めた。
しばらくすると、テロ警戒の銃を持った兵士の方がふたり 私に近づいて何をしているのか 調べに来られ、ちょっと緊張したが
ニコッと笑顔で見て行かれた。
Vezelay フランスの田舎町、町のある丘のまわりはぶどう畑が広がっている。ここはスペインのサンティアゴへと続く巡礼路の出発地のひとつです。
古い街並みの道、黒犬と散歩のひとが石畳の坂を上がって来られた。

上海 上海 昆山花园路で見つけた歴史あるアパート、母が幼いときここで暮らしていた頃にもあったかもしれない。洗濯ものを掛けるしかけが部屋から伸びているのがいい。後日、この近くの乍浦路(チャッポロ)のあたりで幼い頃を過ごしたことがわかった。
日本租界だったこの場所を通りかかったのは偶然だったが、母の育った街へ行けたことがとてもうれしい。
祖父が日本領事館に勤めていた頃の話をもっと聞いておけば良かった。

杭州 杭州の歴史ある漢方薬の店、休憩できる中庭はみんなのおしゃべりの場です。
ここでスケッチをしていると いろんな人が何を描いてるのかとのぞいていく。その中で話しかけて親しくなったのが呉さん。英語もだめだったので 漢字なら通じるとノートで筆談していると、そばで のぞき込んでいた人が大きな声で何か言いだした。内容を書いてもらったら「軍国主義、以前、日本、錯誤、靖国」など思いがけないことだった。
平江路 電気は来ているのだが、昼間に電灯をつけていることはなくて、外からみると家の中は真っ暗だ。調理もできれば外でやる方が明るくて涼しい。川べりのアオギリの木陰では 昼食の準備に、おじさんが野菜の下ごしらえをしている、焚き付けの木ぎれを割って 練炭で調理をするようだ。横では おばさんがとなりの人と大きな声で話していた。下町のゆったりした暮らしはとてもいい。
平江路 蘇州の古い街、平江路(ピンチャンルー)のユースホステルに泊まった。夕涼みの橋で犬がペットボトルを投げてもらって遊んでいた。
この橋のそばで描いていると、中国語で Mingtown Hostelはどこですか?と聞かれた。私の泊まっている すぐそばのユースホステルのこと。私の娘と同じくらいの年かな?山西省の山西大学中文系で学ぶ大学生。英語が通じるので筆談しなくて良かった。

紹興 NHK「世界ふれあい街歩き」で見たことのある川べりの路地を巡り歩いた。川の水は生活の炊事や洗濯などいろいろ利用されている。そばに川のある家は この川へ降りて男の人が洗濯しているのが普通。川は少しにごっていてゴミもあるが、小さな魚もいっぱいいる。

紹興 駅前から水路の町まで、三輪自転車に乗った。自転車の後部にせまい二人乗りの座席があって、ジャン・レノみたいなおじさんが自転車をこいで進んで行く。おじさんも入れて三人も乗っているので、登り坂のところでは降りて自転車を押さないと進まない。私も降りていっしょに押したくなった。狭い街路をわざわざ観光案内のために通ってもらったのがよくわかる。ことばは通じないのでスケッチブックに漢字で筆談しながら進んだ。運賃ははじめに交渉してあったけれど、降りるときには感謝をこめてたくさん渡した。
台南 西市場 台南市の古い市場跡、もう使われていない市場の入口。雨漏りがしたのか、建物を覆うように屋根が付けられている。入口のそばのスペースには住んでいる人がおられた。中に入ると薄暗い通路があるだけだったが、そこにアイアンマンスーツがずらりと展示されていた。紙製だそうだが、赤色や金色など映画のイメージどおりのもの。芸術家が展示されているようだった。
台南 府中街 門前町の朝、もう少しすると観光客がたくさんやってきそうな石畳の街。通勤のバイクが通り抜ける。台南 府中街

ベトナム ホイアン ホイアンにて。 ベトナム語は聞き取れないし 話せない、なんとか数字を覚えて値段を伝えるだけ。ここでは値札を付けずに交渉で値が決まる。旅行者は高い値を言われて当然。
飲み物を買いに行くときには、12,000ドン(60円)だとわかっていたので、それだけのお札を握って食料品店へ入り 自分で冷蔵ケースからコーラを取り出す。そして ムンハイ(ベトナム語で12)だと言って12,000ドンのお札を強気で押しつけて帰る。あっけにとられて何も言えなかった店のおじさん。

ベトナム ホイアン ひとりで座ってハガキを書いていると、のぞき込むひとが話しかけてくる。 私が手にしているハガキに張ってある切手を指さして、「いちまんごせんドン」と日本語で切手の数字を読まれた。日本語が話せるのはすごい。昼休みの車夫のひとたちに囲まれながらスケッチを始めると、描かれている仲間のようすと見比べてみんなで笑ったり、人力車のパーツの足りないところを示したりしてもらった。 私がそばにおいていたコーラを振り回して泡立てるいたずらなどをされたりして、楽しい昼休みの時間になった。
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  Text and drawings Copyright © 2004-2023 Keiji K.

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紹興にて