川中の石灰岩
川中の木
川の景色
向之倉橋付近
芹谷分校
後谷分校(芹霊より)
桃原学校道橋
ここに芹谷分校があった
ここに後谷分校があった
芹川甲頭倉付近
屏風岩秋
屏風岩
新着情報
- 2013/01/27
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向之倉橋下流は石灰岩の大岩が芹川の絶景ポイントを創っています。小さな川中洲に生えた灌木も四季折々に変化して・・・芹川の中で、一番好きなところです。私のお薦め名園です。
さらに下流、大きく流れと道路がカーブする所にかって芹谷分校がありました。芹谷十四ヵ村の子供たちが通った「懐かしい山の分校」は取り壊され、残土置き場や道路になってしまいました。ダムで水没する予定だったためです。
新知事の方針でダムは中止となりましたが、取り壊された分校は戻りません。存在すれば芹谷村唯一の象徴になったものを…惜しまれます。
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さらに下流、鉄骨の橋(桃原学校道)近くの空き地は後谷領で、ここは小学校の分校があって、後谷分校と呼ばれていました。役場や郵便局もあり芹谷の中心でした。今は廃棄物置き場と少しの空き地、校舎があったとは思えない。
もう少し下流から上流に向かって山を見ると屏風岩が見えます。ロッククライミングの隠れた人気とか。休日には取りついている人が見えるかも。
山村今昔
- 芹川に沿って学校や村役場や郵便局がありました。芹谷の官庁街?だったところも残土置き場や、拡張道路に組み込まれてその面影もありません。こんな狭い敷地に学校があったなんて信じてもらえないでしょう。でも何百人が卒業した芹谷分校が、かって存在していた。入学式があり運動会があり学芸会があったのです。
- 僻地=不便と想われる山村も戦国時代には美濃、伊勢からの脇街道、あるいは領国を守る砦としての山城を支える城下村として賑わいを見せたことがありました。山伝いに中山道や番場の鎌刃城にも出ることができ『歩きの交通時代』にはかえって近道だったかも。便利な『車の時代』に山村は見捨てられ存在すら忘れられようとしていますが『多賀の隠れ山郷』は記憶喪失の現代人の心の故郷になるとおもいます