井村誠貴 指揮者プロフィール |
オペラ指揮者。 1994年大阪音楽大学コントラバス科卒業。 在学中よりオペラ指揮者として各地で研鑽を積み、これまでに菊池彦典氏をはじめ、岩城宏之、星出豊、秋山和慶、手塚幸紀、大町陽一郎、広上淳一、牧村邦彦、飯森範親、阪哲朗氏らの日本を代表する指揮者のもとでアシスタント・コンダクターとして多くの公演に携わり高い評価を得ている。 主に関西歌劇団、関西ニ期会、ザ・カレッジ・オペラハウスなどの主要団体の他にも、地方オペラにも積極的に取り組んでおり、いずれも重要なポストを与えられている。 オペラレパートリーも50演目を越え、「カルメン」「フィガロの結婚」「蝶々夫人」「椿姫」「ヘンゼルとグレーテル」等の主要作品の他にも、オペレッタや邦人作品の初演にも力を注いでいる。 中でも喜歌劇楽友協会におけるシュトラウス「ウィーン気質」の邦人初演は注目を集め、高い評価を得ている。
1997年にはアメリカ・ホワイトウォーターオペラに招聘され渡米。 2001年には年間オペラ公演回数が日本人では第4位(昭和音楽大学調べ)に入るなどオペラ指揮者としての地位を確立している。 管弦楽ではエウフォニカ管弦楽団を中心に音楽鑑賞会を定期的に行う一方、名古屋フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、奈良フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー交響楽団などを客演指揮するなど、関西のみならず活動を展開。 また岐阜県交響楽団、宝塚市交響楽団、京都府立医科大学交響楽団、関西大学交響楽団等との定期演奏会を客演指揮するなど、アマチュアオーケストラの分野においても貴重な存在となっている。 さらに大阪市音楽団、ウィンドカンパニー、ナゴヤディレクターズバンド、A-Winds等の吹奏楽団との関係も深く、その分野でも注目を集めている。 2001年にはイタリア留学し2002年帰国。 現地ではAs.
Li. Coの北イタリア公演ツアーに同行し、副指揮者として高い評価を得た。近年はミュージカルにも活動の場を広げ、1999年には「ラ・カージュ・オ・フォール」、2002年、2004年には「マイ・フェアレディ」、2003年からは「レ・ミゼラブル」(いずれも東宝ミュージカル)のロングラン公演を成功させ、ライヴCDを発売するなど、幅広いジャンルで今後ますます活躍が期待されている。指揮をウィーン国立音楽大学の湯浅勇治氏をはじめ、松尾葉子、広上淳一、辻井清幸の各氏に師事。現在、喜歌劇楽友協会、A-Winds、SakuRa、オーケストラMFI指揮者。 同志社女子大学、大阪音楽大学各講師。
稲森慈恵 ソプラノ
京都教育大学音楽科卒業。京都市立芸術大学大学院修了。'99イタリア留学中にM.アダーニ女史に師事。京都オペラ協会「椿姫」ヴィオレッタ、「フィガロの結婚」スザンナ、「ドンジョバンニ」ドンナアンナ、びわ湖ホール「マルタ」レディーハリエット、「ジプシー男爵」アルゼーナ、コレギウムムジクム、川西市民オペラ「愛の妙薬」アディーナ、新潟ニューセンチュリーオペラ「てかがみ」かよ、オペラアンサンブルkyo「ラボエーム」ムゼッタ、広島オペラ「カルメン」ミカエラ役で出演。コンサートでは戴冠ミサ、メサイヤ、第九などのソリストとして出演。饗場知昭、常森寿子各氏に師事。神戸市混声合唱団団員。
二塚 直紀 テノール
大阪芸術大学卒業。仁禮義子氏、田中千都子氏、故 木川田誠氏に師事。第15回摂津音楽祭聴衆審査賞。第32回イタリア声楽コンコルソ入選。第23回飯塚新人音楽コンクール第1位。平成16年度大阪舞台芸術新人賞受賞。「マリツァ伯爵夫人」タシロ、「ポッペアの戴冠」ネローネ、「メリー・ウィドウ」カミーユ、「春琴抄」利太郎、「ジャンニ・スキッキ」リヌッチョ、「ドン・ジョヴァンニ」オッターヴィオ、「ファルスタッフ」フェントン等数多くのオペラに出演。ベートーヴェン「第九」、ブルックナー「テ・デウム」等のソリストをつとめる。2006年には関西二期会オペラ公演「ノルマ」のポリオーネ役で好評を博し、将来の活躍が最も有望視される新鋭の逸材。現在、関西二期会会員。びわ湖ホール声楽アンサンブル専属歌手、オペラハウス合唱団準団員。」「大地の歌」などソリストとして活動している。関西二期会会員。
|
演奏会に寄せて |
プッチーニ万歳!
1958年にイタリアオペラの偉大な作曲家プッチーニが生まれ、今年は生誕150年という節目の年です。今日は、私が自信を持ってお届けする名曲アリアの数々をお楽しみいただきます。演奏会では取り上げられる機会の少ない作曲家ですが、CMで使われることもしばしばです。有名な旋律を聴けば、あっ!この曲聞いたことがあると思われるでしょう。金メダリスト荒川静香さんの見事なイナバウアーのバックに流れていたのも、彼の曲なのです。
今回は、関西を代表する若手ソプラノ歌手、稲森慈恵さんと、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されている二塚直紀さんをお招きして、ソプラノとテノールの名曲の数々をお聞きいただきます。これであなたもプッチーニ通!
では、プッチーニの音楽を初めて耳にされる方に、少しだけ予備知識を。
そもそも日本での洋楽事始めはドイツ音楽でした。その代名詞のモーツァルトやベートーヴェンは交響曲をはじめ様々なジャンルの曲を書いています。プッチーニが馴染みの薄い理由のひとつは、残念ながらオペラしか書いていない事です。(交響曲があれば聞いてみたかった〜!)ところが近年のオペラブームでプッチーニやヴェルディをはじめとするイタリアオペラ作曲家に光が当てられるようになってきました。
でもね!そんなプッチーニが修学の為に書いた初期の作品、「交響的前奏曲」を本日は演奏します。同じ時期に同名の作品番号1番ホ短調の曲を書いていますが、本日演奏する曲はイ長調の前奏曲です。1967年の作品ですから、プッチーニが若干19歳で書いた作品となりますね。後の素晴らしい作品に繋がる特色が随所にあらわれています。「横に流れていく」音楽はその後の作品に大きく影響しています。貴重な管弦楽曲を聞くと、切れ目無くオペラの世界に突入です。
プッチーニはドラマが停滞する事に強く抵抗した作曲家です。ですから、アリアが終わって拍手をもらうような時間は本来の楽譜には無いんですよね!今回は有名なアリアをピックアップして演奏する為、どうしても途切れてしまいますが、出来るだけ音楽が一体化するような構成に仕立ててみました。あたかも一本の作品を聞くかのように連続して演奏していきます。全曲イタリア語での演奏で、意味が解らない!という貴方、良いんです。プッチーニの珠玉のメロディの数々に浸って戴ければ幸いです。
とは言っても、演奏する側は本当に難しいんですよ。プッチーニ独特の世界は、オーケストラにとって演奏するのは簡単な事ではありません。今回、果敢にも!?プッチーニに挑戦するひこね第九オーケストラの皆さんに敬意を表するとともに、本日お越しの皆様方にもプッチーニの素晴らしい世界が少しでも伝わればと思って演奏させていただきます。どうぞお楽しみください。
|
楽曲紹介 |

プッチーニ 「交響的前奏曲」
プッチーニ 「ラ・ボエーム」
・冷たい手を(Ten) ・私の名はミミ(Sop)
プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」
・私のお父さん(Sop)
プッチーニ 「トスカ」
・星は光りぬ(Ten)
プッチーニ 「蝶々夫人」
・ある晴れた日に(Sop)
プッチーニ 「トゥーランドット」
・誰も寝てはならぬ(Ten)
プッチーニ 「ラ・ボエーム」(アンコール)
・「愛らしいおとめよ」(Sop・Ten)
ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)
●交響的前奏曲 プッチーニは、代々続く音楽一家に生まれ、数多くのオペラを作曲したイタリアの作曲家です。彼の作曲するアリアはとても美しく、心にしみこむようです。彼が作曲した数少ない管弦楽曲の一つが、この「交響的前奏曲」で、プッチーニ18歳の時の作品です。すでに後のオペラ曲を彷彿とさせるかのような蠱惑的(こわくてき)なメロディーに満ちています。オペラの世界に迷い込み、目の前で物語の主人公が歌っている錯覚に陥りそうな一曲です。
●歌劇「ジャンニ・スキッキ」 ~私のお父さん 舞台は13世紀のフィレンツェ。大富豪ブォーソが亡くなったところから物語は始まります。親戚はみな悲しんでいる様子ですが、実は遺産の行方が気になっています。修道院に寄付してしまうという噂があったからです。ブォーソの甥のリヌッチョは、この機会に愛する娘、ラウレッタと結婚したいと考えています。そして遺言状には、噂どおりのことが書いてあり、親戚一同納得できません。リヌッチョは、ラウレッタのお父さんで、法律に詳しいジャンニ・スキッキに協力を求めます。しかし、ほかの親戚は田舎者のスキッキを馬鹿にし、怒った彼は協力することを拒否します。リヌッチョとどうしても結婚したいラウレッタは、父を説得します(アリア「私のお父さん」)。
「私の愛が無駄になるならば ポンテ・ヴェッキオ(橋)に行くでしょう アルノ川に身を投げに」
父親からの愛情を信じているからこそ、ラウレッタはこのように言えるのでしょう。そこまで娘に言われ、スキッキは遺産を取り戻す計画を立てます。ブォーソの死が公になっていないことを良いことに、スキッキは彼になりすまし遺言状を書き換えることにします。そして、みな秘密を厳守することを誓います。公証人がやってきて、一同見守るなか、新たな遺言状の作成が始まります。最初は親戚が納得するように財産を分配していた彼ですが、何と最後に価値の高い遺産をすべてスキッキ自身に相続するよう言ってのけてしまうのです。びっくりした親戚一同ですが、騒ぎ立てれば悪事がばれてしまうため、黙っているしかありません。してやったりのスキッキ、はれて結婚できることになりそうなリヌッチョとラウレッタ。こうして劇は幕を閉じます。
●歌劇「ラ・ボエーム」 ~冷たい手を / ~私の名はミミ 「ラ・ボエーム」とは“ボヘミアン的生活”という意味です。ボヘミアンとはボヘミア地方(現チェコ北西部)出身のジプシーのことを指しますが、1830年ごろパリに集まったその日暮らしの貧乏な芸術家を呼ぶ言葉ともなっています。このオペラでは1830年代のパリが舞台となり、芸術家を目指す貧乏な若者たちが一つ屋根の下で暮らすことにより、様々な青春ストーリーを繰り広げる内容となっています。
ある日、詩人ロドルフォのもとに、「ローソクが消えたので」と火をもらいにきた若い女性がいました。お針子のミミです。彼女に一目惚れしてしまったロドルフォ。ミミが落とした鍵を月の明かりが差し込む部屋で捜し始めたロドルフォは、彼女に近づくきっかけをつくるために、暗闇の中彼女の手にそっと触れるのです。(アリア「冷たい手を」)
「ああ、何て冷たい手なんでしょう 私にあたためさせてください」甘いメロディにのせて自己紹介をしたロドルフォに促され、ミミが身の上話を始めます。(アリア「私の名はミミ」)「私の名はミミ でも本当の名はルチア 刺繍などをしてひとりで暮らしているの」
思いがけなく始まったロドルフォとミミの関係でしたが、長くは続きませんでした。ミミは重病だったのです。自分の命が長くないことを知ったミミは、ロドルフォと別れる決意をし、彼も承知します。いったんは別れた二人。でも、最期にロドルフォに会いたいとミミが願い、二人は再会します。束の間の再会の喜びのなかで、彼女は天に召されるのです。
●歌劇「トスカ」 ~星は光りぬ 舞台は1800年のローマ、ナポレオンの革命が起こっていた時代です。画家カヴァラドッシは、脱獄してきた政治犯の友人をかくまった罪により、捕らえられ死刑判決を受けてしまいます。処刑を前に恋人トスカへの別れの手紙を書きながら、彼女との楽しかった日々の思いを回想し、これほど人生をいとおしんだことはないと歌います。(アリア「星は光りぬ」)
「愛の夢は永遠に消え去った 時は流れ 絶望して死んでいく」 何とか彼を助け出したいトスカは、警視総監スカルピアに助命を求めますが、彼はカヴァラドッシの助命と引き換えに、トスカ自身を差し出すよう要求します。トスカは、要求に応じるふりをして釈放の書類を書かせた後、彼を殺害してしまいます。しかし、空砲で行われるはずだったカヴァラドッシの処刑には実弾が使用され、彼は死んでしまいます。絶望したトスカは城から身を投げ、自ら命を絶ちます。
●歌劇「蝶々夫人」~ある晴れた日に 私たち日本人にはお馴染みの物語ですね。舞台は19世紀末の長崎。アメリカの海軍士官ピンカートンは、日本での妻として蝶々夫人と結婚します。やがて任期を終え、アメリカに帰ってしまうピンカートン。蝶々夫人は彼を信じて、帰りをずっと待ち続けています。3年たち、お手伝いであるスズキがピンカートンの帰国に疑問をなげかけます。蝶々夫人は、夫を信じる一途な思いをスズキに言って聞かせます。(アリア「ある晴れた日に」)
「ある日彼が帰ってきて 私を迎えに来るの 私は固く信じて彼を待つわ」 彼女の信じていた通り、ピンカートンは帰ってきます。しかし、アメリカ人の妻を連れて。信じ続けていた夫に裏切られ、子どもまで奪われることになった蝶々夫人は、自ら命を絶ってしまうという何ともやるせない結末です。
●歌劇「トゥーランドット」~誰も寝てはならぬ トリノオリンピックでの荒川選手のフリーの演技を思い出される方もいらっしゃるのでしょうか?この歌劇「トゥーランドット」はプッチーニ最期の作品です。中国皇帝の一人娘トゥーランドット。彼女に求婚するものは後を絶ちません。しかし、結婚を嫌がる彼女。求婚してくる男性に3つの謎を出し、答えられなかったら死刑としてしまうのです。
そんな中、彼女に一目惚れしてしまったカラフ王子。勇敢にも3つの謎に挑戦したカラフ王子はすべてに正解を出しますが、トゥーランドットは結婚を渋ります。愛に燃える姫を求めているカラフは、「私の名前を言い当てることができたら、私は死にます」と逆に彼女に謎を出すのです。王子の名を求め、夜を徹して捜索が続く中、カラフ王子はのんきに歌を歌っています。(アリア「誰も寝てはならぬ」)
「あなたの冷たい部屋でごらんなさい 愛と希望にふるえる星を しかし私の秘密は私の胸にある 私の名前を誰も知ることはできない」 王子に仕えていた奴隷リューが捕らえられ、王子の名前を言うように拷問にかけられます。密かに王子を慕っていたリューですが、愛の力があるから、知っているが答えないといい、兵士の短剣を奪って自殺してしまいます。リューの一途な愛に心が動いたトゥーランドット姫は、カラフ王子のキスにより心が溶け、最期はめでたく終わります。
ブラームス 交響曲第4番
この曲は1885年(明治18年)ブラームスが52歳のときに完成させた最後の交響曲です。ちょうど音楽室の後ろに飾ってあった怖い髭の肖像画の頃でしょうか…。ところで第4番で最後とはちょっと少ないかな?と思われるかもしれませんが、これは彼が作曲家としてデビューが遅かったからではなく、交響曲の作曲にとても慎重でベートーウェンの9つの交響曲をとても崇拝していたので それに比肩するぐらいの出来でないと意味がないと考えていたからだそうです。ちなみに第1交響曲は43歳の時に完成させましたが最初のスケッチから24年間かかりました。
第1楽章 アレグロ ノン トロッポ(速すぎないように)
ウァイオリンが休符をはさみつつ第1主題を歌うところから始まります。上行と下行が交互に出てくる旋律で、それを4音符1つ遅れて木管楽器が追いかけます。
第2楽章 アンダンテモデラート(ほどよくゆっくりと)
ホルンと木管楽器がフリギア調(ミーファーソーラーシードーレーミ)という古い教会の音階を用いた主題が提示され 他の楽器に引き継がれていきます。そして3連符の動きで中断されチェロの静かな第2主題に移り、また第1主題にもどり消えるように終わります。
第3楽章 アレグロ ジョコーゾ(速くおどけるように)
1,2楽章とは一転して明るい響きの楽章です。コントラファゴットとトライアングルが入って一層色彩感が増します。
第4楽章 アレグロ エネルジーコ エ パッショナート(情熱をこめてエネルギッシュに)
パッサカリアという古い変奏曲の形式を用いています。最初に管楽器全員によるコラールがそのまま30回もくり返し変奏され、最後は激しく情熱的に終わります。
こだわり派ブラームスの交響曲について用いられた形式や調性について挙げれば書ききれないかもしれません。今日はブラームスが音楽で自身の人生を語っていると想像してみてはいかがでしょうか、例えば映画を観るかのように…。自分の書きたい音楽がなかなか受け入れられず孤独で、ある女性に恋をしますが告白することもなく生涯独身を貫いたブラームス…。そんな彼の苦悩、諦め、寂しさ、情熱そしてどこか温かい物語。まもなく開演です、どうぞ自由に想像をふくらませてお楽しみください。
|
|
|