■ 名前を聞くだけでわくわくする、『渓流釣り』に付いて。
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私が子供の頃は、近くの野池でフナやモロコを釣るのが遊びの一つで、兄弟や友人の竿を適当に調達し釣りという物を身近に楽しんで
いました。
田舎は日本海の浜坂や竹野で、たまの里帰りに付いて帰った時には、田舎に置いてある道具で、キス釣りやアジ釣り等で遊んでいたのを、思い出します。
渓流釣りにのめり込んで行ったのは、社会人になってからで、友人の兄さんに兵庫県の放流釣り場に連れて行って貰ってからで、今までしたことのないジャンルの釣りで、
何回かアマゴやニジマスを釣りに出かけましたが何か物足りなく、その内天然のアマゴやイワナを釣るために、色々な知識や情報を集め、道具も揃えて、本や雑誌などの
釣り場案内などで行き先を決め、夜駆け朝駆けで毎週友人のH君と出掛けました。
最初は、近場の滋賀県や京都の北部を廻り、その内奈良県の大峰山や大台ヶ原近辺、西は兵庫県の姫路近辺、北は福井県や石川県東は岐阜県や遠くは静岡県まで、
とにかく国土地理院発行の2万5千分の1の地図を買ってきて想像を巡らし、今度はこの川、今度はこの山と、夜中に、始めて行く林道や山道に分け入り、夜明けと共に
釣り出し、暗くなるまで渓流の中で竿をふっていました。
当時は、当然ナビなど無く、行く前に道路地図を頭の中に叩き込み、地形や風景を思いめぐらし、実際の地形や風景と照らし合わせ、今思うと良い経験と、良い思い出を
貰いました。
其のかい有ってか無かってか、地名や川の名前、地形で方向を感じる事が得意に成りました。
当然車も四駆を求めましたが、仕事でも使う為、RV車やジープタイプでは無く、乗用四駆を求めると、当時は自ずとスバル・レオーネになり、タイヤはラリー用の
タイヤを付け、関西や中部・北陸方面の林道(ダート道)は殆ど疾走ったような思いで居ります。
一日中山の中で、釣れる時も釣れない時も気持ちよく、お昼の弁当の美味しいことこの上なく、コーヒーの美味しさも格別で、別世界の中にどっぷりと入り込み、
命の洗濯をしておりました。
今となって、当時の事を振り返り、あの風景の渓は何処だったのだろうか?、あの景色は何処だったのだろうか?と、懐かしく記憶に残ってる景色を思い出しますが、
何回かチャンスが有り昔の記憶と重ね合わそうと思いましたが、そう言う場面は殆ど有りませでしたので、良い思い出の記憶のまま置いて置いた方が良さそうで、
其の方が幻滅や挫折で、ガッカリしなくて良さそうです。悲しい限りです。
一番良く出掛けた年は、解禁の3月1日から禁漁になる9月31日まで、殆ど毎週あちこちの山渓に出掛けており、7ヶ月間、月4回として年間25回程行っており、
渓流釣りに付いては、本を出したり人に教えるぐらいの知識と経験をさせて頂きました。
15年ぐらい経った30歳後半(1980年頃)ぐらいから山がおかしく感じるようになりだしました。
と、言うのも今まで行くのに大変だったところも、高速道路が出来て、短時間で行けるようになり、山の中にも林道が整備され、至る所に砂防堰堤が造られ、
自然が失われて行くのを目の当たりにして、その光景を見るのが辛く、その事と同時に行き先が金沢から富山方面へと足を伸ばして行きました。
その内、仕事も忙しくなり、年に1・2回しか行けなくなり、渓流から離れていきました。
気持ちとは裏腹に、渓流釣りの計画を立てるのですが、行く前は恋人に会いに行くようなときめきが有るのですが、行ってみると、物の見事に打ちひしがれ、
落胆して帰ってくるのを何回か繰り返し、1年に1度、2年に1度と、足が遠のいて行きました。
それでも、道具は大切にしまってあり、何時でも行ける状態ですが、次回出掛けるのは何時になることやら、今は気力がなえていますが、その内体力が無理に
なるかも?。
残念と言うより悔しいですね。
私と同じ様な思いをされている方も、渓流釣りではなくても、山や渓流等に係わりを持たれている方の中に、多数居られるのではと思いますが、私などは普段都会の
中で生活をして、遊びとしてその様な思いを、勝手に抱いておりますが、そこで生活をされて居る方の思いや、ご苦労ををお察し致します。
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