October,2006

ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)

オックスフォードを出発したバスは、エイヴォン川(Riv.Avon)を渡り、ウィリアム・シェイクスピアの故郷のストラトフォードに入ってきました。
ストラトフォード
の街並みは、チューダー朝(16世紀頃)時代の建築様式で、急勾配の切妻屋根と柱・梁などの骨組みを外に出したハーフティンバー造りを特徴としています。

エイヴォン川の写真1

エイヴォン川の写真2


シェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace)

シェイクスピアの生家の写真1

ヘンリーストリート(Henly St.)にある生家には、隣接するシェイクスピアセンターから、中庭を通りぬけ、入るようになっています。
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)が生まれたとされる部屋も再現されています。


シェイクスピアの生家の写真3

16世紀半ば、父ジョンはこの家を、住居と手袋商人として店舗を兼ねて購入したそうです。当時、手袋は裕福な階級の人たちが使用するため、ウィリアムが生まれたころのジョンは、商人として成功していたとのこと。



ヘンリーストリートのはずれに立っているのは、『お気に召すまま (As You Like It)』に出てくる道化師タッチストン(Touchstone)の銅像です。

タッチストンの銅像の写真

ヘンリーストリートの写真1

ヘンリーストリートの写真2


ハイストリート(High St.)にある正面に彫刻装飾が施されたハーヴァード・ハウス(Harvard House)は、シェークスピアの時代には、肉屋の家族が暮らしていた家で、その子孫の一人ジョン・ハーヴァードがアメリカで最も有名な大学を創設したとのこと。
この建物は現在は同大学に寄贈されているらしく、正面に星条旗がかかげてありました。
隣接するガーリックイン(The Garrick Inn)は、ストラトフォードで最古のパブで、14世紀までさかのぼることができます。


ナッシュの家の写真

ナッシュの家(Nash's House)

チャペル・ストリート(Chapel St.)に建つナッシュの家はシェイクスピアの孫娘が最初の夫トマス・ナッシュと暮らしたところです。
現存しませんが、隣接するニュー・プレイスは、当時この町で最も美しい家だと考えられていて、ロンドンで富と名声を得たシェイクスピアは、隠退後、それを購入し、ここで生涯を終えます。


ニュープレイスの写真

ニュープレイス(New Place)

ニュープレイスは、18世紀に、ひっきりなしに訪れる見学者に腹を立てた所有者が取り壊してしまったとのこと。
跡地は庭園になっています。


ギルド教会(Guild Chapel)

ニュープレイスと道を挟んでギルド教会があります。
15世紀の半ばに、このギルド教会とニュープレイスは、絹物商人として財を築いたヒュー・クロプトンが、生まれ故郷のこの地に戻って建てたものだそうです。
斜め向かいにあるファルコンホテルの3階部分は17世紀に増築されたそうです。


ギルト教会の写真1

ギルト教会の写真2

ファルコンホテルの写真


シェイクスピア・グラマースクール(Shakespeare Grammer School)

シェイクスピアが通ったグラマースクールは、裕福な家庭の子息が通う学校のため、当時のストラトフォードでは最高の教育が受けられたそうです。


グラマースクーの写真

シェイクスピアが学んだとされる2階の教室が今も残されています。
階下はギルドホールになっていて、夏になると巡業で訪れた劇団の公演が行われていたとのこと。


アン・ハサウェイの家(Anne Hathaway's Cottage)

アン・ハサウェイの写真

郊外に、シェイクスピアの妻アン・ハサウェイが結婚前まで過ごしていた家があります。
シェイクスピアも座っていただろう暖炉の前の長椅子に座らせてもらいました。
イギリスで一番美しい茅葺き屋根の家と言われているそうです。


シェイクスピア樹木園には、劇に登場するほとんどすべての木が植えられているそうです。


の写真

の写真

道路が渋滞したこともあり、予定に入っていたコッツウォルズは、バスで通過するだけとなり、予約した日本の旅行代理店で説明されたアフタヌーンティーも、ガイドの方に聞いてみると、元からついていない状態でした。
バスがロンドン市内まで戻ると、夕食をとるため、ルートの途中で降ろしてもらいました。


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