水神神社にまつわる河童の話 【そのU】
昔、五島町の乙名(おとな・町役人)の家の台所で、女中さんが夕食の用意をしていると、河童がやってきては、すきを見て料理中の魚を取ったり尻をつついたり、なでたりするので、とうとう怒った女中さんが、その河童の手を包丁で切り落としてしまった。
すると、夜毎裏口から河童がしょんぽりとした姿で手を返してくれと訴えた。そこで、乙名は、「今後、決して悪戯はしません」という詫証文を書かせて、手を返してやった。
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だが、その文字が河童文字でよく読めず、水神神社に持ってきて神官に読んでもらい、そのまま奉納したということである。
このことは、文政年間に書かれた、「長崎名勝図絵」にも記されている。
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現神官の渋江さんは13代目である。いつの頃からかは不明であるが、河童文字の印鑑が伝えられている。 文字は判読できないが、この印鑑は現在でも神札(おふだ)や書状を出す時に使用されている。
河童文字の印鑑
(渋江郁子氏の話、「長崎市史」・「長崎名勝図絵」・「長崎の民話」〔未来社〕を参考)
<長崎県教育研究 NO371 56年10月発行より>
<「ふるさとの民話・伝説 長崎大学教育学部附属中学校教頭 久富和幸著」>
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水神神社には、「黒札」と呼ばれている「お守りふだ」が、伝わっています。 右の写真が黒札で、約14cm×2cmの紙札で、「お守り」の中にいれます。
黒札に押されている印が、河童文字です。⇒波佐見の水神宮にも、「お守りふだ」が、伝わっています。
⇒福岡県久留米市瀬の下町の水天宮のお守りは、「ひょうたん」です。
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