キリスト教と火星人

『宇宙戦争』というSF小説をご存じだろうか。いやこのコラムを訪問するようなあなたならば、一度はその名をお聞きであろう。あるいは既にお読みになった方もいらっしゃるかも知れない。 

 あらためて言うまでもなく、これはイギリスの作家H・G・ウェルズが一八九八年に発表したSF小説における不朽の名作で、その内容はイギリスを舞台にした火星人の地球侵略の物語であった。
 一九三八年に名優オーソン・ウェルズによってラジオドラマとしてアメリカで放送されたとき、本当に火星人が襲来したと勘違いした人たちから、警察へ問い合わせが殺到したというのはよく知られたエピソードである。
 この作品は、これまで幾度か映画化もされているが、ここで取り上げたいのは、二〇〇五年六月に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督、そしてトム・クルーズの主演で制作された作品である。
 本作は、原作の要素は残しながらも、舞台をアメリカへ、そして物語も火星人の襲撃のなか、離婚した男が、実の子である兄妹を元妻のもとへ送り届ける話へと大きくデフォルメ(作家による素材の意識的変形)されている。その詳細については、映画に直接あたっていただくこととして、ここではこの作品の冒頭部分に注目してみたい。
 物語のはじめ、火星人らは稲妻の光に乗って、地中に埋められていた彼らの戦闘マシーン・トライポットへ次々と乗り込んでいた。彼らは、人類がまだ生まれるはるか以前にこの時に備えてあらかじめこの機械を地中に埋めていたのである。
 この映画でのトライポットは、比較的原作に近い形で造形されており、三本の足の上に紡錘状の本体を載せ、また二本の腕のようなものがついている。腕の先には、破壊光線を出す装置がつけられていた。むろん人間よりもはるかに大きい。
 主人公の住む町にも埋められていたが、それは教会前の交差点の地下であった。トライポットが地中からせり上がってくるとき、地面に無数の亀裂が入り、それが周辺の建物にも及んでいく。もちろん教会も例外ではない。ついにトライポットが地中より姿を現したとき、教会の建物も崩れ落ちる。そのとき屋根の上にあったであろう大きな十字架がひとつ落ちてくるのである。
 実は、ここに興味深い問題が潜んでいる。教会が破壊される直前、トライポットが交差点から無理にせり上がろうとする様子を空撮で映すシーンがはさまれている。そこでは交差点と教会の建物の全体が映し込まれているが、興味深いことに、なんと教会に十字架が見えないのである。が、次に切り替わる地上からのシーンでは、せり上がるトライポットによって教会が破壊され、そこに確かに十字架が落ちてくるのである。
 これは、このシーンをなすにあたって、十字架の落下を何らかの意図をもってあらたに付け加えたことを示している。
 十字架は、教会を象徴するともにキリスト教という宗教をも象徴する。もともと建物になかった十字架をわざわざ落下させているのは、明らかに火星人が〝神をもおそれない存在〟であることを強調する効果を持っている。これは、キリスト教を文化基盤にもつ人々にとっては、ある種の恐怖を抱かせることにつながるはずだ。
 しかし、そもそも火星人は、人類とは文化の異なる存在である。それ故、人が信仰する神を信じていないのはむしろ当たり前である。我々が未知の宗教に出逢ったときのことを思い起こせば、そのことは容易に想像がつくであろう。ここには我々が宗教を考える時の深いヒントが隠れている。
 ただ、物語の結末では、神の英知によって作られた細菌が、火星人たちをむしばむことで、彼らを死に至らしめることになっているから、全体としては、神を畏れないものが、神によって滅ぼされたという構図になっている。したがって、物語の冒頭で十字架が落とされることと、最期の結末はあきらかに連動していると考えて良いだろう。

2020年08月15日