ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています    生きる(入院生活始まる) 

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2017年新緑 
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              四葉クローバー 生きる(入院生活始まる)

マーク 1) はじめに
     2017年2月初めより、体調を崩し、検査の日々が続きました。
  がんと診断され入院生活が3月より始まりました。年齢は、4月で81歳。
  自分の人生についていろいろと考えましたが、
  残された時間を如何に楽しく生きるか、自分の意思で生きることができるか、
  妻の協力を得ながら日々工夫しています。

   結論として「生きるとは、命の長短でなく、自分の意思で判断し、残される
  家族に明るい楽しい想い出を残すこと」と言う結論となりました。
  残された短い日々を家族と共に楽しく日々を過ごしたいとの思いで一杯です。
  

マーク 2) 医師との会話(がん告知)
    不思議なことにこの年になったお蔭か死について第三者的に冷静に考えることが
  できるようになりました。
   医師には、告知してくれるようにお願いし、診察を受けました。
  予想通り、腎臓・肺・胃に腫瘍があることを告知されました。
  冷静に受け止めることが出来「最悪後何年ですか」医師「6月か」私の顔を見ながら
  「元気そうで体力があるから1年か」と告知されました。
  何故か私も医師も笑いながらの会話でした。
  横にいた妻は、精神的に耐えることが大変だったと思います。

   「今後は、身体のことは全てお話し下さい」医師「判った」
  「最終的には自分の判断で治療方法決めたいから、ご指導お願いします」
  この会話後、治療が始まりました。落ち着いて幸せすら感じながら治療生活に
  取り組むことが出来ています。
  

マーク 3) 命ある限り挑戦を(意思ある限り)
    妻とも話し合った結論は、自分で判断できる、自分の意思で決定できる間は
  治療を続けたいと医師に伝えました。
  現状から判断するに本能的にまだまだ生きる力はあると自分で考えています。
  「半年、一年それ以上に生きてやる。絶対に生きる力はある」と判断しています。
  その間は、医師の指導を受けながら、妻と相談しながら治療を続けたいと
  考えています。
   私の考える命とは、自分の意思で判断して、行動が出来る間は生きていると
  思っています。
  その為にも大切なことは、
  「生きる目的を持ち、生きがいを持ち楽しい日々を送ること」考えています。
  その実行には、妻に多くのお世話になると思います。
  その点を認識することが大切で常に感謝の気持ちを忘れない事だと思っています。。
  また、楽しい想い出を沢山残すことが出来るように常に考えて行動しようと
  考えています。
  
マーク  
4) 素直なこころ
   告知された当初は、内心びっくりと何故と言う気持ちがこころに広がりました。
  特に夜、目覚めたとき、一人で居る時等は寂しさと不安感がこころを占めて
  孤独感も出てきましたが、妻の励ましの言葉が薬となりました。
  81歳ともなり、健康体でも指折り勘定できる命。がんと言われても残された
  生命と多くは変わらない。それであれば、ジタバタせずに一生懸命に治療し、
  医師の半年・一年を必ず乗り越えて頑張って生きようとこころに決めました。

   他人から見れば小さなことでも自分の目的を持ち、
  それらを一つ一つクリアする努力をし、それを生きがいとして日々を楽しく
  生きることとこころに決め、妻にもお願いしました。
  私より、妻の方が大変なことと思います。
   このような悩みは直ぐに解消しました。主治医が、交代したことにより、
  新しい主治医との会話が(2)のように冷静な会話ができるようになりました。
 

マーク 5) 入院生活
   3月より入院生活が始まりました。最初の1週間は、検査の連続。
  この1週間が最も苦しく大変でした。
  部屋は4人部屋(無料)ですが、カーテンに仕切られた狭い空間。この生活に
  馴れるまでの苦労は大変なものでした。

   しかし、看護師さん達の優しさとこころ遣いに本当に救われました。
  今まで老人ホームへは多く出入してきましたが、
  看護師と介護士の違いが目につきました。何が違うのでしょうか。
  それは一人一人のプライドの差と組織的な動きの差が出ているように思います。

   入院中にもう一つ気づいたことは、入院患者の言葉です。
  「有難う」の言葉が満ち溢れていました。病院では、患者自身が意思のはっきりと
  している人が多いからと思いますが、老人ホームでも家族がもう少し「有難う」の
  言葉を口にして欲しいものと思います。

   入院生活では、看護師さんの気遣いと規則正しい職務態度に本当に救われました。
  入院中は、毎日栄養食を持って妻が面会に来てくれました。その待ちどうしいこと。
   抗がん剤投与による抜け毛、気力減退、体重減少等などに当初は苦しみました。
  第一クール終了後は、それも少なく比較的に楽となり、いろいろと考えるように
  なりました。外出も許可がでて、帰宅することもでき楽しい日々を送ることが
  出来ています。
   医師の回診が、数回ありそれらも私には安心感となり、落ち着きが出始めました。
  がんと戦う気力も出てきました。
   入院生活中に多くの方々の優しい言葉には治療に対する勇気をプレゼントして
  頂きました。特にがんを乗り越えた方、がんでご主人を亡くされた方の自然な
  言葉にはこころに沁み込んできました。

   
6)これから
   終りのない病気との付き合い生活が続くと思います。
  肉体的にも精神的にも大変な時が必ずやってくることでしょう。
  その場合でも決して笑顔を忘れないように明るく日々を過ごしたいと考えていますが、
  出来るでしょうか。
  元気な時の冗談として「認知症になって大暴れして死んでやる」などと妻に
  冗談で話していましたが、
  今は冗談でもそのような言葉を使うことが出来なくなりました。
  それは健康の有難さでしょうか。

   治療に関しては、あくまで自分が主役となり、妻の協力を得て、
  医師の指導と治療を受けながら、最後の最後まで自分自身を生きぬたいとこころ
  に決めてます。
  最後は、きれいに、妻が、生活に困らないように、親族・友達や多くの人々に
  素晴らしい思い出を残して逝きたいものです。定かではありませんが・・・。

  
7)第三者的な思考
   がんと告知されてもされなくとも、81歳にもなればいずれにしても
  指折り数えることが出来る年数しか残されていないと思っています。
  その少ない年月を悔いのない日々として過ごしたいと思っています。

   不思議にもがんを告知されても自分のことでなく、第三者的に受け止めている
  ような気持ちで話を聴いていました。(一夜悩みましたが)
  医師との会話も妻との会話も自分の事ではなく、冷静に他人の事のように受け
  「余命のこと」「治療することとしないこと」本当に他人事のような気持ちで
  話を進めていたようです。医師も私も笑いながら病について、余命について
  話し合っていました。自分の生死について話し合っているにも関わらず・・・。
 
   自分の結論として、自分で判断できる間は治療に専念し、あらゆる治療を
  試してみたい旨、医師に伝えました。
  がんでなくとも高齢期になり、常に死に向かっていることは否定できません。
  常に冷静に大きな目で自分を眺めながら治療に専念したいと考えています。

   残された仕事は、自分が亡き後に妻が日々充実した生活を営むことが出来る
  ように準備を怠りなく実行しておくことだと考えています。
   生ある限り力一杯に生き続けたいとがんと告知された今こそ考えています。 
  今が本当に幸せな時期とも思っています。

                        シニア ライフ アドバイザー
                               岡島 貞雄


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