鵺(ぬえ)とは、『平家物語』に出るよく知られた怪獣である。すでによく知られた物語であるが、14世紀初頭ころの『源(げん)平(ぺい)盛(じよう)衰(すい)記(き)』「三(さん)位(み)入(にゆう)道(どう)芸(げい)等(とう)事(のこと)」によって改めて示しておこう。長文ゆえに要約で示す。
近衛天皇の時代、仁平(1151~54)の頃、夜な夜な黒雲が御殿の屋根に飛来して覆い被さる怪異があった。天皇は、この件ですっかりとおびえなさった。そこで弓の名手である源頼政が呼ばれ、それを退治することになった。かれは、従者を連れてその任にあたる。はたして黒雲が現れて御殿を覆った。頼政は、南無八幡大菩薩と心に念じてひょうっと矢を放った。確かに手応えがあった。従者が走り寄り屋根から転がり落ちた怪物に縄をかけた。その怪物は、頭は猿、胴はたぬき、尾は蛇、手足は虎の姿をしていた。それ以後、天皇のお悩みはなくなったという。(8)。
この話で注目するべきことは二点ある。第一に捕らえられた鵺の生物としての不合理性である。頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸といった異様な姿は、おおよそ生き物としての合理性を持っていない。この部分原文では「頭は猿背は虎尾は狐足は狸、音は鵼也」とある。まさに『山海経伝』のいう「貌状倔奇(ぼうじようくっき)」であって、その意味で「怪獣」である。こうした生物としての不合理性は、のちの時代にも通時的に受け継がれ、ゴジラヘとつながっていく。ゴジラもまたおおよそ自然界の生物としての合理性を超越した存在であった。
第二には、この怪獣の出現によって天皇がお悩みになっていることが記されているから、この怪獣は「見えない力」を発揮する「見えない世界」の存在であることを示唆する。それはこのものについて『源平盛衰記』は、
その変(へん)化(げ)のものの死体を清水寺の丘にうめた。
【原文 彼変化の者をば、清水寺の岡に被レ埋にけり。】
と記しており、この生き物が、「変化の者」と呼ばれていることからも理解できる。変化のものとは、いわゆる化け物や妖怪の類いについていう言葉である。すなわち、鵺の出現は、あくまでも妖異な現象だったのである。しかし、また『源平盛衰記』もこの不思議な動物にたいして怪獣という言葉を使わない。
鳥類にかかわる怪異は、獣類に比較してこの時期の多くの古文献に見いだすことができる。たとえば、平安時代後期頃に成った歴史書である『日(に)本(ほん)紀(き)略(りゃく)』延暦15年(796)4月庚午(かのえうま)の記事(9)には
鳥が五~六羽大学寮の上を飛んだ。そのうちの一羽が大学寮の南門の前に落ちた。その姿は鵜のようだったが、毛は鼠に似て、背には斑毛があった。だれもその鳥の名を知らなかった。
とあり、また延喜5年(905)2月2日の記録には「夜宮中で鳥が鳴いた(夜宮中惟鳥鳴)」と記され、15日にはこの怪異を鎮めるために諸社で神に幣(ぬさ)をささげる祀りが行われている。
鳥は、日本神話でヤマトタケルの魂が白鳥となって飛んで行ったように、霊魂もしくはその運び手としてイメージされており、あちら側の世界と行き来できる存在であったことを考慮すれば、怪異の主体として獣類に比して多く言われることは比較的よく理解できる。
ところで、『太平記』12「広有(ひろあり)怪鳥を射る事」には、興味深い話が載せられている。
天下に疫病がはやり、たくさんの人が死んだ。それだけでなく秋の頃から紫宸殿の上に怪鳥が出てきて「いつまで、いつまで」と鳴いた。その声は雲に響き人々の眠りを覚ました。人々はそれを聞いて恐れないということはなかった
【原文 今年天下に疫癘あって、病死する者はなはだ多し、これのみならずその秋の頃より紫宸殿の上に怪鳥出で来たって、「いつまで、いつまで」とぞ鳴きける、その声雲に響き眠りを驚かす。聞く人皆忌み怖れずといふ事無し。】
ということがあった。そこで諸卿詮議の後、隠岐次郎左衛門広有が召されて退治することになった。彼は矢を番(つがえ)えて孫(まご)廂(ひさし)に隠れ怪鳥の出現を待っていたところ、はたして大内山の上に黒雲がひとむらかかって、しきりに鳥の鳴く声がした。
その鳥が鳴くとき口より火炎を吐いているようで、声の内から稲光がして、その光が御(み)簾(す)のなかに散り通った。
【原文 鳴く時口より火炎を吐くかと覚(おぼえ)て、声の内よりいなびかりして、その光り御(み)簾(す)の内へ散(さん)徹(てつ)す。】
広有は、能く狙いをさだめて鏑(かぶら)矢(や)を弓につがえ、鳥の鳴く方へと矢をはなった。すると手応えがあった。なにか大きな岩が落ちてくるような音がして、その鳥は落ちてきた。
護衛のものに松明に火をともさせて、それをご覧になると、頭は人のようで、体は蛇のようであった。くちばしの先は曲がってのこぎりのように生え違っていた。両足にはながいつめがあって、その鋭さは剣のようであった。羽をのばして長さを測ってみると一丈六尺(約4メートル80センチ)もあった。
【原文 衛士の司に松明を高くとらせて、これを御覧ずるに、頭は人の如くして、身は蛇の形なり、觜(くちばし)の先曲って、歯鋸(のこぎり)の如く生ひ違ふ。両の足に長きけづめあって、利(と)きこと剣の如し。羽先を延べてこれを見れば長さ一丈六尺なり】(10)。
この話は、先ほどの『平家物語』における鵺と類似の内容と言ってよい。やはり、疫病の流行と結び付けられていることから見て、鵺の場合と同様、「見えない世界」と何らかの関係を思わせる存在であり、また、頭は人で身体は蛇などという姿であることから、おおよそ生物としても不合理である。しかも怪獣という言葉も与えられておらず、妖異な現象である点も『平家物語』と同様である。ただし、鵺には言われなかった注目すべき性格がある。それは、この怪物が「鳴く時口より火炎を吐くかと覚て、声の内よりいなびかりして、その光り御簾の内へ散徹」したと記されていることである。ロヨリ火炎を吐いたり、声を発した時に電光が生ずるというのは、生物としての不合理性とともに現代の怪獣のもつ特徴を思わせるであろう。
8)『源平盛衰記』(『国民文庫』30)。
(9)新訂増補「国史大系」(1929)。
(10)『太平記』巻十二(『新潮日本古典集成』、1980)229頁~232頁。

