〝ゴジラ〟、あらためて言うまでもなく、東宝の創り出した怪獣映画の主人公の名である。いまや我が国のみならず世界にもその名を知られたスーパースターとなった。一九五四年十一月に第一作が公開されてからこのかた、シン・ゴジラまで全部で二九作を数えるまでになっている。アニメ版もあるのは周知の通りである。さらにアメリカもすでに三作を世に問うている。
誕生からこれほど長きにわたって作り続けられているのはなぜなのだろうか。もちろん、興行的な成功を見込めたことがその大きな理由だが、同時にそれは観客の期待の大きさと連動するものでもあったことは言うまでもない。
これまで多くのゴジラに関する本が出版されてきたが、そのどれもが魅力的で示唆に富んでいる。ゴジラという架空の怪獣についてこれだけ様々な知見が見出されるのは、あらためて考えれば驚異と言うほかはない。なぜゴジラは、これほどまでに娯楽のみならず研究や評論の材料となり続けることができるのだろうか。それは、おそらくはゴジラとその物語が、日本人あるいは日本文化の深い部分それもかなりの深層で繋がっているからだと思われる。いうならばゴジラとそれに纏わる物語は、日本人とその営みの結果としての日本文化を深奥から表象するものなのである。
本稿は、こうした視点に立ちつつ、ゴジラとその物語を通して、日本人とその文化を深いレベルから考えたいという思いによっている。そして、そのために主として民俗学的な知見を援用した。なぜならば、民俗学もまた日本人とその文化を深層から捉えようとする分野としての側面を持っているからである。いわば民俗学的ゴジラ論というわけである。
民俗学は早くからゴジラの重要性に気づいていた分野のひとつでもある。管見に触れる限り宮田登の言及が比較的早い例であった。また赤坂憲雄氏も重要な知見を幾つか発表しているし、さらに小松和彦や斉藤純の名前も挙げなければならないだろう注1。これらの人々は、いわばこの分野の開拓者といっても良い人たちであった。本書もこうした諸先学に導かれてその末端に連なろうと企画したものである。
そもそも民俗学の目的のひとつには、「日本人とは何か」を明らかにするということがある。だが容易にわかることだが、この問いに簡単に答えることは難しい。「人間とは何か」にすぐに答えを見出すのが難しいのと同じである。おそらく長い時間の多くの人々の努力によるたくさんの知見の積み重ねの結果、ようやくにして、それもおぼろげながらに見えてくるものであろう。物事を理解するのは、石に一滴ずつ水を落として、その石に穴を開けるようなものである。それほど地道で忍耐強い作業が必要となる。
民俗学的な手法による本書も日本人あるいは日本文化についてのより深遠な理解を得る為の知見を積み重ねることを目指すが、そのための方法として、日本人の思考や行動を枠づける精神の〝構造〟を浮かび上がらせるということに留意したいと思う。むろんそれは、ゴジラという文化現象に直接観察することはできないが、ゴジラに顕れた様々な要素を統合する概念として想定することは不可能ではない。おそらくそこには制作者も意識しない、また観客もあらためて気づくことのなかった様々な問題が浮かび上がってくるに違いない。そしてそこにこそ「日本人」あるいは「日本文化」について明らかにするためのヒントが顕れてくるのではないかと思われる。
ゴジラの物語は、現実に起こったことではない。制作者が創り出し、そしてそれを観客が受け入れることによって成り立った世界である。つまり少なくとも日本で製作されたゴジラは、日本人の‘つくりもの’である。したがって、おそらくはその時を生きた日本人の世界観に大きく依存しているはずであり、その心の欲求にしたがって生まれ、受け入れられたものと言えるだろう。ゴジラとその物語は、それを創りそしてそれを受け入れる人々の心のあり方と連動しているのである。「ゴジラは、あなたでありわたしである」といったのは高橋敏夫であった(注2)が、ゴジラを知ることは、日本人である「わたし」を理解することにつながっていくのである。
本書では、ゴジラによって照らし出され露わになってくる日本人の姿をできるだけ具体的に論じていく。そしてそれは、あなた自身を明らかにすることに繋がっていくことになろう。この文章をひもとく読者諸兄にとってゴジラは、いったいどんな自分を露わにしてくれるのだろうか。
(写真=ゴジラ岩・能登輪島 ちなみにゴジラの後ろにラドンが見える)
注
1 宮田登『都市民俗論の課題』(未来社、一九八二)、赤坂憲雄「ゴジラはなぜ皇居を踏めない か」(『別冊宝島』、JCC出版局、1992)、赤坂憲雄『ゴジラとナウシカ』(イースト・プ レス、二〇一四)、斉藤純「妖怪と怪獣」(常光徹編『妖怪変化』、ちくま新書、一九九九)、『 ものと図像から探る 怪異・妖怪の世界』(勉誠出版、二〇一六)など。
2 高橋敏夫『ゴジラが来る夜』(廣済堂出版、一九九三)