大年神社の正面の鳥居@ 
大年神社の正面の鳥居@

栄谷、中、梅原、向、中野、北・西土入の旧貴志荘六ケ村の産土神 (生まれた土地の守護神)として親しまれてきた。大歳神社は、須佐之男尊(すさのおのみこと)の御子 で、穀物に大いなる功をおさめ、故に大歳神社と言う。紀伊国社名帳によれば「従五位下大歳神」とある。 当神社の鎮座の始めは詳らかでない。

大歳神(おおとしのかみ):「古事記」によれば、須佐之男尊が大山津見神の娘:神大市比売(かむおおいちひめ)を娶り、生ませた神で、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とは同庖神である。名義については、本居宣長は「古事記伝」に「大は例の称へ名、年は田寄(たよし)なり、多余(たよ)を切(つづ)めて登(と)なる。・・・・・・・・・登志(とし)とは穀のことなり、その神の御霊を以て田に成して、天皇に奇賜府ゆえに去り、田より寄すと云こころいて、穀とはしふなり」と述べている。「トシ」とは本来穀物のみのりの義であり、1回の収穫を得るためには1ヶ年の時間を要することから、四季の一巡する期間をも「トシ」と称する。従って、大年神(おおとしかみ)とは、穀物、特には稲の生育・成熟の霊験を象徴した神名であって、宇迦之御魂神が同庖神であるのも、こうした神格の現れであろう。「延期式神明帳」には、山城国乙訓郡、大和国高市郡(二座)、和泉国大鳥郡、遠江国長上郡、但馬国二方郡、石見国那賀郡の計七座の大年神が記載されている。現在でも、この社名を有する神社は中部日本以西に広く分布しており、東日本には比較的少ない。

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