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 神道用語解説----------
知っておきたい、神道の用語解説
禊・祓(みそぎはらえ)
禊とは神聖な水に浸かって心身の穢れを洗い清めることであり、祓とは社会の掟を破った者に対してその社会の神または人々の前に犯した罪に相応した贖い物を出させてその罪を解除すること。(イザナギノミコトの阿波岐原における禊及びスサノホノミコトの罪を犯しての祓が起源説話) 古代においては禊と祓は別のものであったが、中世以降に倫理的、精神的な祓を行う様になり、現代に至っては禊と祓は不離一体のものである。 正直・清浄をその最重要徳目とする神道において禊・祓は極めて大切な行ないであり、禊練成、滝行、鎮魂などを取り入れた神道体験入門講座を飯道山・飯道神社にて開催している。
“くにたみも常にこころをあらわなむ 身もすそがわの清きながれに”(明治天皇御製)
大祓詞(おおはらえのことば)
延喜式にある最古の祝詞といわれ、中臣氏が宣読した祝詞で中臣の祭文とも称される。
六月と十二月の大祓式に人々が過ち犯したかもしれない雑々の罪穢れを祓い清め、清き明き心に立ち帰って、雄々しくそれぞれの使命に邁進するべく唱えられる。 祝詞の内容は建国の由来から始まり、天皇の統治せられる国内に国民の過ち犯かせる罪穢れが発生したならば、古伝の祓い行事をなし、そうすることにより祓いを司られる神々が罪穢れを消滅させてくださり、清明なる世界が現出すると流麗なる大和言葉で綴る。 私心を去って清明心に立ち帰り、神慮を和め、あらゆる祈願の趣旨が通ると信ぜられ、中世以来神道の経典と尊ばれ、あらゆる機会を通じて繰り返し誦読される。
言霊(ことだま)
人の発する言葉の中にこもる精霊、またその威力をいう。
言語の霊力を信ずるのは人類的発想であるが、我が国にあっては神々、貴人の発する聖なる詞が祝詞(のりと)、寿詞(よごと)、呪言(とごと)、唱言(となえごと)、語言(かたりごと)等とよばれ、特定の言語表現にこもるとされる。
“そらみつ倭の国は皇神のいつくしき国 言霊のさきはふ国とかたりつぎ”(万葉集)
荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)
人は万物と同じく宇宙の元霊神=天御中主神の霊を受けておりこれを直霊(なおび)と称する。
この直霊を四つ(四魂)に分けて考え、勇猛進取な魂の働きを荒魂(あらみたま)、平安柔和な作用を和魂(にぎみたま)と呼び、更に和魂が不思議な働きをする場合を奇魂(くしみたま)、人間生活に幸福をもたらす働きをする場合を幸魂(さきみたま)と称する。
伊勢の内宮では直霊としての天照大神を祀り、別宮荒祭宮にその荒魂が祀られている。
三種の神器
ヤタノカガミアメノムラクモノツルギヤサカニノマガタマを三種の神器と称します。
これらの神器は歴代の天皇の皇位継承のみしるしとされ、神鏡は皇大神宮の御正体として、御剣は熱田神宮の御正体として、また神璽は宮中にてお祀りされている。
神器の意義について北畠親房は「鏡は私の心なく万象を照らす、即ち正直の意。
剣は剛利決断の徳あり、即ち知恵の意。玉は柔和善順の徳あり、即ち慈悲の意」とその神皇正統記に記している。
神勅(しんちょく)
神の発せられることば(詞)又は命令を意味し、 代表的なものとして
T)開闢(かいびゃく)神話における地上世界秩序建設の神勅:
宇宙の元霊神たる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ、日雲神社御祭神)をはじめとする天神(あまつかみ)によるイザナギ、イザナミ二神への「この漂える国を修理固成(つくりかためなせ)」との御神勅。 この神勅により、宇宙の元霊力を受け継がれた最高最貴の天照大神が御出現になり、地上世界を主宰される。この天照大神の霊力を受け継がれているのが直系のご子孫である世々の天皇さまであらせられる。
U)天孫降臨神話における三大神勅:
高天原から葦原中国(あしはらなかつくに=日本列島)への天孫降臨にあたり天照大神からの神勅であり
@宝祚無窮(ほうそむきゅう)の神勅:
「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて 治(し)らせ。行(さき)くませ。宝祚(あまつひつぎ)の栄え隆えまさむこと当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし。」 (=この日本の国は天照大神の直系の子孫たる代々の天皇さまが統治されるべき国であるとのおことばであり、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅・天津日嗣(あまつひつぎ)の神勅とも称され、大化の改新、明治維新の断行などの原動力となっている)
A同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅:
「吾(あ)が児此(みこ)の宝鏡(たからのかがみ)を視(み)まさん事、当(まさ)に吾(あれ)を視るが如くすべし。与(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして以ちて斎鏡(いはひのかがみ)と為すべし。」 (=神鏡を御正体として祀る皇室祭祀ならびに神宮祭祀の起源をなすもの)
B斎庭之稲(ゆにはのいなほ)の神勅:
「吾(あ)が高天原(たかまがはら)にきこしめす斎庭(ゆには)の稲(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。」 (=五穀を神聖なるものとし、宮中における新嘗祭として実践されている)
尚C神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅(=祭祀は皇統の弥栄えを基本とすること)D侍殿防護(じでんぼうご)の神勅(=国民は皇室への忠誠を怠らぬこと)を併せて五大神勅という。 
御師(おんし)
平安時代末期より神宮と全国の崇敬者との間を取り持ち 奉仕する神職のことを言う。全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、参宮の案内や自邸の神楽殿での神楽や祈祷を司り、全国津々浦々に赴いて祈祷を行い、伊勢参宮へ人々を導き、神宮の御神徳を各地に広めた人々で、このとき崇敬者のために御師がお祓いし、祈祷をこめて頒布した「大祓大麻」が現在の神宮の神札「神宮大麻」の起源とされる。
御杖代(みつえしろ)
神霊が降臨されて依り憑かれるヒモロギである杖の代わり の意味で、霊威をその身にいただかれた方のことをいう。天照大神の霊威をその身にいただかれて大神をお祭りすべき宮地をもとめて諸国を巡幸し、最終的に伊勢に神宮を創建された倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の代名詞としても用いられる。
鎮魂(ちんこん)
タマシズメともいわれる。身体に宿っている御魂を振起して 生命力を旺盛にしたり、外部の強い威力を持つ魂を身体に取り入れて生命力を強化すること、或いは魂が遊離しないように身体に鎮めること等を意味する。日雲神社では神道体験入門にて鎮魂法を指導している。
神葬祭(しんそうさい)
神道による亡き人を送る葬送の儀式をいう。 今日では葬儀=仏教が一般化しているが、古来より我が国には人は神より生れ出でて、死後は祖霊を経て神になるという信仰があり、この日本固有の神道起源の祖霊崇拝に基づく神道式葬儀をいう。おごそかな儀式で、しかも質素なことから近年神道式葬儀が増える傾向にある。日雲神社では神葬祭の奉仕はもとより、他宗教にて葬儀をされた方でも古来よりの祖霊信仰に基づきその神霊をお祀りしてる。 
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