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第10回 Baby Consuelo ![]() |
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生まれかわったら、スティーブ・ジョブズになりたいですか、そうですか。 僕ですか? この動画でデカいタンバリン(パンデイロ)叩いてるオッサンですね。 僕が20歳半ばで会社やめて、ブラジルを彷徨う事になったのはこの女、ベイビー・コンスエロのせいですよ。 お陰でもうイカレコレですよ。 五十路になっても、まだ書店の『地球の歩き方』コーナーを引っ掻き回してますが、ふと思いますよ。 生まれ変わっても、初めての海外旅行はブラジルやろなと。 「人生への期待感」と言いますかね。 この音楽にパンパンに詰まってるやつですね。 こういうのかかってる時は、いつ死んでもいいと思いますね。 目の前が真っ白になりますからね。 |
第9回 El Combo del Ayer ![]() |
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いやしくも、なにわの地に生を享けた者なら、いつの日か自らが結成するであろう漫才コンビの名と出囃子の ひと揃えくらいは、きっと胸に秘めているものだ。 私の出囃子なら、こうだ。 プエルトリコを代表する偉大なる音曲漫才トリオ、エル・グラン・コンボ の珠玉の定番ネタ『アカンガナ』! これである。 ほかに何がある。 ただし動画は、その黄金トリオが仲間割れして、コンビになった デル・アジェール である。 って、あかんがな! ちなみに『Acangana』はスペイン語で、ドッカーン!とかバチコーン!みたいな言葉らしいです。 さあ皆さんもご一緒に! アカンガナー!!! |
第8回 Hulkar Abdullayeva ![]() |
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欧米文化にうつつを抜かす若人に、ウズベクの明日を憂う老人が、イチャンカラの城郭から放つ悠久の 「Poka pok」リズム! 楽しい! うれしい! カッコいい! 2018年度の私的ヒットチャート第一位は、このフルカール姐さんの「パカパ」、もうダントツ! 勢い余って昨年末、初めてのウズベキスタンに行っちゃいました。 とにかく、動画通りの陽気で友好的な人々、何喰っても激ウマい飯、壮麗なまでに美しいイスラーム文化に、 ヒール・キャラのロシア・センスも混然一体となった、それは見どころ満点国家でした。 音楽的にはトルコのそれに似通いつつも、例のジットリした悲壮感がまるでなく、むしろカラカラに乾いて 騎馬民族的ハチロクノリ強めの、自分的に変にシックリくる音楽大国でありました。 それはこの現代感覚あふれるトラックを聴いていただくだけで、片鱗感じていただけるかと。 ウズベキスタン最高ですよ!(「世界のいい旅行」ご参照) |
第7回 Angelique Kidjo ![]() |
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故ジャイアント馬場氏は、アメリカデビューのプロモーションの際、ゲイシャ風の着物を着せられた上に、 路上でトラックをひかされ大変なトラウマになったと、モノの本で読んだことがある。(真偽は不明) アメリカ人の異文化理解に関するセンスの無さは別格としても、この91年リリース、ベナン出身のアンジェ リック・キジョの全仏デビューアルバムのPVにもまた(特段の差別感情は認められないものの)欧米ならで はのオリエンタリズム、わけのわからないアフリカ幻想に満ち満ちております。 でも、何でしょう。 そのプロダクションの誠実さ、完成度の高さが、これはこれでの異文化へのストレートな憧れとリスペクト を、感じさせるではないですか。 むしろゴッホらの『ジャポニズム』みたいなものとして、ベナンの人の誇りにもなりうるかという(?)感じ もします。 ネットの時代となって、そのあたりの機微も随分と変わりましたが、異文化への素朴な憧れだけは大切にした いと思いますし、そこに愛と敬意さえあれば、その受容や模倣を『剽窃』とばかりするのは、つまらない事だ と思います。 だって、文化は伝播することで姿を変え、それがゆえの今日の多様さじゃないですか。 いつだって、時代は過渡期ではないですか。 |
第6回 Mats/Morgan Band ![]() |
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識者によると、『AI』はいずれ、人間の能力のすべてをキャッチアップするのだそうです。 でも、自分は無理じゃないかと思ってます。 少なくともAIは、この中央のおっさんにだけは、追い付けないでしょう。 「このおっさんが食器と自らの四肢と顔面の痛打により、無限のリズムと音色からこのグルーヴを生み出す為に、 一体どれほどの情報処理の作業が、つまりプログラミングや学習が必要となると思ってるんだ」 と、バックを務めるマッツ&モルガンは理解しています。 そういう敬意を顔面に認めることができます。 まさに、生身の生き物という奇跡とそれを追えども果たせぬ科学という戯画を、この食器マンとみずからの精緻 極まりない演奏の対比をもって暗示しようとしているかのようです。 『宇宙人が来たら聴かせたい音楽』というのは自分がよく使うフレーズですが、まず彼らやメシューガといった スウェーデンの同時代ロックは、『20世紀時点での人類の最高記録』として献呈すべきものかと思ってます。 あと、カメルーンとかも。 |
第4回 Boukman Eksperyans ![]() |
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中国みたいな管理社会を旅していると、街中に「ビートの強い音楽」がまるで流れていない事に気付く。 音楽はそもそもハレの側の行為であり、多くの街頭での政治的行動も『ある種の音楽』とともにあるものだ。 強圧的な権力ほど、そういった音楽の不穏な側面に対し、敏感なのだろうと思う。 で、その『ある種の音楽』の最たるものが、ハイチのRARA音楽である。 硬質のハチロク・アンサンブルの上で、ヴァクシーヌなる竹筒が「ウッ・ドゥー・ウッ・ドゥー」と、牛蛙にも 似た咆哮を延々繰り返す、それはあまりにもナチュラルに不穏なトランス音楽である。 本来はイースター祭前日に演奏される折り目正しい祭礼音楽だそうだが、カーニバルなどでは市中で施しを受け つつ行進する演奏グループらが、しばしば法的レベルの紛争も巻き起こすという。 90年代前半、民選大統領のアリステッドをハイチ国外に追放した軍政に対し、反旗を翻したブークマンエクス ペリャンスはそのララ音楽をロック化したグループであり、その当時のPVがこれである。 ブードゥーの習俗を前面に押し出しながら、全面抵抗を呼びかけるシリアスな映像であるが、深く音楽と共にあ る身体の美しさ、そして意外なほどの表情の明るさ、何よりも音楽の脈うつようなバイタリティが素晴らしく、 一瞬として目が離せない。 レベルミュージックである以前に、純粋に音楽としての美しさが比類ない。 実は、彼らは来日をしている。 大阪の河内長野で観たそのパフォーマンスは、私の生涯No1のライブだ。 終演後に言葉を交わした彼らの、温かく芯の通った眼差しは忘れる事ができない。 しかしそんなハイチは、先般の地震により大統領府すらが倒壊し、今日もカオス状態と言う。 自分できるのは些少な募金くらいだが、心からハイチの平和を祈りたい。 ハイチに幸あれ。 |
第3回 Alkistis Protopsalti ![]() |
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筆者の大嫌いなもののひとつに、『都会的でちょっとオシャレなシュール・コント』というのがある。 というか、「そんなものは無い」と言いたいのを百歩譲って言っているのだが。 『シュール』というものが、いわゆる『ベタ』よりも貴くて都会的でオシャレだと、何となく思ってる事の 浅はかさ、田舎くささ自体にゲンナリするのだ。 シュールというものは別段、高尚でもなんでもなくて、ただヒトの先入観念の埒外にあるというだけの事だ。 というわけでギリシャの実力派歌手、アルキスティス・プロトプサルティさんのこのPV。 『走るおばはん』という”シュール”と、その実物の湛える気だるさという”リアリティ”の相克。 そして、『撃つおっさん』がまとう”殺人者”と”スターター”の両義性が相まって、素晴らしく含蓄のある 人情シュール劇場が展開している。 まさにギリシャという老成国家と、日本という退行国家の文化的な深みの差を突きつけられ、愕然となる。 この生半な論評を退ける、おそろしくムズムズする超現実ソープオペラを、是非ご堪能ください。 |
第2回 La Lupe ![]() |
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これぞフルスイング! フルスイングの美学だ! 嘴についたゴミをとりつつ、意味なく髪を掻き上げ、ヨダレぬぐい、それを手に揉みこみながら、 上まぶたを捲り、ピアノしばき、ボレロをこんな風に歌い上げるのは、ラ・ルーペ先生だけ。 ラ・ルーペ。 歌う野性!!! どうよ。 他人の視線に生きなければ、人生はこんなにも自由なの。 「上手く歌うことで必死」の歌唱などは、歌の模型である。 歌う人の本分は、こんな風に「変な気持になること」にある。 JBも、フレディも、島木譲二も、みんなそうだろ。 フルスイングする人は美しい。 |
第1回 Destan ![]() |
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いー!ひー!あひひひー!!! トルコのゼロ年代のコンテンポラリー民謡メタル・バンド、DESTAN。 この曲は、トルコの結婚式に歌い踊られるお祝いフォークダンスを熱くメタル化した、T・ロックの最高傑作 である。 自分はこのCDを買いに、わざわざイスタンブールにまで赴いたほどだ。 わが国の明治が、黒船の到来をもう少し軽く受け流せたらありえたかもしれない、『Possible演歌』とでも 呼びたいパラレル・ワールドにおける21世紀演歌(≒和製メタル)、その可能的一様態といえよう。 トルコのハルク音楽(フォークミュージック)特有の悲壮感が、グッとくるで。 「ジルベローイ・ナナイダー」の念仏みたいな韻とか、手毬歌みたいな旋法とかも。 今度ヤる時は、トルコと組みたいぜ! いー!ひー!あひひひー!!! |