大年神社D
岩神様由来覚え書き 慶長5年の秋 桑山相模ノ守紀伊ノ国名草郡貴志荘梅原
東端の此の地に大歳明神社を再興せり。当時 土地の住民に疫病或は瞳の眼疾に
苦しむ者多かりしが、一夜時の神官田村氏の夢枕に大いなる岩神が現れ霊験を告ぐ。
神官 早々に社前に鎮座せし大岩を貴志ノ荘栄谷、中村、梅原、中野、向村、北土入、
西土入の岩神として祀神せしところ荘内に蔓延せし悪疫病は旬日を経ずして快癒の
効験あらわる。爾来 住民より悪疫克服と瞳の守護神として崇められ今に伝えられし
ものなり。
この岩の表面には、虫食い穴の様な凹部が見られる。この辺は、少なくとも10世紀頃までは「紀ノ川河口」であったと推定され、「縄文海進」により 「水面が現在より数メ−トル
高かった」と思われる。このため、現和歌山市の平地のほとんどは海面下に入ってしまう。
恐らくこの岩当たりが「波打ち際」あたりで、境内の大岩「岩神さん」に海寿噛食の痕跡がみられる。地名もまたキシである。
また、この岩は、神功皇后(第14代「仲哀天皇」の后:気長足姫尊:おくながたらしひめ)が 船を繋いだとも言われ、「船繋ぎ岩」と伝えられている。
【1】大年神社
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