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1000選

世界のいい音源 1000選

音楽鵜  いいポエム

【更新履歴】
■ ハイチ共和国 『Message / Skah-Shah #1』  2019/04/27
■ タイ王国 『Thai Elephant Orchestra』  2019/04/25
■ ロシア連邦 『Three Odes / Edward Artemiev』  2019/04/24

■ インドネシア共和国 『
Alubum Langgam Jawa Anoman Obong / Waldjinah』  2019/04/23
■ グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 『Deceit / This Heat』  2019/04/19
■ セネガル共和国 『Etoile 2000』  2019/04/19
■ イラン・イスラム共和国 『The Art of Piano / Morteja Mahjubi』  2019/04/18
■ ギネア共和国 『Kouyate Sory Kandia』  2019/04/17
■ 日本 『メシ喰うな! / INU』  2019/04/16
■ ブラジル連邦共和国 『Expresso 2222 / Gilberto Gil』  2019/04/15

本ページは
レコ&CDレビュー頁
『世界のいい音源
1000選』です

基本的に、20年前
のログの加筆
修正版です。
国名の下のリンク
から収録曲が
聴けますよ。
   
いい食物




第1回~第10回



Message / Skah-Shah #1


1978年作
  ハイチ共和国
 法と自由

この、中小企業の『慰安旅行の思ひ出』みたいな。
戦後まもない温泉旅館での記念写真みたいなジャケットに、20世紀ポピュラー音楽の伝説の裏番長と呼ぶべき
前衛ラテンサウンドが満載だなんて、天のアッラーもお気づきになるまい。

カリブの小国・ハイチ共和国を代表する、ダンス・ミュージック コンパ・ディレクト(ミニ・ジャズ)。
その人気オーケストラであるスカ・シャー・ナンバー1は70年代半ば、時の軍政を嫌い、米国NYへと転出。
彼の地で吸収した当時の最前線音楽、ジャズ・ファンク・サルサのマナーを以て、持ち前のコロコロの発酵性
グルーブの近代化に着手する。
そして本作こそは、その音楽的探究が臨界点に到達。
勢い余って、未曾有の超絶変態音響世界へと突入してしまった時期の、貴重なドキュメントである。

そもそもコンパの伝統リズムとは、カウベル&フロア・タムのコンビネーションを主とした、素朴な2ビート
であるが、本作において彼らは、すべての楽器がさも打楽器であるような『点描アレンジメント』を企て、弦・
管・鍵・打の機能を越えた汎楽器ポリリズムと呼ぶべき、異形のアンサンブルを作り上げてしまった。

最初に、オカズを除けばほぼハイハットしか叩かないドラム、そしてカウベルやコンガ等を受け持つパーカス
2名による謙虚な太鼓隊が存在するが、むしろコンパの核であるモタる2ビートを、ネッチリネッチリ、グルー
ブの底にねすり付けてゆくエレキベースこそが、リズムの主役といえようか。
これに絡むのが、ギター2&キーボード1のカッティング隊。
ときにミュートしたカッティング、ときに流麗なアルペジオ、ときにハジケる単弾き。
ミニマル・レベルでくんずほぐれつ、相互におぎない高めあう、当意即妙のアンサンブル。

これを聴いているだけで、まず35分飽きが来ない。
一体どこまでがキメで、どこからがアドリブなのか?
ヒトツの生命体のような有機感が充ち溢れている。

オケの花形ホーン隊は、バンマスのチャンシーのアルトを中心に、テナー1名、トロンボーン1名、ペット1名。
激しく上下し、ギクシャクと旋回する、16分音符だらけの複雑なテーマを、あるいは不意にやってくる各種の
ソロパートを、笑うような緩いテンションで難なく吹ききるそのテクは完璧の一言。
そして、ヴォーカルはハイチ音楽シーンを代表する名歌手クバーノと、J・M・stビクトルのダブルリード。
唄うはコンパ名物、一小節先は闇メロディ。
常に破綻寸前、フラフラと放浪するルートを感じさせない不安旋律を、旧フランス植民地ならではのノーブルさ
で、甘くロマンティックに唄い上げる。
かと思うと「ピーヨ、ピーヨ、ピーヨ」と不意をつく鳥のモノマネも炸裂。
まるで予断を許さない。
また、バックコーラス隊のどうしようもない、コーラスのアホ声も要注意だ。

以上、総勢13名による音符の闇鍋。
通常のロックアルバムからすれば、情報量が数百倍である。
クラッシック音楽が面の音楽、ジャズやロックが線の音楽であるとすれば、これは点の音楽といいたい。
明滅する無数のドットが刻々描きあげるコンポジション。
そんな音のデザイン画によるスライド・ショーと、表現するほかない。

多くの場合、音楽とは合奏である。
合奏には約束が必要だ。
しかし約束事ばかりでは、息苦しい。
これを大仰に表現するなら、法と自由の問題。
あらゆる人間集団につきまとう、古典的テーマといえる。

私はスカシャーのこの情報過多グルーブを聞くたびに、各人が活き活きとしてみずからの自由を享受しながら、
その放埓がすなわち秩序でもありうるような、ありえない理想社会の姿を夢見てしまう。
正味の話、リーダーのG・L・チャンシーは、このバンドにどんなアレンジを提示したのだろう?
この前後作がずっとまっとうな演奏であるだけに、その興味は尽きない。
カリブの貧しき小国が産み落とした変態ラテンジャズの傑作にして、20世紀音楽史の裏通りにそそり立つ永遠
の問題作。


Thai Elephant Orchestra


2003年作
 タイ王国
 象さん大好き

うわ、ホントにホントに、象さんだ!!!

PHRATHIDA(7歳・メス)、LUUK KHANG(7歳・メス)、LUUK KOB(6歳・オス)、
PHUMPUANG(17歳・メス)PHANGKHAWT(メス・18歳)、JOJO(9歳・メス)、
の6頭編成。
象さんと微笑みの国タイランドから、ローティーンをはるかに下回る異形のロリータポップ・バンド、衝撃の
登場である。

タイ・エレファント・オーケストラ。
彼らは、タイ象達のおかれた隷属的な労働環境に異を唱え、自ら楽器を手に職業ミュージシャンとして自活の
道を切り開いた、象世界のジャンヌダルク、革命戦士なのである。
というようなことは実際まったくなくて、CD解説文に「同じやらされるんだったらバンド屋の方が随分マシ
だろ」と嘯くディブ・ソルジャー氏こそが、本企画の影の黒幕なのである。

タイのエレファント・コンサベーション・センターに保護されている象さんの手に職をもたらすべく、オリジ
ナル楽器を自ら研究開発。
日々のハウスショーにおける客ウケを念頭にタイ古典音楽のスケールを採用したり、象さんの肉体的特徴を考
慮しながら、各楽器のプレイヤビリティを追求したのだというから、これはもう偉業である。
写真で見る限りはゴング類、あるいは鉄琴類をメインとした、象のガムラン楽団といった趣き。
しかしいざ出た音は、実にFMPレーベル的というか、そのままデレク・ベイリーとセッションして欲しいよう
な結果フリー・インプロヴィゼーション・ミュージックとなっている。

しかし人間のやるフリージャズには「自由への意志」と、最後の最後で捨てきれぬ「作品意識」というものの
変な相克があったりして、ある意味、逆に人間精神の地獄が凝縮されたような「こころの八つ裂き感」に満ち
てたりもするわけだが、本作に聴く象さんたちの演奏からはかえってプレイに対する真摯さばかりが迫り来て、
その音楽のぎこちなさ、たどたどしさに反比例して「音楽の全体感」が立ち込める。
幼稚園児の発表会のシュートさ。
イン・テンポをとろうとするひたむきさにすら涙する、という按配である。

前半の12曲は、散漫でおおらかな象さん流亜タイ古典音楽が続く。
しかし圧巻は後半部の7曲である。
とりわけ13曲目の、楽器を捨てた象さんたちによるアカペラ組曲、というか単なる休憩中の咆哮。
そして15曲目には、テルミンとシンセによる電脳ロック・チューンが炸裂。
まさにNYのSUICIDEもびっくりの暴虐フリー・パンク。
そして再び象さんたちによるオーケストラが挟まれて、ラス2曲目ではタイ人楽団による古典演奏がありながら、
最後はタイの児童による素朴な合唱、そしてミンナで拍手・・・といった涙の出るような良いエンディングが
用意されている。

いずれにせよ、動物界最強のベイビーフェイス、象さんの実直な魅力が満載の好盤。


Three Odes / Edward Artemiev


1987年作
 ロシア連邦
 一色

来るべき東京五輪はコンパクト・オリンピックであり、大東京様が招聘した都民ファーストのイベントらしい
ので、地方民のごときに口を挟むことはない。

ただである。
ただひとつだけ、「五輪マークはやっぱ5色なんちゃうの」っていうのは、言うときたい。
手ぬぐいの紺色使って「江戸の粋を表現してみました」とか言ってる、どこまでも内向きな極東根性が、誠に
処置なしだと思う。

ていうか、それ以前に、地味過ぎて単に「アガらない」のよね。
アガる/アガらないってのは重要よ。
スポーツイベントなんすよね。
人類の祭典なんすよね?

さて、そんな『ニッポンスゴイ五輪』からさかのぼる事、40年前。
ソビエト文化大学教授、ソビエト作曲家協会会長などを歴任し、タルコフスキーのサウンドトラック制作者
として国際的にも有名なロシアきっての大作曲家E・アルテミエフによる、モスクワ・オリンピックの大会
テーマ曲が、これ。

内臓えぐるかのような発動機ばりのシンセベースに誘われ、爆発的シンフォバンド・BOOMERANGによる
巨大母艦のような伴奏に、「ウオオ・ウオオ・スポオオオツ!」と強迫的なオスティナートが逆巻くその音像
は、ドラッグをウォッカに持ち替えたタンジェリン・ドリームといった赴き。
冷戦時代のソビエト連邦の国威を満天下に示すべく制作されたこの音楽は、J・ケージが言わなくとも私が
言おう、100%ファシズムの音楽である。
そこには五大陸の協和も、相互理解もヘチマもない。

社会的矯正装置としても機能しうるスポーツイズムと、社会主義的一元性の暴力が手に手をとって、微熱交じ
りの、きわめて息苦しいタイプのエネルギーを生み出しているのだ。
まあ東京五輪が『小粋な紺色一色』なら、モスクワ五輪は『赤一色』。
いつの時代も五輪なんて、内向きの独善ちょちょ舞い祭、なのかもしれません。(←スポーツ嫌い)


ALBUM LANGGAM JAWA
ANOMAN OBONG / WALDJINAH



1981年作
 インドネシア共和国
 新喜劇とワヤンクリット

TVなどでやってる歌舞伎中継を見てると、楽屋に正座したインタビュアーの、あまりの「良いものを見せて
頂いた」感に笑ってしまう。

歌舞伎って芸能ですよね。
そないに、有難いもんですかね。
かぶき者って、昔のヤンキーとかヤマンバ・ギャルですよね。
かぶき踊りも端的に言って、いわゆる風俗業界の発祥ですよね。
ものすごい変顔を、延々と見せつけてくれたりもしますよね。
そういうサービス精神として、笑いながら気楽に見たら、あかんのですかね。

伝統芸能も、大衆芸能も無いですよ。
新喜劇も300年ぐらいやって、台詞の意味がわからんようになったら、なんとなく神秘的に見え出して、国費
で保護されたりしますよ。

十代目・島木譲二が「おおさかあ めえぶつぅ~ ぱあちぃぱあちぃ ぱんちやぁ~」と大見栄切ったら、
「よっ、島木屋!」とか声飛びますよ。
「十代目のぱちぱちぱんちは、色気が違わあな。わかんねえ奴はモグリ」とか言い出しますよ。
そもそもたまごとニワトリで、同じものであって、花月が下で歌舞伎座が上って事はないです。
まあ、日本は素朴で無自覚な権威主義者ばっかりなんで、あんまり正論言うと嫌われますが。

で、インドネシアはジャワ島の名歌手、ワルジナーさんの珠玉のランガム・ジャワ集。
欧州音楽由来の楽器編成と楽曲構造をそなえ、公用語(インドネシア語)で歌われる国民音楽としてのクロン
チョン。
これがジャワの地において、ガムランの導入やジャワ語での歌唱など、再度の地方化をへて生まれたものが、
このランガム・ジャワなのだそうです。

要するに、これら 欧州(ポルトガル)音楽/クロンチョン/ランガムジャワ の三者は、戦後の日本においては
マージービート/GS/演歌、ジャマイカなら R&B/スカ/レゲエ の三者ような関係性にあるといえるでしょうか。
外来欧米音楽と、その反射的受容体、やがて土着化したローカルPOPS という三様態であります。

本作は、完璧な歌唱力と無量の母性をあわせもつ大歌手・ワルジーナさ んが、気心知れた楽団をバックに自家薬
籠中の楽曲をじっくり歌い上げた作品。
そのコクのある演奏が練られた編曲とあいまって、聴く者の心の結ぼれを解きほぐす、ある種の母胎回帰的作品
となっています。
ドデカく、そして、どこまでも安泰な作風であります。

とりわけ冒頭の「ANOMAN OBONG」が放つ、無礼講の感覚は強烈。
父母がいて、祖父母 がいて、子らがいて、孫もいて、家畜鳴いて、宴はじまり、老いも若きも舞い踊り、ご近所
さんまで紛れ込み、呑めや歌えやの大騒ぎとなったところで、家長がおもむろに一言 「これでいいのだ」と呟く
という、そんな肌にリアルなアジア的共同体の感覚が、音響のみによって表現されている。

あの天才バカボン的なええじゃないかの祝祭感、赤塚不二夫が無自覚のうちに描き、当時の日本人が生得的に
了解しえたような汎アジア的お祭り感覚が漲っているのです。
それは或いはヒンドゥー教や道教、神道等の諸宗教が共通項とする、おおらかな多神教アジアのデフォルト気分
なのかもしれません。
それゆえこの音楽には、芸能の本源としての、コミューナルな土性骨がある。
それはいうなれば、坂田利夫の「サカタ歩き」から吉田裕の「乳首ドリル」まで、吉本新喜劇のギャグ群を通底
する執拗低音にも似た、汎アジアの魂のグルーブなのであります。

芸能は血抜きされたらオシマイ。
額縁に入ったらオシマイですぜ。


Deceit / This Heat


1981年作
 グレートブリテン及び
    北アイルランド連合王国
 パンクとワールドの汽水域

今日では『ポスト・パンク』に分類されるようだが、結成は1976年と、実はパンクより古い。

英国のプログレ業界に飽いた敏腕ドラマーが、音楽マニアのHMV店長や、録音技師らと共に結成。
当時、ようやくレコ屋に届きはじめた非西洋系民俗音楽のインパクトをLM楽器により咀嚼しつつ、ひたすら
録音を続けたセッション音源から最良の瞬間を抽出。
これらの断片をテープ編集により楽曲化したものを、再び生演奏に附する事で血肉化をはかるという、独自の
方法論を以て、自らの表現マナーを伝統的なチャック・ベリーのそれから完膚なきまでに断絶しえた、ロック
史上初のバンドである。
だから『唯一のポスト・ロック』と、評されるべきなのだと思う。

能の幽玄とテレビCMの卑俗が、大量消費社会のド真ん中を渡る催眠的なベルトコンベア上に溶けあうような、
冒頭の『Sleep』。
「俺たちはみなローマ人 持てるものはすべて権力と化す」と、西欧思想の根幹にある攻撃性を歌う『S.P.
Q.R』。
壁掛け時計の音と、チャルメラと、何ものかの断末魔が静かに溶け合う、ディストピア的サウンドコラージュ
『Hi Baku Shyo』など・・・・

楽曲はアジア・中東・アフリカ風のポリリズムと独特の半音階系旋法が相俟った個性的なものであり、これに歌
われる歌詞の多くは、20世紀を席捲した西欧中心主義による政治的暴力と欺瞞に対する、自己批判だった。
そして当時、本作を極東の島でリアルタイムに受け止めた我々洋楽ファンは、戦時教育で育った父母の子として
ほぼ最後の世代であり、被害者としての日本のリアルを聞き知ると同時に、自らは戦後の左翼教育により加害者
としての自己認識を抱えていた。
だから、その中の生真面目な青少年の一部が、仇敵・アメリカの陽気なロックンロールショーにノレず、20世紀
で一番の悪党・イングランドにおいて過激な自己批判を続ける三人組にのめりこんだのも、必然といえた。
そこにネット以前の情報量不足や、知的未達がゆえの、大いなる幻想や誤解があったとしてもだ。

そして、15歳にこのアルバムを一聴して呆然となった自分は、その何年かのちにブラジルへ一人旅をし、世界
の音楽にのめり込むようになる。
初のロック体験が、ロック観光ツアー中止のお知らせであり、世界音楽の旅への格安チケットだったからと言え
よう。
恐らく自分と同年代の日本の初老は、かなりの数、みずからを「THIS HEAT 世代」と認識している。
ロック音楽と後のワールドミュージックブームの汽水域にあるバンドであり、すなわちそれは今の自分そのものだ
と思う。

さて、この空前絶後のバンドの歴史は、非音楽熟練者で、HMVの店長で、過激な音楽マニアで、芸術評論家だ
ったG・ウィリアムスのインドへの失踪と死亡で幕を閉じるが、間違いなく今後も21世紀の耳の鋭い若者達に、
末永く聴きつづけられるであろう。
なぜならTHIS HEAT とは、ひとつの時代の制約の中で、乏しい情報と機材と資本を、狂的な情熱で補いながら、
「やれる事をすべてやった」グループだからだ。
音の強度を裏打ちする批評性が、同時代の数多のバンドとは大違いなのだ。

ちなみにガレスを失ったバンドは、西洋中心主義も退潮しきった21世紀に再び、this is not this heat というすこぶる
DADAなバンドを再結成している。
確かにそれはディスヒートでない。


Etoile 2000


??年作
 セネガル共和国 
 命のエッジ

エグい作品だ。
こんなにも強く鼓膜を、心臓を叩く音楽はない。
正直、ツライ。
極東の子ネズミの様な、チンケな生きものの自分には、命のエッジが強すぎる。

何度、売り飛ばそうと思っただろう。
しかし、どうしたことか、手放せない。
そしてまた、気まぐれにプレイしてみては、謎の動悸に苦しむのだろう。

変なレコードだ。
いや、変なのはオレだろうか。
髪の毛が伸びる市松人形を祀ってる寺の住職の心境である。
事の重大さに、えも言われぬ使命感に捉えられ、手放すに手放せないのだ。

若き日のユッスー・ンドゥールが脱退した、エトワール・ドゥ・ダカール周辺のメンバーを寄せ集め、セネガ
ルのクラブのおっさんがデッチあげたバンドEtiile 2000(多分)による、ほとんど魔力をすら宿した超怪作。

強迫的にマトワリつく、速弾きファズギター。
ドラムがわりに、ひたすらにカウベル&リムを打つティンバレス。
不躾な録音レベルで乱入してくる、ボコボコのタマ(トーキングドラム)。
強烈なアタックで聞く者の脳波を乱す、超高音域ボーカル。

とにかくすべてが過剰で、ラフ。
塩辛とキムチと、くさやの干物がオカズなんだけど、ご飯はありませんという、ノド掻く感じ。
しかし、このリバーブの深い溜池から噴きあがる、百鬼夜行の雄たけびのような鮮血の音世界は、まさにアフ
リカにしか生まれ得なかった、オリジナルなハード・サイケといえる。

すべての一声、一打、ワンピッキングに「芯」がある。
明瞭な存在のオーラがある。
セネガル人の高圧の生命力が充填された、エグ味の爆弾のような音響作品。


The Art of Piano / Morteza Mahjubi


??年作
  イラン・イスラム共和国
 祈るように弾く

現代の都市生活者の24時間は、社会化されすぎている。

隣人を癌にする可能性が高いかもしれない・・・・可能性において喫煙は犯罪の如しだし、
地球を温暖化し
滅亡に導く可能性が高いかもしれない・・・・可能性において、いつしかこんな事やそんな事、
さらにはあん
な事までもが、許されなくなった。
いつ仮想通貨が暴落するかも知れないし、社用携帯が鳴るかも知れず、直下型大地震で死ぬるかもしれない。

そんなありとある社会的要請により、我々の精神はシャットダウンを許されず、寝床に至ってなおログオフの
まま、夢うつつを彷徨わねばならない。
そういうのが、日本の都市生活者の、平均的精神状況といえるであろう。

だから片時でもいい、違った時間を生きたい。
「音楽を聴くことで、日常と異なる時間を生きたい」と思ったとしても、“何とか坂フォーティー何とか”的
なものが、判で押した楽曲構造と声色とビジネスモデルで憩いを求める我々に、なおも社会参加を迫るのだ。
買えよ、働け、働け、買えよと。
ああ、こんな世の中イヤである。

さて、1900年生まれ、1965年没。
ペルシャ伝統音楽のピアニスト MORTEZA MAHJUBIによる、珠玉のソロ録音集。
プレイのごとに、我が部屋の空気が塗り替わる、一種異様な美をたたえた傑作だ。

まず本作の主役であるMorteza氏のピアノは、ペルシャ音楽固有の音律に基づき調律されている。
よってその印象は、西洋のピアノ音楽のそれとは随分違う。
残響少なく、コロコロパタパタと転がり、時には微分音特有のヨレのドライブが、清冽な音の奔流に翳りを
差したりもするその音楽の表情は、やはりサントゥールに近いといえる。

しかし本作品が我々にもたらす美学的異物感・酩酊感は、決してこのような音響的な次元や楽理上の説明に
尽くせるものではない。
むしろ、商取引で常時眼がギンギンの我ら21世紀日本のリスナーに、もっとも異様かつ蠱惑的に訴えかけ
てくるのは、Morteza氏の『祈るような演奏っぷり』、それ自体であろう。

なぜなら戦後生まれの日本人は大体、まともに祈る能力というものを、失い果てているからだ。

そのゆえに、この豊穣のニュアンスに満ちた音楽の禅定を十全に味わい尽くしたい貴兄には、風邪ひき
寝床で微熱とともにエンドレス・プレイ・・・・といったスタイルが、断然お勧めである。

実際に先ごろの冬、自分は病床でこの作品とともに、十時間もの半覚醒状態を過ごした。
これほどREM睡眠に障らない音楽を、かつて私は知らない。(リンクの曲はわりと派手だが)
冬の小児科の待合室で母の傍らに身をこごめ、カタカタいうストーブの物音を聴きながら、どこまでも水平
な精神状態の中へと溶けていく・・・
そんな幼少期の磨耗した記憶すら呼び覚ます、人の神経に直截な働きをなす、音の向精神薬。
超俗的ながらも人懐っこく、しめやかで耽美的。


Kouyate Sory Kandia


1970 年作
  ギネア共和国 
うぶ毛で識る歌 

つまるところ、歌い手は声さえ出てればいいのである。
ホンモノの声には、装飾的なフレージングがむしろ野暮に響くくらいの、シックな音楽性が宿る。
豊かな倍音やノイズそして歌うものの情動、生きざまから思想までを伴い、スコーンと聞き手の胸に届くだろう。

チカラある声。
肉声自体が持つチカラの行使。
歌い手の役割の大半は。実はここにあると思う。
声は脆弱なまま、技巧ばかりが耳に付く、あるいは感情表現ばかりがまとわりつく。
そんな小さい歌が発散する疎ましさは、本来的に魅力のない人からアノ手コノ手で口説かれる不快さと同様だ。

金払ってまで、歌い手の言い分など聴きたくない。
どこへ向かうでもなく、誰のためでもなく、ただ単にそこに生起する大いなるもの。
人を社会生活の袋小路から救い出し、確かななぐさみを与えるものとは、必ずそんな在り様のはずだ。

しかしながら、せせこましい町中で暮らしていると、デカい声が出せない。
デカイ声を聴く機会がない。
そうやって我々、21世紀日本人は、すっかりと声の力を忘れてしまった。
現場作業のオヤジか、野球部の少年だけに許されている、あの全身共鳴装置的おたけび。
むかえの商業ビルやマンションに跳ね返ってお釣りのくる、都市のコダマ。
何故かJ-POPSには、アレがない。

力のない分、誰もがアニメの声優となって、珍妙なキャラクター声を自慢げに披露している。
キャラ作りは手っ取り早い登録商標となり、迅速な商品の流通に寄与するが、しょせんは消耗品。
それらの歌が、僕らの実人生のど真ん中におどりこむことは、断じてない。
まあ、日本人はもはやそういった『被虐的な文化経験』の記憶をすら、無くしてしまったかのようだ。

さてアフリカ初の独立国家・ギネアが、西アフリカのポピュラーミュージックを牽引していたとされる時代の
大歌手、クヤーテ・ソリ・カンディアさんの歴史的録音。
ひとつの声が、交響楽のオーケストレイションにも匹敵する存在感とスケールを示し、これ以上ナニモノも要ら
ないと思わせるほどの充足感がある。
声が無限のニュアンスのスペクトラムを含んで、まるで大宇宙のようだ。
聴き手はこれをおのが小さき耳朶へと取り込むのでは決してなく、これへとドップリ全身を浸すのだ。

全身の産毛で識るような歌。
憧れます。


メシ喰うな! / INU


1981 年作
  日本
消えたリーダー 

自分は実年齢より若く見られる。
その人生において、成功体験がないからである。
子供の頃ファンだった南海ホークスは身売りし、継いだ家業は廃業し、バンドはずっとインディーである。
出世したことがないのだから、貫禄など備わるはずもない。

その以前に、生まれ育った大阪自体が、”敗者の町”である。
70年代くらいまでは上方とも呼ばれ、相応の敬意も払われたが、そののちの半世紀で"オーサカw"になった。
成功体験の無さの理由の何%かは、大阪に生まれた事にあったのかもしれない。

しかし、人は成功すると守るものができ、大変である。
かたや、敗者はいたって気楽だ。
良くも悪くも外野なので、好きな事が言える。
もともと粗野の者の扱いなので、少々乱暴なこと言っても許される、むしろ喜ばれる。
自分の”音楽鵜”や”ノボスナニワーノス”のフルスイング志向は、そういう敗者の気楽な立場に多くを負って
いるのだと思う。

町田町蔵は、そんな敗色の差しはじめた80年代大阪の、明日なきストリートカルチャーにおける、おらが町の
ローカルヒーローだった。
当時、我々・大阪のパンク少年たちは、その才能を松本人志にも比肩するものと秘かに畏れ崇めたが、誰ひとり
として「いずれ芥川賞にあずかろう」とは考えなかった。
なぜなら、我々はどこかで町蔵を、「我らが敗者の代表」と信じていたからだ。
実際、その輝かしい未来については、当の町蔵も予想していなかったはずだ。
町蔵はいわば「大阪」≒「負けINU」≒「Punk」という、悪い意味で居心地の良い安物のマットを、80年
代のクソガキたちに用意した。
そんな偽悪と、諧謔と、諦念のクサい寝床で、自分は今も昔も眠りこけているのだといえる。

  かつおの出汁とちりあくたにまみれ
  女のあそこに恋こがれて
  豆食って笑う

衆生の卑小さを、ひとことに言いつづめたこの一節に、自分は無意識裡に規定されたのだ。
ただし、ご本人だけはなぜかとっくに一丁あがってしまい、まるでM-1で「優勝してしまったとろサーモン」
のような所在なさを醸しながらも、元気にされているのではあるが。


Expresso 2222 / Gilberto Gil


1972 年作
  ブラジル連邦共和国 
 ブラジルの性器

カエターノ・ヴェローゾが「ブラジルの頭脳」の異名をとる一方で、好敵手ジルベルト・ジルは何と呼ばれ
るか。
「ブラジルの性器」らしい。
あまりといえばあまりな気もするが、これはジルの超越的な存在性を表現するものとして、ある意味妥当な
表現なのかもしれない。

目は半眼、口は半開き。
鼻の穴は大開きにして、ジルはいつでも世界と融通無碍である。
豊穣のブラジル産リズムの満ち引きの中、ジルの存在はほとんど大気中に泳ぎ出ている。
それはしばしば絶対自由の時間ですらある。

カエターノはこの世に生を享けてからブラジル音楽の産湯に浸かったが、ジルは母胎から自分の音楽持参で
生れたフシがある。
ブラジル音楽が女だとしたら、カエターノはそれを自分の窓の外に見出し、口説いたり時にいなしたりしな
がら自分色に染め上げようとする。
かたやジルはといえば、ほとんど母か姉の気安さでズィーと奥の間で、一緒にメシなんぞ喰ってる感じがす
るわけだ。

名曲「PALCO」(本作には未収録)のスタジオ録音は、一聴してアース・ウィンド&ファイヤーそのもの
だが、ライブ盤の弾き語りでは、ド・アフロなアフォシェーだったりする。
おそらくジルが聴くアースと、僕らの聴くアースはわけが違う。
我々はいつでも、ヘビーメタルでなく、レゲエでなく、サルサでも無い何ものかを画定しては、それを『ファ
ンクだ』と理解するが、ジルにとってのファンクは恐らくメタルにもレゲエにもサルサにも少しずつ似ている
音楽のひとつの顕れだ。
ファンキーなグルーヴのどこか一部を強めたりあるいは弱めたりすることで、ファンクは容易にマラカトゥ
であり、コーコであり、アフォシェーでもある。

ジルの音楽に名札は付かない。
要するに音楽はすべて、おんなじひとつである。
母胎から持参したジルの音楽とは、そういう無辺の広がりを持つものだと思う。

さて、ピファーノ楽団の田舎臭いファンファーレとなった、カエーの「PIPOCA MODERNA」を皮切りに、
ジャズ・ロック化し、はやグルーブの弾丸と化したォホーの名曲 「O CANTO DA EMA」、意表を突くジャ
ジーなボッサノーヴァとしての 「CHICLETE COM BANANA」といった、ジャンルの閥を軽々に踏み越え
ヒラヒラと舞い踊る楽曲群の、そのいちいちの非常識さといったらどうだろう。
その非常識さに相反する、ジルの平気で真顔な歌声は何なのだろう。

というわけで、当然オリジナル曲もハンパではきかない。
L・GORDINの鬼ギターを従え、軽やかに自分の空を飛びまくる「EXPRESSO 2222」、横山ホット・ブラ
ザーズばりの「ヨイトマッカ・コラサ・ヤカマカ・コーラサー」に魂の自由が煌く「O SONHO ACABOU」、
シタール風ギターに乗って「若者よ日本へ行け、アイヤ~アヤアア~」と逝って逝って逝きまくる、すこぶる
ヒッピーなORIENTE」まで。
全編に、無茶な音楽的冒険とメシ時の茶の間の寛ぎがまったり同居しながらも、目覚しい芸術的勝利がみる
みる実現されてしまうといった、いやこれはまことに、大変なことになっている種の作品である。


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