⑸宗教学の対象は文化としての宗教である。

前節で述べたように宗教学が人文科学の一分野だとすれば、宗教学が取り扱う宗教とは「文化としての宗教」ということになります。著名な宗教学者であった岸本英夫氏はその著書の中で


 宗教学は文化現象としての宗教の探求を、その目的とするものである。人間のいとなみとして現 れた限りの宗教現象を、宗教学はその研究対象とするのである
                            (岸本英夫『宗教学』)


と述べられています。そして同じ本のなかで次のようにも書いていらっしゃいます。


 宗教学は、人間の悩みや苦しみを救う働きはしない。宗教学者は、宗教家ではない。しかし、宗 教に関するあらゆる実証的な知識と資料をあつめ、整理し、組織立てるのは、宗教学である


 いかがでしょうか。これらの論によって宗教学という学問のあり方、「学」としての宗教の
学びと信仰を深めるための宗教へのアプローチとの異なりが、端的に了解できるのではないで
しょうか。
 ここでいま一人、これもまた著名な宗教学者・脇本平也氏の論もご紹介しておきましょう。
すなわちそのご著書『宗教学入門』(講談社学術文庫)で


 宗教学は、信仰の是非を論ずることなく、護教的や伝道とは無縁の立場から、できるだけ主観的な価値判断をまじえないで、もっぱら客観的に宗教の諸事実を観察研究しようと努力する学問である

と述べられています。岸本氏とほぼ同様のことを書いておられますね。
 整理すれば、宗教学は、文化としての宗教をその研究対象とし、また事実にもとづいた客観
的な研究方法を目指す学問領域、ということになるでしょうか。
 では、なぜ宗教学という学問が必要なのでしょうか。いや言葉を換えれば、私たちはどうし
て宗教を客観的に学ぶ必要があるのでしょうか。それは、ひとえに現実に行われている宗教に
対して“正しい”理解を得ることにあると言ってよいでしょう。正しい理解によって、はじめ
て宗教と自身がどのように向きあうのかという大きな課題に正しいアプローチが可能となって
くるのですね