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第四章 巣立 (1)

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2006/05/16 Tue. 16:10


 僕らが本館の廊下を歩いていくと、前方から声高な話し声が聞こえてきた。
「せやから、もっと早いとこあいつらを締めとけばよかったんや」
「あのメール魔の女とカラス野郎は難物やで」
「だいたい、なんで団長がじかに会わんならん……」
 ドアを開けるとぴたりと会話がやんだ。時計塔の最下層は自警団員たちでぎゅうぎゅうに混んでいた。二年の岩屋、板宿、石橋らに加え、一年も加島や夙川、高塚までが揃っている。御幣島と立花の不在がかえって目立っていた。
 全員の目が冷ややかに僕とキアをなめまわしていた。このなかにキアひとり残していくのは気がすすまなかったが、仕方ない。西代に促され、二人きりでエレベーターに乗り込んだ。ドアが閉まって上昇が始まってから、話しかけてみた。
「中学生の間は、きみが長田の見守り係だったのかい?」
「バードウォッチングにまではつきおうてへん。僕は、ど近眼やからな」
 西代は眼鏡に指をあて、ふっと息を吐いた。
「今の烏丸みたいに仲良くはなれんかった」
 最上階では自警団の団長とその従弟が待っていた。塩屋さんは落ち着き払った態度で、アンティークな籐の応接セットの椅子にゆったりと腰掛けていた。きっちりと身につけた制服がよく似合い、恵まれた体格を際だたせていた。
 僕は真正面の椅子を勧められた。西代は塩屋さんの斜め後ろにまわり、背筋を伸ばして立った。長田はお気に入りのローテーブルに肘をあずけて床にくたりと座りこんでいた。
 窓の外は曇り空で、日光は差し込んでこなかった。塩屋さんが静かにきりだした。
「昨日は申し訳ないことをした。土曜日の件を聞いて、早急にきみに会わなければと思ったんだが。行事のせいで出遅れた。つまらんトラブルにまきこんでしまったな」
「謝罪なら葺合にしてください」
 塩屋さんの耳には僕のことばなど届いていないみたいだ。
「これほど面倒な事態にするつもりはなかったのだが。結果的に、きみは予想以上の働きを見せてくれたよ。御幣島や立花にはいい薬だ」
「僕は何もしていません。御幣島にからまれたのは葺合だし、立花に抵抗したのは御影です」
「どちらも、きみの手駒だろう。人間がひとりでできることなどたかが知れている。指導者に必要なのは統率力と組織力だ」
 僕は眉をひそめて塩屋さんを見た。
「今さら自警団の組織や機能について説明する必要はないな。この体制は僕が三年がかりで築き上げてきたものだ。学園の生徒たちが平穏無事に暮らせるようにね。さて、どんな組織もトップの交代という難題を抱えているわけだが、高校は三年で卒業だ。誰の目にも時期が迫っていることはあきらかだ」
「今の二年生の誰かに団長をひきつぐってことですか」
 そんな話をなぜ今、僕にするんだ。
「二年生たちはそれを望んでいたようだがな。彼らは器じゃないよ。きみにもわかるだろう」
 僕は無言で立っている西代を見た。塩屋さんがうなずいた。
「西代ならよかろう。僕も前はそう考えていたよ。ところが、彼は新学期早々に別の候補者を推してきた。きみだ」
「……何の冗談ですか」
 誰も笑ってはいなかった。
「もちろん、最初は僕も懐疑的だったよ。どこの馬の骨ともわからぬ新入生に、生え抜きの幹部連中が従うわけない、とね。ところがきみは、この一ヶ月あまりの間に遺憾なく実力を見せつけてくれた。僕の助けもなしに事実を探りだし、はめをはずした阿呆や井の中の蛙に制裁を与えてくれた。たいしたものだよ」
 僕の腹の中には、何かがしこりになって溜まり始めていた。
「自分の気持ちに正直に生きたいだけです。二年生の行動に問題があるとわかっていたなら、さっさと西代にまかせて片づけたらよかったでしょう」
「きみが現れなければそうしていただろうな。ただ、こいつは確かに堅実だが、華がない。リーダーにはスタンドプレイも要求される」
 西代は、自分の名前が出ても眉ひとつ動かさなかった。
「もうひとつ決定的なのは、翔人の意向だよ。彼はいうことをきく相手を選ぶからな」
 塩屋さんは長田に向かって手を振った。
「烏丸くんに、あれを見てもらおうか」
 長田はのろのろと身を起こし、ローテーブルの天板の裏に手をかけた。ぎちっと小さな音がして、板に隙間があいた。
 隠し場所から折り畳まれた大きな紙が取り出された。長田はそれをテーブルに広げた。
 はじめは、時々見せてもらっている校内の野鳥マップそっくりだ、と思った。そばに寄ってよく見ると、書き込まれているのはすべて、英語表記の鳥の名前だった。
 カイト。ダヴ。ケストレル……
 それぞれの名前は色分けされたマークや矢印でびっしり囲まれていた
「人間も生き物だからね。しばらく観察していれば行動パターンが見えてくる。特に、屋外でどのように過ごしているか、翔人がしっかり把握してくれている」
 地図の中に「レイヴン」の表記をいくつかみつけた。待ち合わせにいつも使うスズカケの木陰。校舎前のヤナギの木。林の中の、お気に入りの昼食スポット。
 長田は両膝を抱いて座りこみ、頭をうずめてじっとしていた。不安げに漂う目を見て、幼い頃の写真を思い出してしまった。塩屋は勝手に話し続けていた。
「翔人の地図を見たことがあるのは、ここにいる三人と郭玲師範だけだ。他の連中は、自分たちの行動がこんな方法で把握されているとは気がついていない。翔人は自警団の重要な一員なんだよ。きみなら彼の能力を十分に使ってくれるだろう」
 僕の腹の中のしこりは氷のように冷たくなっていた。
「あの中華料理屋のバイトくんやきみのお父さんを学園に招き入れたのも僕の裁量だ。たいしたファミリーだよ。いささかやりすぎてくれた感もあるがね。味方とすればたのもしい。きみなら自警団に新しい力を注いで活性化してくれるだろう……」
「もう、お話の要点はわかりました。僕の気持ちもかたまりましたし」
「決断が早いな」
 悠然と微笑む塩屋に、僕は真正面から向き合ってまっすぐに立った。
「アホも休み休み言え!以上です。失礼します」
 相手の表情が変わるより先にまわれ右して階段に向かった。部屋を出ようとしたところで、
「烏丸くん」
 低いけどはっきりとした声が追いかけてきた。
「三年間、翔人を保護してやってくれとだけ頼んでいたら……引き受けてくれたか?」
 僕は立ち止まったが、振り返りはしなかった。
「長田は友達です。使うとか保護とか、そんなもんじゃない。あなたとは考え方が違うようですね」
 
 僕はひとりで螺旋階段を降りていった。階下からのんびりした会話が聞こえてきた。
「せやけど、underの反対はonとちゃうん?」
「それはaboveや。位置関係の上と下な。onは上というより、接触してる状態の前置詞や」
「めんどいな」
「その覚えたほうが応用きくんや。蠅が天井にはりついてもon、スイッチのon off、身につけるput on、時間どおりにでon time」
「はあ……なるほど」
 鉄柱にもたれて両足を投げ出したキアが問題集を広げていた。それをのぞきこんで、得々と説明をしているのは高塚だ。他の連中がしらけきって二人を無視しているのに気がついていない。キアは僕をみつけて本を閉じた。
「おかげでテスト準備がはかどったわ」
「英語はきっちり系統だてて記憶したら成績あがるよ。頭が悪くても、なんとかなるから」
「どうも」
 苦笑いして立ち上がったキアと、僕は肩を並べて部屋を出た。背後では、予想外の成り行きにざわざわと不満げな会話がかわされているようだった。
 本館を出ると、今にも降り出しそうなどんよりした空が広がっていた。
「決裂やな」
 予想どおりだといわんばかりのキアの胸に、僕はこつんと頭をぶつけてささやいた。
「なあ。お前は番犬じゃないんだから……もし僕がどうしようもなくいやなやつに成り下がったら、いつでも見捨てていいからな」
「そうはならんよ」
 やさしい声だった。
「でも万が一さ……」
「そん時は俺が横っ面はたいて頭から水かけて目ぇ覚まさしたる」
 スラックスのポケットで携帯が振動した。
「はい。烏丸……」
「売布や。茨木が逮捕された」
「いつ?どこで?」
「一時間ほど前。籠川で。網をかけられとったらしい」
「そうか……」
「口が軽うて信用もないやつや。ポリがあいつの話、どこまで裏をとろうとするかわからん」
「すぐに知らせてくれてありがとう。そっちからはへたに動くなよ」
「わかっとうよ」
 通話を切ってから、着信メールに気がついた。御影だ。
『園田の退学届が受理された。今から打ち上げよ』
 僕の頭からすっと血の気がひいた。足元がふらっとして、キアの手に支えられた。
「おい!」
「……山が、崩れる……」
「どないした」
「塩屋の思惑が裏目に出てしまう。僕の襲名披露をしてから旧幹部を黙らせるために、茨木の逮捕と園田の退学を仕組んだんだろうが。この状況じゃ自警団の統率力はガタガタだ。締め直すにしても時間がない」
 心臓がばくばくと高鳴りだした。
「御影が危ない。今は、不平分子の抑えがきかない」
 最新のはずの御影の携帯番号をプッシュしたが、応答はなかった。メールに返信しようとしたが、慣れない指使いでは『でんわくれ』と送るのがやっとだった。
「くそっ」
 僕は校舎棟目指して走った。一般クラスの女の子たちがたむろっている教室に、御影も出入りしていたはずだ。
 息せききって飛びこんできた野郎二人を見て、女の子たちはきょとんと顔をあげた。
「烏丸くん、おスズと一緒じゃなかったの?」
「誰がそんなことを……」
「さっきのメールに速攻で返信くれたでしょ」
「僕じゃない!」
「林に行くって言ってたよ。何かまずいことでも……」
「林のどこだ?」
「聞いてないよぉ、そこまで」
 僕は教室を飛び出した。キアが止めなければ、そのまま雑木林へ突入していただろう。
「ちょっと待て、ラス。闇雲に走り回ってもらちあかんで」
「手がかりが無い。かたっぱしから捜してくしか……」
「落ち着けよ。気持ちはわかるけどな」
 キアは林に二、三歩踏み込んだところで声をあげた。
「長田!おるんやろ。出てこいや」
 低木の茂みから、栗色の頭がひょこりとのぞいた。髪はかきむしってぼさぼさ、目のまわりは何度もこすったあとが赤くなっていた。キアはその顔をのぞきこんで話しかけた。
「この前、聡に『ファルコンを助けろ』言ぅてたそうやな」
「なんで今そんな話を……」
 ぼくにかまわずキアは続けた。
「人に頼むより先に自分でできることをやれ。あのボケナスがこれ以上泥沼にはまらんようにな。御影を捜しだすんや」
 長田は首をまわして僕を見た。
「シュライクだ」
 躊躇している時間は短かった。長田はこくりとうなずいて、歩道脇の植え込みの中でも、ひときわ背の高いサトウカエデの木を選んでするすると登っていった。風が吹けば容易にたわみそうな高みに到達して、ゆっくりと学園の杜を俯瞰した。今にも落っこちそうではらはらしたが、長田は一心に目をこらしていた。
 とうとう何かをみつけたようだ。いきなり手足をゆるめてほとんど落下するように降りてきた。あわてて受けとめようとした僕の頭の上で、枝をつかんで勢いを殺し、軽やかに着地した。そしてそのまま林にするりと入りこんだ。僕らはそのあとに続いて走った。
 コナラの群生を抜け、シイの木の増え始めたあたりで長田は立ち止まった。地面のあちこちが蹴られて浅く掘りかえされ、腐りかけた落ち葉が散らかっていた。
 僕は踏みしだかれた下草の上にかがみこんだ。
「ここで鉢合わせして、また逃げたか」
「杜の奥へ追い立てよる」
 僕は唇を噛んだ。足跡を追ってさらに林の奥へと走った。
 すぐ後ろをついてきているキアがささやいた。
「声がした。あっちや」
 僕にも聞こえた。けんか腰の、甲高い女の声。林の中では反響することもなく吸収されてしまう。応える声はない。
 小枝をかきわけて最短距離をつっきった。ずるずるの斜面を滑り降り、堀を飛び越えた。ぬかるみに足をとられかけて目の前の枝をつかんだ。続いて幅跳びをしたキアが僕の腕をひっぱりあげた。長田が体重を感じさせない足取りで音もなくついてきた。
 さっきまで聞こえていた声はやんでいた。
「御影!」
 方向を見失いかけて立ち止まった。
「返事しろ!もうすぐ行くから!」
 再び走りだそうとした僕の眼前にいきなり小さな人影が飛び出してきた。
 御影はすぐ横を走りすぎようとしてつまずいた。膝をついてうずくまったところへ僕はとっさに覆いかぶさった。次の瞬間、背中に強い打撃をくらって息がとまった。
 僕を蹴とばしたやつの足元にキアがすべりこみ、すねを払った。
 相手は両手を地面につけたが、その体勢から水平に蹴りを放ってきた。かわしてすぐに反撃しようとしたキアの背中に別のひとりがとびかかった。しがみつかれたまま真後ろ向きに地面を蹴って、クヌギの木の幹に相手を叩きつけた。ゆるんだ腕をつかんで一人目めがけて背負い投げをかました。
 もつれあって倒れた二人の後方で棒立ちになっていた長田に、三人目が接近した。二人の間にキアが割ってはいり、伸ばされた腕を払いのけた。なおも前に出ようとした相手は、キアの顔を見てびくりと動きをとめた。
 目深にニットの帽子をかぶり、大判のマスクをつけているので表情は読めない。
 最初にかかってきた二人が身を起こして林の奥へと駆けだした。三人目もあわてて従った。
「逃がすか!」
 後を追おうとしたキアに、今度は長田がしがみついた。もともと色白な顔色がさらに蒼ざめていた。キアは舌打ちして長田の尻を背中にかかえあげ、おんぶしたまま走っていった。
 僕はようやく起きあがって自分の背中をさすった。押さえると痛いけど、骨が折れたりはしていないようだ。
 御影は膝をついた姿勢のまま、身をかたくして震えていた。ブレザーを脱いで地面に広げ、助け起こして座らせてやった。
「気分悪い?どこか痛いの?」
 前に伸ばした右の足首が腫れあがっていた。
「転んだ時にねじった?」
「もっと前からよ。無理して走ってきたから、ひどくなっちゃったみたい」
「歩かないほうがいいな。手助けを呼ぶよ」
 御影は首を横に振って気丈に微笑んだ。
「もう警察に通報してやったわよ。知ってる?一一〇番にかけると県警本部につながるの。明智署か笠井署のパトカーが近くにいたらいいのに。籠川署だけでごまかせなくなるから」
「はじめっから警察を呼び込むつもりだったのか」
「心づもりはしてたけどね。今回は油断しちゃった」
 御影は空を見上げた。
「降り出す前に現場検証に来てくれなくちゃ。証拠が流されちゃう」
「無茶しすぎだよ。もっと自分を大事にしろよ」
 腫れがまだひどくなりそうだったので、靴と靴下を脱がしてやった。踏み荒らされた地面を見まわして、適当な小枝を探した。小さなセミの抜け殻をみつけてついでに拾いあげ、ポケットにいれた。足首が動かないように小枝をあてがい、脱がした靴下と僕のハンカチで脛と足を固定した。御影は黙って僕の処置に身をまかせていた。
 さっきまでの騒動が嘘のように、あたりはしんとして、鳥の鳴き声すら聞こえなかった。
「これでどう?まだ痛む?」
「……どうして優しくするのよ。今頃になって」
「……え……」
 思いがけないことばを聞いて、手が止まった。御影はぶすっと曇り空をにらんでいた。
「……あきらめられるって思った頃になって。ひどいよ」
 頭にどっと血がのぼって、あわててほっそりした足から手を離した。今まで平気でおっかぶさったり肩に手をかけたりしていたのが急にものすごく恥ずかしくなった。
「まさか……その……本気だった?」
 最低の返事をしてしまった。御影の目にみるみるうちに涙がふくらんだ。
 僕はもうどうことばをかけたらいいかわからなくなって、おろおろと視線を泳がせていた。耐えきれずに立ち上がろうとしたのと、御影が僕に寄り添おうとしたのが同時だった。
 耳元に息がかかりそうな距離を唇がかすめて通り過ぎた。はっとして振り向いたところで、別の気配に気がついた。
 木の陰からこちらをうかがっているやつがいる。ひとりじゃない。少し離れてもうひとり。
 太めの枝を拾って御影の前に立ち、野球のバットのように構えた。腕にはさっぱり自信はないけれど、やられっぱなしになる気はない。キアがいないからって、甘くみるなよ。


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