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ラス・キア 鳥たちの杜

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プロローグ

「ラス」「キア」というのは僕らが出会って間もない頃に遊びでつけたコードネームだ。
 中学一年の春に知り合い、とびっきりの夏を一緒に過ごしたのもつかの間。
 その年の秋には離ればなれになり、やっとまた自由に会えるようになったのは中学三年も残りわずかという時期だった。
 これから始めるのは、僕らがまだまだ未来を素直には信じられなかった頃、高校一年の春の出来事だ。

2006/05/17 Wed.


 クヌギやコナラの生い茂る傾斜地がそこだけ平坦に切り開かれ、土を突き固められて、ほぼ円形の広場になっていた。その中央にひとり立った男は、朽葉色の道衣の帯に両手の指をかけ、胸を張って上方の斜面にいる僕ら二人を見上げた。
 力強い、高らかな声が呼ばわった。
「葺合滋」
 キアは脱いだ上着を僕に投げてよこし、すべるように傾斜を降りていった。ランニングシャツに作業ズボン。うつむくと、まっすぐな黒髪が額にかかった。素足で地面を踏みしめ、感触を確かめてから顔をあげた。
 流儀にならって相手の名を呼ぶ。
「塩屋隼一郎」
 聞き慣れたかすれ気味の低い声に、からかうような朗らかな色が混じっていた。
 塩屋はにこりともしなかった。一歩前に踏み出した動作からいきなり攻めにはいった。右正拳突きから右膝蹴り、足をまわして左手、肘。
 速い。稽古で見たのと基本は同じ動きだが、スピードとキレが全然違う。流れるように自然な動作で技がつながっていく。渓流の水がとめどなく岩を削って流れ落ちるように。
 キアは無駄のないフットワークを駆使し、ぎりぎりの間合いで攻撃を避け続けた。
 二人の身体はさっきから一度も接触していない。
 塩屋の技は、一撃で勝負を決める。それを知っているから、キアは守勢に耐える。
 防戦一方と思わせていきなりとんでもない角度から蹴りをいれた。意外な展開に一瞬、塩屋の動きがさえぎられかけ、すぐまた立て直されて流れ続けた。キアはしかし、その流れにあらがって唐突に、鋭角的に攻撃を仕掛けた。
 左手、右膝、身をひるがえすと見せて再び右。仕掛けると見せてフェイント、フェイント、攻撃、回避。川の流れを断ち切ることができると本気で信じているみたいに。リズムを崩し、隙をつく。塩屋はオフビートの攪乱をこらえ、自分本来の呼吸を守ろうとする。
 鍛錬され、小指の先まで統制された身体。対するは、反射と意志力のぎりぎりの拮抗に挑む身体。遠目には舞うようにからみあう二人の動きを必死で追いながら、僕の頭の中では同じ考えがぐるぐるとめぐっていた。
 解決はしたつもりだった。なのにどうしてこんなことになってしまったんだ。こんなはずじゃなかった。どうして。どうして。どうして。
 気ばかり焦っても、身体は麻痺したように動かせない。僕が何もできないでいる間にも、二人はじりじりと間合いをつめていた。
 キアの蹴りが塩屋の側頭部をかすって髪を散らした。同時に、塩屋の手刀がキアの脇、ズボンのベルト通しを引きちぎっていた。


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