河童と飴(あめ)   壱岐島昔話集 山口麻太郎著より (壱岐郷の浦町) 
昔、あるところに、一人の狩人がいました。その嫁さんが初の妊娠をして、狩人が 山に猟に出た留守に、子供を産みました。それは立派な男の子でありました。

 狩人は猟に日を暮らして帰って来ますと、先から大勢の話声が近付いて来ます。こんな山の中を誰だろう、とあやしみながらそっと木のかげに身をよけました。
じつとその話に耳を傾けていますと、今日のどこそこの初産は、安産ではあったが、いがの初声(注1)に、十三の春に川のものから命をとられると云う事をいった。かわいそうな事だと話し合っています。

青芽作 河童
青芽(中村信夫)作

よく考へ合せて見ますと、どうもそれは自分の女房のお産の事で、八百萬(やおよろずの神々(注2)がその産の家からの帰途らしいのです。家に帰って見ますと、はたして女房は立派な男の子を産んでいました。しかし狩人は喜ぶ気になりません。それでも妻にも語らす、じつと自分一人の胸に思いひめていました。
子供は何の障(さわ)りもなく、のぴのぴと成長して、十三の年を迎へました。狩人の心配はいよいよ慕って来ました。

その年の春のある日、子供が川に魚釣りに行くといい出しました。いよいよその時期が来たのかと、狩人は考へましたが、それがこの子の運命である、と思へばどうする事も出来ず、弁当を作ってやりました。
弁当のおにぎりの上に、(あめ)をのせて持たせました。

青芽作 河童
青芽(中村信夫・長崎市十人町)作

 子供が川辺に行って釣を垂れていますと、はたして川のものが友達に化けて出て来ました。やがて昼食の時刻となりましたので、二人は川辺の草をしいて、弁当を開きました。
まず子供の御飯の上に載せてあった飴を、二人は食いはじめました。ですから急には食えません。あんぎりあんぎり噛んでいました。飴を食い終わって、お化の友達がいいました。

「じつは自分は、この川の河童で、今日はお前の命をとりに来たのだが、飴食いに思はぬ時間を取られて、お日様が松葉一本だけ行き過ぎられた。そのためにもうお前の命をとるわけに行かなくなった」といって消えました。
それからこの子供は何の支障も無く成長して、長寿をしたという事であります。

(波良村 米田安雄 さん)

注(1) 子供は生れ落ちた最初の泣声に、自分の一生の運命を物語るものだという。
注(2) 子供が生れる時には雪隠(せっちん・便所のこと)の神、箒(ほうき)の神、山の神その他世のあらゆ神々達が集って来られるという。

<壱岐島昔話集 山口麻太郎著 郷土研究社 昭和10年6月発行より>
(現代かな・漢字に修正し、ふりがなを入れました。)

⇒北松浦郡世知原町にも、同じような話が伝わっています。
  ガワッパとチマキダンゴ
  ガワッパとカシワダンゴ

⇒鹿児島の大隅地方にも、ちまきを「男むすび」と「ひっかけむすび」する、同じ河童の話が伝わっています。

⇒1998/9/15 NHK福岡放送局から、「筑前民話、語り部(べ)の四季・蒲原(かもはら)タツエの世界」が放映されました。
 蒲原さんは佐賀県塩田町にお住まいですが、その中でちまきを「男結び」と「女結び(花結び)」する、同じような河童の話が紹介されました。

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