陰膳について教えてください。
A.陰膳(かげぜん)とは、もともと旅に出た者の安全を祈願する為に行われたもので、その人が普段座っていた場所や床の間に写真をたてて、その前に食事を供えるものでした。しかし、日露戦争ころより出征した兵士の無事を祈るためのものとして流行し、暖かい汁を入れた容器の蓋が、露で満たされていた場合は本人が無事であるという呪術的な性格まで付加さていくようになります。つまり陰膳の蓋で安否を占うことが行われていたわけですね。陰膳は、第二次世界大戦においても広く行われ、皇族の梨本宮伊都子はその日記に「普通の御留守とちがい、戦地へならせらるに付(中略)翌日より御写真を御床の間にかざり、一日一回は必ず御かげ膳をそなえることにし、只々御無事を祈る」と記しています。また『主婦之友』(1937年9月号)には、「母子そろって、陰膳に 良人を偲ぶ夕まぐれ、さぞや戦地はお暑かろ/咲いた大和の女郎花、女なれどもお留守居は 必ず立派につとめます/母子三人、しめやかに 床の写真を仰ぐとき、また号外の鈴の音」という詩が掲載されています。戦争という異常な状況の中、常民性は如何なる習俗を発現させたのでしょうか。異常な世相の中で生まれ出た習俗は、我々の心性を探るに最も良い材料となるのかもしれません。
参考文献
柳田国男「陰膳の話」(『定本柳田国男全集』14)
桜井徳太郎「陰膳習俗源流考」(『桜井徳太郎著作集』4)
川村邦光「民俗の知の系譜」(昭和堂)
