映画ゴジラの中の新技術
第一作の『ゴジラ』には当時としては比較的新しい技術が幾つか登場する。例えば、その一つとしてテレビがあげられるだろう。山根邸の居間に置かれたテレビ、芹沢博士の実験室におかれたテレビなどが、ゴジラの破壊行為の現状をリアルタイムに映し出している。このリアルタイムな〝映像〟こそが、当時一般的であったラジオとはことなる新技術テレビの特徴であった。東京を破壊するゴジラをテレビ塔から実況中継するアナウンサーが「これは、劇でも映画でもありません」と叫ぶその言葉にそれは端的に表れている。ただし、これは裏返せば、テレビに映し出されるものが、劇や映画と区別がつかないという危うさをも暗に示しているわけであり、今日しばしば問題となるいわゆる「やらせ」というテレビのもつ視聴者への裏切り行為の問題とも関わっていく。
物語の最後で芹沢は、尾形や恵美子の説得に応じてオキシジェン・デストロイヤーの使用と自身の死を決意するが、その直接のきっかけはテレビから流れてくるゴジラによる破壊の惨状と鎮魂のために歌う乙女達の映像であった。いうならば、ゴジラ排除について、間接的ではあるが重要な役割を果たしたわけある。今日では当たり前となってとくに意識しなくなってしまったテレビだが、それがどのような意義をもっていたかをあらためて思い起こさせてくれるシーンである。
ちなみに彼の決断は、実は恵美子との恋愛関係の破綻も理由のひとつであったことは見逃してはならない。先に芹沢が、恵美子へオキシジェン・デストロイヤーの秘密を打ち明けたとき、彼はその公表を強制されたときは死を選ぶと伝えていた。しかし、恵美子は誰にも言わないという約束を破ったばかりか、こともあろうか自分の恋敵である尾形に告げたのである。これでは芹沢に死んでくれといっているようなものであろう。
ところで、日本においてテレビ放送が始まったのは、一九五三年(昭和二八)二月一日のことであった。午後二時、NHK東京テレビが放送を開始したのが最初である。流されたのは歌舞伎の中継である。また八月二八日には日本テレビが開局し、よく二九日に巨人・阪神戦のナイター試合を中継している。
一九五三年の段階でNHKの契約者は一五〇〇人程度だったが、翌五四年では一六八〇〇人弱にまで増加し、五五年になると五二〇〇〇人以上の人が契約していた。きわめて急激な伸びである。ただ、シャープが一九五三年に他社に先駆けて発売した国産テレビの価格は一七五〇〇〇円であった。当時の大卒初任給が一五〇〇〇円前後であったことを考えると、現在の価格ではほぼ二〇〇万円以上となり、おおよそ自動車一台分に相当したから、最初期においては一般家庭には普及しがたく、喫茶店などが客寄せのために購入することが多かったようである。主人公のひとり山根恭平は、大学教授でありいわゆるブルジョアに属するから、家庭にテレビがあってもあるいはおかしくはないかもしれない。
映画では、ラジオも頻繁に出てくる。特に「臨時ニュース」などの緊急情報のアナウンスは、ほとんどラジオを通してである。その第一の理由は、当時はテレビよりもラジオの方が普及率が高かったことによるのであろう。しかし、映画の上ではもう一つの効果がそこには隠されているようだ。それは、この映画では、人々の恐怖をあおるために戦時中の空襲の被害や恐怖が重ね合わされているのだが、ラジオは、空襲における爆撃機の進入情報などを臨時にアナウンスする機能を担っていた。ラジオから流れるゴジラ接近の情報は、こうした空襲における警報放送に重ね合わされることで、戦争を経験した人たちがほとんどを占めていた当時において、観客に恐怖を呼び起こすには十分な仕掛けとなったと思われる。ラジオが緊急情報を伝え、テレビが惨状を見せる。その役割分担を通してゴジラの恐怖が演出されているわけだ。
ちなみに映画で使われているテレビには「ユタカ」の文字が見える。これは、当時実際に存在したテレビ受像機のメーカーであった。