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![]() ![]() 新作礼服 製作 森和美氏 |
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唐の俑に見るへヤースタイル
いろいろなヘヤースタイル (俑・古墳壁画参考) ヘヤーメイク・岡本矢永子氏
初唐式高髻 盛唐式高髻 球髻
中晩唐式高髻 双環望仙髻
鷲鵠髻 螺髻
反館髻
「平城京天平祭*春」 (2013年5月3日~5日)
*平城京天平行列 ー平城遷都之詔ー の儀式が催されました
大極殿にて元明天皇の平城遷都之詔
「方に今、平城の地、四禽図に叶い、三山鎮を作す。亀筮 並びに従う。宜しく都邑を建つべし」
命婦 侍従 元明天皇 侍従 命婦
伎楽隊が続く(天理大学雅楽部) 衛士隊が先導
居並ぶ文武百官 紫・赤・緑・濃青
高位――――――――→
元明天皇・ミス奈良 宝冠
宝冠を被り、男性天皇と同じデザインの白の大袖の礼服
少納言(奈良市長) 命婦 (ミス奈良)
少納言役・平城遷都之詔を告げる
元明天皇のグループ(高松塚古墳壁画婦人像参考衣装)
元正天皇グループ(絵因果経の人物像・ 背子がなく、ハイウエスト)
聖武天皇 光明皇后 孝謙天皇
淳仁天皇 光仁天皇 称徳天皇
兵衛が先導
5月4日 ゆかり風流行列
伎楽面を布で(布作面といい正倉院に伝存)
「よみがえる古都の宴」東院庭園にて
「平城京天平祭」が開催されました (2012年5月3日~6日)
*天平衣装行列 平城京歴代天皇と男性、女性貴族の新着衣装で華やかに繰り広げられました
男性貴族100名、女性20名づつ4種類の縦縞の裳で揃えて、一団の美しさ、迫力を演出いたしました
今回の衣装製作のコンセプトはより観客の目線に立ってお楽しみ頂けるような構成を心がけました。
天理大学伎楽隊 100名の男性貴族(正確に貴族は紫と赤5位まで) ![]() ![]() ![]() |
元明天皇 原京から平城京へは朝鮮風ファッション 高松塚婦人像のスタイル ![]() ![]() |
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女人舞楽「原笙会」による舞(絵因果経の女官のスタイル)元正天皇 万葉歌人 ![]() ![]() ![]() |
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聖武天皇 宝剣 箱 ![]() ![]() ![]() |
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光明皇后 | |||||||
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孝謙天皇 淳仁天皇 | |||||||
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翳(さしば)隊![]() |
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![]() ![]() 子供達の行列 ![]() ![]() |
*特別企画 東院庭園にて「よみがえる古都の宴」5月3日~6日
東院庭園全公開 (通常は建物内はご覧いただけません) 庭園・中央建物・隅楼・曲水にて
東院庭園は奈良時代の宮殿内における庭園のあり方を知る唯一の遺跡です。
今回庭園の建物内に奈良文化財研究所資料館に展示されている正倉院宝物の復元調度品を運び入れ、
当時の様子を再現いたしました。天平衣装を纏った貴族達で当時の雰囲気を味わって頂きます。
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奈良文化財研究所資料館に展示 正倉院宝物の復元調度品 | ||||||
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* 天平衣装行列
・平城京歴代天皇が勢ぞろいと新着衣装の女性貴族・女官が華やかに繰り広げられ、
大極殿前にて絹衣裳の男性貴族100名がお出向えいたしました
行列用小物も次々完成 | |||||||
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天蓋 聖武天皇と光明皇后のペアーで | |||||||
古事記と日本書紀 男性貴族帯(組紐) 肘当て | |||||||
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双六 箱 箱 | |||||||
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翳(さしば) ヘヤーピース 女帝ヘヤーかんざし | |||||||
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平城京天平祭・天平衣装行列(春) (2011.4.29.~)
平城京歴代天皇を勢ぞろいさせました (衣裳制作のポイントと解説)
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輿に乗る聖武天皇 光明皇后 | |||||||||||
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元明天皇(46歳) ![]() ![]() ![]() |
藤原京時代の衣装デザイン 後ろ3人高松塚古墳壁画の婦人達 ・この当時は朝鮮風から唐風に移行の過渡期でしたが、 まだまだ朝鮮半島のファッションが色濃く残っています。 ・特徴としては上着の打合せが向かって左を上にしています。 左衽 現代の女性の着方といっしょです。 ・長い上着丈で、袖口や裾からは内に着ているプリーツ を見せています。 正倉院宝物・香染絁袍 を参考に ![]() スカート・正式には裳といいますが、縦縞模様に見えて いるのは細長く、台形に切った布を縫い合わせた 巻きスカートです。今で言うパッチワークの技法です。 |
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絵因果経 正倉院宝物 奈良時代に描かれた 錦紫綾紅﨟纈絁間縫裳を参考に(元明天皇の裳) 褐色カトリ単裳を参考に(元正天皇の裳) |
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縦に切り替え裳 2段切り替え プリーツ | |||||||||||
元正天皇(36歳)![]() |
唐風ファッションに 背子(ベスト)を着用・ヒレ(ストール)をする この頃の服装から唐のファッションを真似ていき、す っかり変わっていきます 719年衣服を百姓に至るまで右衽に改めなさいと発令されますが、なかなか改まらず、再度 730年女子は旧来の衣服を新様に改めよとの法律が出されました。 打ち合わせは向かって右が上になります。右衽に 今の男性の打ち合わせと同じに決められます。 ストールのようなものヒレをつけています。 もともとは騎馬民族が埃よけに顔に巻いていた実用品がおしゃれの小道具に変化したもので、女性が恋人と別れるときにこれを振ったと万葉集に詠われたり、又邪気を追い払うおまじないの意味もあったようです。 裳が変わっています。このデザインは正倉院宝物にあり、二段切り替えで、下は細かいプリーツ、上は少し巾広いプリーツで繋いでいます。(上記右を参照)現代にもこのようなデザインがありますね。 |
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礼服(ライフク) 中国の伝統的な儀式服・祭服に習ったもの 5位以上が着用する重要儀式服 大祀(即位)・大嘗(即位の年の新嘗祭)・正月の朝賀 |
朝服(チョウフク) 有位の官人が朝廷の公事に携わる際に着用する服 宮廷で勤める文官・女官の最も日常的な官廷服 |
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聖武天皇(23歳) ![]() |
古代から服装はいわゆる法律で決められていました。 それほど服装は重要な位置づけだったのです。 身分の違いを服装で表したのです。 一番大事なのは色目で、位階がすぐに分かりました。 自分の身分より高い色を着ることはできなかったのです。 時代によって違いますが、身分の高い順に紫・赤・緑・青 その上、形・サイズ・素材・アクセサリーまで事細かに 決められていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 女官がうちわの様な物を持っています。 通常では天皇のお姿を見ることは出来ません。お出かけの 折にはこのようにもっと多くの女官たちがお顔を隠しまし た。これは「さしば」といい、翳ろうの翳という字を書き ます。天皇のすぐ後ろの女性は身分の高い女官で紫の裳を はいています。 身分の高い女性も素顔を見せないように翳を持っており、 自分で顔をかくしました。 |
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光明皇后(23歳) ![]() |
光明皇后は聖武上皇没後、遺愛の品々を東大寺の大仏に 献納し、それが正倉院宝物として伝存しています。 その正倉院の宝物が私の 教科書になっています。 出陳される多くの工芸品や仏具・布・紙にまで、 文様が付けられています。その文様のそっくりなの、 似ているの、又アレンジされたのが「古代柄・古代裂」 として現代に伝わっています。 それは和服の着物や帯の図柄にもたくさん使われてい るのを見つけることが出来ます。それらの図柄で衣裳を 制作しています。光明皇后のベストがそうで、鏡を モチーフにした図柄で格調高い帯に使われています。 光明皇后のベストがそうで、鏡をモチーフにした図柄で 格調高い帯に使われています。 添え帯にはビーズを付けて飾っています。 これも宝物を真似て付けてみました。 又、繊細な刺繍も沢山あって、それは見事ですよ。 |
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(父・聖武天皇 母・光明皇后)孝謙天皇(31歳) ![]() |
貴族女性・女官の衣装は美しい配色にしています 当時の染色は主に草木染めですが、正倉院宝物には 1300年を経て、退色しているのも多いですが、実に 色鮮やかな衣装類を見ることが出来ます。 染色技術は非常に高かったようです。 制作いたしました衣装は草木染めの趣にはほど遠い ですが、当時の華やかな色使いを想像してあえて カラフルにしました。 色は好きな色を自由に着ることはできません。 男性と同じで、位階によって色は決まっており ました。身分は親や夫に準じ、自分の身分より高い 色を着ることは出来ませんでしたが、低い色は自由 に着て楽しんだようです。 |
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淳仁天皇(25歳) ![]() |
威儀を表す小道具なのですが、もともとは木で出来 ていました。重要な公事の折り、式次第など大切な 事を墨で書いておくメモ帳の役目をしたという説もあり 、終われば小刀で削って、又使ったようです。ですから 小刀は必需品で必ず腰にぶら下げておりました。 他にも何かぶら下げていますでしょう。 魔除けの水晶玉や琥珀、勾玉、魚の形のガラスなど、 身分の高い人ほどたくさんつけていました。 これも正倉院宝物にいろんな種類を沢山見ることが 出来ます。今のストラップのようなアクセサリーの ようで面白いですね。 ![]() |
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(重祚) 称徳天皇(46歳) ![]() |
奈良時代に描かれた薬師寺の吉祥天女画像(礼服)
女官の衣裳着方がベストをスカートの外に出すように なってきます。 それまでの多くはベストの上に裳、スカートをはいて いましたが、ベストを外に出して帯を締める着方に なっていきます。 |
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光仁天皇(61歳) ![]() |
貴族・女官の新しいファッション 国宝 薬師寺神像を参考に
奈良時代の終わりには平安時代初期のスタイルが 現われます。朝服のベストに襟の付かない丸首の が出てきます。 |
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遣唐使 遣唐使船に乗って留学した人々は、帰国後それぞれの分野で 大いに活躍しました。その代表が、吉備真備と玄昉です。二人は、 717年遣唐使で入唐し、735年帰国しました。 帰国後は、橘諸兄政権のブレーンとして活躍しました。 740年に反乱を起こした藤原広嗣が、彼らが朝廷を乱すと主張した ことは、逆にどれほど活躍していたかを示すものでしょう。 吉備真備は、最新の礼、暦、音楽書、などの貴重な書物や、 武器・楽器・測量器具などを持ち帰りました。 玄昉は、『開元釈教録』というお経の目録と多数のお経を持ち 帰り、それらは奈良時代の写経の基本資料となりました。 |
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30人の貴族の子供たちも行列に参加 ![]() |
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ミス奈良(素敵なヘヤー・メイクは五十嵐公子さん) ![]() |
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翳(サシバ)の役目(貴人の素顔を隠します) 天平衣装行列解説 (動画サイト)
http://www.ustream.tv/recorded/14344196
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4月29日衣装行列動画見つけました http://www.digibook.net/d/2414adb390dd87e0fa80a4120a24b18a/ | ||||||||||
天皇衣装のデザイン・袖についての考察 ![]() |
礼服(ライフク) 中国の伝統的な儀式服・祭服に習った衣装で5位以上が 着用する重要儀式服(天皇即位式・元旦朝賀・・・・・・・) 礼服(ライフク)の袖は大袖 正倉院宝物・大袖のみ (実物の貴重な史料) 丈 100cm ![]() ![]() 袖口の切り替え布に錦 参考・東大寺・日光菩薩 |
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![]() 現在の和服の袖は左右が反対に付いています |
東山天皇即位式に着用の礼服![]() |
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参考 2010年平城遷都祭まほろばステージにて中国舞踊団着用の衣装 ![]() ![]() |
唐・章懐太子李賢の墓の壁画(711)の大袖 ![]() |
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五十嵐公子さんのメイク・ヘヤースタイル公開![]() ![]() |
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(木に彩色・薬師寺吉祥天画像を参考)
本物の髪飾りは象牙に染色
平城京天平祭(夏)・光と灯り (2011.8.19~) 天平衣装行列 織姫と彦星がテーマ (天の川をイメージして衣裳制作) |
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織姫役のミス奈良 彦星と織姫 織姫と女官(衣裳は天の川をイメージ)![]() ![]() ![]() |
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五十嵐公子さんによるヘヤースタイル (暗闇の中で際立つ光彩の演出)![]() ![]() ![]() ![]() |
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