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第三章 蛹化 (1)

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2007/08/10 Fri. 18:30


 定時制高校のクラブも通常は放課後に練習するのだそうだ。もちろん照明付きのグラウンドが必要になるが、電気代がかかる。日中は全日制のクラブの練習が優先されるし、場所と時間を確保するのも大変だろう。
 茅島高軟式野球部は夏休み中、北小のグラウンドを借りることができたようだ。少年野球と入れ替わりに、午後五時ごろから日没まで短時間集中でがんばっていた。
 僕はしばらく、練習風景を見学した。
 玉造俊平はレフトで八番だった。練習に参加している部員が九人しかいないので、頭数にいれてもらっている、という感じだ。見るからにそわそわと落ち着きなく、熱のこもらない練習態度だった。
 僕とのアポが気になっていたせいもあるらしい。七時前に片づけが始まったところで、後ろから声をかけると、びくんととびあがって振り向いた。
「おたくが烏丸さん?」
「そうだけど」
 僕の顔を見てあきらかにほっとしたようだ。それまでの不安が嘘のように、いそいそとついてきてくれた。キアのやつ、いったいどんなふうに紹介したんだ。

 インターチェンジの脇にあるドライブインの食堂にはいり、隅のテーブル席を確保して、大盛りのカツ飯とみそ汁を注文してやった。
「あの姉妹のことは、よう覚えてますよ」
 大皿にライスとビフカツを盛り、デミグラスソースをたっぷりかけたのを食べながら、玉造はよくしゃべった。食べる口と話す口が同じだとは思えないほどだった。
「姉貴の澄実は仕切りたがりでね。集落の子供らを集めて姫さんみたいにえばってましたね。自分の家が網元やったってプライドもあったし。親父は漁になんか出たことなかったはずやけどね」
「子供達の間では人望があったのかな」
「こづかいをばらまいて釣ってただけっすよ。顔はかわいいし、押し出しもそこそこあったから、男の子はわりと言うことききよったかな。女子にはぼろくそやったね」
「久実さんのほうは?」
「友達が少のうて、目立たん子でしたね。勉強ができたんで大人の受けは良かったすよ。それでか澄実にはうっとうしがられよった」
「お母さんが亡くなった時には、二人とも大変だったんだろう」
「長いこと入院してはったから、葬式だす頃にはもう、しゃあないな、て感じでしたよ。それより、東野の叔母さんのことのほうがややこしかって」
「お葬式のけんかのこと?」
「しばらくは語りぐさでしたよ。葬式には校区の親がほとんど集まりよったから。久実の友達に堀川いうのがおってんけど、オカン同士が幼なじみやったんすよ。それが縁で、二人一緒に浜町に嫁入りした、いうのは嘘かほんまか知らんけど。叔母さんが『北野の嫁になったせいで姉ちゃんは死んだ』みたいなことわめいたから。まあ堀川のオカンも気ぃ悪いし。それまでは姉妹うちで一番東野と仲良うしてたのが久実やったとかで、もうぐちゃぐちゃですわ」
「……それで久実さんは学校に行きにくくなったのかな」
「最初は風邪で一日、二日の休みやってんけど。担任が無茶苦茶心配して、澄実にしつこくようすを聞きよったんですわ。澄実はふてくされてましたよ。なんで久実ばっかりかわいがられるんや、て。プリントや宿題の配達までさせられてね。妹が登校した日には、手下を使って嫌がらせをしよりましたね。久実の休む日はずるずる増えたけど、成績は澄実よりずっと良かった。それでますます気にいらんかったんかな」
 僕は北野家の玄関で出会った澄実さんの横顔を思い出していた。妹にいけずをするような人には見えなかった。兄弟姉妹が五人もいて、長女と末娘はおそらく別格で、真ん中の二人のうちでも格下に見られている、なんて思ったら、僕だってどう行動するかわかりはしないけど。
「それじゃあ、久実さんが転校したのは……」
「それは、事故があったからっすよ」
「事故?」
「五、六年生合同の宿泊行事すよ。臨海研修センターの吹き抜けから久実が転がり落ちて大けがしたんですわ。本人は事故や言いよったけど、誰かに突き飛ばされたんやとかまた噂がたってね。親同士も険悪になるし、学校は授業どころじゃなくなるし。結局、久実を転校させて、その年から臨海センターの宿泊はとりやめになって、フタしてごまかしてけりつけたんですわ」
「……なんで被害者がはじかれるのさ」
「残り全員が容疑者やったからでしょ」
 その時センターにいた子供達。
 澄実さん。京橋。堀川さん。玉造。
 誰が命令した?誰が結託した?誰が傍観した?誰が実行した?誰が防衛に失敗した?
 そして大人達。
 学校の先生。センターの職員。ボランティア学生。
 誰もその場を見ていなかった?
「玉造くんも一緒に宿泊してたんだろ」
「俺の家は浜町やなかったから、ずっと端で見てただけっすよ」
 一学年三十人くらいしかいない学校だろ。それで無関係でいられるのか?
「俺らが二年になった年、久実は浜中に入学してきやへんかった。どないしてるんや、て澄実に聞いたら、『私立に行った』て返事で。またその時の顔が、こう、目がつりあがってて、あー、恐ろしって感じで」
「わかった。もういいよ。いろいろ教えてくれてありがとう」
 玉造はみそ汁をすすって、ほっとため息をついた。簡単にうち解けてくれたのはいいが、なれなれしすぎて僕のほうがちょっと引き気味になっていた。
「いやあ、ホンマはマジびびってたんすよ。葺合さんから、いきなり『お前と話したがってるやつがいる』なんて言われてね。烏丸さんに会うて安心しましたけどね」
「僕が……葺合の友人には見えないかい?あいつ、学校で何やってるんだ?」
「なーんにもしとってないすよ。そこが、ようわからん。葺合さんって近寄りがたい雰囲気あるでしょ。授業態度はまじめやけど、おとなしい連中には怖がられようし。ツッパリ共は一目置いとうけど、つるむでも仕切るでもないし。部活もしてへんから、授業だけ出てさっさと帰ってまうし」
「よく知ってるね。学年違うのに」
「ある意味、有名人すからね。四年の江坂さん、知っとってでしょ。西中にいた頃からぶいぶいいわしてはったんすよね。茅島高でも先公なんて屁でもないって吹かしてるあの人が、葺合さんにだけは手をださへんのですよ」
 そうだった。江坂も茅島高だった。
 僕らが中一の頃、中三だったあいつとのいざこざは思い出したくもない。もっとも、江坂だって二度と僕らとは関わりたくないだろうが。
「中学で何があったんか、誰も言わんしね。じかに江坂さんに聞く度胸はないし、二年には他に西中出身者はいないし。一年生は在学中に顔みたこともないっていうし。ね、烏丸さんは知ってでしょ。一年の途中からおれへんようになった葺合さんが、三年の三学期になって西中に戻ってきたわけ」
 玉造はテーブル越しに身を乗り出した。口の端に茶色い飯粒がくっついていた。
「あの人、矯正施設に入れられとったって、ホンマですか?」
 氷の塊を飲み込んだように、胃がぎゅっと縮んだ。
「ガセだよ。家の都合で引っ越してただけだ」
 努めてなんでもないような声で応えた。
 嘘はついてないさ。話していないことはあっても。
 期待はずれの返答だったようで、玉造は拍子抜けした顔になり、ゆでキャベツを箸でつついた。
「ゆっくり食べてくれていいよ。勘定は払っとく」
 立ち上がった僕を、玉造は目だけ動かして見上げた。
「烏丸さんて関西弁あんまり出ませんね。ずっと明智に住んでたわけやないんですか」
「小学校にあがる前は関東にいたから」
「それにしても、ええ加減なじまんもんですか。こっちの言葉、しゃべりとない理由でもあるんですか」
 さすがの僕も、そろそろ我慢の限界を試されていた。
「玉造くんって好奇心の塊だね。そんなに他人のことが知りたい?」
 あっけらかんとした笑顔が返ってきた。
「お互い様やないですか」


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