むかし、宮村(みやむら)川には、がわとんぼが多く住んでいて、梅雨どきから秋の彼岸(ひがん)にかけて、子供の尻子玉(しりこだま)をとり、川に引きこんでいました。
今日は、吾作さんの子供、おとといは、太郎作さんの女の子が、がわとんぼにやられたと聞くと、いつかは、自分の子どもの番ではないかと、おそれ悲しみました。村人は、波佐見(はさみ)村の渋江さまの所へ、子供達を助けてくださるよう頼みに行きました。渋江さまは、水神(すいじん)さまの神主で、がわとんぼの元締(もとじめ)でした。
宮村川の写真 がわとんぼは、大昔、人間のへそを取って食糧としていました。そこへ、夕立雲に乗った雷が通りかかり、大層怒って
「お前たちは、誰の許しを受けて、人間のへそを食べてるのか。人間のへそは、雷の食糧だ。もし取ったなら、がわとんぼをみな殺しにするぞ。」
と、いいました。がわとんぼは、恐れ入って
「雷さま、そうしたら、私たちは、何を食べたらよいでしょうか。」
と、たずねました。すると、雷は、すこし考えていいました。
「お前たちは、カエルのへそを食べたらよかろう。」それから、カエルのへそはがわとんぼが取ったので、カエルにはへそがなくなってしまいました。それから、がわとんぼは、人間のへそも取ることができず、カエルのへそはなくなってしまったので人間の尻子玉を取ってくらしていました。
石仏(かっぱ石)・後が宮小学校 村人のたのみを聞いて、渋江さまは、二本の大きな石塔をたて、がわとんぼを、石塔のまわりに集めて、大きな釜でグツグツ煮た固い青竹を皿にのせて、がわとんぼに出しました。固くて食べられません。渋江さまの皿には、やわらかい筍(たけのこ)が盛ってあり、おいしそうにポリポリお食べになりました。がわとんぼたちは、「さすが渋江さまはすごい、かたい竹をよく食べておられる。えらい水神さまだ。」と感心しました。
すると、
「がわとんぼたち、お前たちは、人間の尻子玉を取りすぎている。しばらく、取るのをやめよ、この二本の石塔がくさるまで、がまんして取ってはならぬ。」
と、渋江さまが、話されました。がわとんぼたちは、おそれいって
「二本の石塔も、そうながくしないでくされるだろう。石のくさるまでのしんぼうだ。」
と、かたく約束し、それからは、子供たちの尻子玉を取ることは、なくなりました。村人は、この石塔を石仏さまといって、だいじにしているそうです。<ふるさと昔ばなし 佐世保市教育委員会・佐世保市立図書館 昭和63年3月発行より>
(注)石仏は、「長競石(ながきそいし)」ともよばれています。
「永正(1504〜1521)のころ、宮村地頭の子の宮村悪四郎(みやむらあくしろう)が、身長が高くて力が強かったことを、後世に残そうとして、奥山(おくやま)から この二つの石を脇にはさんで、運んできたもの」とも、伝えられています。
なお「悪」の字は、強い人の名につけたものです。
⇒長崎市本河内町に、水神神社があり、同じような民話が伝わっています。
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