1、日本人のゴジラ
ゴジラは恐竜の形に似た生き物である。だが、放射能を栄養源としたり、口から熱戦を吐くなど通例の生物とは様々な点で異なる特徴を持つ。また〃神〃ことに〃破壊神〃などとも言われることも多い。ゴジラに何か人間を超越した強大なパワーを感じるが故に重ね合わせられるイメージである。先にも述べたようにたしかにゴジラには、いわゆる「見えない世界」の存在としての神秘性がある。しかしながら一方で、おなじ異界の存在である〃妖怪〃と類似のものと認識する人は、殆どいない。
かつて大沢昌司は、これまでに東西の映画に登場した怪物や怪獣を、巨獣族、怪物・怪人族、改造人間族、機械人間族、宇宙怪物族、周辺の六つに分類し、それらの関係を系統図風に整理したことがあった(1)。そこではゴジラを米映画『ロストワールド』(一九二五)の「前世紀の怪獣」(恐竜)を淵源にした「自然巨獣」の系統から、水爆実験の影響を受けて分岐したところに位置づけている。他にこの系統にあるのは、ゴジラの直接のモデルになったとされる米映画『原始怪獣現る』(一九五三)のみである。むろん、核の影響を受けた怪獣は、原子アリや水爆タコなどが分岐するが、恐竜型の巨獣としてはこの二例が分岐の末端にあって、ひとつのグループをなしているのである。このことはゴジラが、他とは容易に関係づけられない特異なイメージの中にあることを示している。
じつは、日本人がもつゴジラのイメージは、どちらかと言えば、日本人に特有な面を持っていることは否定できないようである。それは、ゴジラに象徴される怪獣や妖怪などという日本語を、完全な形で外国語に翻訳することが難しいといった事実が端的に示している。
では、我々のゴジラのイメージは、どのようにして生まれてきたのであろうか。ここでは、そのことを主として日本における怪獣観の変遷を跡づける作業から浮かび上がらせてみたい。
日本人は、怪獣に対する伝統観念から何を受け継ぎ、また逆に受け継がなかったのか。それを考えることを通して、日本人の世界認識の深層を探ってみたいと思う(2)。
(1)『世界怪物怪獣大全集』付録(キネマ旬報社、一九九六)。
(2)こうした方面のアカデミズムからの研究には、他に斎藤純の「妖怪と怪獣」が備わる。(常光徹編『妖怪変化』筑摩査房、一九九九)。
