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上田假奈代
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季節の言葉・バックナンバー

上田假奈代プロフィール

1969年12月1日奈良県吉野生まれ AB型
3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。
17歳のときにNHK「YOU」「土曜倶楽部」出演。
1995年より、シタゴコロプロジェクト主宰。
2000年より、トイレ連込み朗読プロジェクト実施。
2001年より大阪市立文化事業実行委員会発行「カルチャーポケットC/P」に「詩人の回転レシーブ」連載。
同年より、イベントアイサイトで熱き血潮のコラム連載中。www.event-eye.com
同年、シタゴコロプロジェクト名誉会長に。
2002年、上田假奈代事務所APMをたちあげる。
2003年「あなたの上にも同じ空が」朗読CDをリリース
2006年 世界を旅する写真家・森善之と共に詩写真集「うた」を世界同時発売!著者:森善之、上田假奈代、AD:木村泰子


はっとりさんの2009年をうつす

おたまじゃくしのしっぽがゆれる
水のしたは いま
おだやかだ

少年野球のこどもたちの歓声がきこえる

何匹もの黒いしっぽが
おだやかな水をゆらしている

いつも 水は ふるえる


夕焼けていく岩倉の
陽が沈めば ひんやりと
気温をおとす 山のしたで
シチューのにおい
換気扇からあふれさせて
今日も肉屋に電話する

キロ キロ キロ キロと
虫も鳴く

地下鉄から降りた人たちが
土手の階段を通って
シチューのあたたかなにおいをかぐ

深夜になると 結露した
煉瓦の窓に水が眠る

あした 窓をあけるひとは
まだ ボールを追いかけるこどもたちのことを
おもって マックの画面をみつめている
野球帽のこどもたちが もうすぐ卒業する とか
試合に勝った とか 負けた とか

夜の水は 誰かのことをおもって
しずかに ふるえる


山をのぼる

仕事で山にのぼることになった
山に詳しい人が指示書をだしてくれたので
その通りに準備をすすめればいい

歩きやすい靴
お弁当 水筒 タオル 帽子 
着替え 雨合羽 チョコレート 
リュックサックにつめて

寝坊しないように目覚ましをかけて
出勤するようないつも通りの気持ちと 
でも わくわくした気持ちもあって

40分ほど電車に乗って
見知らぬ駅で降りる

祭りの稽古をしている神社の脇から
山にはいっていく
張り紙は「イノブタ注意」

空気がしんと降り積もっている
木々と水と土のにおいだ
汗がぼとぼととしたたり落ちてくる

手をふって歩く
呼吸の音が響く
足をあげなければ進まないから

排水溝から出られなくなった
うり坊を助け
ときどき休憩をしながら お弁当の時間を
楽しみにして のぼる

広場の木の影に腰をおろし
わあーと お弁当を広げる
おいしい おいしい

寝ころんで空をみあげ
赤とんぼを目で追いかけ
汗がひいていくのを感じる

こんどは 山をくだる
膝ががくがくするほど急な下り坂
谷間の川の音をきく

そして 足をひきずるようにして
下山すると 銭湯にむかい
ぽちゃ と湯船に身をしずめた

山はもう遠く背後にある

見慣れた都会の駅前の景色が広がっているが
みんなで早い時間の夕ご飯を食べながら
あの道はどうだった と話す

いちにちの過ごし方が 山をのぼる 
というのも とてもいいな と思った


風のにおいが変わったときに

仕事帰りの夜の空
街路樹の葉が電球に照らされて
さんざめく
風のにおいが変わって
気がつくと もう春がおわっている
よく働いたな 

身辺のあわただしい季節だから
抜け殻のような身体になった気がして
ふりかえるが 
抜け殻がふりかえったところで 何も見えない

月が遠くにみえる深夜の都会には 
そぞろ歩いている人がおおい
犬や自転車も通りすぎていく

月がかたむく
人々は行くあてもなく 抜け殻をさがしているようだ
犬は何のにおいを嗅いでいるのだろうか

季節のにおいは風にのって運ばれる

本のページをめくるように
ときにはページを読みもどるようにして
風が季節のページをめくる

もし 人生が一冊の本だとすれば
ページをめくるのは風だ

自分でめくったつもりでいるが
ひとりではページはめくれない
人生の本を吹き抜けている風が
季節を携えて 通り過ぎていくのだ

風のにおいが変わって
また季節がうつりゆく

目に見えない抜け殻が 栞のように
ぺったんこになっていくと思うのだ
だから 本には思い出の風のにおいがする


おなじ空が、

都会に暮らし 窓のない部屋で仕事をしていると
ゆっくりと 空をみることができない

季節の変わり目
空は 一足さきに 季節の変化を告げている

色合い 高さ 空気感まで
潔いまでの心地で 変化している

あるとき もうずいぶん前に
空が 滝のようにながれているビジョンをみたことがある

 わたしの見知らぬまちへ 山へ 海へ
 空がつながっていく

 誰かが出勤したり 汗まみれに働いていたり
 笑っていたり お腹をこわしていたり
 郵便屋さんが手紙を配達していたり 
 ご飯をつくっていたり 食べていたりする人々
 その営みのうえに 空がある

 誰かが死んで 誰かが生まれている地上すべてを
 空がつつんでいる

 昨日から 一昨日から もっと前から 
 あしたへ あさってへ 未来へ
 空が流れていく

その空のビジョンがみえたときに
自分が生まれた理由も
死んでいく理由も
なんだか うまくいえないけど 
こころのなかが 熱くなったときに
「信じる」と思ったのだ

何を信じるのか 
その何かは いまだに具体的な言葉にできないまま
そのビジョンだけが わたしのなかに生きている

季節のかわりめの 空の果てしなさの前で
空の等しさの前に 立ってみる


水の美しい場所

仕事がたてこんでいるときに、二日間、大山崎山荘美術館にでかけた。
すこし早起きをして、大阪駅から電車に乗り込む。
車窓は、街の景色から新緑の山の息吹へ変わっていく。

大山崎のプラットホームに立つと、大阪市内の空気とはほんの少し違う。
みどりの成分が多い。
忙しいときに訪ねるところではないだろう。
忙しいときに、この山に仕事に来るのはなんだか不思議な感じがする。
山を眺めると、中腹に美術館の屋根がみえる。

駅舎をでて、美術館行きのバスを待つ。
親しい人と一緒にバスを待つ人にまじって、静かにあたりを見ていた。
ロータリーに車がやってきて、家族を降ろしていく。
休日、家族が同じ場所ですごすわけでもないのだな。
リチャードバックの「イリュージョン」の一節をふと思い出す。

 家族の絆は血ではない。
 一個の家族が
 一つの屋根の下で成長しあうことは
 ほとんどない。

一度、母とふたりでこの道を辿って、美術館に行ったことを思い出す。
母はこの美術館をたいそう気に入って、また来たいと言っていた。
母を誘うこともせず、今日はひとりである。
美術館で開かれる中国茶会で朗読する。
それが二日間のわたしの仕事だった。

一日目は館内の踊り場で
二日目は庭園の池の石の上で。
あたりの空気に声が溶け込み、ゆっくりと時間が過ぎる。
酒をつくる場所は水の美しいところ。
光の加減が変わっていく様のように、こころに微かな動きがある。
みえない時間が流れていく。

美術館や庭園にいたときは、身体は元気なのだけれど
電車に乗ったとたん、泥のように重くなった。
水の美しい場所でもうすこしゆっくりできたらよかったのに。

仕事場にたどりつくと、母に今日のことをメールで送った。
「あのすてきな美術館で朗読したのね」と返事がかえってきて、
水の美しい場所で、雫がながれたように思ったのだ。

大山崎山荘美術館
http://www.asahibeer-oyamazaki.com


思い出の雨を書く

京都の雨の風情を 思い出そうとした

濡れたアスファルト
つややかに光る石畳
軒下からおちる雨粒
庭木のやわらかな色の葉は 揺れる
雨の日は いつも どこかに行きたかった

先日 とつぜん 以前に勤めていた会社から
電話がかかってきた 
京都について エッセイを書かないかと かつての上司が言う

はじめて就職したその会社で 多くのことを 学ばせてもらい 助けられた
やっと恩返しができそうな年齢になって 退職願いをだした 
6年前のことだ

日々の積み重ねが 仕事であることをわかっていたが
「所属する場」と 個人の関係は
バランスのうえにあり 帰結する答えは ひとつではない
ひとつではないが 選択するとき というのは必ずある

「まだまだ若輩ですが 一生懸命書かせていただきます」
上司に かつてコピーライターの部下は 返事をした

急な〆切にあわせて スケジュールを調整し 文章を書く
エッセイの内容は 京都の雨をテーマにしたもの 

京都の仕事場の窓からみた雨や 雨の景色を 思っていると
京都の若い友人が 一生懸命になって自分の仕事をつくろうとしている
その姿を思い出した 
それは また人々の姿に 自分の姿にも 重なっていく 

雨の音が 重なる

つめたい雫が 大地にしみこみ 季節が何度もめぐり 
いつか その雨を吸った花が 軒下で咲くかもしれない


こどもの光

寒い日の階段のいちばん下に腰掛け、幼い男の子が肩をすくめて、手先をふうふうあたためている。
「何してるん?」
わたしは思わず声をかけた。

「ビーズつないでる!」
元気いっぱいの笑顔でこたえる男の子。
でも、トレーナー姿はとっても寒そう。

「ひとり?
おねえちゃんとこ、あったかいから、おいでよ。この建物の4階よ。」

男の子はすぐに立ち上がると、にこにこと一緒に歩き出した。
ビーズ遊びが趣味らしい。
春に福井県から引越してきて、この近くに住んでいるらしい。
すこし照れくさそうな表情をみせるが、楽しい気分でいるようだ。

事務所に通し、ビーズ遊びをするために机をひとつ指差すと、
男の子はちょこんと座り、ビーズをつなぎだす。
お昼ご飯をすすめたが、丁寧に断わられた。
わたしは焼きそばをつくって、男の子の横でその様子を眺めながら食べた。

「できた!」と喜びの声。
透明な青や白の粒が一連の環になってつながっている。
それから、余った3つの粒を三角形につないで「ミッキーマウス!」と笑う。
そのとき、事務所にいたもう一人のスタッフとわたしは
「えー?!それがミッキー?うーーん」と笑う。
むしろ、その幼い男の子と一緒にいるこの時間のほうが、よっぽど面白いんだけど、と思いながら。

しばらくすると、「お昼ご飯に帰る」と帰り支度をはじめた。
マフラーをあげると「お母さんに怒られる」と言う。
でも、あまりに寒そうなのだ。「みつからないようにしなさいな」と我ながら無茶なことを言うと、男の子はうなづいた。
途中まで送っていくわ、とわたしも後をついていく。

「何年生?」
「4年生」
もっと幼く見えたので、驚く。

「あ、忘れた!」と事務所に戻ろうと走っていく。手袋を忘れたらしい。
後ろからみると、ジャージのお尻が破れていて、
綴った赤い糸がしっぽのように垂れている。

手袋をはめて、ほっとした顔で歩き出す。
裸足にスニーカー。防寒するものは、その手袋とマフラーしかない。
わたしは交差点まで見送ることにした。

青信号で渡りはじめた人たちはみんな、コートやジャケットを着ていて、幼い男の子の肩をすこし丸めた白いトレーナー姿は、風が吹けば消えてしまうんじゃないか、と思えるほど、か細くみえた。

男の子は何度もふり返る。
わたしは、何度も手をふる。
角をまがるまで。

その光景は、いまだにわたしの脳裏に焼きついていて、
夢にみる。
幼い人が笑う。


箒をもって働く人

府庁へ仕事に行ったときに
清掃係の人が角のほうから歩いてきた
地下一階 大正時代から建つという府庁のなかでも
独特のにおいを発している
文書保存部屋には 江戸時代からの書類もおさめられているらしい

その背の高い人は片手に箒を持っていて
年齢もまだ若いようだった 
その人にむかって こんにちわを言うように微笑んだ
うすいグリーンの作業着で その人がわたしの後ろを歩きはじめ
「その下駄で 3センチは背が高いね」と笑う
「そうよ ちょっと背が高くなるよ」
下駄の右足をあげて 「3センチね」
足をおろすと コロンッと軽快な音がする
「僕ね 170センチあるけど 足にマメができて もうちょっと高いよ」

箒を持って その人は 控え室に入っていく
足にマメができて背が高くなって 箒を持っても 痛くて
顔をちょっとゆがめて 右足から左足へゆっくり
重心をうつしながら 床を掃いていくその人の仕事を思った

府庁の廊下は 塵ひとつない
3階までは すっきりした廊下だが
4階から6階にかけては 年代を感じさせる何種類ものロッカーが並び
雑然とした雰囲気である
けれど 床の清潔さは 彼らの箒とモップによって保たれている

地下には 8台の清掃用カートがいつでも出動できる状態で整列していた
清掃事業を知的障害者の事業所に委託している と聞き
社会が多様な人々とともにあろうとするかたちなのだと思った
きちんと仕事として成立させるために 尽力していらしゃる人がいて
ケアする人がいて 彼らの立ち振る舞いに励まされる人がいる

1階への階段をあがるとき 振り向いてしまった
そこには 誰もいなかったけれど
ただ何も言わぬ時間がたたずむ
コロン 下駄の音に その人へ「またね」 
階段をあがり終えるとおおきな玄関には 明るい秋が
磨かれた扉に反射していた


駅の売店

どこかへ出かけて行くときに通り過ぎる

お茶やちいさなお菓子 雑誌 新聞
わずかな店内に何百アイテムが並ぶ
わずか数秒のすれちがいに品物とお金がやりとりされる

普段よく通る駅の売店のおばさんと挨拶を
かわすようになったのは1年ほどたつだろうか
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「おかえり」
「ただいま」
たいていこんな数言である
ショートヘアのよくにあうおばさんが「民謡を習っているのよ」と
教えてくれたのが数ヶ月前
ある日 にこにこ笑いながら 手招きされ
「きもの もらってくれへん?」

名刺を渡すと しばらくして電話がかかってきた
ふたつの袋のなかには チューリップと蝶のもようの袷や
普段使いのウール
花のようなきものたち

次の日 電車にのるためではなく
売店にいくために出かけて行って 
枇杷と水ようかんを届けた
電車には乗らない駅に行くのは 楽しい

それからは また 電車に乗るたび
いつものように みじかい挨拶をかわしている

やさしい笑顔の民謡の好きなおばさんがどこに暮らし
どんな人生を歩んできたのか わたしは知らない
わたしも 自分が何者であるかを語らない

ただ どこかへ出かけるとき
急いでいても どんな嫌なお出かけであっても 
笑顔でおばさんに挨拶をする 
それを守る

一生懸命に働く人が好きだから
働く人に接するとき 過剰な時間をとらせてはいけない と 
思うから

こんな風におばさんに 挨拶を重ねるうちに
また衣更えの季節が来る


「今日ね、花がいっぱい咲いてたよ」

指を数えて、春の花の名前を声にしていく。
こどもみたいに指を折りながら
どうしたわけか、わたしは、涙ぐんでしまうのだ。

花の名前は、山を歩いたり、道を歩いたり
庭の手入れをしながら、母に教えてもらった。
その母が死んだわけではない。
確かに、教わったころよりも母は歳をとった。
花の名前を教えてくれた母の年齢を
わたしが追い越してしまっただけ。

花の名前を言いながら
ふいに、思い出す人たちがいる。
いま、もうこの世にいない人もいれば
遠く離れてなかなかあうことのできない人たちもいる。
まるで、その季節がすぎれば散ってしまう花のような鮮やかさで。
散ってしまうのに、咲いたその瞬間
屹然と微笑んで、空に映える色でそこにいる。

わたしが声にした花の名前に
その人はうなづく。
そのとき、その人が花をみつめている姿を思う。
ひとりで、その人は立っている。
まなざしは花をみているのだけれど、
その先には、その人が二度とあうことのできない
誰かの姿をみていることを
わたしは感じるのだ。

今日も、駅にむかう道の途中で
白い鳥のような木蓮の花をみて
季節が思い出の栞を
はさむ音を聞いた。


春を溜める

寒波を告げるニュースが流れると
挨拶のことばは「今日は寒いですね。」
別れるときには「もっと冷えるらしいですよ。気をつけて。」

いたわることばは暖かい。
寒風ふきすさぶなか
わたしたちは手をふってそれぞれの道を行く。

車道の脇の人がひとり通れるくらいの歩道に
茶色い木肌が硬くなって、木が立っている。
葉は一枚もなく、風をまきつけるには細すぎる枝が
頼るすべもなく揺れている。

誰も近くにいないのをいいことに
木に近づいてみた。

つんと 木から
水のにおいがする。

灰黒色だと思った枝はよくみると
赤みがかっていて、枝の先には 
ちいさな突起が順々についている。
新芽がそこから芽生えるのだ。

硬く縮こまっているように見せかけて
木はそのなかに春を溜めていた。

枝に幹に、根っこに。
まだ見えない春がそこにいる。

春爛漫のそこいらじゅうが春という景色もいいが
こんな真冬にみつけるちいさな芽は
励まされるほどに、美しい。

春の核のような
ちいさな炎。

人生はいつも、変化する。
ひなたにありつづけることはない。
水のにおいを発しながら
冷たい道を歩いて行くこともある。
あきらめないで、歩きつづけるとき
自身の内側にある炎に気づくだろう。


出逢いの人生

生まれてから はじめて
母と父に出逢い 家族に出逢い
友達に出逢い 恩師に出逢う

季節に出逢い
枕元でめくる本に出逢い
こころに染みる音楽に出逢う

仕事に出逢い
恋に出逢い
失恋に出逢う

目にみえない細胞が 空気に出逢い
誰かの手によって つくられた料理に出逢う

何回となく 悲しみに出逢い
喜びに出逢う

人の死に出逢い
生まれたばかりの赤ん坊に出逢う

朝に出逢い 昼に出逢い 夜に出逢う
あたらしい日に 毎日出逢う
1年が過ぎれば 新年に出逢う

人生は 出逢いの連続なのだ

出逢ったそのとき
こちらにその用意が整っていず
流れてしまった事柄もあれば

出逢ったその瞬間に火花が散り 
昔からの友人のように
信じることばで語りあえることもある

この時間もまた
何かとの出逢いであると思うと
余計な力などいれないで
こころの扉を丁寧に開けて
何者でもないひとりの人間として 出逢いたいと思う

自身の死に出逢うまで
おだやかな呼吸で 
あきらめないで


大人の遠足

仕事と暮らしに追われて
けっきょく季節に追い越されてしまう

この秋もそう
気がつけば 取り残されたまま
木々は色づき ひんやりした風が髪を撫でる

颱風が多いね
飛ばされてゆくのは傘だけではない
いっしょに わたしたちの悲しみも 
横殴りの雨にうたれて 濡れている

悲しみは 最もどこへも行けないもののひとつだと思う
時間だけが悲しみの乗り物だろう

けれど あまりに世界に悲しみがあふれすぎて
だから いっしょに濡れて 
今年は颱風が多いのかしら などと思ったり

洗い流して ふたたび温められるために
また 太陽はのぼる

そのとき こころのなかで遠足に行く
想像の旅が 最も遠くへ行けるから

こころの旅は
遠足のように ゆっくりとゆっくり
季節に追い越されないように ゆっくりゆっくり


夏休みの絵日記

帽子をかぶった 日焼けした子どもたちと
昼の時間にすれちがう

茶色い猫が フェンスをくぐりぬけるのを
みつけた子どもたちが 歓声をあげて
フェンスにしがみつく

百日紅(さるすべり)の幹あたりで
猫はふりむき
子どもたちを一瞥すると さっさと日陰へ
からだを運ぶ

捕虫網の影が黒く
歓声のこだまする露地のうえには
青い空と入道雲

道ばたのコンクリートの割れ目から
ちいさな白い花が咲いている 

夏休みのにおいがする

風に カレンダーがめくられるまで
この昼は 子どもたちの王国だ

世界にみつけられたような発見を
夏休みに できたらいい

虫かごをカタカタと鳴らしながら
子どもたちは
とりかえしのつかない悔いのような
夕暮れまで 走ってゆく 

その足音を追いかけて また
電柱の影から夏が走ってゆくのを見ている

宿題の絵日記には 
「北山でいっぱい蝉をとりました」と
記されるのだろうか


初夏のカーテン 列車の来る予感

もうすぐやってくる のがわかる

プラットホームに立ち 電車がやってくる線路の先を
いっしんにみつめていたら

銀色の線路が その予感を伝える

季節は いつも次の季節の予感を伝える

カーテンからさしこむ光と
揺れる植物の影を 
グラスのなかで コトンと落ちる氷を
あかずに眺めている

京都の街なかを離れ 北へむかった

散歩する犬たちに挨拶しながら 
鴨川にそってさかのぼり
二股にわかれた三角州で 空を仰ぎ
夏へ入っていく緑のトンネルを抜ける

子どもの頃 よく読んでいた本に
「赤毛のアン」がある
もらわれていくアンが はじめてマシュウの馬車に乗って
桜の並木道を通るとき 喜びの声をあげるシーンを
もう15年以上 その本を開いていないけれどよく覚えている

彼女の人生の130%を越えるほどの緊張と不安と期待を
抱いて 桜の並木を見上げたとき
満開に咲き 舞い散る花びら
季節をぐいぐいとひっぱっていく木々と風と空気
彼女は おおきな勇気をとらえたのではないかしら

やがて歩き疲れて 地下鉄に乗りこみ
京都の北山のみえる店で 遅い昼食をとり
初夏のカーテンの揺れるさまをみながら
やがて来る夏を思う


春の窓 蜻蛉日記〜男と女は1000年たっても、いつになっても

JRの天王寺から奈良へ向かう電車の窓から 
みどりの噴き出す山を見る 
大阪の住人になってから この路線の車窓が気にいっている

なつかしい京都も今頃は 新緑の季節
あふれんばかりのみどりの絨毯のようになり 
雲の影がゆっくりと移る北山などを思い出す
訪れた店の窓から目を離せなかった春の一日を

季節はくりかえす
新緑に萌えて 狂おしく 熱のある息を吐くのに
重なりあう葉に 言えなかったことばを隠した女がいた

1000年も前のこと
その女は 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)

百人一首に「嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかはしむ」と
詠み 男を待ちつづけた朝を歌っている とされている

ところが 女が綴った蜻蛉日記を読めば 本当のところ 
やってきた男があまりに久しぶりで 遅い時間だったので 門を開けず
追い返したのだと わかる

いっしんに待ちつづけていたのに 門を閉ざす女の
情念と後悔とプライドと諦念の交錯する項垂れた後ろ姿をおもい
息がつまる

現代にも こういう女はいる
けれど 右大将道綱母が生きたのは平安時代である
病気は祈祷で治し 今日は方角が悪いからとの理由で出勤しなかったり 
家から出ない慣しがあるような時代
出世は家柄で決まり 身分の高い男は何人もの女と関係するのだが 
それは「通う」というかたちで行われる
この世のしがらみを断ち切るには 出家を選ぶしかない
右大将道綱母は 男と別れることもできず 出家もできず
どちらも選ばずに 一生を終える

当時流行の古物語には 反発を感じ
人生にはそんな奇譚や幸福のあろうはずがない と 女が
記すのは自らの生身の日記

はかない身 
自らをなぞった蜻蛉という呼び名が あまりにも悲しい

春の窓から見る山々のみどりの息吹と光に 透けてしまいそうになるこころ
目を閉じても焦りを覚え 憂き世の人生をただうつろうのだと思う

それでも 生きている女と男は
ことばをやりとりし 微妙なかけひきをするのだ
1000年たっても いつになっても
みどりの萌えるこの季節にも こころを焦がしつつ


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