五綱教判総論   

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  日蓮聖人の教義へ 本化妙宗の宗旨へ                           
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  本化妙宗の成立法義  五綱教判  教判を要する理由
 
 
五綱教判の結論           



【1】 本化妙宗の成立法義

 どの宗門でも、その宗教的成立の形式は、必ず「判」と「旨」と「行」と「益」との四つを備えている。「判」とは、その教法を開宣する時に、『是でなくてはならぬ』という理由を決するについて、他の所立と較べて、自らの所立の勝れている次第、随ってその所立を主張するのやむを得ざる趣を判ずる。『建宗の理由』ともいうべき教義の論究に属したもので、これを備えない宗旨は、仏教では禅宗ばかりである。
 次に「旨」とは、其の教判より詮し出した一定の教理を宗要とさだめ、それにて依教立行の主義を建立する、即ちその宗門の旨帰とする所る所謂『宗旨』である。
 「行」とは、その宗旨の命ずる所に於いて定めた修行法
 「益」とは、その主義立行が、とういう利益を、信ずる人なり社会なりに与えるかということ。
 此の四条件が他の宗教に勝りて、且つ何人にも能く解し、能く持ち得る教法が最後の勝利を占めて、人類の究竟指導者となるのである。

 そこで『本化妙宗』における此の四条件いかんというに、釈尊の自ら『法界は唯一仏乗の法華経のみ』と判ぜられた所に拠りて、法華経を第一とし、釈尊自ら『我が宗旨は法華経なり』と撰ばれたところによりて、法華経を宗旨と為し、釈尊の『自ら法華経を行ぜし先蹤』に拠りて、法華経を修行とし、釈尊自ら『法華三昧自受法楽に住せられ、一切衆生にも我と同じ楽を得せしめたいと誓われた妙益』に潤ひて、法界一体の大涅槃楽地に住するを以て、本宗の成立とするので、大いに他の宗門の「人師見」や機類を追って開いたのと趣を異にしている。故に、この宗を古来『仏立宗』とも称し来たった。即ち衆生の機類を標準として立てたのでなく、仏智を標準として立てたのであるから『仏智宗』ともいうのである。

 さて、この四条件(判・旨・行・益)の中、先ず教法としての組み立ては、「判」と「旨」、即ち「教判」と「宗旨」の二つである。所謂「教判」には『五綱』、「宗旨」には『三大秘法』である。正しい「教判」から、正しい「宗旨」が生まれるのであるから、「教判」と「宗旨」との相持は、宗法成立の大要素にして、研究の図星も全く此処にある。先づ「五綱の教判」を前きに述べ、次に「宗旨の三秘」を説く事とし、本化佛教の学問的基礎から宣明して、教義組織の概要を示さう。


【2】 五綱教判                                  ページのトップ

 古くは「宗教の五箇」ともいった、或いは「五知判」といい、「五義」ともいう。この五つの判釈が、一代仏教の浅深勝劣を判じ、又それを『人間の上に宗教として持ち伝える事』の進退得失を決するについてそれが「しらべきわめ」て糾明する大綱であるから、五綱というので、即ち「教」「機」「時」「国」「序」の五つを知ることである。

【教】・・・教とは『聖人下に被らしむるの辞』と言って、仏が衆生を導くために説き置かれた一代五十年の経教ということで、(無ければ何も文句はないのだが)それを一々知り分けて、どれが仏の本懐正道かということを究めるのを「教を知る」というので、これに「化儀」と「化法」の二つある。

(1)化儀(教えかた譬えば薬の調合法の如し)
(2)化法(教えた法譬えば薬そのものの如し)

即ちいからる『教え方』が仏の本懐である、いかなる『教法』が仏の正意であるということをつまびらかにする、これが「知教判」で、宗教哲学的批判と言われるものである。

【機】・・・機とは『可発に名く』と言って、教を受けるべき衆生の情向のさま、たとえば治療を受ける病人の病の症候というようなことで、性のよしあし、根の利鈍、調育の熟不熟などをいう。即ち教えられる方の衆生の機根ということ。その機の本末軽重を考えて、現在の機の何たるかを知り、その鑑機をあやまらざるようにするのが「知機判」ということで、宗教心理学的批判というようなものである。これにも亦二つある。

(1)機根(生まれついた性根の機類)
(2)機縁(教法に対しての機類)

【時】・・・時とは『変遷に名く』と言って、世の移り変わって行く経過、即ち「時代」ということである。昔の時と今の時と違う。その違う時に際して、ふるい時代のふるいかたを逐うことは出来ぬ。又その変遷によりて当然発生すべきものをも「時」という。

 たとえば春夏秋冬の運行の如き、春去り夏来るのは変遷であるが、春の次に必ず夏、夏の次に必ず秋というような必然の発生を有しているのは、所謂時の要求であって、これを「時節」という。即ち時代の変移を知り、時節の適中を知って、時代及びその要求をつまびらかにし、これに応じて誤らざる所の「知時判」ということで、宗教社会学的批判というようなものである。これにも亦二つある。

(1)時代(移り変わるその時その時)
(2)時節(変遷によって顕れる節度)

【国】・・・国とは『教化所縁の土地』ということで、国の性質から、文野の区別、歴史、習慣、風俗、それぞれの差異によりて、一々教法の適否が分かれる。それをつまびらかにするのが「知国判」ということで、宗教民族学的批判というようなものである。これにも亦二つの別がある。

(1)化境(教法を受くべき縁)
(2)依地(教法の立つべき縁)

【序】・・・序とは『教法流布の前後』ということで、前に弘まった教法の影響で、後の教法の取捨がある。例えば食物でも、前にたべたものの性質で、後の食物の進退をするようなもので、前の教法より受けた善悪の影響は、後の弘教に対して必然の要求を発生するものである。その次第順序を考えて教えを垂れるのが「知序判」で、宗教進化学的批判というようなものである。これにも亦二つある。

(1)破序(前現の誤謬を破るについての次第)
(2)立序(正意を顕すについての次第)

以上の五綱は、『教法を判明して正意を決定する』についての骨とすべき目安なるゆえ、「五綱」というので、五つともに日蓮聖人の創めて言い出されたので、古来何人も未だこの五大綱領の教判の必要なることを認めたものさえ無い。ましてその一つ一つに正しい見解を下したものはなおさら無いのである。

 五綱は、『教法を判明して正意を決定する』についての骨とすべき目安なるゆえ、「五綱」というので、五つともに日蓮聖人の創めて言い出されたので、古来何人も未だこの五大綱領の教判の必要なることを認めたものさえ無い。ましてその一つ一つに、正しい見解を下したものはなおさら無いのである。

 もっともこの中「教」の一判は、華厳宗、天台宗、その他の諸宗でも盛んに判教をあかしたことであるが、「機」ということについては、「浄土宗」が大いに力を入れた。「時」の判は日本の伝教大師が論明せられたが、教綱とするほどの決断は下さない。「国判」も伝教大師は大いに着眼されたのであるが、それは戒壇建立に就いてであって、なお立宗の綱格とまで行かなかったのは、畢竟未だ時の来ないのである。「序判」(教法流布の前後)にいたっては、かって以て何人も言わないところである。

 要するに五綱を具備したところが、用意周到だというばかりでない。たとえ各宗で、教なり機なりを判じたからとて、それが自己の臆断が土台となって、仏説を強いてこれに結びつけたとか、言っても節にあたらないとか、言って而も明らかでないとか言うのでは、何にもならぬ。

 この五つの綱判を備えた上に、それが一々仏の金言に適中して、遺憾なく仏の本意が発揮されておれねばならぬ。

 即ち日蓮聖人の五綱判は、下の三条件を完備している。

【1】 五綱教判は、古来のあらゆる教判に比して用意の周到精密なること
                      (卓越せる哲学論証の基礎に立つ)
【2】 五綱教判は、すべて仏の正判に根拠して一点の私意なき明判なること
                      (一々に経文に証を取りて公明正大なり)
【3】 五綱教判は、時に相応して教を布き、衆生を利益するの進退を決するについて遺憾なき教判なること
                      (実際に応用する上に於いて最も巧妙を極む)

 「五綱判」の一々が、すべて仏の自判に根拠しているのみならず、五綱を建立して末代弘教の大謨を奠むべしということも、亦釈尊の金言高嘱に出たものである。法華経「神力品」の経文の中の『能く是の経を持つもの』というのは、末法唯一の救世主たる本化の大導師を指す。即ち日蓮聖人がそれに該るのである。『能く是の経を持つ!』、日蓮聖人ほど、能く是の経を持った人は外にない。そこで此の純法華経主義の行者は『諸法の義名字及び言辞に於いて、楽説窮盡無きこと、風の空中に於いて、一切障礙無きが如くならん』とあって、教判についての知能が絶倫であるということを示してある。無礙ということについて、「智」と「辯」との両重があって、それに各々四つの「無礙」がある。即ち仏法中何よりも大切なる法華経を弘めるについての重任ある菩薩なる故、その資格も随って重いのである。

 四無礙というのは
法無礙=森羅三千の諸法を知るに自在なること
義無礙=諸法の中に含まれている義を知に自在なること
言説無礙=法を票し義をあらわす所の名目言語について、その意を得ること、又その意味を顕すにも自在なること
楽説無礙=意に得たることを他に対して言い顕す場合にいて、些かの過失無く、義を損ぜず、情を失せざるよう、聴者の意を得て、何人にても喜び楽って、進んで聞きたがるように、義を説き情をつくすに自在なること

 この四無礙が、自己に在る場合を「四無礙智」といい、他に対して説く場合を「四無礙辯」というのである。この周到にして欠点なき思慮辯才より出たる判決は『必ず五綱の判なるべきぞ』ということを示して、『於如来滅後知佛所説経因縁及次第随義如実説』と説かれたのである。この深き源より出でたる義の泉、是が本化の五綱判である。即ち「五綱」を以て判ずべしとは、まさしく仏の高属より出た顕著なる仏勅である。

 然からばどう「知る」かという「知り方」は、ここに細説しないでも総じては『法華経』の深意、『涅槃経』の明戒等にも顕れ、別しては本化の四無礙智に一任してあるのだから、その結果を示せば、それで事は足りている。乃ち、『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯人世間に行じて、能く衆生の闇を滅す』とある。闇を除くものは燈(ともしび)もある。けrども日月の光には及ばない。華厳天台等の諸宗も、幾分の義理はあって、世間の闇に対し多少の光はあるが、要するにロウソクかランプ、極上等でガス、電灯ぐらいなもので、日月の光明とはいわれないとある。誰でもと言えない『斯人』とある。『能く是の経を持つ』ところの『斯人』である。斯人世間に行じて能く衆生の闇を滅すとある上は、斯人が世間にあらわれなかった時は、衆生の闇はいつまでも滅せられないのである。三世益物の仏の大慈として、そんなことは出来ない。出来ないから、一番仏が心にかけられた末代五濁旺盛の時代に、この純法華経の流通弘伝を宣言せられて、懇ろにその人を指し、且つその判教立宗の大方針までをも指定なされた。即ち仏から末代の衆生にのこされた「信任状」である。かくも用意周到に準備された立教判釈が、いづれの時代、いずれの国、いづれの人にも無いのである。即ち「仏立宗」の仏立宗たる所以がここであって、この五綱教判が仏教釈義上に無比の大価値を有しているのも、これで解るのである。


【3】 教判を要する理由                     ページのトップ

 すべての宗教に於いて「教判」が開教立宗に必要だということは、大要下の二つの趣意に由るのである。
(1) 自らの正意とすべき宗旨を定めるに就いて
(2) 他の立宗との異同勝劣を対判するに就いて

 宗旨を定めるのに、確乎たる拠り所のないようでは、その立てた宗意が独断に帰してしまって、人が信じない。たとえば何々神仏の『お告げ』とか『御夢想』とかいうのがある。是非得失の思慮のない迷信者流は、それでも信ずるかは知らないが、少しく知識あるものは、そんなことでは満足しない。或いは『おみくじ』で決めたとか、目をふさいでお経を手探りにしたら、このお経が手に触れたから、これが『仏の本意だろう』とか、『衆生に縁のあるお経だろう?』とかいうゆきかたでは、手もなく『こどもだまし』のようなもので、堂々たる立教ということは出来ない。そういうゆきかたで宗旨を決めた人も、古来の仏教家中には往々有る。あまり天理教などを笑えない。宗旨を定めた法門には人間のくちばしを容れさせないのが、『其のこれを定めた所以の次第がらは、かくかくしかじかである』と、立派に根拠がなくてはならぬ。

 それから又古来いろいろの宗旨があって、おのおの仏の本意がここにあると称している。誰かカラスの雌雄を知らんという光景である。そのところへ『是非これでなければならぬ』という宗旨を推し立てるには、イヤとも前々から在る総ての宗旨と較べて『これで無くてはなるまいが』ということを明らかにせねばならぬ。ここでいやしくも宗旨を開創するに就いては、是非に「教判」の必要があるのである。(例の御夢想主義ですましておく一類は別として)

 仏教が広大で、経典が多くて、義理が深いところへ、古来から種々の解釈が入り乱れて、議論が多く惑いが多かるべくなっているから、後になるほど明了に精密に判釈をしてかからねばならない。そして多くの疑いや傍難を払い除けて、一言も異議の挟めないようにしておいて、「なるほど」と曰はせねばならない。当今のように学問が精密になった時代には、なおさら是が必要である。最も教判の検覈(けんかく=しらべきわめること)を経ずして、絶対的に祖訓に服従して、直ちに入実修行(=法華経に入りて修行をすること)するものには、教判も理屈も要はないようなものだが、それでも教法の真価値を証明すべくその確実の担保として、人のこれを要すると否とにかかわらず『明確なる教判』は『深遠なる宗旨』の証拠の手形として、存しておらねばならない。

 されば日蓮聖人も、教判の公明を意味して『智者に我が義やぶられずば用いじとなり』と明言なされてその最勝義なることを示されてある。畢竟用意周到にして理義究竟した、厳密明確なる教判よりして、至大至妙なる三大秘法の宗旨は詮し出されたのである。


【4】 五綱教判の結論                       ページのトップ

      2 五綱の大帰  3 折伏立教

 一 能判と所判

 五綱教判について、ややもすると『此の五綱を以て宗教宣布の標準として、任意に適宜の進退を為すべき料にとて残された指南である』というように考えて、生意気千万にも、自ら能判者の位地に立って、新判例を下そうとするものがあるようだから、一寸その不可なることを断っておこう。

 この五綱教判は、本化大聖の立宗に要した教判例であって、他人に『この轍で行け』という指南ではない。判定の標準を授けたのでなくて、その内容を訓示したのである。故に一々『知る』という語が置かれてある。
 『知る』とは本化の智慧で知ることで、我々凡智で知るのではない。およそ『教法を選び宗を立てるには、此の五つの標準から考えて掛からねばならぬぞ』という規範を垂れたのが此の五綱の能判である。そこでこの五つの準規で、その一々を細究して「教」は何を取る、「機」は何、「時」は何、というように、その指すところものを確と撰びあげた。例えば「教」は『法華経が如来の本懐』と決し、「機」は『本未有善には純法華経の化導』と決し、「時」は『第三末法法華経流布の正時節』と決し、「国」は『日本神国法華有縁宇内統一の霊国』と決し、「序」は『諸宗雑乱邪見熾盛の最終決判として法華折伏破権門理の開宣』と決した。其の一々内容の指定が、それこそ本化の正智精神であって、我々はこれを確信遵守してますますその範囲を明了に研究するまでのものである。必ず必ずその所判を差し置いて、能判だけの形式を襲用すれば可いかのように心得てはならぬ。宗門の中にもこういう誤解を懐いているものが往々見えるから用心の為めここに一言して置く。


  二 五綱の大帰

 五綱の教判は、その個々がすでに用意周到の妙式たるのみならず、一々が互いに他の四綱と相照応して、環の端なきが如く、常山の蛇の如く、相依り相成じて、互いに個々の義を証明している。是れ畢竟『法華経の円理から発生した円解なるが故』であろうが、一つは本化上行菩薩日蓮聖人の聖智、彼の無礙の四智四辯が、理屈多き末代の厄介者を接収すべく、『一点秋毫の隙のない妙判』を垂れたものであろうと信ずる。

 五綱の教判は、宗教的に完備せるのみでなく、学問的にも整頓したものである。哲学的観察は言うまでもなく、或いは社会的にも観察し、或いは歴史的、或いは地理的に、用意の届いた上に最も要領を把住した至判である。こういう確実深到の講究でなければ、円満なる理教は発見されないのである。

 他家の教判が、直ちに経を分類判別して、自己の主張に資したのと趣を異にして、この五綱判では、能所合立して大らかに規を成してある。教を判ずるの前に判を判ずるの要があるから、直ちに他家と得失を決するの競争を避けたのは、互格に争うべき位地にあらずして、彼を判決すべき位地であるからの事、原告でなくて『判官』である。始審でなくて『終審』である。兵に将たるにあらずして『将に将たる』が故である。「教」の一に於いては半ば天台の判釈を容認したのはそれ即ち裁定の裁定たる所以である。その他一切の判例が『道理よりも文証、文証よりも現証』という格例を取ったのは、末法付属の大権能に基づいたのである。『智者に我が義破られずば用いじとなり』とは、この判定の大正至公なることを保証した所以である。


  
三 折伏立教

 『折伏立教』ということは、折伏で教を成立したことであって、折伏を手段として立てたということではない。『折伏的に立てた』ということである。「折伏」とはあらゆる邪法邪見の存立を許さないということであって、下種の化導には、是非この折伏を用ふるのである。「種」の問題となれば、必ず雑混を許さない筈である、故に『法華折伏破権門理』とあって、法華経の発現は、一切法を統括するのが主意であるから何の法でも法華経に会し入れて、全く一法とならねばならぬ。若しそれが各自に存立するとなれば、絶対に之を否認するのである。『十方佛土の中には、唯一乗の法のみあって、二もなく亦三もなし』、若しありとすれば、それは佛が方便の為に説いた場合だけである。今は萬法帰一の妙法を説くとて、『正直に方便を捨てて但無上道を説く』と名乗った法華経はどこまでも唯一主義を取るから『法華折伏』というのである。在世の法華経の発現ばかりでなく、滅後末法の純法華経時代に於いてはなおさらのことである。

 世に「折伏」ということを、教を弘める手段の一つだというように軽く見て『摂受(他を破らずに容認して弘める化導法)、と折伏とは、車の両輪の如く鳥の両翼の如きもので、一方のみに片寄ることは出来ぬ』などという輩があるが、それは菩薩の用いる摂受・折伏であって、佛の用いる摂受・折伏ではない。迹門の摂受・折伏であって、本門の摂受・折伏ではない。勿論弘教の一手段としての摂受・折伏もある。それは「生」「法」二縁の慈悲から出る化導で、即ち悉檀摂化の場合の摂受・折伏である。本化妙宗の摂受・折伏は「無縁の慈悲」から出る摂受・折伏であって、超悉檀摂化の摂受・折伏である。

【生縁の慈悲】・・・・・・一切衆生を見て父母の想いをなし、又赤子の想いをなして、抜苦与楽する所の慈悲

【法縁の慈悲】・・・・・・一切法はみな因縁より生ず自性なしと観じて悪を去って善に就かしめ抜苦與樂する慈悲

【無縁の慈悲】・・・・・・法の相及び衆生の相に縁せず、住せず、平等の大慈悲、遍く法界を覆い、任運に抜苦し、任運に与楽せしむる根本的大慈悲心

 無縁の慈悲は、菩薩の境界ではない。根本法の発動を伴う慈悲である。則ち乗法の主人公たる佛と、佛の意たる法華経に限られたものである。純法華経の導師は、凡夫でも菩薩でも、自前の化導でなくて本佛の使いとして、如来の事を行うのである。
『当に知るべし此の人は即ち如来の使いなり。如来の所遣として如来の事を行ず』(法華経法師品)
況わんや本化の菩薩は、本佛體内の菩薩であって、普通迹化の菩薩とは、出所が全く違う。この本化純法華の導師が、本佛の大権を行う上に於いて、根本法の発動として、本因下種の大化導を起こすのであるから、悉檀的行化だの、方便利生などの手ぬるい仕事ではない。全法界を一時に震動させるほどの根本動である。教法、邪見、妄想、顛倒、愚論、魔論、罪障、煩悩、あらゆる区々現象、区々存在を根底から否定して、法界唯一乗の大宣言を下すのである。直ちに本法と契合するの外、何物をも何事をも許さない。恰も暁雲一たび開いて、旭日の堂々として昇るや、いかなる山間幽谷も、光線の直射すると否とに拘わらず、些の闇を止めざるが如きものである。そういう意味での折伏立教が「本化妙宗」の成り立ちから、普通の尺度では計れない、悉檀以上の化導であることを知らないで、本化の立教も普通佛教も同じだと考えたのは、乳も水も同じだと考えたようなものである。

 然からば本化の化導には、「摂受」は全くないかというと、無いどころではない大いに有る。ただ悉檀的摂受折伏のように、二羽両輪的に並べて存在せずに、表裏的に存在しているのである。即ち『大化発動』の面は大折伏、『自受法楽』の面は大摂受である。

 根本法の威力として起こった「折伏」は、横に一物をも漏らさず消化すると共に、竪にも此の法化のあらん限りは同一作用である。『末法時中唯一化導』と定まった以上、天地がくずれても変更すべきものでない。若し之を変ずれば、それは純法華経の化導でなく、『雑化』に移り、『枝末動』に変じたのである。末法弘教の大綱格は、本化再び出でてみずから変更を命ずるまでは何人も動かすことの出来ない筈のものである。その位の子細があればこそ、斯くも正確にして周到なる綿密公正の教判を垂れて、『末法折伏の大化を保証した』ので、それが即ち「五綱教判」である。

 「折伏」は教を弘める為ばかりではない。『人を成佛させる』にも必要である。折伏で人の執著煩悩を一掃するのである。折伏は即ち直ちに修行である。「五綱教判」はレール、「三大秘法」は機関車、「折伏」は火力である。



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  知教判   知機判  3 知時判 

 4 知国判
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「教」(教を知る事) 
        
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  1 教義と宗旨 2 教の種類 3 教の簡擇 

  1 教義と宗旨

 「教義」とは、仏が衆生を教える言説の中にふくまれている義理にして、その義理の中心たる主点が『宗旨』というのである。「教義」は教法組み立ての筋道にして、「宗旨」はその帰着の主意である。
 法華経本門の久遠実成は、三身常住三世益物を『教義』とする。その教義によって、無始無終法界同体本有三身無作本佛という「宗旨」を了知するという趣向であって、身体に譬えると、「教義」は臓腑肢体の脈絡貫通した『組織』で、「宗旨」はその完全なる組織によりてたもたれている『神経』と言った様なものである。

【久遠実成】とは、久遠五百塵点劫の昔に実際に三身円満の成道を遂げ、三世に三身を現じ衆生を利益しつつある本佛

【無始無終法界同体本有三身無作本佛】とは、始めも終わりもなき法界と同じ寿命の本佛にて、出来た始めなき故、本有の三身也。造作をからぬ故、無作の本佛也。 【教の種類を知らざるは薬の能毒を弁えずして之を服せんとするものなり危ないかな!】 


  2 教の種類                                  ページのトップ

   其1 教法と施設 『化法の四教 化儀の四教』  其2 施教の類別  其3 教の所詮

   其1 教法の施設

 「教」にはその「教えた法」そのものと、その「教え方」との二つがある。「教法」とその「施設」である。之を教語で「化法」「化儀」という。「化法」は薬味の如く、「化儀」はその薬味を調合投剤する方法のようなものである。即ち仏教の法理に深い浅いとがあって、それを「化法の四教」(蔵・通・別・円の四教)と言って、およそ四通りの段階を為しているものとしてある。その四段階の法理を、或いはその内の一つだけで教え、或いは二つ並べて用い、或いは三つを帯び、又は四つを並べて用いるとか、教導摂化(せっけ=ひきよせて導くこと)の順序によって、増したり減らしたりして、衆生を調熟したのが、釈尊一代五十年の説法で、どの経典でも、この『四つの原料』の内でないものはない。それが深い部分の原料が多きか、浅い部分が多いか、それを分析調査すれば、その経典の勝劣が分明に判るのである。

 それから又その四段階の法門をば、その幾つかを並べて説いたり、その内のどれか一つで断ち切ったりする方式にも、端的に説くのと、加減して説くのと、顕露(けんろ=あらわ)にしたり、秘密にしたりする場合が、やはり四通りある。それを「化儀の四教」(頓・漸・秘密・不定の四教)というのである。前の「化法判」で経の浅深をわかち、この「化儀判」でその施設を考え、その経典がいかなる段階のお経で、かつどういう為に説いた経で、真実を顕した経で有るのか無いのかの区別を定めるのが「約教判」というのである。
 これは天台大師の発明で、深く仏意をえられた千古の良断で、日蓮聖人によって、真の応用実行を全うせられたのである。


 化法の四教

[蔵]・・・「蔵教」のことで、又は「三蔵教」という。これは小乗の法のして、因縁生滅=一切の諸法は、 因縁によりて生じまた滅す、みな実体あることなし。有を破して空に入ると立つ=の理を談じ、 声聞縁覚の二乗を主として教える。(傍ら菩薩も教える)仏教中最下劣の教理。(それでも一切の外道よりは遙かに勝れた正法)

[通]・・・「通教」は大乗の初門のして、前の蔵教にも通じ、後の「別」「円」にも通ずる。いわば間の子のような教法で、體空無生の理=諸法はすべて縁による。生ずるも滅するもなし。その法體そのまま空也無生なりとの理=というて、前の小乗よりは進歩した教理

[別]・・・「別教」は大乗の教理にして、菩薩専門の法であるから、前の蔵通の二教と異なり、後の円教とも別で、(円教は二乗の法でも菩薩の法でもない。唯一仏乗である)、諦理=諦とは審実不虚といって、仏の説はすこしもまちがいがない法理であるということ。今は四諦の理のこと=の無量広大なることを説き、次第隔歴=次第とは仏で例えれば先に法身ありて、次に報身を得て、それより応身を得たりと、時間的又は空間的に、すべて事理とも隔てて説くこと=して融即=事実と道理、事実と事実と、みな互いに融会相即すること=しない。いわば量の大きくて滋味のないというような教理。

[円]・・・「円教」は一乗(大乗の至極したる教理)にして専ら無作の妙諦=四諦の法も、法爾に円融相即している道理=を説き、諸法円融して事理円妙=事実は道理に融し道理は事実に融し互いに円融なる事=なる仏境界を明かす所の無上仏教である。而も前の三教に対しては、與奪生殺(よだつせいさつ)の権能を有して、捨つる時は一毫(いちごう)をも留めず、用いるときはすべて開会點晴=事物の奥底に潜める真理妙用を開発活用する教能して、一切諸法をすべて円満に活かす所の最高教理、即ち仏の証悟の内容たる法華経、一切衆生の成仏はこの教理に依る、仏の本領とする所の無上乗。

 以上の四教が原料となって、自在の応用に巧みの限りを尽くし、一代五時の化導を経緯せられたのが釈尊五十年の説法、即ち一代仏教である。  「四諦」とは「苦」、「集」、「滅」、「道」の四諦、諦とは『審実不虚」というて、『これは苦、これは楽』と仏の説いたことは、決して欠陥もなければ錯誤もないということ。

 四諦
    空諦・・・苦とは煩悩によりて受けたる苦の果報
    集諦・・・集とは煩悩、諸々の苦を集め造る故に集という
    滅諦・・・滅とは前の煩悩の滅した大涅槃の安楽地
    道諦・・・道とは前の滅に到達すべき修行道法

 この四諦は、集、苦、道、滅と次第すべきであるが、下根のものは「苦」の恐るべき事を聞かぬ間は、煩悩の断ずべきを思わず。「滅」の安楽を示さない間は、修行する気にならぬ故に、こういう順序にして教えたので、譬えば下劣のものは刑罰におそれて始めて慎み、賃金や賞与の事を聞いて、始めて働く気になるというようなわけである。煩悩は五利使・五鈍使の十使の煩悩を本として、この十使の煩悩が、各々十使を具して百使、過去・現在・未来に存続して三百使、過去と未来の各一百使には、また各々十使を具して二千使、現在を合して二千一百使、それを貪・瞋・癡・慢の四種の衆生に約して八千四百使それを四大六衰に約して八万四千の煩悩というのあるが、要するに、衆生の煩悩はそれからそれへと限りがないことをいうのである。

 その八万四千の煩悩も、性質から類別すると、次の「三惑」となる。見思の惑・塵沙の惑・無明の惑である。「見思」は三界有漏の惑と言って、六道生死の基本たるべき、我等凡夫の日々に常に発生相続しつつある所の煩悩である。「塵沙」「無明」も我等凡夫には皆備わっているのだが、凡夫はこれを起こすほどの地位に進んでいないのである。先ず一番手近で粗い煩悩が「見惑」と「思惑」の二つであるから、これを少し離して、『仏智をからざる凡夫の智慧』の恃むべからざることを知らしめて置こう。

 先ず「見惑」というのは、『諸見の惑い』で、「見」とは事物に対する心の観察のことで、世界の始めがどうしたとか、心がどうしたとか、宇宙観だの、人生観だのと、凡夫仲間のめくら推量、ドングリの背比べで得々としている学者の見識から、一文不通の愚夫愚婦がおぼろげに有している人生観に至るまで、すべて『中正の眞を得ざる思慮』は、皆この「見惑」の部類で、これは「五利使」「五鈍使」合して十使の見が本となって、三界の四諦の一々に、或いは増し或いは減りして、総じて「八十八使」となるので、「使」とは使役ということで、この諸見が心を駆り立てて、迷いの中にさまよはせるということである。さて其の十使というのは

 五利使
  身見・・・・身に執著して、自我があるとの見を起こす
  辺見・・・・身見の上に、我というものは死ねば全くなくなるという「断無の見」か、我はいつまでも常に存在するという「常見」かを起こす
  見取見・・・自見にうぬぼれて劣を勝と執著する見
  戒取見・・・因にも道にもあらざるを因なり道なりと計著する見
  邪見・・・・因果の道理を撥無(はつむ)して、自然だの冥初だのという見計

 五鈍使
  貪・・・・・己の見を是とし、五見を以て己の法と為す
  瞋・・・・・己の法に違するものに大して瞋(いか)る
  癡・・・・・五見が煩悩なり苦なることを知らざる迷想
  慢・・・・・我は解し他は解せずとして自高する心
  疑・・・・・疑い深くして決せず、懐疑煩悶して正を得ざる心

この「十使」が凡夫の心の発動となって、初めは立派な心がけから生じたものでも、それが本になって妄見邪想の力を生じ、果ては十悪五逆のような非道をもかもし出すに至る、『一切の迷い苦しみの原動力となる心の垢』をいうので、之を煩悩という。「煩」は煩わす、「悩」は悩ますであるから、この迷いが心の煩いとなるということである。即ち、「昏煩悩乱」(こんぼんのうらん)ということで、ひとたび此の煩悩心の発生続気するや、真性たちまちに昏昧惑乱せられて、あられもなき邪径(よこみち)に走り行き、正思惟正憶念=真理に如し正道に合すべき思考力とその運念力=に遠ざかる。いくら考えても、見当が狂っているからダメだ。而もこれが習慣性となるに及んでは、この間違った心をかえって真の心として、我を立てるに至るのである。

 次に「思惑」というのは、貪・瞋・癡・慢の煩悩の情欲的に発生したものをいうので、これに「八十一品」ある。此の「思惑」という煩悩は、同じ貪・瞋・癡でも、前の「見惑」のは『迷理の惑』といって、理を見るについての考え違いから起こるのであるが、これは『界繋思(かいけいし)』といって、三界の生を受くると共に、色心(身と心)に固有した「迷事の惑」=飲みたい食べたいの事で、事実について迷いを起こす煩悩=であるから、または「倶生(ぐしょう)の惑」ともいって、生まれると共にくっついてくる所の煩悩としてある。

 子供が乳を貪り愛するが如きは、倶生の「貪欲」で、これを得ざる時はむずがり瞋(いか)るは即ち倶生の「瞋恚」である如く、心理的にも生理的にも任運に発生存在しておる心の固癖(こへき)であって、それが五塵(色・声・香・味・触)を縁して、種々に心を昏昧(こんまい)にする。

 そこで前の「見惑」は法塵=意根の上に善悪の諸法を起こす=を縁して理を誤り、この「思惑」と相結んで人心を愚化し慢化し退化して、次第に正憶念を失い、生死界に輪廻するのである。
 要するに煩悩の障(ささ)へおるだけずつ、その方面はくらがりである。それが除かれただけずつ、その局部局部があかるくなる。その明るくなっただけずつ、真理を見る面積が大きくなる。一闇去りて一明来たり、百明来たって百闇去り、かくして法界の事理を究める。それを次第的に分解的に別説したのが四種の四諦で、その一部ずつを分類した教理が、化法の四教というのである。

【注】四種の四諦とは
 蔵・・・生滅の四諦・・二乗が正、菩薩は傍
 通・・・無生の四諦・・三乗
 別・・・無量の四諦・・独菩薩
 円・・・無作の四諦・・一仏乗

  化儀の四教

 これは前の化法の四教を調合進退して、衆生の機根を調えるために『教え導いて行く仕方』に四通りあることで、即ち
【頓】・・・誘引の手段をからず、端的に大乗を説く化導法
【漸】・・・小を引いて大に入れるに漸々に誘引する化導法
【秘密】・・同じく聴いて居るものの中に、互いに相知らずして、各々に会得を与える化導法
【不定】・・小を聞いて大を悟り、大を聞いて小を悟り、互いに相知りながら、得益の不同なる化導法
以上四つの「教え方」で、前の四つの教理(化法の四教)を加減取捨して、一代の教経は成り立ったのである。

 「華厳」の如きは、いきなりに純大乗を説いたから、これは「頓」に属し、それより「阿含」、「方等」、「般若」、の四十二年の説は、時間的には「漸」の化導で、時ありては「秘密的」「不定的」の儀式を用いられたのである。

 以上化儀化法を合わせて「八教」という。この八教に超絶した根本仏教が「法華経」で、即ち「法華」は非頓、非漸、非秘密、非不定、非蔵、非通、非別、非円(昔円=爾前経に説ける円教の理=を非す。猶法華経の中に来たって、更に迹円を非して本円をあらわす、故に「円」には昔、迹、本の三がある)である。

 要するに「法華経」は能判の地であって、判ぜられるべき(所判)地位ではなく、能開の経にして開せられるべき(所開)の教でないから、法華経を「超八の醍醐」というのである。

  其2 施教の類別                    五綱教判各論トップ ページのトップ

 釈尊一代五十年の間にお説きになった説教は、今結集されて世に伝わっているだけでも、五千七千の広博のものであるから、通常の眼識では、読了するさえ容易でない。まして此の経はどういう種類の教理(化法の四教の中に何々)を含んで、いかなる場合にどういう方法(化儀の四教の中の何々)でお説きになったものという事を究めるのは、なおさら容易のことではないから、古来不世出の偉人が、幾代もの間に、広く究め深く考えて、確乎不抜の判釈を下された、その勝義判に拠るより外にないのである。所謂勝義判と目すべきもの、およそ下の三条件を具えたものに限る。

(1) 判釈の根拠が経典の文義に確証あること。
(2) その判教公正にして自他共に許すところなること。
   (最も一類邪癖のものが之を首肯せざるの類は取るに足らず)
(3) その判教によりて甚深奥妙の宗義を詮了し得べきこと

 上の要素を具備したものは、古来今来ただ天台大師一人である。故に本化聖祖は、衆人にぬきいずるとして独り天台大師を推し、て、判教の正統となし、且つこれに入眼して、更に甚深の内鑑(ないかん=心の内によく鑑みて知っていること)を発揮したのである。天台大師は、諸家を批判折衝して、具にその得失を断じ、正しく仏説に根拠して、縦横の判を定めた。即ち前の八教を基礎として、更に「部」「時」「味」の三類別を立て、一代聖教を遺憾なく仕分けせられた。(一切経を十五遍も精読されて究めたのである)今その仕分けの仕方を話すと、『横に経の部類をあつめて同異を分け』たのが「五部」『縦に経過を判じ』たのが「五時」、『得益の順序で判じ』たのが「五味」である。

 【五部】
  
  兼・・・円が別を兼ねて説かれたお経・・・華厳部のお経
  但・・・但だ小乗三蔵教のみを説いたお経・・・阿含部のお経
  対・・・蔵通別円を相対して説き、大を以て小を打つことを説いた経・・・方等部のお経
  帯・・・通別を帯して円を説いたお経・・・般若部のお経
  純・・・純円一実のみを説いたお経・・・法華部のお経

  華厳・方等・般若部で説かれた「円」を「昔円」といい、法華経の迹門で説かれた「円」を「迹円」といい、法華経本門で説かれた「円」を「本円」という。「昔円」は「迹円」に開せられ、「迹円」は「本円」に開せられて、円理ここに究竟す。更に「文底の五玄」によりて、【久遠の本法】は顕れるなり。 
 「部」で分ける辺から言えば、いずれの時に在って説かれた経でも、円理が欠けて全くなければ、それは小乗経で「阿含部」に属すべきもの、又円理の外に「別」を兼ねて説かれたお経は、総じて「華厳部」に属すべきもの、「蔵」「通」「別」「円」四教並べ用いた説経は、どこに在っても、すべて「方等部」に属し「通」「別」「円」の三教を含んでいるのは、即ち「般若部」に類属するものとして、経教を性質から仕分けてかかる。要するに純円独一でなければ、すべて方便であるとさだめる。

 【五時】

  華厳時・・・・・釈尊成道最初の三七日
  阿含時・・・・・十二年
  方等時・・・・・八年
  般若時・・・・・二十二年
  法華涅槃時・・・八年

 それから一代五十年の仏の化導の発展から観察して、「五時」の判が出来る。これは歴史的教判ともいうべきもので、多少の異例は無論ある。結集といい、翻訳といい、素と統一ある編纂によらない仏典のことだから、何年何月から何経の始まり、何年に終わって、後に何経と、ソーは日記的に記されてないのであるから、片巻零冊も悉くこの時間割にはめ込むというわけには行かないが、経教の発展と釈尊の歴史とを対照して、不思議にも、此の「時判」は大体において彼の「部判」と一致しているのである。

 【五味】

  乳味・・・華厳・・・擬宜(ぎぜん)=あてがい見ること
  酪味・・・阿含・・・誘引(ゆういん)=ひきよせること
  生蘇味・・方等・・・弾呵(だんか)=しかりはじくこと
  熟蘇味・・般若・・・淘汰(とうた)=よなげること
  醍醐味・・法華涅槃・・付業(ふごう)=仏の家督をつがせること

 「五味」は『涅槃経』の説にして、「擬宜」等の五は、『法華経信解品』の説なり。初めの「華厳」時代に受けた化益が、淡き『生乳』のようであったのが、次の「阿含」時代にやや濃い『酪味』となり、更に「方等」時代では『生蘇味』と返じ、「般若」時代には『熟蘇味』と化し、終わりに「法華」に到って『醍醐味』という最上乗の醇味(よきあじ)になったと、教えを受けた方から観察して、仏の化導の発展経過をも判じたのは、涅槃経の明文が指導したとはいうものの、天台大師の炯眼(けいがん=あきらかに物を見抜く目)、まことに敬服すべきの至りである。
 「五部」は経に約し、「五時」は仏に約し、「五味」は機に約して判じたのである。
 以上五時、五味、五部等を「判教」といい、化儀化法の八教を「釈義」といい、総称して「判釈」というの

である。


  其3 教の所詮(しょせん=教にあらわされる理義)   五綱教判各論トップ ページのトップ

 「教」を能詮とすれば、その所詮は何であるかというとき、その所詮を単刀直入に把住(はじゅう=已に経験せし事を永く意識の中にたもち、随時に再現しうる心の作用)を『観(かん=観心をいう。教相に説くところを、我等の心に観察して、修行にうつすこと)』という。『観』はやがて実行の資料となるべきためであって、即ち『宗旨』である。故に教法と宗旨との相対は、又『教』と『観』との相対である。なおここに『教』ということは、広義にいう『教』であって、教理とも教法ともすべてにわたる。すなわち思考分別の所対となるものをいうのである。
 さてその『教』としての内容はどういう組み立てのものかというと、下の『八法』によりて成立しているのである。

 教・・・能詮(=能く理をあらわすことばの義)の教・・・それが権か実か
 理・・・所詮(=教にあらわされた理義)の理・・・それが偏か円か
 智・・・能観(=能く理を観察する)の智・・・それが浅いか深いか
 断・・・破惑(煩悩を破る)の程度・・・それが高いか低いか
 行・・・結帰(=こうと定めた)の行・・・それが麁(そ)か妙か
 位・・・証理(=真理をさとった)の程度・・・それが尊か卑か
 因・・・修行(=道を修め行う)の因・・・それが純か雑か
 果・・・証得(=さとり得たる)の果・・・それが分か満か

でその教の勝劣は定まる。

  【三種教相】

 「教」を組織的にわけ判じて、「部判」「教釈」で、一代仏教の浅深勝劣を知るについて、又三層の扱い方がある。それを『三種教相』という。即ち

(1) 根性の融不融
(2) 化導の始終不始終
(3) 師弟の遠近不遠近

で、法華経以前の四十余年の経を『法華経』と相対して判ずる判じ方である。

 今までの「五部」「五時」「五味」の五時八教を用いて判釈したのは、第一の「根性の融不融」だけで判じたものである。そうして置いて、今一層深く源泉にさかのぼって第一の原因をもとめるに、一代五十年の範囲内ばかりでなく、仏のこの法華経に於ける因縁を追尋(ついじん=追い尋ねる)して、仏の出世の本懐が独り法華経にあることを知るのが第二の化導に始め終わりの因縁を明かしているか、明かしていないかで判じる「化導の始終不始終」というしらべ方である。是は「法華経迹門」を原始的に見た「教判」で、すなわち『法華以前の経は、化導の始め終わりを明かしていない』から「化導の不始終教」で仏が衆生を教化するについての筋立て、その因縁次第の脈絡貫通が断っている権経なることを明かすのである。

 更に今一層深くしらべ尋ねて、仏及び教法、乃至法界なり真理なりの全面を赤裸々に顕して、根こそぎ仏の化導の実地を明かした頂点に立って、一代仏教を判釈するのが、第三の「師弟の遠近不遠近」という教判である。これは「法華経本門」の究竟開顕より見た「教判」で、仏教の広さと深さと高さとが是でつきたのである。

 この『三種教相』の中の「第三の教相」が、全く純法華経主義の「教判」で本佛釈尊の『これこそ肝要』として、本化に付属せられ、末法の正時節にあたって、本化聖祖が命がけで絶叫せられた所の「教相判」で、『日蓮は第三の法門なり』と宣べられたのは是である。委細のことは次の『簡擇(けんちゃく)』の項で述べる。なおそれを知るについての素地ともいうべきものが、一代「五時」「八教」の大判である。要するに「教」を判別するのは、仏法の中心を把住(はじゅう)するについての基礎準備である。あまり繁紛(はんぷん=繁雑に紛らわしくなること)に流れ葛藤に失するのも良くないが、さりとて閑却してはならぬ次第である。


  3 教の簡擇                    五綱教判各論トップ    ページのトップ

   其1 権と実 其2 本と迹 其3 五段相対 其4 五重三段 

    其5 本門要付の大教法

   其1 権と実


 教法に「権」と「実」の二つがある。その「権」とは『権謀(ごんぼう=はかりごと)』というて偽りのこと,「実」とは『真実』で偽らぬこと。
 なぜ仏が『偽り』を説かれたかというと、それは方便(てだて)のために用いたので、その偽りのために結構な功を奏している。その偽りを用いる智慧を「権智」と言って、これは仏の真理を見たまう「実智」が究竟して居るところから発して来る智慧で、巧妙の限りをつくした仏の大悲方便(悲とは煩悩に同情するあわれみの心であるから、衆生の迷いに同情しての方便)の作用である。そこで其の『偽り』の教えは、一たび用を終えれば、もう用のないものであるから、『真実』が顕れると共に廃してしまう。故に「暫用還廃(ざんゆうげんぱい=暫く用いて還って廃す)」と釈して、仏が入用でお用いになるの外は、他の輩の用いるべきもので無いのである。 

  譬えば一概に薬といっても良薬もあれば毒薬もある。「モルヒネ」は人を殺す所の恐るべき毒薬であるが、治療の方法によってはこれを用いて、或る特殊の功を奏することがあるから、医師は之を用いる。果たしてみごと功を奏した、功を奏したのは、薬そのものの性分以外に、医師の知能手腕があったからである。若し医師を離れては、全く一の危険物である。『薬でさえあれば』と素人が「モルヒネ」を乱用するのは治療という法則からいって、絶対に之を禁じなければならない。ちょうどそれと同じことで、権教方便の説は、もと正薬でないから、仏限りの使用に止まったもので、一たび用を終わったら、それきりで後は用いない筈である。
 ところで其の方便権教というべきものは『仏教中のどれどれであるか』というと、教では前三教(「蔵」「通」「別」の三教)、部では乳味の「華厳」、酪味の「阿含」、生蘇味の「方等」、熟蘇味の「般若」の前四味である。

 一教の中の『当分』にて、その含まれた教理中「蔵」「通」「別」の三は権、「円」の教理は実とするのであるが、全体の上からいうと、権実混合しているので、結局は権に帰してしまうのである。この『教の上でいう権実』は「当分の判」、次の『部から究めた権実』は「跨節の判」である。『約教』は「当分」、『約部』は「跨節」とあって、約部の方が正意であると定めてある。しかれども通途の仏教家は、往々「約教判」を標準としたがる傾向がある。是れは「法華経主義=法華経が家の仏教とする」と「諸経主義=諸経いずれも同じであるとする」との差異がしからしむるのである。即ち跨節正意の教判によって法華は「唯実無権」その他の経教は「唯権無実」となって、畢竟ただ法華経を説くための手段として説かれたもので、仏の本意は唯専ら八カ年の法華経に存在するが故に、仏教といえば「法華経」のことで、他の経は足代(あししろ)である。建築するまでは入用のものであるが、すでに建築落成して、いよいよ住もうという場合になって『前に用を足したものだから』とて、足代をとらずに置こうというのは随分間違った話である。いやしくも仏教を信ずるとならば、長い短い少々の理屈や見地は別として、大体においてこの事から先に決定してかからないというわけは、どうぢても無いはずである。


   其2 本と迹                五綱教判各論トップ     ページのトップ

 法華経の中に於いて、「迹門」と「本門」との二つがある。前十四品は迹門で、後の十四品は本門である。迹門とは仏の本地を顕さない間だの説、本門とは仏の本地を顕して『歴史上の釈尊が、直ちに久遠の太古より成仏した法界唯一の本佛である』ということを明かした経説で、この二門は前の権と実との相違より一層大きい違目で、権実は辺と中との相対であるが、これは浅と深との比較である。仏の資格がまるで変わって来たから、その教法の精神が全く天地水火の相違をなして、前の教説は『根無し草の水に浮かべるよなもの』となって、仏教の神髄が、始めて此の本門で発揮された。而して此の本門の大教が、文底の観心を産み出して、『仏の種子』たるべく末代に残された。それが法華経の醇要たる『妙法蓮華経の要法』である。

 要するに一代五十年の経教は、法華経が正意で、法華経の外に仏教がないものとなり、その又法華経が今度は本迹の判で「迹門」が全仏教を代表して、本門の「成敗」を受け、迹中の経教を泯亡(みんぼう=ほろぼすこと)して、法界は唯一の「本門」のみが、『究竟真実の仏教として』残り、その本門よりして、「本化妙宗」の教観は成立してくるのである。同じ仏教でも、権実を分けないのが多い、本迹を撰び分けるなどということは、なおさら無い。夢にも考えつかない。良い上にも良く、深い上にも深くと、捨劣取勝して、詮し来たり、詮し去って、此の上もないという処までせりつめて、あげくいよいよ是れという落着を決めるのが「本迹判」であって、此の本迹の分け方一つで、別頭の仏教と普通仏教(実は誤り伝えたる仏教)との差異が出てくる。故に当家では三秘ともに一々「本門」と冠称している。

  其3 五段相対                    五綱教判各論トップ   ページのトップ

 権実で一代仏教を横に正し、本迹で縦に正して、ひとまず仏教の大整理が着いたから、今度はその決着した仏教の正体から、三世を一貫して法界の精神となるべき『仏の種』を詮出するのである。
 それについて更に今一層博く、仏教内の簡択(けんちゃく)のみでなく、宗教的(勿論本化固有の)立脚地より批評して、周到に広さと深さとを尽くして之を収束しておいて、だんだんに焦点を絞ってゆくのが『五段相対』の教判である。

(1) 内外相対・・・「内」とは仏教(大小権実を含む)、「外」とは外道

 「禮樂等を教えて内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがために、王臣を教えて尊卑をさだめ、父母を教えて孝行をしらしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ。妙楽大師云く、佛教の流化、実に茲に頼る、禮樂前に馳せて真道後に啓く、等云々。天台云く、金光明経に云く一切世間所有の善論は 皆此経に由る若し深く世法を識れば是れ佛法なり、等云々。」              (開目鈔)

 「外典三千餘巻にも忠孝の二字こそ詮にて候なれ。忠は又孝の家より出ずとこそ申し候なれ。されば外典は内典の初門、此心は内典にたがわず候か。」            (法門可被申様事)

 「儒教の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり。外道は過去未来をしれども父母を扶くる道なし。佛道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ。」 (開目鈔)

 「儒教の本師たる孔子老子等の三聖は、佛の御使として漢土に遣わされて内典の初門に禮樂の文を諸人に教えたり。止観に経を引いて云く、我れ三聖を遣わして彼の震旦を化す、等云々。」(下山御消息)

 「漢土にいまだ佛法のわたり候わざりし時は、三皇、五帝、三王、乃至太公望、周公旦、老子、孔子つくらせ給いて候いし文を、或は経となづけ、或は典となづく。此文を披いて人に禮義をおしえ、父母をしらしめ王臣を定めて世をおさめしかば、人もしたがい、天も納受をたれ給う。此にたがいし子をば不孝の者と申し、臣をば逆臣とて失にあてられし程に、月氏より佛経わたりし時、或一類は用うべからずと申し、或一類は用うべしと申す程に、争い出来して召合せたりしかば、外典の者負けて佛弟子勝ちにき。其後は外典の者と佛弟子を合せしかば、冰の日にとくるが如く負るのみならず、何ともなき者となりしなり。」  (乙御前御消息)

 「外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかえては、一生、二生等に 悪道に墜ち。悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。外道の所詮は内道に入る即ち最要なり。」(開目鈔)    

 「外典、外道の四聖、三仙は其の名は聖なりといえども、実に三惑未断の凡夫、其の名は賢なりといえども、実には因果を辨えざる事嬰児のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こえがたし。」                               (開目鈔)

(2) 大小相対・・・「大」とは大乗、「小」とは小乗

 「抑も、教に大小有り、宗に権実を分てり。鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといえども、鷲峯開顕の筵には其得益更に之無し。」                          (聖愚問答鈔)

 「外道の邪法に対すれば小乗をも正法といわん。例せば大法東漸と云えるを妙楽大師解釈の中に通じて佛教を指す、と云い、大小権実を束聚ねて大法と云うなり、云々。外道に対すれば小乗も大乗と云われん。下臘なれども分には殿といわれ、上臘と云わるるがごとし。」     (蓮盛鈔)

 「問うて曰く、大小乗の差別如何。答へて云く、常途の説の如くば、阿含経の諸経は小乗なり。華厳、方等、般若、涅槃等は大乗なり。或は六界を明すは小乗、十界を明すは大乗なり。其外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。」   (守護国家論)

 「夫れ、小大定なし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に六尺、七尺の男に対しては大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小の佛教を大乗と云う。大法東漸とは通じて佛教を指して以て大乗と為す、等と釈する是なり。佛教に入っても鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経には小乗と名けたり。又、諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う。」   (小乗大乗分別鈔)

 「方等とは月氏の語、漢土には大乗と翻ず。大乗とは法華経の名なり。阿含経は外道の小経に対すれば大乗経、華厳、般若、大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり。法華経に勝れたる経なき故に一り大乗経なり。」       (千日尼御前御返事)

 「法華経寿量品に、小法を樂う徳薄く垢重き者、と云う文あり。天台大師、此の経文に小法と云うは小乗経にあらず、又大乗経にもあらず、久遠実成を説かざる華厳経の圓、乃至、方等、般若、法華経の迹門十四品の圓頓の大法まで小乗の法なり。」       (小乗大乗分別鈔)

(3) 権実相対・・・「実」とは法華経、「権」とは爾前諸経

 「此に予愚見をもつて、前四十余年と後八年との相違をかんがえみるに、其の相違多しといえども先ず世間の学者もゆるし、我身にもさもやとうちおぼうる事は、二乗作佛、久遠実成なるべし。」(開目鈔)

 「二乗作佛、久遠実成をもて諸経の勝劣を定め給う。」  (小乗大乗分別鈔)

 「一代聖教いずれもいずれも疎かなる事は候わず。皆我等が親父大聖教主釈尊の金言なり、皆真実なり皆実語なり。其中に於て又小乗、大乗、顕教、密教、権大乗、実大乗、相分れて候。佛説と申すは、二天、三仙、外道、道士の経々に対し候えば、此等は妄語、佛説は実語にて候。此実語の中に、妄語あり、実語あり、綺語あり、悪口もあり。其中に法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。」                                (妙法尼御前御返事)

 「佛の御年三十にして寂滅道場菩提樹下に坐して、佛眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに、衆生成佛の直道たる法華経をば説くべからず。是を以て空拳を挙げて嬰児(みどりご)をすかすが如く様々のたばかりを以て四十余年が間はいまだ真実を顕わさず、と年記をさして青天に日輪の出、暗夜に満月のかかるが如く説き定めさせ給えり。此文を見て何ぞ同じ信心を以て佛の虚事と説かるる法華已前の権教に執着してめずらしからぬ三界の故宅(ふるたく)に帰るべきや。されば法華経の一の巻方便品に云く、正直に方便を捨てて但だ無上道を説く。此文の意は前四十二年の経々、汝が語るところの、念佛、真言、禅、律を正直に捨てよとなり。」    (聖愚問答鈔)

 「爾前の諸経は長夜の闇の如し。法華経の本迹二門は日月の如し。諸の菩薩の二目ある、二乗 の眇目なる、凡夫の盲目なる、闡提の生盲なる、共に爾前の経々にては色形を辨えず。中程に法華経の時、迹門の日輪始て出でたりし御時、菩薩の両眼先に解り、二乗の眇目次に解り、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提未来に眼を開く可き縁を結ぶ事、是れ偏に妙の一字の徳なり。」  (法華題目鈔)

 「小河は露と涓(したたり)と井と渠と江と等をばおさむれども大河をおさめず、大河は露、乃至、小河をおさむれども大海をおさめず。阿含経は井江等、露涓をおさめたる小河のごとし。方等経、観経、阿弥陀経と大日経、華厳経等は小河をおさむる大河なり。法華経は露、涓、井、江、小河大河天雨等の一切の水を、一Hももらさぬ大海なり。」                   (報恩抄下)

 「善なれども大善を破る小善は悪道に堕すべし。今の世は末法の始なり。小乗経の機、権大乗の 機皆失せはてて、但だ実大乗の機のみあり、小船には大石を乗せず、悪人愚者は大石の如し。小乗経並に権大乗経、念佛等は小船の如し。」          (南條兵衛七郎殿御書)

 「南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀佛の用も、南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も、一切の諸佛諸経諸菩薩の用、皆悉く妙法蓮華経の用に失わる。彼経々は妙法蓮華経の用を借らずば皆いたずらのものなるべし。当世眼前のことわりなり。日蓮が南無妙法蓮華経を弘れば、南無阿弥陀佛の用は月のかくるがごとく、鹽のひるがごとく、秋冬の草のかるるがごとく、冰の日天にとくるがごとくなりゆくをみよ。」                                 (報恩抄下)

 「爰に知んぬ、大小権実は家々の諍いなれども、一代聖教の中には法華独り勝れたり。是れ頓證菩提の指南、直至道場の車輪なり。疑って云く、人師は経論の心を得て釈を作る者なり。然れば則ち、宗々の人師面々各々に教門をしつらい、釈を作り、義を立て證得菩提と志す。何ぞ虚しかるべきや。然るに法華独り勝ると候わば、心せばくこそ覚え候え。答えて云く、法華独りいみじと申すが心せばく候わば、釈尊程心せばき人は世に候わじ、何ぞ誤りの甚しきや。」 (持妙法華問答鈔)

(4) 本迹相対・・・「本」とは本門、「迹」とは迹門

 「法華経に又二経あり。所謂、迹門と本門となり。本迹の相違は天地水火の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶お相違あり。」       (治病大小権実違目)

 「爾前は星の如く、法華経の迹門は月の如し、寿量品の時は月及ばず、何に況や爾前の星おや。夜の星の時、月の時は衆務を作さず、夜明くれば衆務を作す。爾前迹門にして猶お生死を離れ難し、本門寿量品に至りて必ず生死を離る可し。」          (薬王品得意鈔)

 「在世四十二年並に法華経の迹門十四品に之を秘して説かえ給わざりし大法、本門正宗に至りて説き顕わし給うのみ。」         (教行證御書)

 「今末法に入りぬ、地涌出現して弘通有るべき事なり。今末法に入って本門のひろまらせ給うべきには、小乗権大乗迹門の人々、設ひ科なくとも彼々の法にては験あるべからず。譬へば春の薬は秋の薬とならず、設ひなれども春夏のごとくならず。」      (治病大小権実違目)

 「末法に入っては爾前迹門は全く出離生死の法にあらず。但だ専ら本門寿量の一品に限って出離生死の要法なり。」          (三大秘法抄)

 「一切経の中に此寿量品ましまさずば、天に日月の、國に大王の、山河に珠の、人に神のなからんがごとし。」               (開目鈔)
   
 「夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品の魂魄なり。三世の諸佛は寿量品を命と為し、十方の菩薩は自我偈を眼目と為す。自我偈の功徳は私に申すべからず。」  (法蓮鈔)

(5) 種脱相対・・・「種」とは妙法五字、「脱」とは本門、又は教観相対ともいう。(「教」とは本門、「観」とは妙法五字)

 「迹門の大教起れば爾前の教亡び、本門の大教起れば迹門爾前亡び、観心の大教起れば本迹爾前共に亡ぶ。此は是れ如来所説の聖教従浅至深して次第に迷を転ずるなり。」 (十法界事)

 「疑って云く、二十八品の中に何れか肝心なる。答えて云く、或は云く品々皆事に随って肝心なり。或は云く方便品寿量品肝心なり。或は云く方便品肝心なり。或は云く寿量品肝心なり。或は云く開示悟入肝心なり。或は云く実相肝心なり。問うて云く、汝が心如何。答へて曰く、南無妙法蓮華経肝心なり。」  (報恩鈔)

 「釈迦如来法華経を説かんと思召して世に出でまし給いしかども、四十余年のほどは法華経の御名を秘し思食して、御年三十の比より七十餘に至るまで法華経の方便を設け、七十二にして始て題目を呼出させ給えば諸経の題目に之を比ぶ可からず。其上法華経の肝心たる方便品寿量品一念三千、久遠実成の法門は此妙法の二字におさまれり。」           (唱法華題目鈔)

 「今日蓮が弘通する法門はせばき様なれども甚だ深し。其故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸佛の師範、十方薩埀の導師、一切衆生皆成佛道の指南にてましますなれば深きなり。」                          (四條金吾殿御返事)

 「末法当時は久遠実成の釈迦佛、上行、無辺行等の弘め給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり。其故は経文明白なり、道心堅固にして志あらん人は悉く是を尋ね聞くべきなり。」  (法華初心成佛鈔)

 「今末法に入りぬれば餘経も法華経も詮なし、但だ南無妙法蓮華経なるべし。こう申し出して候も私の計いにはあらず、釈迦、多宝十方の諸佛、地涌千界の御計いなり。此南無妙法蓮華経に餘事をまじえばゆゆしき大事なり。」            (上野殿御返事)

 「所詮、智者は八萬法蔵を習うべし、十二部経をも学すべし。末代濁悪世の愚人は念佛等の難行易行等をば抛ちて、一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。」  (善無畏三蔵鈔)

 凡夫と外道と相対すれば一対出来るが、ただの凡夫は何等まとまった思想も教行もないから、ここでは凡夫中の精粋ともいうべき「外道」を取って、之を仏教と比較し、外道を劣とし仏教を勝とし、その又仏教中で、今度は「大乗」と「小乗」とを相対して、小乗を劣とし大乗を勝とし、大乗の中に於いて、法華経以前の「権大乗」を劣とし、法華経「実大乗」を勝とし、実大乗法華経の中で、更に「本門」と「迹門」と相対し、迹を捨てて本を取り、更に本門に於いて、在世の本門を「文底脱益」として之を捨て、「文底本門」の佛種を取って、仏教観行の焦点とさだめるのが、本化独特の教判たる此の「五段相対」である。而してこの判は専ら勝劣相望して「捨劣得勝」し、劣りたるを捨て勝れたるを取る批判的判釈である。消極的に反対物を否定して、ありありと正意の見えるようにした判式で、次の「五重三段」の積極的建設的教判と相まって居るのである。 

   其4 五重三段                     五綱教判各論トップ ページのトップ

 これは前の『五段相対』より、今一層大仕掛けに、法界を立場として、真理発動の本因縁から判じ、建設的に包容的に『法界の中心を求むべき検尋(けんじん)した取要判』である。
 先ず三段とは「序分」「正宗分」「流通分」の三段で、これは経典分文の例である。「正宗分」を主として、その準備を「序分」とし、その応用を「流通分」とするのである。これは経典の詮要の中心点(正宗分)を見出すと共に、その来由(序分)と応用とを考える所の基礎釈義である。この三段を五重に畳み上げて『第五重の三段』を正意と立てるのである。

 (第一重)・・・『一代三段』・・・釈尊五十年の説法を三段に分ける
  序分・・・前四味(四十余年の経教)
  正宗分・・法華部
  流通分・・涅槃部

 (第二重)・・・『一経三段』・・・一代三段の正宗分である法華部を三段に分ける
  序分・・・無量義経及び序品
  正宗分・・方便品から分別功徳品十九行偈までの十五品半
  流通分・・分別功徳品現在の四信から観普賢経までの十一品半と一巻

 (第三重)・・・『迹門三段』・・・法華経迹門十四品を三段に分ける
  序分・・・無量義経及び序品
  正宗分・・方便品から人記品までの八品
  流通分・・法師品から安楽行品までの五品

 (第四重)・・・『本門三段』・・・法華経本門十四品を三段に分ける
  序分・・・地涌出品半品
  正宗分・・地涌出品の半品と寿量品及び分別功徳品の十九行の偈まで
  流通分・・分別功徳品十九行偈の後から普賢品までの十一品半

 (第五重)・・・『文底三段』・・・文底三段とも本法三段ともいう。
  序分・・・三世諸仏一切の仏法
  正宗分・・妙法五字の本法
  流通分・・末法救主本化聖祖

 かく五重層々して正意を顕了した上で、さて立ち返って見ると、第五重の「文底三段」において、あらゆる経々を包括し来たって、法界一代法華経に帰する事下の如くである。

 (第五重)・・・文底三段
  序分・・・三世諸佛の一切の経々
       十方諸佛の一切の経々
       大通智勝佛の法華経等
       今佛一代五十年の経々
  正宗分・・寿量文底五玄具足の本法五字「妙法蓮華経」
  流通分・・本佛の体現者末法唯一の救世主本化上行菩薩

 即ち妙法中心主義の眼からは、諸の理義法門はすべて「序分」で、その人格的発作即ち実行面が「流通分」となって、法界の全体が一部の経典となりおわるので、大きいとも広いとも、壮観とも美観とも、この上の教法はあるまい。
 本化妙宗の大建設面は、此の通り絶大である。破折が絶大であると共に、かかる大建設があるのである。世間のワイワイ連中がややもすると『日蓮は破壊主義の人物だ』とか、『折伏奇激』の熱性にかられて温かい部分が欠けている』とか、能く言うことだが、かかる深奧にして整正たる大教判のあることを知らないから、そんな浅薄な駄評を加えるのである。

   其5 本門要付の大教法             五綱教判各論トップ    ページのトップ

 さて重々の教判で、いよいよ仏教の中心点が判った。それについて、一つの必要なる結論がある。即ち「本門」と「妙法蓮華経の五字」との関係である。
 本門寿量の詮し出した『妙法五字』は、即ち本門の産物、それを原理的に言えば、『久遠の本法』、所謂真理の本体、若し宗教的に言えば、『末法の要法』、則ち唯一仏乗の種子である。而して此の『要法』には、下の諸分子を含有している。
 『久遠の本法』
 『本佛の智慧』(三身常住)
 『本佛の慈悲』(三世益物)
 『霊山の顧命』(神力品の付属)
 『末法生類の機感』(末法の衆生の機がこの要法を感ずるようになっている事)
 『下種の機感』(末法の機根は、下種の妙法を感ずるようになっていることは、既に善根断絶の衆生なる故で、捨てておくとずんずんと悪道に堕ちて行く機類だから、イヤでも救わずには置けない。即ちあらためて大善の種を下すべく本化上行菩薩の出現を感起しつつあるなり。)
 『超悉檀の折伏』(四悉檀中の世界・為人・対治・第一義の「対治悉檀」でない、この悉檀以上の大対治のこと)
 『萬法開顕の能用』
 『本化の誓願』
 『三佛(釈尊・多宝・十方分身)の証誠』

 『妙法五字の要法』があれば、もはや「本門」も「法華経」も入用でないかというに、修行門ではそうでも、教相門では大いに入用である。元来本門は要法の産地たるの故を以て、常に此の要法の証明たり介添え者たるべく必要である。ことに又他の諸の誤まれる教判や宗旨の邪見を救うために、之が解決者として、全く教相を亡くすることは出来ないのである。故に三大秘法の観門でさえ、一々に『本門の本尊』『本門の戒壇』『本門の題目』と、皆本門の二字を冠しているのである。即ち教としては本門が本化妙宗の立脚地である。「本門」は上妙法五字にしたがい、下一代仏教乃至一切世間の学問宗教までをも進退成敗する所の大政府である。但し法華経一部も、此の場合に於いては、本門の開顕の実義を経て、所謂本門化して用いるのである。

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  1 教と機 2 機の種類 3 機の生熟

 
1 教と機

 機は「可発」で、まさに発せんとする『はずみ』という意味であるから、現前について言わないで、未然について言うのである。たとえば胸がムカムカして嘔気を催しているのは、即ち吐かんとしているのであるから、嘔の機ではなくして吐の機である。之を治療する方からいえば、収斂剤を与うべき機とするのである。人心があまりに気楽でのんきなのは、楽天の機とはいわないで、是は堕落の機である。即ち常楽主義の教えを隠して、厭世主義を以て救うべき機とする。若しあまりに厭世的に悲観に過ぎて、自暴自棄の迷想に陥らんとするものは、即ち常住安楽の主義を以て救わねばならぬ所の機であるというように、その現状から後の成り行くべき機先を察して、こてに相応した救済法を下すというのが「教」から見た「機」である。故に衆生の機が佛の教を感じ起こして、ここに教行が成り立つのである。

 「機」に種々の変化があるから、教行にもそれに応じた変化があって、種々の法を説いたというのは、機を末から数えたので、それを『機情』という。この機情を将護(しょうご)して、その跡を追って説いたのを「対機教」又は「随他意教」というて、それは権教の分際である。機を本の方から観察して、彼の句々の機情を還元して一理に会入せしむる所の教を「佛智教」又は「随自意教」というてそれは実教である。実教の機を「直機」といい、権教の機を「雑機」というのは、性欲不同は元来機の仮状にして実体ではない。『萬法同一性の法本に帰入すべきが、生類向上の意趣』であるから唯一佛乗の教行には、イヤとも入るべき筈のもので、衆生自身は知らないでも、そうあるべきはずの先天的法則なるところへ、佛の垂教化導も、中間に種々の対機権説を多々用いてはあるが、元来初めより一佛乗に帰入せしむるのが目的で、『実』も『権』も皆それが為の説法であるから、一佛乗の正機を「直機」というのである。斯くの如く「機」にも本末あることを知らずして、只教法とさえ言えば「対機説法」とか、「応病与薬=病が種々に異なる故、それに応じて薬もいろいろと異なるが如く、衆生の機まちまちなれば、それに応ずる教も亦まちまちなるを要するとて、教法の千差万別なるを弁護する時に用いる熟語です」とかで押し通そうというのは、あまりに荒量な扱いかたである。

  「応病与薬」というても、駆除すべき病毒と共に、保持せねばならぬ身体が存在しているから、一面に毒を駆ると共に、一面に健康を与えて行かねばならない。その毒の方は『毒で毒を打つ』のであるが、健康を長ずる方は『滋養営潤の正薬』で、チャンと一定したものである。栄養と駆毒と同時に為し得べき薬があったならば、是は萬人が萬人、処を嫌わず時を嫌わず、恒久一定の食餌となすべきものである。「権教」は栄養を主としない。駆毒を主とした教えであるから、単の「応病与薬」であるが、「実教」即ち法華経は栄養を主とした教えであるから、「萬病一薬」である。然るをこの「応病与薬」の定木で以て法華経までも権教と均し並に扱おうというのは、『牛乳も石炭酸も同じ』だと考えたようなものである。

 佛在世の機類を判ずるは兎に角、滅後に於いて佛教を弘め説くということについてはこの「機」と「教」との関係を能く研究しなければならぬのである。たとえ悪人たりとも、すべてみな善根を発すべき機を備えているから、その善根の機関を照準に教を垂れるのである。故に教法としては、いかなる人にても悪人として見ない。たとえ『人殺し』の様な悪党でも、これは心の変から生じた仮性的動作であって、素地を研き出せば、必ず善人であるという観察から、必然的に「発真作善」せしむるようにと、必ず衆生の善機を標準とするのが通則である。若し善根微少なれば、その欠陥は、佛無縁の大慈(三縁の慈悲の一つ。三縁とは、衆生縁、法縁、無縁なり。而して前の二つは菩薩も之を存すれども、無縁の慈悲は全く佛特有の大慈秘なり)の方から補充して発生せしむるのである。末法に於ける『機』は、通例の釈義で行かないのは、この点である。

 
2 機の種類           五綱教判各論トップ   「機」のトップ   ページのトップ

    其の1 機 根 其の2 機類の直雑 其の3 機縁の順逆 

  
其の1・・・機 根
 『機の性根』ということで、根とは善根のことである。善根とは佛果の大善に融合すべき性分の根基で現には悪習に覆い隠されていても、根は残っているのであるから、その脈を探って行けば必ずその動作を発生してくる。その善根(=衆生の善心にして、理に合い聖に入るも、これあるがためなり)は五つある。即ち「信根」「精進根」「念根」「定根」「慧根」の五根である。おぼろげにも此のつかまえどころがあるから、それを的に佛は教を垂れるのである。この五根を佛果に契合すべき力因から観察して、「縁」「了」の二善根に束ねる。それから「利」「鈍」を分けて、その利と鈍とに応じて、さては頓漸権実の教は発生したものとなっている。 
 (注:因とは佛因なり。佛因に三を立つ。『正因』とは一切衆生みな佛性を有てるが成佛の正しき因なれば也。それを悟るべき質なるを『了因』といふ。『縁因』とは、正因あれども衆生は迷いに蔽はれて自ら知らず、ゆえに佛は教行を垂れて、佛因をして縁て以て増長せしむ、縁とは援助の義也。)

  
其の2・・・機類の直雑                                ページのトップ
 性根には自ずから『楽欲』が伴っている。その楽欲があるから、これを善導すれば修行が起こる。修行が起これば、持ち合わせの憶念(仮に智慧としておく)が、この善導された修行と相応してくる。それに本末が分かれる。その末を「雑機」と名づけ、その本を「直機」と名づける。前の頓機漸機等の種々の機類は「雑機」で、その中に非頓非漸単刀直入に、一佛乗に契応したのを「直機」というのである。「直機」に又、『調熟後の直機』といって、種々の調熟を歴了して、正しく本種を成脱する場合の「まぜもの」のない機と、『原始的の直機』といって、始めて佛種を下すときには、もっぱら「まぜもの」のない一の種のみを要する機との二つがある。『調熟後の直機』でも『原始的の直機』でも、図星に一佛乗に直接応対したものはすべて『本門の直機』であって、一佛乗に誘引すべく、種々の準備化導に応じたものは、すべて「雑機」とするのである。即ち純法華経の機が「直機」で、非法華経的の機が「雑機」である。雑機は悉檀摂化、直機は超悉檀摂化である。

 純法華経の機が直機だとすれば、それは在世の寿量品の時と、末法の今とである。しかるを浄土宗などでは「機」ということに力を入れながら、かえって機を誤って、末法の機類を『法華経本門の直機』でないと判じて、方等の雑機中に入れ、特に念仏往生の機であると判じたのは、教を誤ったのは言うまでもなく、かえって大いに機をもあざむき、かつ釈尊の自判にそむいた話である。

  
其の3・・・機縁の順逆                     「機」のトップ    ページのトップ
 一佛乗專注の直機に、又二つの縁別が分かれる。即ち「順縁」と「逆縁」である。 「順縁」とは、一乗の化導に浴し、即時に信伏して、法華の妙益を蒙るもの、「逆縁」とは、信伏しないで反対するもの、即ち反対したために、法華の妙益に預かる、それが「逆縁」、所謂『逆らいながら佛種を植えられる縁』ということ、これに「現謗」とて、『現に毀謗する』のと、『不現謗』とて、『現に毀謗しないけれども、反対して信じない』というのとの二つがある。

 「順縁}は勿論のこと、「逆縁」でお救いを受ける。どちらかというと、むしろ逆縁下種が末法直機の大部分である。これは善根断絶の機を以て充たされた末法の世に於ける、『大善回復』という大事業の化導が、法華経の本能なり、末法の時代的要求なりであるから一網打尽的に、『順うものも反くものも、残らず漏らさず救う』という絶大の化導なるが故に、済度の対機が斯く限りなく摂盡されるのである。 いくら機にたいして、やさしいから持てるとのみ教えて、その法の勝劣得失を棚に上げて無責任な化導をする『安売り主義』を取って、『何でも救う』と言っても肝心の法が下劣では何にもならぬのである。

【法華経直機順縁の衆生】

 順縁の衆生は「前世に正法に縁を結びおきたるが、今日ここで開きたる衆生」か「現世で始めて、下種の法を受けて即時に信伏したる衆生」である。
 それに「上根の衆生」「中根の衆生」「下根の衆生」とがある。
  『上根の衆生』・・・聞いて直ちに真理を悟り衆生
  『中根の衆生』・・・法を修行し護持して、ついに悟る衆生
  『下根の衆生』・・・法を護るほどには積極的だはないが、法に順い、背かねども護るところまでは行かず、後生の大縁を結ぶ衆生

【法華経逆縁の衆生】

 逆縁の衆生は「本因下種の益を蒙る衆生」である、それに二種ある。「現謗」と「不現謗」である。
 『現謗』・・・謗法を現在にあらわしている衆生
 『不現謗』・・謗法を現じてはいないけれども、いつにても妙法に接すれば、必ず謗法を現ずる衆生

 
3 機の生熟                      五綱教判各論トップ    ページのトップ

     其の1 四悉の対機 其の2 三益の進退 其の3・・・末法下種の大化

  
其の1・・・四悉の対機

 衆生には佛の化導を招き寄せる機感があり、佛には衆生のこの機感を見抜いて、衆生を救うべき機応があって、感応相発して、ここに教えが起こるのであるが、その機には「生」「熟」の異なりがあって、生しきものは、いろいろの手数をかけて誘う、それにいろいろの方便が要る。熟したものには真実を説く。その因縁の厚薄、及び『導き勝手』に基づいての化導が「四悉檀の化益」というので、悉檀とは「悉」は『つくす』で広くゆきわたる義、「檀」は「施す」ということで、法を説いて益を与えることをいう。それが「四悉檀」というて四通りある。即ち『どれかの道で衆生を救済して、広く利益する』から「悉檀」というのである。

  世界悉檀・・・歓喜の益・・・事物調和応用の化導 
      世間の楽欲に随って、誘導する化導
  為人悉檀・・・生善の益・・・情を摂護するの化導
      個人の性によって、善を生ずるべく誘導する化導
  對治悉檀・・・破悪の益・・・理を格守するの化導
      善法を以て悪法を破する化導
  第一義悉檀・・・入理の益・・・自覚証悟入真の化導
      真理に入らしめる化導

 此の四つの内の一つで救うか、四つ兼ね備えて衆生を救済するかの相違はあるが、要するに熟益の初め、熟益の最中、熟益の終了までの間だの化益で、之を「悉檀摂化」というのである。このご厄介に預かるのは、概して『熟中の機』、若しくは『脱益の機』とするのである。『熟、脱の二機』は「下種」と較べて同異がある。

  
其の2・・・三益の進退                    「機」のトップ     ページのトップ

 「種」「熟」「脱」の三益ということは、佛化導の大関節で、三益を明かさなければ佛の化導の始め終わりを知ることが出来ない。途中よりの出し抜けの化導には用のないことではあるが、根本教法たる法華経では、必ずこれから割り出して一切の教法化益を進退するのである。
「下種益」とは、始めて衆生の心田に佛の種を下すこと。
「熟益」とは、その下した種をだんだんに長育して行くこと。
「脱益」とは、その育て上げた結果、実が成って収穫したこと。
この三段に経て化益の相を考えるのである。故に衆生の機も、またこの三節に経て進退を考えて行かねばならぬ。「下種益」は超悉檀の根本化導による。根本化導とは本佛自証の大慈より発する根本動の化益にして、無縁の慈悲より発するもので、菩薩や二乗のあずかり知らざる大教化である。

 「熟益」「脱益」は悉檀的化導のして、「四悉檀」によって導く局部的化導による。佛種の大善が既に植えられてある機類は、モー再び植える必要がないから、唯それを育てて行けばよい。その成就時代の機類は、いろいろに四悉檀の誘化を以て、衆生の雑機に便宜ある権(かり)の教法を説いて導くべき機であるが、佛種の断絶したものに至っては、悉檀摂化では益をなさない。ここに於いてか、悉檀以上の化導、即ち超悉檀の根本的化導で救うことになる。それが「下種益」というので、即ち『種下ろし』であるから、よろづ原始的になって行く。所謂『根本法の発動』という大化導である。(ここで佛種を断絶したというのは、佛種には二つあって、一切衆生が本来持っている仏性である『性種』と、教行の縁により複製せられた佛の種の『乗種』とがあるが、その『乗種』の断絶したことをいうのである)

 乗種断絶の場合には、やむを得ず各個固有の『性種』を挑発すべく、『乗種の電気力』をかけるのである。どんなものでも仏性を持っていない者はない。『それを呼びだして、乗種化する』のが、「下種益」における開顕の化導であるから、三益の中には「下種益」が根元である。今一切世間の機類は、熟益の機でも無く、脱益の機でもない。全く下種益にあづかるべき正機であるから、此の根本化導が興立しなければならぬ。

 「下種益」の化導には、『決して他の物をまじえない』のが原則である。種を蒔くに、米を得んとするならば、必ず米の種をであるべきで、決して他の種をまじえてはならないのと同じ道理である。

 「熟益」となると、種の問題よりは、種を育てるに就いての種々なる成就方法が必要であるから、一法にみではゆかぬ。肥料もいる、雨もいる、太陽もいる、雑草もとらねばならぬ、霜よけもせねばならぬ。この時代に於いては、方便権教のいろいろの道具立てが専門となるのである。

 「脱益」となれば収穫するのだから、もー肥料も雨も要らない。即ち権教方便の入用な時は熟益時代ばかりで、「種」「脱」の二機には、必ず一佛乗の法華経一点ばりと決まっているのである。ただその中で、「下種益」では仏乗種のないものへ、仏乗種を与えて、本来もっている性種の功徳を開発せしむるための原始的化導には純佛乗を要し、「脱益」では、熟益の時に、種々雑多の多岐的功徳法門にあやつられて中心を失い根本を忘れたものに、仏乗種の根本を教えて、還元的に一切の功徳法門を統一せしめ、終結せしめるための終結的化導に純佛乗を要するの違いがあるだけで、純実化導たることは同一である。 いづれの宗門学説にも、此の「種熟脱の三益」を言わない。是が沙汰していない限りは、所謂「化導無始終教」で即ち『おきなり主義』『出し抜け主義』の教法である。『何の為に始まって、どうして終わったのか』がわからない。すなわちくくりのない、原因不明、目的不明の局部化導というに帰してしまう。何故に一般佛教家は佛教中にかかる大特殊の最高の問題のあることを忘れて、印度山出しの奮を逐い、支那仕入れの狭小な教えをそのまま襲はんとのみするのであろうか。一体普通の佛教談を扱うつもりでいては、とても本化佛教のことはらちがあかない。この『三益談』だけでも尋常地を抜いている。

【本門三益】
  種・・・久遠元初本因下種
  熟・・・久遠の昔に成道して以後、大通、前四味、迹門
  脱・・・本門正宗寿量開顕

【迹門三益】
  種・・・大通結縁(昔、大通智勝佛の時に第十六の王子としての『釈迦菩薩』が法華経を説いて一切の人に下種結縁せしめた、久遠成道の後、今番現化の前)
  熟・・・大通より今番釈尊の出世までの中間の化導と、釈尊出世の後、華厳・阿含・方等・般若の四十二年の化導)
  脱・・・迹門(迹門正宗分方便品以下の八品)

【寿量文底留種・末法下種】
  逆種・・・謗・不謗・・・当来熟脱
  順種・・・(種中の三益)

   種・・・信伏随従(四大格言)
   熟・・・如説修行(五綱教判)
   脱・・・受持成仏(三大秘法)

  
其の3・・・末法下種の大化   五綱教判各論トップ    「機」のトップ    ページのトップ

 末法本未有善の機類に対しておこす化導は、単純にして原始的なる『下種益』の大化である。即ち在世に法華経を聞いて、信受することが出来ず、只縁を結んだだけの衆生と同じように、聞慧・思慧・修慧の三慧と四悉檀の益なしと定めらた五逆謗法の機であるから、種々の雑多の教行では救い得ない。即ち専ら『佛乗種子たる妙法蓮華経の要法』でなければ救うことが出来ない機類なのである。故に余経他宗を一切に排除して、専ら根本善の妙法佛種たる本善妙種の大化導を開くのである。

 「本因下種」というと、『本因の妙法を以て下種する』という義、そこで「本因」とは『本有の因』という事で、『本来固有の因行』という義、『久遠の因』という時は、『久遠の本時に修した因行』ということで、『その時に種を下ろしたという義』になる。要するに『本因の行』としての『下種』は本佛の直化であって、必ず本化の菩薩に由りてなすべきものであること、なお久遠時代の釈尊が、自ら為したまいし『下種』と同例である。 

佛種    本法     性種    三因佛性  
       正因佛性(固有性に具せる佛性)
       了因佛性(智性に具せる佛性)
    
   縁因佛性(修行性に具せる佛性)

       要法      乗種      順縁   
       宿種開発=前世に正法に縁を結び置たるが今日開くこと
              利根(頓發即入)
              鈍根(漸發漸入)
       現種信伏=現世で始て、下種の法を受て即時に信伏する
              利根(即聞即證)
              鈍根(修習善根)

        
逆縁(毒鼓の二因)・・・・謗・不謗

         毒鼓とは「涅槃経」に毒鼓の譬あり。毒を鼓に塗って之
         を撃つに聞く者みな死すとあり、折伏逆化の鼓により 
         て、煩悩の賊を死すをいう。

                                         

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「時」(時を知る事)                  「時」のトップ

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 三 時の類別

 一  時と教

 時代を知り、時節を察することはいやしくも世を導こうというもののゆるがせにすべからざる所である。そもそも時を知るというのは『時の何たるかを知って其の宜しきに応ずるの謂い』である。教を知って機を知っても、時を知らねば教機ともに誤るに至る。こくしていえば能く教を知り機を知るものは必ず時を知るはずである。これに手落ちがあるのは、まだ真に教を知り機を知ったのではない。なぜならば、『教』にはそれぞれの時に相応すべき各種の性質を備えており、『機』には時の要素、即ち同じ様な機が集まって、一つの時を為す故に、機はそれぞれの時の要素を具えているから、それを深刻に且つ円満に究めて行けば、自ずから『時』のことを知らねばならぬわけである。即ち教法宣布という上から見ての「時」と時そのもののいかなる教法を要求するやを知るのである。

 「時」には先ず在世と滅後と二大別した上で、当面の必要は『滅後の時』を知るのにある故、之を「正」「像」「末」の三時に分け、又「五箇の五百歳」に経て、その時代その時代に応ずべき教法を知るのである。花の必ず春に咲くというは、花に於ける開発の時節である。さればとて、春になって急に花というものが生ずるのではない。冬からも秋からも木の中に在ったのである。ただ花として咲き出したのが春であるので、咲かないときも花には相違ないが、それは準備時代として、正しく咲き出した時を『花の本領を発揮した場合』とする。それが時節というのである。教法もまた斯くの如く『本領を発揮すべき時節』というものがある。その時節を造るのは、即ち時代である。『時代』といえば、移り行く回転力を意味し、『時節』といえば、その時代を中心化して、之に応ずる方の教法に属していう意味になる。

 
二  時と機                                 時」のトップへ

 時機ということは、世間出世間ともに常によく言う言葉だが、「時」と「機」とは意味が違う。だだ其の両者の関係が密接しているからその具合を考えて感応をあやまらないようにせねばならぬ。機の集合結成せる場合が「時」で、「時」の内容組織中の分子が「機」である。機の集合して、一種の固定した風習を世に造りだしたのが「時」で、又それを救うべく余儀なくされて、教法のこれに応ずるのも「時」である。「時」を断面に見たのが「機」で、「機」を結果から見たのが「時」である。「機」は時を抽象したもの、「時」は機を具体的に観察したものである。


 三 時の類別                                 時」のトップへ

    其の1 正像末の三時 其の2 五箇の五百歳 其の3 佛讖時代の末法

    其の4 佛讖(佛の予言)以後の末法

  
其の1・・・正像末の三時                               

 佛在世における『時』は、すでに教法の下に摂せられてあるから、ここでは専ら佛滅後の時、即ち『教法を受くるについての次第変遷』を観察して、『何の時には何の教説が応時の教法である』ということを知ろうというのである。

 佛滅後を「正法」、「像法」、「末法」の三時に分けることは、教法伝布の大勢を察したもので、「正法」とは佛の遺教が欠損せざる間だ、これが一千年、「像法」とは、やや精神が衰えて形式だけになった時代、これが一千年、「末法」とは、精神も形式もともに失せて、まさに断滅せんとする時代、これが一萬年、さらに之を細かにして、教法の変遷を予言したのが、『大集経』の「五箇の五百歳」である。「正法千年」には、「教」、「行」、「証」の三ともに備わり、「像法千年」には、「教」と「行」とありて「証」なく、「末法」には「教」のみありて「行」も「証」もなしと定めてある。

  
其の2・・・五箇の五百歳                                時」のトップへ

 五百年ずつで、世界の大勢が一たび回転するものということは内外古今の歴史がこれを証明し、『五百年にして王者興る』の哲言も、東西其の揆を一にしている。されば時の清濁に約した『正像末の三時』より、更に之を開して、教法の興廃に約したのが、この『大集経』の五箇の五百歳である。

 佛滅後第一の五百年を『解脱堅固』といい、佛の遺教を行じて悟るもののありし時代、

 第二の五百年を『禅定堅固』といい、解脱やや衰えて之を補うに禅定を以てする時代、禅定とは心を一所に制する練心の行にして、多く山林空閑に道を工夫する座禅をいう。

 第三の五百年を『読誦多聞堅固』といい、禅定も衰え失せて、その欠陥を読誦の行や学問思惟で補わんとする時代、

 第四の五百年を『多造塔寺堅固』といい、読誦多聞も追々不真面目になり、無形的善行を好まず、形式的物質的修福を好む「有為有相の好楽」が盛んになって、しきりに堂塔伽藍を造営して功徳に擬したる時代、

 第五の五百年を『闘諍堅固』といい、具に『我が法の中に於いて闘諍言訟して、白法隠没せん』とありて、佛法の中でお互いに我見を執して、論議確執し、それがために佛の正法が隠れて没してしまった時代ということである。

 一つ一つに『堅固』という語のあるのは、『この佛の未来記、即ち予言の通り、決して違わない』という意味であって、はたしてこの五大経過の実際は、すべてその通りであった。第三の五百年には天竺でも支那でも、佛教の学問は実に盛んであった、第四の五百年には支那でも日本でも、佛教繁昌の国は、いずれも堂塔伽藍の建立が盛んであって。第五の五百年に至っては、諸家の争い極点に達して、宗見我執の甚だしき、ついに僧兵がおこり、宗教の学するものが武器を持って血を堂塔に塗るに及んだ。真に『闘諍堅固』の名にそむかない。 五箇の五百歳、その一紀ごとの変替に応じて、教法の興廃がこれに伴って浅より深に、粗より精に至るべき経過して来たのである。

 第一の五百年の『解脱堅固』時代は『小乗仏教時代』で、外道を対破する時代。
  第二の五百年の『禅定堅固』時代は『大乗興隆時代』で、小乗を対破する時代。
 第三の五百年の『読誦多聞堅固』時代は『大乗旺盛時代』で、大乗互いに論争する時代。
 第四の五百年の『多造塔寺堅固』時代は『法華経一乗興隆時代』で、実を以て権を破し、法華経迹門の利益のある時代。
 第五の五百年の『闘諍堅固』時代は『本化佛教興隆時代』で、初めは権を破し、後に法華経迹門をはする、法華経本門の利益のある時代。
 それ以後は末法萬年で、本化佛教流布の時代である。

 要するに、古いほど良い時代で、新しいほど悪い時代である。而してこれに応じて時代の救済となる教法は、良い時代ほど浅い劣等の教法で、悪い時代ほど深い優等な教法が弘まった。佛もそういうように命令なされているし、事実もその通りに行っている。世間でややもすると『佛教も幾多の時世を歴て段々と勝れたものに仕上げられた』というが、そうではない。後世の発明推理がどの位進歩しても、決して大昔の佛教ほどの進歩はできない。これは一つものが段々勝れるように変化したのでなくて、始めから劣ったのや勝れたのが、幾らもあって、その中から一々の時世にあてはまるように、この時代には此の教法と、チャンと役割が決められてあったのである。それで時代が悪くなり行くほど、勝れた教法が顕れる順序になっているのは、病が進むから薬が進んだので、軽病には浅薬、重病には良薬という順序である。

 かくして『正像末の三時』『五箇の五百歳』と、正面からも断面からも、手を尽くして観察するのは、畢竟何のためかとおいうに、すべて時代の研究というものは、その目的が過去に在るのでなくて、現在及び将来に存しているのである。所謂『故きを温ねて新しきを知る』の趣意で所詮は『末法』を研究するに在る。「三時」「五紀」を分別するのも、畢竟その為である。

  
其の3・・・佛讖時代の末法                               時」のトップへ

 「末法」は極々悪い時である。悪い時であるから教法は極勝れたものでなければならぬ。これまでの教法は、これまでの時代を益したので、過去に益があっても現代に用を為さぬ。それを強いて用いようとするから、かえって弊害を多くするのである。『時悪』が『教善』に打ち勝ったのである。その時悪にまける教法では、この悪世は救えない。それというのも「正法」「像法」の二時代に弘まった教えは、元来『機を標準として説かれた権教』であるから、機の回転と共に効用を失して時悪に負けたのである。『佛智を起点として説き顕された実教』は、機から真理に赴くのでなく、直ちに真理から機を摂して行くのであるから、機の回転消長(即ち時)の為に動揺されない。「機」にも「時」にも超脱していて能く時も機も照らすから、この実教でなければ末法重濁の時代を救うことは断じて出来ないのである。

 それから時代にもうける教法では、たとえ時の弊害の幾分かを救い得ても、それは表面のみの佛法に依って善をすすめるように見えても、衆生の根本精神に何等の力も与えないホンの皮相の救いであって消極的に一時を防止するに過ぎないから、かえって時がたつに従って猛烈な反動を起こして、先より悪くなることがある。畢竟権教には『萬法開顕』という積極的消化力を有っていないからである。末法が極悪いというものの、一面には極めて悪いものに、かえって多くの長所が潜んでいる道理だから、この極悪重濁の時代は、裏面に大いなる進歩を有している。之を開顕し調和する力のある妙法で化導したならば大悪かえって大善となる。それが教の妙というものである。故に「末法」が悪いということは「教」を離して、「時」ばかりでいうことであって、若し時の応じた教化に乗じて言えば、実に最上の良き時代となるのである。

 末法は過時の権迹教ではとても救えない時、萬法開顕の妙法の自然顕れるべき時、三段の変化で最極度に退化せる時悪旺盛の運で、モーこれより悪くはなりようがないから、前の正像が各千年づつであるに比して、末法の年代は一萬年とある。はなはだ長いようではあるが、その幾変遷を類同して、一潮勢の運命と定められた点に着目して見なければならぬ。ただその中で教法の時に応じて教を開くべき順序的規律から論じて、佛讖時代の末法(最初の五百年)、仏心以後の末法(入末五百年以後)の二分界が出来て、一方は過度時代の末法、一方は居座りの末法というぐあいに区別がたつ。この区別は非常に大切な意義を含んでいるから、大いにそのけじめを味わねばならぬ。

  末法に入って初めの五百年、『大集経』に滅後の変遷を予言して、末法時代だけは、初めの五百年を挙げたのみである。これは塔中別付の大法に関係せざる普通佛教の変遷をつらねるのが主意であって時代の善化力が段々と消え失せて行くことを歴史に証明したのであるから、「白法隠没』だけで、他を言わないのである。しかしこの五箇の五百歳の中、特に「第五の五百歳」については、法華経に来ると『法華の正法が流布して、専ら時代の唯一救済となる』と預言してある。これは通常佛教の白法が隠没したから、高等佛教たる最深秘の妙法が、これに代わって根底から教法を組立て直し、時代をたたき直して本時の娑婆に還元するという方から観察した「第五の五百歳」である。即ち佛讖に両重ありて、『時悪』と『教善』との両様が遺憾なく明記せられたのである。

 末法初期に佛讖(佛の予言)
  時悪の方面・・・白法隠没(大集経の預言)
  救済の方面・・・妙法流布(法華経の預言)

 一方には『白法隠没』とあり、一方には『妙法流布』とある。されど決して矛盾ではない。両面をつくした観察である。さて正法千年・像法千年の時代に流伝弘布してきた教法の白法は隠没した。これに代わるべき救済が発現しなければ、世は永く常の闇である。諸宗の見我妄計が、佛教の正意を滅して世間の罪悪より以上の悪の源となったのである。

 空海の『第三戯論』や、慈覚の『理同事勝』や、法然の『捨閉閣抛』や、禅宗の『教外別伝』や、真宗の『肉食妻帯』や、いずれも悪い了簡で始めたのではなく、結構世を救おうという殊勝な考えから起こったのであろうが、そこが時悪の毒化作用で、知らず識らず「法滅盡経」にあるように『魔作沙門壊乱正法』とて『魔が出家になって佛法を内から壊す』の預言にたがわず、『佛弟子能く佛法を壊る』の明鑑に漏れず、悪鬼その身に入って佛教の正意をうしない、幾重にも乱れて一時に毒気を勃発したのが、入末の少し前あたりから、此の『佛教の都』たる日本国に、一時に落ち込んできて、みごと佛弟子の名と形の下に、佛法は壊されてしまった。誠や「白法隠没」と佛が予言なされたことは、露ほども相違しないのであるが、若しも本化の明断がこれを指摘することが無かったならば、我等も今なお彼の諸宗どもを、やはり佛の正法と信じているやも知れぬ。そうすると『大集経』の預言は偽りになる。これが反古ならば、一方の『法華経』の預言も相手が無くなって、反古となる。そうなると『佛法を信ずれば救われる』ということも反古となる。佛の尊いということも、佛意の深いということも、みな反古となる。全体佛教そのものが反古になる。すべての宗旨が、世人の謂うように、どれも皆佛の正法だと言うならば、末法は正法の最も多い時で、『白法繁昌』と言わねばならぬ事になる。

 畢竟ずるに「時」の研究が不行き届きであるから、そんな算当の合わない迷見に陥るのである。 天地は覆るとも、佛の金言は寸毫も相違しない。正しく白法隠没して邪法の昌えはずんだ末法の初期、『出るだけの毒はすっかり発した時、もうーこの上は大手術の治療を施すより外はないという時、正しくその治療者たり、且つ裁決者たる釈尊の使者が、法華経の時応的全盛時代の真っ最中(末法に入って、百七十一年目)に出現して、『大集経』の明文の通り、「白法隠没」の宣告を下し、法華経の明文の通り「妙法開宣」の事実をひらいた。すなわち佛教に於いては、三国二千年にわたる歴史的大事業である。滅後佛教の一新き紀元を開いたのである。思想界の最大回転として、真に人類の大事件である。こういう最大事の関節であるから、何事を置いても、『末法の初め』の五百年は、預言せずには置かれない。亡くなるものは亡くなる、顕れるものは顕れるというのだから、この上詮索は要らない。物がなくなれば話もなくなるから、所謂『この下に話しなし』の轍で、ここまでの預言で尽きている。

 それと共に新舞台は交換的に現れてくる。新たに顕れたものは、その物の初めだが、前の物から言えば終わりになる。この『前の終わりにして後の始めなる交叉点』まで預言して置けば、それで案内の役は済む。あとは宜しく実物で承知するがよいというまでのものである。果たして我々はもーその実境中(事実その境界の中)に入っているのである。

 『普通佛教の終極』、『特別佛教の建設』、この二大事件の焼点となった『第五の五百歳』は、一面は『滅亡史』で、一面は『興立史』である。本化の大法が、これより萬年の全末法期を救うべき大建設をなした時代である。

  
其の4・・・佛讖(佛の予言)以後の末法                    時」のトップへ

 同じ「末法」でも実に佛の予言以後の末法が、寧ろ末法時応教の本舞台である。建設中には順序があるが、建設後はまとめて応用することが出来る。『佐渡前』も『佐渡後』も要らない。平推しに推して行けばよい。時代は『末法も一器』である。教法は『唯一佛乗の一水』である。細かい変化はあっても、すべて「末法」という大きなうねりの小波瀾に過ぎないのである。時代の一大悪を教法の一善に化して、正像時代よりも佛在世よりも、堯・舜の時代よりも、はるかに勝れた良い時代に転ずるのである。この転ずる力を備えている教法が、即ち末法救護の憲教なのである。その教法を要求しつつあるのが、即ち『末法の時感』である。『末法の時応として佛自ら法華経を留め給う。末法の時感として時代のおのずから法華経主義を待つ弘めざらんや法華経信ぜざらんや法華経』 。 

 実例から一つ言ってみると、『人権平等』とか『自由』とかいう事は悪いことでなく良いことである。けれどもこれは世が悪かったから発生した思想及び法理である。神武天皇や堯・舜のような聖王が、善政を布いている時は、人権の自由のということを求める必要がない。為政者が手前勝手の暴政を施して、民を苦しめるということに因って、民もこれに反抗する思想が起こって、遂に人権の平等を説き、天賦の自由をさけぶようになったのである。人で治める政治から、法で治める政治に転じたのは、畢竟時悪の進歩から来たので、実に天下を治めるのは、法律で治めるよりは、人で治める方が本当であって、その方が進歩した治め方であるのだが、人そのものに私が多くなってきて、大いに剣呑なところから、安心のために、法律で約束するのである。独裁政治が憲法政治になったのを進歩だとのみ心得ているのは、反面ばかり観た僻見である。『どうしても人は偽りをいうもの』と極まって始めて人が恃みにならなくなるので、少しも偽らない神のような佛のような人があるなら、それに依って治めて貰うくらい、安楽な高尚な清潔な進歩した政治はないのである。ところが世が末になると上は下を虐げ、下は上を欺くような光景が、あちらにもこちらにもと現出して、所謂『上下こもごも利をとって而して国危うし』という風になって来たから、世間に騒動が絶えない。そこで是ではならぬと、平等主義を振りまわして、上下同治の方法を建てた。暴君汚吏(ぼうくんおり=暴君にして、心きたなくむさぼる役人がはびこる)を排斥して信じないと同じく、人民を矢張り信じられない。『どちらも危険であるから、萬事は約束で』というところで、法律が人に代わって『法治主義』と変じた。人本位から法本位に変じたのはよいが、その法律なるものは、そもそも誰が作るのかというと、矢張りその『あてにならぬ所の人』が造るのである。危険の度は依然失せない。ここに於いては、天にも地にも唯一つの頼みとする『法律』そのものが、若しも不正確であったならば、それこそ暴君汚吏の害よりも甚だしい。『前門に虎を拒いで後門に狼を進めた』ような事になってしまう。故にひとたび法治主義に変じたら、今度は『その法を根底に最も正しい要素を容れて』、その欠点を補わねばならぬ。

  『萬法開顕の妙法』は、一切諸法の根元である。人を理(おさ)め天下を治めるにも、是非この正法を根本としなければならぬ。若し国家がこの正法を法律の精神とするに至ったならば、それこそ一番進歩した政治となるのである。恰も末法の時悪は時悪それ自らより、自然の淘汰力を発生して、世界各国ともに、滔々としてこの人権平等自由の主義を迎えるようになった。これは取りも直さず、法華経に明かされた『佛にも地獄の性を具し、地獄にも佛の性を具し、本体妙用ともに、一大妙法の下に平等なり』とする十界平等主義が事実に現れるべき前駆である。「時」というものは怖ろしいものだ。けれども世間のは形式であって精神ではない。輪郭であって内容でない。この時代の大潮勢は、先ず法華経の形式だけを自然に備えて、おもむろに精神の発生を待ったものであろう。十界平等の原理的趨勢ばかりでなく、「本門事円」の大法が現れるべき先駆としてか、世は次第次第に事実化して行く傾向がある。果たせるかな、純法華経時代としての影は、早く一般世間の思想界に磁感したのである。

  政治にも平等主義が発生して、悪差別の蛮風を打破したのは、世界萬邦が、任運に日本の建国に合体し法華経の実義に契応せんとする自然作用である。 学問思想の方面にも、末法に入ってからは、大いに実際的傾向があって、その結果やゝ物質主義に偏した為、一方に各種の大発明を催進すると共に一方には大いに霊界を混濁せしめた事実はあるが、これまた『法華経主義の事観』に契合せんとして、先ず輪郭を描いて内容を待ち、形式を備えて精神を待っているのであって、事の一念三千の妙法が、末法の思想を統一すべき前駆であると思う。所謂『礼楽前に馳せて真道後に啓く』とは、理観の台家が、『礼儀を基礎とした儒教』を観察した言であるが、是は本化の教眼から時代を活観して『自由前に馳せて十界皆成の妙法後に啓け』『物質の文明前に馳せて事観の妙法後に啓く』と謂ってよろしい。要するに大悪の極、大善に帰るという様に、大時悪が極旺した揚げ句、大教善の磁化を受けて、善良なる時代と一変し来たり、一たび妙法真乗の大精神を賦与して、真の文明となり得るよう、自然の準備を為しつつあるのも、所詮は所謂「時」である。

 本化出現の時代は、各国共に闘諍紛雑の時代であったが、後に漸々といずれも片づいてきた。就中近代的文明は、尤も本化佛教に照応すべく準備されているのである。


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「国」(国を知る事) 

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    4 国の類別 5 開顕妙国                                 


 1 国と教

 「国」とは『教化宣布の化境』であると共に、また『教法建設の依地』である。故に教化すべき「めあて」の国土としての『化境』としては、その国土の国體から風俗人情を察して、それに契うべき教法を布かねばならぬ。一向の野蛮国で人間の道さえ開けない処へ、人間以上の甚深高妙の教えを布いても始まらないし、すべての文化が具備した国に、劣等な宗教でも仕方がない。要はその国の程度に応ずると共に、また其の国の病弊を救う力のある教えでなければならぬ。若し教義建設の依地とする上から、言えば、なおの事である。「獅子の乳」を容れるに、必ず「瑠璃の器」でなくてはならぬような具合に、教法に相応した因縁を有しておらねばならぬ。

 2 国と機

 「国」の歴史習慣は、ある場合に「機」を造り出すのである。「機」の集合と変転によりて、「国」の性質を進退することもある。要するに「機」から「国」を見れば、「国」は「機」の結合した形であって、「国」から「機」を見れば、「機」は「国」の細胞である。惰弱の民風(機)が盛んになれば、その結果として国が貧乏する(国)国が貧乏すれば(国)、世に悪人を出す(機)というような関係である。

 3 国と時

 「国」が身体であるとすれば、「時」はその寿命である。幼童時代の頑是(がんぜ=かたくなでおろか)な時分から、青年、壮年、老年、と遷り替わって行くうちに、不健全な身体は衰えが早く出るが如く、国體のかよわい国は、時変の為に亡びることもある。「時」を以て「国」を論ずれば、「国」は「時」の姿である。若ければつややかに、老いてはしわめるが如く、無形の変更力が結晶した形示である。「国」を以て「時」を論ずれば、「時」は「国」の血行である。大権が武門に帰した時代には、国の秩序が政治の上にも人道の上にも、壊乱し、王政復古萬機一新の時節に還れば、政治も、学問も、富も、技芸も、すべてが発達して、確実なる文化を布かれて開明国となるが如きものである。

 4 国の類別                                      「国」のトップ

 国の類別には次のような類別が出来る。
 無道国・・・(人乗教)・・・無道の国には先ず人の道を説いて、尊卑とか恩義とかを教える
 外道国・・・(天乗教)・・・耶蘇教の如きは天を説き神を讃歎する点に於いて、全く佛教中の天乗より出ず。
 一向小乗国・・・(「倶舎」「成実」等の小乗教)
 大小兼雑国・・・(「成実」「三論」「法相」等)
 一向大乗国・・・(「華厳」乃至「法華経迹門」の類)
 純円一乗国・・・(「法華経迹門」、先駆「法華経本門」正流布)


  其の一  無道国

 全く何の道もない国といえば、水草を追って住んでいるような最野蛮国である。かかる国には佛教の如き高尚な教えはとても弘められない。かかると処へは、それこそ大悲方便して、『人道教』の初歩でも布くの外はない。

  其の二  外道国

 すでに多少の文化を有し思想を有して居る国は、それ相応の宗教をも有している。それを『外道国』という。いくら世間の開明が進んでいても、西洋などは現今なお『外道国』の部分に属しているが、時と機とは、今に必ず彼等を仏教国にするに相違ない。

  其の三 小乗国

 佛教の中の小乗教を国の宗教としている国で、チベットなどはそのような国である。

  其の四 大乗国

 大乗高遠の教義と偽容を以て国の性命として極適当の見本は『唐時代』の中国と、『奈良朝』及び『平安時代』の日本であろう。中国は大乗教の盛んな国であるが、先天的国性は、『大小兼雑国』の部類であろう。韓国・北朝鮮などは大小兼雑国の『體備えて微なるもの』という位の分際であろう。独り日本は『先天的大乗国』であって、而も権大乗でない、実大乗の気味を有している。それは日本国の固有の思想が、既に先天的に実大乗趣味であって、殊に『調和』ということが国性になっているのは、円教趣味の思想が、国體に付着しているのである。それ故に小乗教は渡来しても始めから学問と見なされ、宗教扱いを受けずに了った。「倶舎宗」は「法相宗」の寓宗となり、「成実宗」は「三論宗」の寓宗として扱われた。『寓宗』とは居候の宗旨ということである。

  其の五  一乗国

 『日本一州円機純一』と言って、大乗も大乗、大乗の神髄たる法華経の相応した国だということは、日蓮聖人以前にもあまたの先賢によりて証明されてある。神代の風俗を見ても、国體の精神を見ても、醇化(物事を醇精取要して、粋を絞り取る)主義の気風が、ありありと解る。『醇化作用』は、被醇化物に接すると、必ず正確分明にその真本領を表さねば已まぬ。聖徳太子に至って、吾が国の醇化力は、新渡来の儒教と佛教とに対して、『日本的消化』を与えて、儒教は『枝葉』とし、佛教を『実』とし、神道を『根』として、三道の一致(「聖徳太子」「敏達帝」に答えて、「神道」は道の根、「儒教」は道の枝葉、「佛法」は道の華実なりと奏す)を唱導されたのでも知れる。天照大神の勅教、神武天皇の経営、聖徳太子の祖述、聖武天皇の事業、伝教大師の撃節で、隠顕交絡して、一乗主義の體例を発揮されているから、ついにはこの『天壌無窮』という無限の力によりて、世界の大光明としての一乗主義が、此の国に建てられねばならぬ先天の因縁約束を具備して居るのである。

 5 開顕妙国                    五綱教判各論トップ     「国」のトップ

 古いところでは、弥勒菩薩、須梨耶蘇摩三蔵、いずれも遙かにこの「日本」を予言して『法華経の国』と言った。聖徳太子も伝教大師も、日本は法華経の国だと合点して、その準備をした。国體国性が確かにそうでも、時節が到来しないうちは、それが完全に表現せられるわけにはいかぬ。時も機も国もすべてが揃うと、いよいよ本音を発するのである。梅の香ひ桜の色も、春が来なければ色も香りも顕わすことはできない。それなら時さえ来ればと言ったところが、柳には梅の香りはなく、松には桜の色は無いのである。末法に入って、我が日本国は、いよいよ真正に日本の特色を発揮すべき時を得た。天照大神、神武天皇を有している国は、義時の為に受けた『国の大負傷』を治癒すべき偉霊を出す力がない筈がない。果たせるかな義時が三上皇を三島に流し奉ったという承久三年の翌年を以て、之を取り返して序でに日本国體を精神的に明確ならしむべく日本国を説明せる偉人は出現した。

 即ち貞応元年二月十六日、而も天照大神の御厨屋たる安房の神領に降誕せられた本化聖祖即ちこれである。日本国體の永久の担保すべき証明として、先天的法華経国は、法華経を以て国の精神と為すべきものなりとして、一乗国の一乗国たる所以を明らかにせられた。即ち日本固有の円教趣味は、根源日本の国祖が久遠本佛の応現であるからである。日本国は『一国即一家』で、世間には転輪聖王家、出世間には妙法護念の霊的種族の祖家である。故に道義的に世界を統一する自然作用として、此の日本国に統を垂れ国を開いたのである。即ち『法華経を建立するために建てられた国』なのである。一大事因縁というのはこれである。単に真理からいえば、どの国でも本佛の浄土である。

 若し開顕の上から言えば、妙法の光に触れて、始めて事理一致せる真の寂光土となるのである。更に開顕の妙法を今一層実際的に教と因縁と総合して宗旨的にいえば、開顕の勝能は、事縁の配合によりて、更に一層の霊気を帯びた活法門となるのである。理推の浄土でなく、事実の寂光土となるべき特質を有した「純円一乗の国」は即ち『本門事円の開顕を経たる本化昭見の妙国』である。 特に日本を霊ならしめる因縁、特に日本が霊なるべき因縁、法の方からも、国の方からも、相互いに照発すべき動機を包蔵して居る。これを『一大事の因縁』というのである。因縁は『事の精華』である。理論以上空想以上、真の事実である。即ち佛教大化の一大事、亦これ人生の一大事である。

 法華経の教理から、「開顕」という『妙』の一霊火を投じて、始めて人間の国が聖の国と成り、闇の国土が光明の国となるのである。故に国を『教の體』とし、法を『国の霊魂』として、ここに完き理想国が現出する、それが開顕妙国である。



「序」(教法流布の前後を知る事)

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5 宗教発展の各種場合  6 本化妙宗の興起                     

 1 教と序

 如来の聖教も、順序なくしては弘まらない。小乗の後に権大乗が出て、権大乗の後に実大乗が出るという順序は、拙の後に巧が出る順序である。在世にも先権後実(方便たる権教を先に説き、而して後に実教を説く)、先迹後本(迹門を先に説き、而して本門を後に顕す)の順序であって滅後も矢張りその通りである。要は教義の浅い部分から前に発生して、漸次深くなり行くのが、教理の自然作用でもあるし、一つは人の知識も段階的に向上するからである。

 
2 機と序

 「機」は活きているから、小さく一人の上で言っても、幾分の進歩はある。機の社会的変遷から観察しても、常に進化の作用を呈しつつある。随ってこの変化に応ずべく、教法の順序的変化を辿らねばならぬ。

 
3 時と序

 「時」は駸々として進みつつある。これに応ぜんとする教法は、いうまでもなく時弊の後をおうて、これを救済しつつ進まねばならぬ。教化の順序得失は、最も意を用いて考究せねばならぬ。変移が「時」の持ち前とすれば、「時」が「教法流布の前後」と離れ得ざる関係有ることは、猶薬の進退が、病の経過と順序をつるべて行くようなものである。

 
4 国と序

 「国」の性質が教法の浅深前後を左右することは、その強弱によって差がある。国性の浅薄な国は、段々と国の精神たるべき宗教を退化して行く。国性の深刻なる国は、必要の遠い宗教までも、醇化し精化して行く。念仏でも真言でも、日本で出来たのは、要領を得ていて、『度が強い』、耶蘇教なども、今に日本的消化を経て立派なものに仕上げられるかも知れない。これは日本国性の然らしむる所である。要するに『おのれに都合の可いように教法の進退を促して行く』自衛作用のようなものである。

 5 宗教発展の各種場合                                「序」のトップ

 凡そ事物の流化行動は、その性の反発作用と、これに接する外界の誘致作用とに因るのである。『教法流布の順序』もまたその通りで、小乗の「有門」があまるに募ると、それに一種の弊が生じて、人心の奥底に自然に廓清すべき反発作用を起こして、今度はこれに反抗して「空宗」が起こった。しかし交鎖聯関の順序として、飛び離れたものでは功を為さない。故に空宗でも大乗の空宗でなく、小乗の空宗が発生した。則ち「毘曇有門」の反発に、同じ小乗教の「成実宗」が起こった。それからいよいよ両手に花と、空有二宗で美を競った結果、今度は、その量に於いて、やや先の思想では不足を感じてきた傾きがあるので、待ちかまえていた大乗論師が、得たりと大乗論を以て小乗を破したから、勢いは大乗の方へ移って、大乗全盛の時代を来した。ところが此の大乗でも、亦「有宗」と「空宗」との交代が、ほぼ小乗教の存亡のように行われて、『苦情付きのまま』で中国に渡った。

 要するに印度に於ける大乗論議は、中国に来て一層適切に成人したのである。天台が、龍樹と天親との調和を試みて、『おのおの一辺に拠る』と判じた調停は、高い議論の為に、低い争点が邪魔になるから、それを鎮撫しておいて、注意を新舞台の方へ引き寄せたものである。「華厳」の『三無差別』も、「涅槃」の『常住』も、それまで競りつめてきた処で『二乗作佛・久遠実成』という二大条件が成立しなければ、折角の三無差別も常住も、ついに亀毛兎角に帰してしまう。ここに於いて天台の『一念三千論』は、法華の『二乗作佛・久遠実成』を標榜してこの高きを以て彼の卑に足し、此の餘りを以て彼の欠陥を補充して、全如意珠を顕そうとかかった。これで一段落着いた。あとはこの完全明白なる天台の主張が、問題の中心となって、これに種々の疑問を挟み、剽窃を試み、加上を試みたりして、種々の教義論争が始まった。恰もその根底を叩いて、根こそぎ発達を促しべき、佛教流化の自然傾向である。

 そうこうする内に、舞台は日本に移されて、一大決戦は、伝教大師を中心として延暦二十一年というに、高雄寺において、桓武天皇の御前で、第二回の判決がついた。中国で決し得なかった「法相」「三論」「華厳」「天台」の優劣は、日本で定まったのである。これで又一段落である。今度はこの「天台」を欠陥なりとして立った「真言宗」が、一たび天台の正統をみだしたが、結局相並んで『時代後れ』のカビが生えたところから、そのあまりに高尚にして迂遠なるにあいた人心を機として「念仏宗」と「禅宗」とは、右から左からと勃興して、実際主義、端的主義で、民間的安心の需要を充たすべく取って代わった。教は卑くく理は浅いが、実は「念仏」と「禅」とは、佛教化導の両極を握って、すこぶる巧を極めたのである。化導からいえば「天台」「真言」に勝れ、教義からいえばこれに劣った。どちらとも決しがたい。而も勢力の偉大なるこの二宗の後に於いては、勢いさかのぼってこれを判決するものが入用である。けだし教法発展の順序からいえば、一方は博く一方は高く、一方は簡に一方は巧みに、おのおの其の極に達したのが末法の初めの五百年であるから、順序として今度は、高くて深くて大きくて簡易で巧みで、一切の美をあつめて大成した、得て名づくべからざる、どこからも口の入れられない、極めて正確な最も進歩した最も実際的な、絶対に勝れた大教法が出て来なければ、とても此の『あと始末』はつかないのである。

 若し此の始末が着かないと、佛教は、多量多能多端多義の為に、却って世に害を為すばかりのものとなってしまうのである。 最勝奇特の佛教は、佛教それ自身の特性として、自らの進歩発展を堅実に明徴にして行く妙作用を具している。時機が熟すれば秩序正しき順性発達を遂げるのである。既に伸びるだけ伸びた揚げ句はどうなるのかと言えば、それを纏めるのと、その正味の醇要を発揮するのが必要である。雨雪の後に快晴を要し、旱天に潤雨を要するが如く必要である。『必要の時に必要のものが生ずるのは天地自然の要求』というものである。佛教最後の発展は、果たして如何の状である。いうまでもない歴史が説明している。世界の中の日本、日本の中の鎌倉、混中の混、雑中の雑を極めた中に、尋常ならざる現れ方で現れた宗旨は、日蓮聖人創唱の「本化妙宗」ではないか。

 6 本化妙宗の興起                                 「序」のトップ

 病が盛んになって医薬を要するが如く、教法発生の感応上、その順序の必然として、「本化妙宗」は開宣せざるを得なくなった。たとえ『本化上行が末法に現れて法華経を説く』という事が経文に預言して無かったとしても、たれかこの点に気に着くものがあって、この紛乱を一匡すべく、不出世の教傑が出現して来なければならぬ場合に押し迫ったのである。果たしてこの大任務を負へる最高審判の裁決者は出現した。『裁決』が主で出たとすれば。その高妙深絶なる本化の教観は、所謂『裁決の法文』である。若し「本化妙宗」の大法を顕すための破邪裁決であるとすれば、此等の諸宗は、すべて本化出現の先序と謂うべきである。裁決しながら本意は顕れ、本意を顕すに付いて究竟の裁決は完成せられたのであって、『所謂破邪の当所に顕正し、顕正の当所に破邪する』のでる。然るに相手の方が素順序的に発生したものであるから、こちらも亦時に急なるものを先にし、緩なるものを後にし、浅きを先にし、深きを後にするという順序に運んで行かねばならぬ。

この順序としては

 第一に 諸宗を総すると伝えられたる叡山の法統を正すの議より始め
 第二に 正法開宣を国祖天照大神並びに国聖上宮皇太子に上奏し
 第三に 人間や国を相手にせずに正々堂々の儀式を以て、一天の精粋たる天日に向かって宗旨建立を宣言し
 第四に 国家の実際主権者たる時の執政に対して、元寇の国難を予言し、国家的諫言を提出して、先ず国害の眼前なる「禅宗」と「念仏宗」とを打撃し、因って以て公場の対決を要求し
 第五に 正法の威力を示さんが為に、一身すべて法華経の活現なることを現して、経文の予言を身に顕し
 第六に 経証身に具足し、『本化妙宗』たることを立証し得るを待って、佐渡に於いて大事の秘奥を開宣し、教相に『開目鈔』、観心に『本尊抄』、修行に『如説修行抄』を撰述し、閻浮同帰の本尊を顕発し
 第七に 鎌倉幕府の阿順的帰依を破して、一千町の寄附田と愛染堂別当職の栄爵をしりぞけ、約人の帰信を否定して、『国家的信伏』にあらざれば、真の宗教にあらざる趣を確示し、以て国教的洪範を萬世に垂れ
 第八に三諫聞かざるを機とし、退隠に托して、身延山に幽居し、萬年広布の基礎を開かん為め、教育及び著作に従事して、『永久国諫、未来立壇』の洪業を残して、『法脈相続、宗謨継承』の大命を、後世宗徒に欽命し、釈尊の故実を逐われて身延より丑寅にあたる池上において御入滅

以上の順序によりて、本化聖祖一代は、その自身を起点として遡って前来の佛法を始末するのと、退いて末法萬年未来の救済を垂れるのと、両向に光わたっているのである。『日蓮先駆けしたり若黨共二陣三陣つづいて迦葉阿難にも勝れ天台伝教にも超えよかし』の軍令に呼応して、末法の全期を通じて、いかなる宗教いかなる学説にも超過して、之を判じ之を開する全能力が建てられたのであるから、これを以て上は佛教の諸論議を終結し、下は一切世間の思想道徳等あらゆる人文現象に君臨して、「能滅衆生闇」の大利益を与えるべく、この壮大高妙なる「本化妙宗」は建てられたのである。

 巧妙精緻広大幽玄の極みをつくしたともいうべき、吾が国諸宗の興起流転した最後に於いて最終審判としての「本化妙宗」が現れることは、いかにも天然の順序の様である。『巧を見て拙を知る』『日出でて後の灯火なにかせん』の格で、総終結の役目を以て出た「本化妙宗」が斯く一たび顕れた上は、モー何の宗旨も出る必要がない。果たして本化開宗以来モハヤ一宗別立の新主張がどこからも起こらない。従来新宗勃興の例を年表的に観察してみると、おおむね百年も経つうちには、いくらもいくらも新しい宗旨が出てきて居る、処がその後七百年も経つが、ぱったりと出てない。

 各時代時代の宗門勃興の年代割の大略を見てみても、「本化妙宗」の開創までは、百年と新宗が起こらずに居たことがない、それが本化出現後、全く断たから不思議である。

 最後の決判者が出て、最終の審判を与えた後は、佛教化導の大勢も『判教定宗=先ず教相を判明してしかる後に宗旨を立てること』の綱格も、一言を挟むことの出来ないようになっているからである。ただたまたま破折を蒙った宗流の残党どもが、未練らしく死んだ子の年を数えて、時々同じことの宗論をくり返すだけのもので、教義としても、立脚地を失い、化導としても無効のものと解った今日、此等の諸宗は、潔くあらゆる宗団を解散して、釈尊の御前に懺悔しなければならぬのである。

 今に何かの動機で、日本一同はおろか、世界中残らず眼が醒めて、『一閻浮提の人ごとに有智無智を嫌わず一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱ふる』時が来るに相違ない。その時こそ此の日本国が世界の中心として、霊界の巨鎮たるべく、人類の大平和大光栄の神聖なる担保者として、世界中の人の一生に一度是非とも踏みに来なければならぬ『本門の大戒壇』が此の日本国に建てらるるのである。そうなって始めて日本の神国たることも、本化上行の特に応迹を此の国に垂れられたることも、天照大神の勅宣も、神武天皇の経営も、聖徳太子の大思想も、明治天皇の教育勅語というも、皆一時に満天の光を放って来るのである。故に本化の宗旨は順序としては「建立」と「流布」と「成就」との三つに次第しているのである。而して今は「流布」の時代である。六百年間は試験中とでもいうのであろう。「本化妙宗」のいかなる宗旨だかということが、世に少しも知れずにいたのは、げに不思議の一つである。蓋し『是から!』なのであろう。

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