過去ログ―2007年2月1日~2月6日

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失礼いたしました  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 6日(火)21時37分52秒   返信・引用  編集済
  Ichiroさま:大変失礼いたしました.ご教示ありがとうございます.

一般に広くカタカナ表記が通用している方以外の海外の研究者名は,
できれば欧文表記で書いていただきますと,おっかけやすくなります.
わたくしども“ど”のつく素人への配慮もどうぞよろしく!
 


Bhutani LKです  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)20時53分8秒   返信・引用  編集済
  リベル様 ドン・キショット様

 一瞬ひやっとしました。高貴なお方と関西地方の作家の方と、それから某独裁者の何番目かの夫人を思い浮かべてしまいました。いずれの場合も外国語では あっ という別の意味になってしまいます。

 最近では ある紛争の島と同じ名前の人が その国の人に対して、説明するなどというエッセイを読みましたが、姓名は何の罪もないはずですが、たまたま外国語では特別な意味を連想するのです。私の名前もある国語では ヘンナ意味でないことを望みます。熊本にある名前ですが(名前は伏せておきます)、別の県の人が どうも ヘンなことを連想するといわれました。

 日本らい学会雑誌 61(3),182-184,1992
  The 18th World Congress of Dermatology
 第18回世界皮膚科総会出席記

  教授は有名ならい学者で何度も來日しているし、論文も多い。司会者でもあるが、らいの一般的な話と病型の話を格調高い英語で講演された。彼はハンセン病という言葉の使用には反対であった。(ママ)ハンセンはこの病気に罹患したわけでもなく、病原菌でもないからである。しかし、leper(らい患者)という言葉は我々がこの会場からでた瞬間から使うべきでないと力説した。(教授が演説している写真も掲載している)

 あとで難しい免疫学の話があった。Joplingに総会で聞いた免疫学は難しいと書いたら、私に諭された言葉も述べている。
 なお教授とleprosyを検索したら 28編の論文がでてきた。

 ドン・キショット様

 私も間違われた経験がありますが、名前を間違えて印刷することさえあります。
 英文にする時の間違いもあります。検索する時は それを考慮して検索します。とんでもない間違いであれば、永久に検索にひっかかりません。ああ。
 


Butani, L.K.  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 6日(火)20時20分31秒   返信・引用  編集済
  International Journal of Leprosyの著者にButani, L.K.がみえますが,
その方でしょうか?

Butani, L.K., Bedi, T.R., Malhotra, Y.K., Kandhari, K.C., and Deo, M.G,: Histoid leprosy in North India. Int J Lepr 42:174-181, 1974.
 


悪魔の飽食 第三部  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)12時51分14秒   返信・引用  編集済
  悪魔の飽食 第3部
 角川書店 昭和58年

 倉庫を捜していたら出てきた本である。
 内容は作者(森村誠一)が現地を訪れて書いたものである。
 第1,2部も詳細すぎて、私は現地を訪れて書いたものと勘違いしていた。詳細は省く。
 ハンセン病市民学会年報 2006 116ページの
 まさにハンセン病療養所における医師たちは 「悪魔の飽食だったんです」に強く抗議する。
 1,2部については前に書いた。理由も前に書いた。


 リベル様

  1)のほぼ同数には同意します。ちょっと差がよくわからなかったので。なおleprosyについては私は詳細に調べましたが●、国々によって受け取り方が違います。日本のらい よりは 普通名詞的に受け取っている国が多いようです。特にハンセン病に歴史が古い、ヨーロッパですが。2)については よくわかりません。実はこのデータベースの責任者に聞きたいことが別にあるのですが、どうも方法がわからないのです。どなたか 教えて下さい。特に問題になったとか、文句を言ったという話は聞きません。

 leperは禁止用語かどうか 小生もはっきり認識していませんが、以前書いたのですがニューヨークの国際皮膚科学会のハンセン病のセクションで、この場を去った時点で絶対に使うなという激烈な言葉をききました。インドのブタニ教授です。有名な方です。
 このことは、確か、志村さんが出席された、私の講演会で私が喋ったようで、志村さんも何かに引用されていました。

 ●北京の国際ハンセン病学会のプログラムで調べました。
 
    (リベル) ここは、医学者の方のBBSではありません。「ブタニ教授です。有名な方です。」と仰有っても、へえと思って検索したら「ぶたにしんじゅ」が出てくるではありませんか・・・(笑)「leper」は「禁止用語」に近いと受け取らせて頂きました。(2.6 18:00)  

Ichiroさん Re: データベース(1)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 6日(火)12時33分35秒   返信・引用
  >  leprosy を検索すると  18,963編の論文がでてくる
>  Hansen's diseaseを検索すると 17,657編の論文がでてくる

結局、
1)ほぼ同数存在する
2)leprosyからHansen's diseaseへと転換(日本の「らい」から「ハンセン病」のように)する機会は無かった

この二つが、重要な事実だと思います。
二つ目は、ハッキリこう言ってしまっても良いのでしょうか?お教え下さい。

それから、知る限りでは「leper」は、使うことが避けられているそうですが、これを証明する事実とか、それはいつ頃からであったと示す事実などは、あるのでしょうか?お調べ頂ければ、有りがたく思いますが・・・。宜しくお願いします。
 


失礼しました  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)08時39分13秒   返信・引用
   リベル様

 名前を間違えて 失礼しました。訂正しようかと思いましたが、自戒をこめて。
 


データベース(2)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)07時28分16秒   返信・引用  編集済
  データベース(2)

 ●インドの論文については思い違いがあり著者は光田で宮崎でないので、訂正しました。

 前に書いたように、leprosy, japanで検索すると262編の論文が出てきた。 以下に書いたように、日本語雑誌は比較的多く感じられると思うが、これはIndex Medicus(電子版になる前の雑誌)の方針で各国一つの分野は一つの雑誌は採用するということである。この条件にあてはまらず、採用されていない有力商業雑誌や学会雑誌(西日本皮膚科など)もある。調べてみれば、世界に通用する(?)と思われる英文誌でも、審査が厳しく時期的に採用されていないのもある。
 日本語からのものは、英文抄録付のものである。japanをつけたので純粋の基礎、臨床論文はここにはない。

 日本ハンセン病学雑誌 49編の論文  日本らい学会雑誌  57   レプロ   16
   これらは同じ学会誌で、名称が変更したものである。レプロが少ないのは古いからその活躍の時期はIndex Medicus開始以前なのである。なお レプロは ラテン語で らいのことである。
 Int J Lepr 30(アメリカ、最近廃刊)
 Lepr Rev 10(イギリス)
 総合看護        9
  Lancet   8
●この雑誌はleprosyの発表は多い。japanを省くと229編もでてきた。
 看護学雑誌       5
 医療      3(国立病院系)
 1,2編の論文がある日本の雑誌 23
 1,2編の論文がある外国雑誌 37

 ●看護系、学会誌、専門外国誌を除くと、すばらしくばらばらに発表されているという印象がある。

 なお全体の内、歴史を検索すると50編でてきた。●宮崎松記の論文があった。1969年12月の発行であった。(宮崎氏死亡1972年6月)

題に日本人人名が出てくるものの人名:光田健輔、宮崎松記、林芳信, 綱脇竜妙,村田正太,浜野kikuo(藤楓協会理事長)
 


データベース(1)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)07時25分54秒   返信・引用
  データベース(1)

 図書館の分類において、未だ”らい”が使われているということで、清野さんの努力で、”ハンセン病”に転換しつつあるのは快報である。
 ちょっと、意味が違うと思うが、医学データベースではどうであろうか。調べてみた。

 Leprosy=Hansen's diseaseであれば、検索など同じ数字が並ばなくてはいけない。ところが代表的な医学検索システムであるPubmed(medline)では 異なるのである。理由はよくわからない。


 leprosy を検索すると  18,963編の論文がでてくる
 Hansen's diseaseを検索すると 17,657編の論文がでてくる
その差1,307は 約7%の差

leprosy, japan を検索すると(日本も検索語にした) 262編の論文がでてくる
Hansen's disease, japan を検索すると245編の論文がでてくる
 その差 17は 262の約7%
これは年代を変えても変らない。
 
    (リベル) 清野氏ではなく、清見(久夫)氏のことでしょう。取り敢えず修正。

あとは良く読んでから・・・(2.6 17:59)
 


昨夕の、私の書き込み後より・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 6日(火)06時32分51秒   返信・引用
   「村八分」より、学ばされました!誤認識が産みだすことで、辛い あ・つ・れ・き というものも、生じてしまうのでしょうが、昨夜のような事も ある ことがわかり、久しぶりに温かい布団の中での 一夜 を、過ごせたようなそんな 朝 を迎えることは出来ましたが・・・。

 ただ、「村八分」への語源への 示唆 が無ければ、気付かず・・・まるで反対の意味合いしか取られ兼ねない、相手に対しての言動であったことに・・・、今、私は感じ入るものがあります。

(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から) 内より・・・

>>無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。

ほんの一部なのでしょうが、 
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/link-enzai.htm 現実・史実を知るという作業からの 個・・・自主・自律的な思い(怒りであるのか、どうかはリベルさんが言うように、それぞれであることには違いないのでしょうが・・・)を、導き出さなければ、昨夜の私同様、ご認識のままで過ごす可能性がある・・・、それでよければ、話しはべつだが・・・!?私は、この 事実 も、私たちは知らなければならないと、今、強く感じています!?

>>今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。

この 努力 するという行為が、まさに風見さん、森長さんがいう、「刑は執行されてしまったら、刑そのものの重みによって正当化され、刑は自己の正当性を主張します」
「どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い」このことの現実は、私はいっこうに変わってはいないのではないか?むしろ後退(核家族化・個人主義・人権がただの御旗と成り、その尊厳を重んじる気風を、はなからバカにしている気質・等など)しているのでは?と、思えて成りません!
 この現実からの 努力 と示唆してくださっている言葉の重みが、私の中でも響ききれていない事実を、今、悟らされています・・・。

>>そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。


 せめて、森長さんが締めくくりの言葉として語っているこの言葉の意味合いだけは・・・、自分のもにいたいと思っている 朝 です。
 


リベル様へ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 6日(火)03時54分0秒   返信・引用
  了解です。

 私が調べた本は 「ハンセン病医学」(教科書)と犀川先生が書かれた厚い本と、ジョップリングの教科書で、いずれも医師が書いた本です。和泉先生のは ちょっとどこかへ行ってしまいました。ルックの教科書(皮膚科)も調べました。裁判所で証言するなら 恐らく教科書通りなんでしょう、と 考えます。

 一般の本は まだ調べていません。
 
    (リベル) お手数をお掛けしました。有り難うございました。

実は、私のサイトでも、「サルファ剤」は全くなく、全て「スルフォン剤」としていますので、場合によっては全て修正かと、心配して、それでお願いしてしまいました。有り難うございました。(2.6 03:59)
 


もう、駄目だっ! Re: 「ハブ」 「ハブる」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 6日(火)02時59分39秒   返信・引用  編集済
  > [若者言葉で一人を仲間はずれにすることを「ハブ」「ハブる」というが、これは村八分が語源といわれている。]
>
>  こんな響きで捉えていました! 語源を知り恥ずかしさで一杯です。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86
>
>  失礼を・・・、お詫びいたします!

いま、よそのBBSを読んでいて、気付かされました。上の遣り取りの、意味が分からなかったのです。

もう、やっぱり、駄目だっ!出処進退を考え始めることにするか、やはり・・・。でも87歳にはまだ15年有る・・・(謎)



本当に、ご愁傷様でした・・・。
 


このBBSに対する非難の声  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 6日(火)02時42分3秒   返信・引用  編集済
  「志村さんとキャッチボール」に「こころ」という人と「清見」氏が私の「みものです」と書いたことに対する批判を書いて居られます。一度お読みください。

私は一度、抗議めいた投稿をしたのですが、しばらく訂正を入れたりしている内に、馬鹿馬鹿しくなって止めました。上記のお二人が、ここを読んで居られるかも知れないことは、承知で書いています。

そんなことに、取り合っている場合じゃない。次元が違いすぎます。闘うべき相手は、厚労省です。もう無駄な労力を、方向違いな処に費やしている時間が、私には残されていません。また「年寄り臭い」と叱られそうですが・・・(笑)
 


見事な一編の風物詩  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 6日(火)01時34分58秒   返信・引用  編集済
  甲州の冬は綺麗です。
笹子トンネルを抜けると遠景に南アルプスの雪をかぶった峻烈な峰が連なり、車窓の丘が平らに続くのはぶどう棚です。
もう少しすると、左手の御坂山系からなだらかに甲府盆地にくだる斜面はいっせいに桃の花が開きます。まさに桃源郷です。昔は、蕾は全部咲かせてから摘果して一枝に幾つとならせる数を調節したのですが、今は摘蕾といって、咲かせる花を調整します。それで、昔ほどの花盛りにはなりませんが、しかし、村一面のピンクの桃の花は見事なものです。

葡萄の里の勝沼を過ぎると列車はまっすぐに甲府に向かわず、ずっと右、塩山に迂回します。これは、明治の昔、鉄道王といわれた「雨敬」こと雨宮敬次郎が自分のうちの前に列車を通らせたためといわれます。田んぼの中に「ひとつ位俺の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」と駄々をこねて新幹線の「岐阜羽島」の駅を作らせてしまった自民党副総裁大野伴睦といい、昔の人はなんか憎めませんね。
塩山は、枯露柿の里です。
塩山に限らず、甲州では秋から冬に掛けて家ごとに棚を立てて、夜なべで大振りの渋柿を剥きます。遠目に見ると濃い黄色の簾を立てたようですが、これが秋の深まりとともに、盆地の寒気と八ヶ岳から吹きくだる空っ風(北風!)で乾燥して色の深さを増し、冬になると表面がにじみ出た糖分で白くなります。これを「こうが吹いた」といって食べごろですが、これは田舎の餓鬼の口には入りません。暮れになるとこれまた夜業で綺麗な化粧箱につめ町の市場に持って言って正月の仕度をするのです。


書かせる側から、書く側へ宗旨替えなさったらと思わせんばかりの名文ではありませんか・・・。

バーのカウンターで、コピーライターと「漢字力」競争をしたのを思い出します。たとえば「せい」という読みの漢字をどちらが多く書き出せるかを競います。そのとき聞いた話では「こう」と読む漢字が一番多いとやら。調べたことはありませんが。

枯露柿が吹き出す「こう」は漢字で書くと・・・?「粉」臭いですね。きな臭い話を避けたくなるのは、やはり年寄り臭い・・・(笑)・・・ですね。

明日の朝は、桃の花ならぬ、三輪開いた庭の白梅の花を眺めるとしますか・・・快晴のようですし・・・
 


Ichiroさん Re: リベル様  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 6日(火)01時13分32秒   返信・引用
  >   DDSはdiamino-diphenyl-sulfoneというところからsulfone剤というのが正確と思います。他のsulfonamides(sulfomethoxypyridazineなど)もsulfone剤と表現されるとすれは 特化云々のことはちょっとよくわかりません。

これで、悩みが氷解しました。投稿日: 2月 5日(月)00時57分14秒 のところで辞書を引いています。

【スルホンアミド剤】 〔sulfonamide〕 ⇒ サルファ剤

ですから、「判決文や最終報告書での『スルフォン剤』という使い方は、医学的・薬学的に正しい」と断言しても良い。のですよね? しつこいかな・・・Ichiroさん、一言返事をくださって、安心させて下さい・・・m(_ _)m
 


リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 5日(月)22時38分20秒   返信・引用  編集済
   失礼しました。

 DDSはdiamino-diphenyl-sulfoneというところからsulfone剤というのが正確と思います。他のsulfonamides(sulfomethoxypyridazineなど)もsulfone剤と表現されるとすれは 特化云々のことはちょっとよくわかりません。

 なおDDSは予防法廃止以前から水泡症など皮膚疾患にも使われていました。それで比較的容易に保険に採用されましたが(レクチゾール)、あとで保険採用に 困ったのはMDT のclofazimine(lamprene)です。(らい予防法の存在で、すぐに保険採用とならず 困ったことでした)

 DDSには 確かにDDS症候群や、白血球減少、貧血などの副作用がありますが、普通の薬に比べると副作用は少ない印象でした。


 夕焼け様

 その言葉は知りませんでした。
 語源で面白いと思ったのは”社会の窓”は、実際社会科の先生が電車の中で出されたのが語源という話です。どこで聞いてきたのか失念しました。英語や国語の先生でないところが面白いですね。
 


悪いのはこちら  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月 5日(月)18時23分1秒   返信・引用  編集済
  妙に思わせぶりの書き方をしてしまってごめんなさい。

甲州の冬は綺麗です。
笹子トンネルを抜けると遠景に南アルプスの雪をかぶった峻烈な峰が連なり、車窓の丘が平らに続くのはぶどう棚です。
もう少しすると、左手の御坂山系からなだらかに甲府盆地にくだる斜面はいっせいに桃の花が開きます。まさに桃源郷です。昔は、蕾は全部咲かせてから摘果して一枝に幾つとならせる数を調節したのですが、今は摘蕾といって、咲かせる花を調整します。それで、昔ほどの花盛りにはなりませんが、しかし、村一面のピンクの桃の花は見事なものです。リベル翁をお連れすれば、寿命が20年は延びて、老人臭いことはいわなくなるのは間違いないのですが。

葡萄の里の勝沼を過ぎると列車はまっすぐに甲府に向かわず、ずっと右、塩山に迂回します。これは、明治の昔、鉄道王といわれた「雨敬」こと雨宮敬次郎が自分のうちの前に列車を通らせたためといわれます。田んぼの中に「ひとつ位俺の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」と駄々をこねて新幹線の「岐阜羽島」の駅を作らせてしまった自民党副総裁大野伴睦といい、昔の人はなんか憎めませんね。
塩山は、枯露柿の里です。
塩山に限らず、甲州では秋から冬に掛けて家ごとに棚を立てて、夜なべで大振りの渋柿を剥きます。遠目に見ると濃い黄色の簾を立てたようですが、これが秋の深まりとともに、盆地の寒気と八ヶ岳から吹きくだる空っ風(北風!)で乾燥して色の深さを増し、冬になると表面がにじみ出た糖分で白くなります。これを「こうが吹いた」といって食べごろですが、これは田舎の餓鬼の口には入りません。暮れになるとこれまた夜業で綺麗な化粧箱につめ町の市場に持って言って正月の仕度をするのです。
そのとき、うちの御爺さんは、雪に降られた笠地蔵を無視したために今でも貧乏です。

そういうわけで(どういうわけじゃい!)、夕焼けさん、紛らわしい書き方をしてごめん。
 


「ハブ」 「ハブる」  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 5日(月)17時45分34秒   返信・引用
  [若者言葉で一人を仲間はずれにすることを「ハブ」「ハブる」というが、これは村八分が語源といわれている。]

 こんな響きで捉えていました! 語源を知り恥ずかしさで一杯です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86

 失礼を・・・、お詫びいたします!
 


Re: プロミンあれこれ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)17時44分11秒   返信・引用  編集済
  >  サルファ剤とスルフォン剤は 単純に同じと思っています。

それは、失礼を顧みず申し上げると、極めて安直なお答ではないでしょうか。

Googleで、「サルファ剤」を検索すると55,000件有ります。一方「スルフォン剤」は183件です。

この検索結果の内容を見てみると、「スルフォン剤」はどうもハンセン病に特化されて、使われているのではないか、と言うのが、私の疑問であり一番知りたいところなのですが・・・。

そのことは、説明が難しいところなのでしょうか? 何故「判決文」はポピュラーでない「スルフォン剤」だけを使ったのか? 杉山裁判官は不勉強だったのか? 医学的・薬学的根拠が、有るのではないか? というのが、私の誠に素朴な疑問なのですが・・・。
 


プロミンあれこれ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 5日(月)12時57分7秒   返信・引用
  ドン・キショット様

 詳しい説明ありがとうございました。

 サルファ剤とスルフォン剤は 単純に同じと思っています。
 医学術語はドイツ語、英語、特殊科の専門語などが入れ混じっていますので私は単純にそう思っていました。スルフォンアミド、スルフォン誘導体などもあります。


 折角なので 私が感動した最初のサルファ剤の最初の著効例の文献を書きます。
 「モノが語りかけるハンセン病問題 昭和女子大学光葉博物館
 p32-33
 らいの化学療法への協力 石館守三
 (日本で初めてプロミンを合成した東大教授)

 ”この時、唯一人結節らいの重傷者で中国の戦地から帰ってきた青年で、どうせ先の見込みのなり自分だから私にやってみてくださいと申し出た者がいた。これに約60日間、1日置きに静注したところ、まったく奇跡的に顔面の結節が落ち、失明寸前の眼もかなり回復したとの報告を受けた。私が再び患者を見舞った時は、その青年は私に飛びつかんばかりの感激で顔を輝かしていた。”
 


夕焼けさんへ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)11時56分24秒   返信・引用  編集済
  レスが遅くなってご免なさい。

昨日、いつものようにプリントアウトして、読ませて頂きました。先ず、失礼なことに夕焼けさんはもしかしたら森長さんの文章を未だお読みになっていないのではないか?と思っていました。そうであれば、冤罪についての考え方が、かなり基本の部分で違ってくるからと。

しかし、夕焼けさんは、ちゃんとお読みになっていました。そうとすると、これはなまなかな意見交換では及ばないぞ、と考え込んでいました。

言い換えれば、もうBBSで取り上げる域を越えるのではないか。二人の間に限定された議論になるのではないか。私は、そう判断して考え込んでしまったのです。
夕焼けさんに、個別に連絡する方法が有りません。それを咎めることは、出来ないことです。そうなれば、どうすればよいか?

1)沈黙を守るか、
2)言外にお伝えするか、

しか方法がありません。

さらに正確にそして、正直に言えば、私にはもう、能力が有りません。


私の気持ちを、出来るだけ正確に、お伝えしました。これ以上でなく、これ以下でもありません。ご理解を賜らんことを、祈るのみです・・・。
 
    (リベル) この文章は、修正・加筆の可能性が有ります。私が自己中心的な性格のため、独りよがりや、分かり難い記述が有るかも知れないからです。基本的に述べている内容には変わりはありませんので、念のためです。(2.5 17:25)  


Re: 夕焼けさんへ Re: リベルさんとの相違をまずは埋める汗  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 5日(月)04時57分54秒   返信・引用
  > 夕焼けさんが、三年前にまで遡って、もう一度藤本事件について、整理をして下さいました。感じていることは、先ず共通しているのですが、再審についての理解に、少し食い違いが有るのではないかと思いました。
>
> 『どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。』(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から)
>
> これは山下峰幸氏の「壁をたたく音がきこえる」の中の「悼む 藤本松夫」と題する関原勇弁護士の講演(「菊池野」1984年12月号・1985年1月号から)の中から、拾ってきました。以前にもっと短く紹介したことがあります。
>
> 夕焼けさんはこの本は、お読みになったと思うのですが、(もし未だでしたら、購入方法はこちらです)この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。よろしくお願いします。
>
> 追記:なお、もし必要と有れば、関原氏の講演部分はA4で約10枚なので、メールを頂けば、一日後くらいには(ゼロックスをとりますので)お送りできると思います。





>この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。

 私は、「食い違いを」少しでも補正できるものならと、友達へのメールまで引用して 伝える努力 をしたつもりです。森長英三郎さんの「冤罪の証明」内のこの文章は私にとっては、とても深く・重いものでした。
 リベルさんが、この文責を持ち出し、私との食い違いを指摘していると考え、私なりの思いを述べたつもりなのですが・・・。


 この部分(「冤罪の証明」内のこの文章)の 捉え方 は、非常に重要であると疑いません。ですから是非ともこの文責を<題材>に語り合う必要性を、私は感じていますし、お願いしたい部分だったのです。

 私は、この文責を多くのハンセン病問題に携わるすべての市民(原告・弁護士・人民)が、読解されてさえいれば・・・、今回のような映画制作からの「論議、そして分断からの乖離」など昨年中に羅針盤の修正が出来たのではないか!と、後悔しております!!
 文化庁からの2千万円が、なければ・・・と、悔しい思いをしているのは私だけでしょうか!? 期限付きの助成金さえなければ・・・、とても悔しい、です!

☆ご遺族との離反ではなく、「絆」を本当に大事にされたのだろうか?ご遺族・家族の機微にわたる思いを察していたのだろうか・・・?

☆自力・自作での映像化でありさえすれば・・・、かえって多くの市民運動をひき起こす要因もあったのではないか?

 宝塚のYさんがいう 「ずらされた主題」 が、今、重く圧し掛かっています!?
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 5日(月)03時02分3秒   返信・引用  編集済
  >ところでドン・キショットさんは何故そんなにお詳しいのですか。もしかしてお医者さんでは・・・?(2.5 02:03)

あはは,ドン・キショットは,お医者さんではありません.
ごくフツーの病気もち障害もちの一市民でありまして,
しこしこ内職しながら,ときに風車に突っ込みたくなる人なのであります.
 


私は変わっている?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)02時29分21秒   返信・引用  編集済
  本当に変わっている、というひとの人生はしばしば崖っぷちの行き止まりに辿り着いてしまいます。その先は大海原です。仕方なくその崖から大海原に飛び込み、命綱なしの遊泳となり、ますます「やっぱり変わっている」となります。しかしこれではいずれ死んでしまいます。ある方が人類の歴史は「臆病で普通の人々の歴史」で、「勇気がある、変わっているということは、それでは必ず近いうちに死ぬ、殺される、ということを教えてくれるのが歴史」だと言うのです。考えさせられる言葉ではあります。

 そのような意味で、私は最も普通の、だれとも変わっていない一人の現代を生きる人間として生きて来たつもりですし、これからも私は価値判断の基準をそのようなところに置くことに変わりはないでしょう。

 ただ、皆さんが気付いていないこと、忘れていることを思い出してもらったり、必要と思っていることを指摘したりする、そのようなことは大切なことです。同時代の文化に関わるとはそのようなことを発言する立場、とも言えるわけで、オタッキーにわかるやつだけ相手にして仲間だけで集まってごそごそやっている、ということではなく、広範囲に、全方向に「どうです?すばらしいでしょう?」と相手を選ばず問い掛けをしていくコミュニケーションこそが私の目指している芸術です。


これで、ばれましたね。これは、今トイレに置いてある千住博さんの「ルノワールは無邪気に微笑む」からの転載です。

「臆病で普通の人々」であることの大切さを、頭に刻み込みました。

ただし、この本は、決してお薦めはしません。凄く良い本だとは、思っていませんので。
 


判決文や最終報告書では  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)01時53分51秒   返信・引用  編集済
  スルフォン剤が使われています。

最終報告書では、「第十五 国際会議の流れから乖離した日本のハンセン病政策」の中に、「スルフォン剤」が8回、「サルファ剤」が1回出てきます。「サルファ剤」が出てくるのは11頁ですが

『1952 年に同協会主催の「国際ハンセン病化学療法研究会」が東京で開かれ、熱こぶは神経型の患者に免疫の能力が出来た状態であると報告した。光田は「神経型の患者に自己免疫は絶対出来ない。」と同協会の結論に反対した。しかし、サルファ剤の治療により神経型患者で病状の改善したものは、光田ダルメンドラ反応テストにおいて擬陽性の者が続出して、皮膚テストでは菌陰性の者が増えたという(某医官談)。』

これだけです。

判決文の中には「サルファ剤」という言葉は有りません。「スルフォン剤」は91回出てきますが。

なおGoogleでは、「サルファ剤」が54,400件、「スルフォン剤」が184件のヒット数です。この検索結果などから見る限りは、「スルフォン剤」はハンセン病に特化して使われている、と思われるのですが。

医学的或いは薬学的には、下のドン・キショットさんの引用も含めて、私の理解力の範囲を越えています。どなたか、お助けください・・・Ichiroさん、お助けください・・・m(_ _)m
 


またまた追加  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 5日(月)01時32分17秒   返信・引用
  sulfoneスルホンは,一般構造式 R'-SO2-R" (「SO2」の「2」は下付き)の化合物.
(↑『ステッドマン医学大辞典』第5版を参照)
 


夕焼けさん Re: 田舎で満喫されてくること、祈っています。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)01時20分17秒   返信・引用  編集済
  リベルさん、まずは「ハンセン病の落書き板」のお陰で、私も二分の「触れ合い」が、発生している 現実 を、自覚でき・・・、「ありがとうございます、リベルさんのご努力によるこのBBSに、心より感謝を申し上げます!!」

誰もが、書きたいこと(除く悪意・中傷)を書ける場所を、私は提供しているだけです。そんなにお礼を言われると、恐縮してしまいます。

> 特に 億 を、超えるような事業計画であるなら、事業推進収支予算計画書の中でも、大きく事業費収支と活動費収支の随時公表は、支援者・支持者への感謝の思いが実ならば、数字が現す真実というものにも 誠意 が、当然必要なのでしょう!

「中山さんの映画blog」に、ドン・キショットさんと私が投稿していますが、未だに返事がありません。左側の「Comments」欄です。やはりメールでないと駄目かなと、様子を見ているところですが・・・どうも、なかなか・・・(>_<)
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 5日(月)01時15分24秒   返信・引用
  ジアミノジフェニルスルホン=ダプソン.DDSはその略号です.

一般名と製品名(商品名)と化学名がありますから,薬剤名はややこしいです.
 
    (リベル) なるほど、ややこしいですね。しかし、お陰様で、私の中では、解決しました。ところでドン・キショットさんは何故そんなにお詳しいのですか。もしかしてお医者さんでは・・・?(2.5 02:03)  


ありゃりゃん  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 5日(月)00時57分14秒   返信・引用
  リベルさんは「スルフォン剤」と書かれているのに、
Ichro先生のお答えでは「サルファ剤」となっていますよ。
 
    (リベル) 本当だ。いま辞書を引きました。

【スルホンアミド剤】 〔sulfonamide〕 ⇒ サルファ剤

【サルファ剤】 〔sulfa drug〕 スルファニルアミド誘導体の化学療法剤。グラム陽性球菌・グラム陰性球菌および一部の陰性桿菌 (かんきん) に有効。広義には、利尿降圧剤・血糖降下剤として使われているものを含む。スルホンアミド剤。スルファ剤。

とあります。スルホン剤で引いても有りません。では「スルホン剤」が間違っているのかもしれない。さあ、大変だ、今から調べまくります、ではでは・・・(2.5 01:06)
 


ドン・キショットさん Re: 追加  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)00時51分41秒   返信・引用  編集済
  『今日の治療薬2007』は2月15日頃に発行されるのではないかと思いますが,
> 未見.
> 一般に「ダプソン」と呼称されているのは,スルホン系薬剤のジアフェニルスルホンではないかと思います.
> ジアフェニルスルホンとグルコスルホンナトリウムの両スルホン系薬剤の「重大な副作用」の項にDDS症候群が挙がっています.


「年表 日本のハンセン病」の1947年のところに、こう書いています。

『静脈注射によるプロミンに代わって経口薬 ダプソン(dapson―DDS―diamino diphenyl sulfone)が作られる。これにより初めて医療現場におけるハンセン病治療が可能となる』

これは、確か栗生楽泉園のHPの並里先生の解説から頂戴したと思うのですが、ドン・キショットさんも下の方に同じことをお書きになっています。Ichiroさん、これはどれが正しいのでしょうか?お教えください。宜しくお願いします。


なお、多剤併用療法というのは、ドン・キショットさんが下に紹介なさった、リファンピシン、DDS、クロファジミンの三種類の薬の併用療法です。蛇足ですが・・・。
 


Ichiroさん Re: リベル様  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 5日(月)00時18分42秒   返信・引用
  サルファ剤について
>
>  正しい表現と思います。構造式を調べれば、もっと正しいのですが、手元に資料がありませんので。
>  いつか調べたのですが、DDSの副作用もないわけではありませんが、普通の薬に比べてほとんど副作用がありません。それで耐性がわかるのが遅かったり、いろいろありました。一時、DDSを続けさえすればいいという神話みたいなのがありました。(刷り込み現象と考えたのですが、ちょっと表現が強すぎますね。)
>
>  平成から働き始めた小生は、DDS服用を止めさせる努力をしたものです。
>
>  ●必要ないのにDDSを長期連用すると、耐性菌をつくるなどの不都合がある。
>
>  歴史を調べれば、DDS神話を作ったのは、医師の怠慢ということではなく、それ相応の理由があったと思われます。
>
>  リファンプシンは殺菌的に働くことがわかりMDTの一つであることは有名ですね。プロミンも最初は結核菌の薬として開発されました。この様に、もともとの目的でなく、あとから有効とわかった薬にエイズの場合もあります。


わあ、有り難うございました。良く分かりました。

昨年末に、卒論を書いていると仰有る大学生からメールを頂戴し、「医学的知見の変遷」から、引用したいとのこと。まだ未完成なのに、「恐い」と、思いました。キチント理解した上で記述しないと、単なる「判決文」からの引き写しでは、こういうお方に申し訳ありません。

そう言うわけで、また質問させて頂くかも知れません。明日をも知れぬ、くたばり損ないですが、「やり残した」と後悔せずに、くたばりたいので、頑張ります。未だ、和泉眞蔵氏の本からも、沢山拾わなければいけないのです。なかなか、バイバイ出来なくて・・・(心細い笑)
 


追加  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 4日(日)23時16分24秒   返信・引用  編集済
  『今日の治療薬2007』は2月15日頃に発行されるのではないかと思いますが,
未見.
一般に「ダプソン」と呼称されているのは,スルホン系薬剤のジアフェニルスルホンではないかと思います.
ジアフェニルスルホンとグルコスルホンナトリウムの両スルホン系薬剤の「重大な副作用」の項にDDS症候群が挙がっています.
 


ちょこっと、横レス  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 4日(日)22時10分7秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病治療薬
『今日の治療薬2006』南江堂,2006年2月15日発行を参照してみますと;
(○:一般名,◇:製品名,特:特徴,適:適応症,重大:重大な副作用,
剤形:錠,注,カプセル で表記)

○ジアフェニルスルホンdiaphenylsulfone [ダプソン]
 ◇レクチゾール Lectisol (三菱ウェルファーマ) 錠
 ◇プロトゲン Protogen (三菱ウェルファーマ) 錠
・特:M. lepraeの増殖を阻止.作用は静菌的.
・適:①[適応菌:らい菌]ハンセン病.(②省略)
・重大:DDS症候群.血液障害(無顆粒球症,再生不良性貧血,メトヘモグロビン血症,溶血性貧血など).SLE様症状,腎障害,皮膚粘膜眼症候群,中毒性表皮壊死症,好酸球性肺炎.

○グルコスルホンナトリウム glucosulfone sodium
 ◇プロトミン Protomin (三菱ウェルファーマ) 注
・特:ジアフェニルスルホン参照
・適:ジアフェニルスルホン参照
・重大:DDS症候群.血液障害.SLE様症状.腎障害.

○クロファジミン clofazimine
 ◇ランプレン Lampren (ノバルティス) カプセル
・特:らい菌のDNAに直截結合し,DNA複製阻害作用.
・適:[適応菌:らい菌]ハンセン病(①多菌型,②らい性結節性紅斑)
・重大:腸閉塞.脾臓梗塞.血栓塞栓症.

○リファンピシン rifampicin(RFP) 【抗菌薬】
 ◇リファジン Rifadin (第一) カプセル
 ◇リマクタン Rimactane (ノバルティス) カプセル
 ◇アプテシン,◇リモベロン など
・特:細菌のDNA依存性RNAポリメラーゼに作用し,RNA合成を阻害.耐性菌出現しやすい.
・適:[適応菌:結核菌,らい菌]①肺結核,その他の結核症.②ハンセン病.[▲添付文書外情報:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症]
・重大:劇症肝炎などの重篤な肝障害.ショック,アナフィラキシー様症状.腎不全,間質性腎炎,ネフローゼ症候群.溶血性貧血,無顆粒球症.血小板減少.偽膜性大腸炎等重篤な大腸炎.皮膚粘膜眼症候群,中毒性表皮壊死症,天疱瘡様・類天疱瘡様皮疹,扁平苔癬型皮疹,紅皮症.間質性肺炎.

・・・・・・・・・・・・・・・・・
*DDS:ダプソン=dapsone, 4,4-ジアミノジフェニルスルホン=4,4-diaminodiphenylsulfone

*上記のほかに,○オフロキサシン ofloxacin(OFLX) ◇タリビッド Tarivid (第一)
 の適応菌にらい菌が挙げられています.
 


田舎で満喫されてくること、祈っています。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 4日(日)09時58分52秒   返信・引用
  >今日は田舎に言(行)ってまいります。村八分でも二分の「お付き合い」が発生。

 リベルさん、まずは「ハンセン病の落書き板」のお陰で、私も二分の「触れ合い」が、発生している 現実 を、自覚でき・・・、「ありがとうございます、リベルさんのご努力によるこのBBSに、心より感謝を申し上げます!!」

 北風さんの、『(あるいは、批判とは別に) 』 この言葉の重みを、私も認知しておきたい、と思っています。それほど私から見れば善男善女の方々を冒涜した行為はないと思えるからです・・・。人権尊重とは掛け離れた行為が、“映画を作る”の中に、内包されてしまった感がしています。このことも私たちは 知る ことが求められているし、そこから考えていくことの 課題 もあると、考えています。

 協力金・賛助金(助成金・交付金も含めて)の支援はどの世界にもあることで、そのこと事態を云々する気はありません。しかし、それぞれの 人のお金 を預かっている意識からの「言動」・若しくは「事業計画推進」が、どのような収支予算の中で、行なわれているのか?常に公表されていることでその執行側の「誠意」が見えてくるものと信じています。
 特に 億 を、超えるような事業計画であるなら、事業推進収支予算計画書の中でも、大きく事業費収支と活動費収支の随時公表は、支援者・支持者への感謝の思いが実ならば、数字が現す真実というものにも 誠意 が、当然必要なのでしょう!

以下の貼り付けは、“「新あつい壁」製作発表 行ってきました”内のJ.Oさんの文責によるものです。中山監督のお言葉が、記されています。
主人公のルポライターを演じる趙さんは、「台本を見たときに非常に重いテーマだと思ったが問題を風化させてはならないと強く感じた。
若い人たちにこの映画を見てもらいたい」と意気込みを語りました。また、中山監督
は、「男性の死刑を後押ししたのは一般市民による差別であり、そこを問わなければ
この問題は永遠に終わらないと思う」と述べました。
「新・あつい壁」は、来月には完成し、5月から全国で上映されることになっていま
す。
http://www.freeml.com/message/hansen@freeml.com/0000430;jsessionid=luhoc6h742
 


Re: 北風様  投稿者:隣の人  投稿日:2007年 2月 4日(日)08時41分16秒   返信・引用
  Ichiro様

隣の人です(苦笑

>  たまたま、研究者が小生の親戚とある所で隣同士で、そちらに波風をたてないようにしただけで、頼まれれば協力するにやぶさかではありません。当方が年齢が上ですので。

「波風」が立ちますか?
「頼まれれば」とは誰に頼まれたら何を協力するのですか?

私(突然出てきてすみませんmm)は、
北風さんや夕焼けさんに完全に同意する者です。
 


リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 4日(日)07時42分52秒   返信・引用  編集済
  サルファ剤について

 正しい表現と思います。構造式を調べれば、もっと正しいのですが、手元に資料がありませんので。

 蛇足を追加します。

 他にシノミンなどを使ったこともあります。これはサルファ剤で、商品名です。成書にハンセン病に使われていたと書いているか、ちょっとわかりません。(塩野義製薬がつくった)

 恵楓園に勤務した当時、名前を失念しましたが薬剤師の方で研究されている方がおられました。らい菌も結核菌も同じ抗酸菌ですので、結核に効く薬は全部試したはずですといわれました。(菌が培養できないのがネックになっている)他の薬が使われなかったのは 副作用を考えてでしょう。長く使うハンセン病の場合はこれが重要です。

 いつか調べたのですが、DDSの副作用もないわけではありませんが、普通の薬に比べてほとんど副作用がありません。それで耐性がわかるのが遅かったり、いろいろありました。一時、DDSを続けさえすればいいという神話みたいなのがありました。(刷り込み現象と考えたのですが、ちょっと表現が強すぎますね。)

 平成から働き始めた小生は、DDS服用を止めさせる努力をしたものです。

 ●必要ないのにDDSを長期連用すると、耐性菌をつくるなどの不都合がある。

 歴史を調べれば、DDS神話を作ったのは、医師の怠慢ということではなく、それ相応の理由があったと思われます。

 リファンプシンは殺菌的に働くことがわかりMDTの一つであることは有名ですね。プロミンも最初は結核菌の薬として開発されました。この様に、もともとの目的でなく、あとから有効とわかった薬にエイズの場合もあります。

 研究室のある所に 山とつまれた散薬は あれは何だったろうかと考えています。恵楓園でも研究は続けられていました。

 蛇足の蛇足:プロミンは静脈注射です。これも信仰みたいなものがあり、私は平成に入って患者様からプロミンを注射してくださいと言われ仰天しました。薬局には プロミンがありました。
 


北風様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 4日(日)07時23分37秒   返信・引用  編集済
  コメントありがとうございます。

 小生の表現が不十分でした。申し訳ありません。

 事件が、人間関係の問題ということではありません。小生の方の問題です。

 たまたま、研究者が小生の親戚とある所で隣同士で、そちらに波風をたてないようにしただけで、頼まれれば協力するにやぶさかではありません。当方が年齢が上ですので。

 年齢といえば小生の年齢は監督より一つ上です。小生の年齢は車に紅葉マークをつけた年齢といえばお分かりかと思います。
 


昨年の8月24日に、私の 友人 に宛てたメールの一部です。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 4日(日)06時57分27秒   返信・引用
  今、しきりに「藤本事件」の深層の真相を、実録化したい願望に駆られています!
 1962年(松夫さん没)といえば日本国が高度経済成長期の真っ只中に入った時期です。世界(WHO)の方針にはそぐわない隔離政策(強制・絶対)を推進・容認してきたのは、この経済成長期からの「大国論」が大きなかかわりとして挙げられるようです。
 高度経済成長の国策の一環として、隔離政策論が、なぜ?人権蹂躙(侵害)を承知の下に、日本国憲法に抵触しているにも拘らず・・・、なぜ?

 この経済成長で財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われています。
 その要因は、政治と経済の深い結びつきと、財閥とされる子孫の現在を、今一度探っておく必要があると思っています。 安倍・麻生・谷垣すべて、小泉の 同階層 とされ、数年先には憲法改正を踏み切った 先駆者 と、いっても過言ではなさそうな雰囲気です。

 「腹をくくって、時期政権下での 戯れの阻止 を!」と、「藤本事件」に拘って来た多くの同志の声が、黄泉の国や現世から声には出ない声で叫んでいるのかもしれません!! その声を聞き留める 一市民 の励みが、求められているのでは?と、思います!

 「藤本事件」から脱線したかのように思えますが、“藤本松夫さんがなぜ?死ななければならなかったのか!?”の探求の果てに結びつく・・・、決して空論・空想なんかではないと思っています。
 弱者とされる階層はいつの世にも存在します。今、現在に於いての 弱者階層 が持つ悩みや雄叫びを 他人事 と思えている間は、権力・搾取側の思う壺です。そう言った観点からも、もし、「藤本事件」の映画化を唱えるとするなら、再審後のドキュメンタリーとしての映像化にして欲しいと思います。
 このまま推し進めた映画化にするのであれば、「藤本事件」を全く抜きにした、ハンセン病啓発映画の域であって欲しいと思います。

 風見治さんが言う、
>刑は執行されてしまったら、刑そのものの重みによって正当化され、刑は自己の正当性を主張します。

 関原さんの『悼む 藤本松夫 ―二十三回忌追悼講演―』に、引用してくださった 森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説より、
>「どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは、無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういったものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう」

 この両者の言葉を何度も噛み締めています・・・。
            以上が私の、友人に宛てたメールの一部です!




 リベルさん―

 私は、この時期より明確に「藤本事件」が、主題でも題材でも 映画化などという行為そのものに反対の立場でいました。そのことを 確信 させられた思いとして、風見治さん・森長英三郎さんの ことば に、私は耳を傾けていました。
 日本の今の制度では再審開始は容易でないことがこの藤本事件から学びました。
 「再審の支援」ではなくて、「再審開始を求めていく運動」というものを何年も何十年もやっている現実も知りました・・・。
 その再審開始を求めていく 運動 すら、起こしきれていない状況下での、映像が問う「藤本事件」というものに、大いなる危険性を感じたからです。(後に、宝塚のYさんが『シナリオ第4稿批判から 』を、機関紙にだし私は頷かされましたが!)
 今の制度で甘んじている国民の資質状況下では松夫さんのご遺族との 絆 が如何に蔑ろにはできないものか?は、映画制作サイドも充分承知されています。ここに、「副次的矛盾」生じています!
 この部分の導きが、我々市民に問われていることだと・・・、考えています、が。
 


Re: 横レス失礼 Re: 監督が会いにきた  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 4日(日)06時54分18秒   返信・引用  編集済
  >したがって「冤罪追求は、種々困難があって不十分だが、現情勢下ではやむをえない。差別や偏見解消を訴える映画だからその限りにおいて支援しよう」という姿勢そのものも厳しく「批判」の対象になっています。

うーむ、私の考え方は、安直なのだろうか?分からない。これも、基本に戻って、良く考えてみます。

> ◎おいらはといえば、「入所者・退所者の熱い思い」「80歳になろうとする高齢」「今作らないと」といったおためごかしの常套句をちりばめ、必ず「よい映画にするために」あの手この手で「監督にいい映画を作ってもらうために」「資金集めにご協力ください」で結ばれる実行委員会の文面にいささかやり切れない思いです。
> 監督を責任者とする制作側への批判と同時に(あるいは、批判とは別に)、坂本牧師を委員長とする、あるときは「いい映画を作ってもらうために」と別組織・別主体であることを強調し、あるときには連名でアッピールする「実行委員会」の姿勢と責任も問われなくてはならないのではなかろうか。


これには、全く同感なのですが、さて・・・。
 


43.36%  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 4日(日)04時44分56秒   返信・引用
  過去一年間に「ハンセン病のリンク集」への総アクセス数は 398759、その内「目次」のページへは 172558。と言うことは、約43%は目次を開かれる。「ニュース速報」は、僅か 22821、と少ないのです。

そこで、見落として頂きたくない「速報」を、見て頂くよう、「目次」に「その日のニュース」を入れるように、仕様変更しました。

チョット、見辛いかな? 不格好かな?・・・?
 


横レス失礼 Re: 監督が会いにきた  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月 4日(日)04時35分26秒   返信・引用  編集済
  >
>   夕焼けさんへ
>
>  ご批判は甘んじて受けますが、人間関係のことで深入りは避けています。ご了解ください。

早起きしようと寝たら、えらく早く目が覚めてしまった。
今日は田舎に言ってまいります。村八分でも二分の「お付き合い」が発生。

◎ところで「藤本事件」は、「人間関係」の問題なんだろうか。

端的に言えば「疑問はあっても、知っている人は批判しない」ということですか。
「らい予防法」の廃止ができなかったり、医療事故を実証するのが困難だったりするのは、こういう「責任」より「仲間意識」を優先する風土が背景の一つでしょうね。



◎また、藤本事件の「冤罪」を「人民の名において明らかにする」ということと、今回の「映画批判」は、まったく別なことだと思います。批判は、「映画制作そのもの」にかかわっています。
したがって「冤罪追求は、種々困難があって不十分だが、現情勢下ではやむをえない。差別や偏見解消を訴える映画だからその限りにおいて支援しよう」という姿勢そのものも厳しく「批判」の対象になっています。




◎おいらはといえば、「入所者・退所者の熱い思い」「80歳になろうとする高齢」「今作らないと」といったおためごかしの常套句をちりばめ、必ず「よい映画にするために」あの手この手で「監督にいい映画を作ってもらうために」「資金集めにご協力ください」で結ばれる実行委員会の文面にいささかやり切れない思いです。
監督を責任者とする制作側への批判と同時に(あるいは、批判とは別に)、坂本牧師を委員長とする、あるときは「いい映画を作ってもらうために」と別組織・別主体であることを強調し、あるときには連名でアッピールする「実行委員会」の姿勢と責任も問われなくてはならないのではなかろうか。
 


これも「無視」  投稿者:   投稿日:2007年 2月 4日(日)04時00分36秒   返信・引用
  この記事へのコメント

おひさしぶりです。以前、映画撮影の時に、実家を撮影に使って頂いたことを記憶しています。あれから、ご健勝のことと思います。現在、私は、東京に住んでおります。実は、お願いしたいことが、ありまして、コメントさせていただきました。よろしければ、返信の方を、よろしくお願いします。
Posted by hayasi at 2006年09月15日 00:21


2000万おめでとうございます。
ただ、なぜHPという手段をもちながら情報が公開されないのか不思議です。何か理由があるのしょうか?

Posted by @@ at 2006年12月01日 22:2
 
    (リベル) 今気付きました。

「トップページの左側Comments欄に入っているコメントに、返事を見かけません。見落としていらっしゃるのではないかと、お節介ですが・・・。」

と、最新の記事にコメントを付けましたので、さあ、みものですね・・・。
 


Ichiroさん、ちょっとお教えください  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 4日(日)02時23分16秒   返信・引用  編集済
  判決文を読んでいて、良く分からないことが有るので・・・。専門家のお知恵拝借です。

スルフォン剤・DDS・ダプソンの違いについてです。
スルフォン剤にも色々あって(プロミン・プロミゾール・ダイアゾンなど)、その中にDDSが有る。しかも代表的(または「基礎となる」―判決文の表現です)なものである。
そして、DDSの経口薬がダプソンである。

こう理解して、正しいのでしょうか?お教えください。イエス・ノー程度でお願いします。余り詳しく解説されると、私の知識では追いつけなくなりますので、よろしくお願いします・・・m(_ _)m
 


夕焼けさんへ Re: リベルさんとの相違をまずは埋める汗  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 4日(日)01時48分29秒   返信・引用
  夕焼けさんが、三年前にまで遡って、もう一度藤本事件について、整理をして下さいました。感じていることは、先ず共通しているのですが、再審についての理解に、少し食い違いが有るのではないかと思いました。

『どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。』(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から)

これは山下峰幸氏の「壁をたたく音がきこえる」の中の「悼む 藤本松夫」と題する関原勇弁護士の講演(「菊池野」1984年12月号・1985年1月号から)の中から、拾ってきました。以前にもっと短く紹介したことがあります。

夕焼けさんはこの本は、お読みになったと思うのですが、(もし未だでしたら、購入方法はこちらです)この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。よろしくお願いします。

追記:なお、もし必要と有れば、関原氏の講演部分はA4で約10枚なので、メールを頂けば、一日後くらいには(ゼロックスをとりますので)お送りできると思います。
 


ドン・キショットさんへ Re: 「全患協ニュース」No.201より  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 4日(日)01時08分8秒   返信・引用  編集済
  「全患協ニュース」No.201(1962年10月15日発行)より
>
> ◇遺書かく時間も与えず真実の叫びを圧殺
>   ―関原勇主任弁護士談―
> 藤本氏の処刑はまつたく抜きうちのむちやくちやなやり方だ。家族にも兄弟にも弁護人にも、そして本人にも知らせず、ヤミからヤミにほうむつたのだ。真実の叫びを一こともいわせぬように圧殺してしまつたのだ。
> 福岡刑務所の豊田教育部長は、三回“お別れ”を言つたとき、はじめて藤本氏が“死”を知つたようだというが、無実であり、再審の申立てをし、無罪を確信している人が、“お別れですね”といわれてピンとこないのはあたりまえだ。遺書を書く時間も、心の余裕を与えず、殺してしまつたのだ。
> 藤本氏の処刑は、きわめて計画的に綿密におぜん立てをしたとしか思えない。人を殺すために官憲が一体となり、極端な秘密主義と官僚主義のなかで事を進め、殺したあとも事実をかくそうとしている真実をおしつぶそうとする黒い意図が裏に働いているのだ。
>
> ◇“再審請求中でも処刑”
>   ―国民救援会・日患・救う会抗議に当局が暴言―
> 国民救援会と日本患者同盟、藤本松夫を救う会の三団体の代表七名は、九月十八日午後三時、法務省を訪れ、当局に厳重な抗議を申し入れた。
> 勝尾秘書課長はまず「死刑執行命令にいつだれが、押印したかはいえない」と責任回避したうえで、①最高裁判決後は一回目の再審申し立て中であつても二回目であつても死刑は執行する。②処刑の決定は法務当局が資料を検討したうえで再審事由なしと認定した場合に行なう。③藤本氏の場合、熊本地裁が再審請求を却下することを確信していた。④減刑助命嘆願の却下や再審却下の通知を受刑者に通知する必要はない。⑤裁判で決まつたものをいつまでもずるずる処刑延期することは妥当でない、藤本氏は判決から五年もたつているとのべた。
> 各代表は、課長の発言は従来会見のたびに当局がいつてきた「再審の請求があるときは処刑しない」との言明とまつたく違う点を注目「最高裁の判決があつても、このような死刑にあたつては、当人は勿論のこと、当人を取りまく善意のひと、国民全部が充分納得、理解し得るだけの審理をつくし、処刑にあたつてはその説明と根拠が明らかでなくてはならない」「無実と信ずるから再審を申し立てるのだ、殺されてから真実が発見されても無意味だ。尊い人命を尊重する立場から慎重すぎるほど慎重に対処すべきだ」と要求した。


ドン・キショットさん、貴重な資料を有り難うございました。先日の抗議文と併せて、「藤本事件」のページ「藤本事件関連年表」(1962年のところ)に保存・掲載させて頂きました。
関原弁護士の言葉は、聞いたことがありましたが、法務省の暴言は初めて知りました。厚労省・法務省ほか、「官僚」というのは、非道い、としつこく言っている私ですが、こんなむちゃくちゃが、罷り通っていたのかと、これまた怒りを新たにしました。むちゃくちゃですね、全く・・・。


話は変わりますが、中山映画のblog、未だ返事が見当たりませんね・・・。
 


監督が会いにきた  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 3日(土)22時44分32秒   返信・引用  編集済
  リベルさんへ

 土曜日、恵楓園にいきました。社会交流会館も初めてですが、映画の撮影があっているのを知っていったわけです。はじめはどこか別の所で撮影のようでしたが、昼過ぎいきましたら、自治会棟で撮影中でした。それは映画撮影のイメージ通りで、大勢のスタッフ(30名といわれたましたが)と入所者など見物全体で50名以上でしょうか。後ろの人には 仕事をしていてください、といわれていました。(エキストラというわけでしょう)

 よく知っている自治会の会議室で、関係者が主人公に資料を見せて訴えているところで、多い時は10回近くやり直しを続けていました。勿論シーンとして声もだせない状態で、あ、こりゃ監督に会えないなと 覚悟していた時ですが、チラと小生に気づかれた監督が出てきて私に挨拶されました。

 私は単刀直入に 質問がいきますけど 宜しくお願いします。は? あのご存知ではなかったのですか? どなたからですか リベルさんです。どこの方ですか? 宝塚です。ああ、女性の方ですね。私:???

 やはりリベルさんは リデルという女性と間違われてるのかな。

 ほかにちょっと話しましたが、大勢の人を待たせているので、すぐ撮影の輪に入られました。返事の確約は されませんでした。映画制作の最中の忙しさもあり ちょっと返事の確約の一言が欲しかったのですが...........

  夕焼けさんへ

 ご批判は甘んじて受けますが、人間関係のことで深入りは避けています。ご了解ください。
 
    (リベル) >質問がいきますけど 宜しくお願いします。は? あのご存知ではなかったのですか? どなたからですか リベルさんです。どこの方ですか? 宝塚です。ああ、女性の方ですね。

そう仰有って頂いた以上、質問状を突きつけざるを得なくなりましたね。本名で出すと、宝塚は宝塚だが、女性ではない、とがっかりさせるかも知れませんが・・・(笑)有り難うございました。(2.4 00:07)
 


ちょっとお邪魔します。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 2月 3日(土)16時50分38秒   返信・引用
  >アンリ・ド・ブラーケレールという画家を知らなくて、検索してみました。「トランプ遊び」というのも好評のようですね。スペルが分かればもっと大きな画像が見られるのでしょうが、ご存知有りませんか?もしお分かりでしたら、お教えください・・・m(_ _)m (2.3 01:07)

リベルさんのご質問にお答えいたします。スペルは「Henri de Braekeleer」です。
この画家の絵は「ベルギー王立美術館展」の時に出会ったものです。
 
    (リベル) ありがとうございました。早速Googleで検索しましたが、この絵のこれより大きいのは、見付かりませんでした。他に似た絵の大きいのは見付かりました。宜しければ、これをGoogleの「イメージ検索」して頂くと、あずきさん好みの絵が見付かるかも知れませんよ。(2.3 18:12)  


「全患協ニュース」No.201より  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 3日(土)14時16分0秒   返信・引用
  「全患協ニュース」No.201(1962年10月15日発行)より

◇遺書かく時間も与えず真実の叫びを圧殺
  ―関原勇主任弁護士談―
藤本氏の処刑はまつたく抜きうちのむちやくちやなやり方だ。家族にも兄弟にも弁護人にも、そして本人にも知らせず、ヤミからヤミにほうむつたのだ。真実の叫びを一こともいわせぬように圧殺してしまつたのだ。
福岡刑務所の豊田教育部長は、三回“お別れ”を言つたとき、はじめて藤本氏が“死”を知つたようだというが、無実であり、再審の申立てをし、無罪を確信している人が、“お別れですね”といわれてピンとこないのはあたりまえだ。遺書を書く時間も、心の余裕を与えず、殺してしまつたのだ。
藤本氏の処刑は、きわめて計画的に綿密におぜん立てをしたとしか思えない。人を殺すために官憲が一体となり、極端な秘密主義と官僚主義のなかで事を進め、殺したあとも事実をかくそうとしている真実をおしつぶそうとする黒い意図が裏に働いているのだ。

◇“再審請求中でも処刑”
  ―国民救援会・日患・救う会抗議に当局が暴言―
国民救援会と日本患者同盟、藤本松夫を救う会の三団体の代表七名は、九月十八日午後三時、法務省を訪れ、当局に厳重な抗議を申し入れた。
勝尾秘書課長はまず「死刑執行命令にいつだれが、押印したかはいえない」と責任回避したうえで、①最高裁判決後は一回目の再審申し立て中であつても二回目であつても死刑は執行する。②処刑の決定は法務当局が資料を検討したうえで再審事由なしと認定した場合に行なう。③藤本氏の場合、熊本地裁が再審請求を却下することを確信していた。④減刑助命嘆願の却下や再審却下の通知を受刑者に通知する必要はない。⑤裁判で決まつたものをいつまでもずるずる処刑延期することは妥当でない、藤本氏は判決から五年もたつているとのべた。
各代表は、課長の発言は従来会見のたびに当局がいつてきた「再審の請求があるときは処刑しない」との言明とまつたく違う点を注目「最高裁の判決があつても、このような死刑にあたつては、当人は勿論のこと、当人を取りまく善意のひと、国民全部が充分納得、理解し得るだけの審理をつくし、処刑にあたつてはその説明と根拠が明らかでなくてはならない」「無実と信ずるから再審を申し立てるのだ、殺されてから真実が発見されても無意味だ。尊い人命を尊重する立場から慎重すぎるほど慎重に対処すべきだ」と要求した。

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「新・あつい壁」について何かを考えるとしたら、
やはりこの時点に立ち戻って考えてみたいと、
メモしてみました。
 


愚民視されないためにも、慎重に冷静に!そして、提起する内容を重く、束ねることが先決で、リベルさんとの相違をまずは埋める汗  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 3日(土)12時46分26秒   返信・引用
   「再審する」という行為が、如何に通常とは異なる様相であるのか?ということは、想像できるものと心得ています。ですから、関原勇弁護士・山下峰幸氏のこれまでの行動は、その部分・・・、「冤罪」の確信、そして勝利というものが原告になる「ご遺族」に持ちえることが出来るのか否や!?にまずは、懸かっている・・・。そのことの理念の共有がまずは出来、ハンセン病に対する「スティグマ」・・・、このことの社会への解除を如何に市民レベルで、成していくのか?という、ある意味・・・果てしない闘争が我が国には、秘められているように思っています。
 この大事な作業を置き去りに、映画化・・・、当初は藤本事件の映画化を!と言っていたと思いますが、このこと、つまり、
 ご遺族との、「絆」を、もし!無碍に・・・映画制作を「正義」と前に進んでいるとすれば、このことが事実であれば・・・、「映画制作は何の為?」
 たとえ、映画制作サイドが言う、藤本事件は題材であって、映画を作るのはハンセン病を罹患された多くの方々の為であって、そこに「正義」がある!
 果たして完治された皆さまもほんとにこの思いで支持されているのだろうか?・・・、私は疑問です!?

 山下さんに突きつけられた苦情は、私も活字の違い(書籍かネット)はあれ、「藤本事件」と、書く事でクレーム若しくは、「訴えるぞ」が、追ってくる可能性もありますが、山下さんの場合は、中山監督に対する侮辱罪も視やにいれているとのことでしたが・・・。

 だがここで、今一度考えておかなくてはならないことは、なぜ?「F事件」「菊池事件」としなければならなくなったのか?の真意だと、思っています。

 「冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になった」・・・、この不可能となった原因を、もっともっと考えるべきだと、今、私は考えています。

 もっと言わせていただければ、「再審」には映画制作以前より、希薄であったご遺族の心情・・・その理由も、我々は想像するべきだと考えています!
 なぜなら、冤罪か!死刑囚か? ハンセン病は治る病であったのか!不治の病であったのか? さらに、「父」は「兄」はハンセン病であったのか!そうではなかったのか?
 これらの多くの疑念が明らかにされる!と、信じられるのであれば・・・、私ならその多くの疑念は、共に晴らせるものなら晴らしたい!

 だが、先にも言いましたように、我が国の人権を重んずる文化、国民性を考えた時・・・、その想いは萎えてくるのです・・・!その現実国家を鑑みた時、ご遺族の心情と照らし合わせ、そうさせない社会作りが私たちの課題であり、努力しなければならないことだと言えるのでしょうが・・・、「ハンセン病問題」という人権に大きくに携わる我々意識下でも、多くの「差異」が・・・、その「差異」の根源はなぜ?であるのか!を、
 私はリベルさんのBBSで、語り合え導き出されれば・・・と、欲は大きく膨らんでいますが・・・
 そのことからの、「市民の意」を、提起する行動へと・・・、願っています!
 


Re: レスはまだです  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 3日(土)12時12分10秒   返信・引用  編集済
  > 映画「新・あつい壁」製作・上映委員会・事務局の皆さんにお願いです。
>
> まず、質問をさせてください。
> 製作費目標額を1億5000万円と設定されていますが、
> その根拠をご提示いただけないでしょうか。
> わたくしには、当該映画製作に1億5000万円の製作費がかかるということが理解できずにおります。
> Posted by ドン・キショット at 2007年02月01日 18:30

今見ると、1月31日の記事が
トップに来ています。その左の「コメント欄」に、ドン・キショットさんの記事見出しが出ています。

ドン・キショットさん、私も追いかけます・・・!
 


レスはまだです  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 3日(土)10時58分30秒   返信・引用
  映画「新・あつい壁」製作・上映委員会・事務局の皆さんにお願いです。

まず、質問をさせてください。
製作費目標額を1億5000万円と設定されていますが、
その根拠をご提示いただけないでしょうか。
わたくしには、当該映画製作に1億5000万円の製作費がかかるということが理解できずにおります。
Posted by ドン・キショット at 2007年02月01日 18:30
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    (リベル) 拝見しました。このページの一番下ですね。やりましたね。拍手、大拍手です。これで口火が切られました、私も追随します。皆様もイザ出陣!!!(2.3 11:55)  


続きです!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 3日(土)09時56分52秒   返信・引用
  私の「藤本事件」 2 ・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月17日(木)07時14分9秒   引用
 「藤本事件」と、いうノンフィクション(史実)から、特に主権者を疎外しつづけた行政国家の実態に迫るものとしては、これほどのものは、「やはりない!」と、思います。

 ハンセン病被差別化問題が戦後の 日本国憲法下 で、しかも、司法までもが取り込まれていたという共謀罪的な社会形態(国家機構)。その中から起きた「藤本事件」の深層の真相。

 この社会形態・構造は、選挙によるものだと、早くから指摘くださっていました、志村さんの声が蘇ります。
以下、貼り付けます!

★Re: 志村康さんとキャッチボール 13 ( No.13 )
日時: 2004/06/05 00:42
名前: 志村 康


憲法はいい線行ってっていると思います、帝国憲法から敗戦によって主権在民の民主憲法には改変されました。
あの戦争は自由と民主主義を求める戦争ではなく、侵略戦争であったと思います。
日本国民の一人一人が自由と民主主義については勉強が不足しており
人権にいたっては尚更その意識は低いのではないかと思います。
 主権者である国民が主権を直接行使することができるのは、国会議員の選挙です。自分が決めその投票には責任を持つことになれば、私たち庶民が考える政策に近ずくはずです。
 やるからには中途半端でない法律を作りたいですねえ・・・

以上です。

 私にとっては大きな提起だし、主権の行使について少しでも深く考えてみる切っ掛けでもありました。

 この時期、私たちは「藤本事件」についてBBS上で、論議をしていました・・・、これも志村さんからの ※菊池医療刑務支所・収容者処遇! ※医療刑務所在監者数の推移! と、いう提起があってです!

★日時: 2004/06/10 22:27
名前: 志村 康


いいものを見つけましたので、おすそ分けです
菊池医療刑務支所・収容者処遇

運営方法
1)当所に収容する者は等しく犯罪者であることに変りはないが一面病者であり、しかも前途の光明極めて乏しい同情すべき犯罪者であるから収容者に対しては所内規律に反しない限り、あくまで仁愛の精神を傾けて、更生意欲の助長を図ることとする。

2)病者であるから療養の点では、らい療養所と何等異なる所なく療養に専心せしめる。尚医療管理上専門的技術を要する面については菊池恵楓園の協力を得ることに法務省、及び厚生省間の協定が出来ている。

問題は公正な裁判によって刑が確定したかと言うことであります。「前途の光明極めて乏しい」が量刑に対して働いたかと言う疑念があるからです。藤本事件を知れば知るほど、疑念は募るばかりです。


続いて、

★Re: 志村康さんとキャッチボール 13 ( No.23 )
日時: 2004/06/13 22:50
名前: 志村 康


医療刑務所在監者数の推移
1953.3月10日開庁定員75名
  54ー19  71-2
  55-22  72-3
  56-22  73-2
  57-15  74-2
  58-8   75-2
  59-8   76-2
  60-10 76年10月~77年4月「不在監」
  61-10
  62-9   77-1
  63-7   78-2
  64-6   79-1
  65-6 79年5月~80年1月24日「不在監」
  66-5   80-2   85-4
  67-4   81-2   86-1
  68-4   82-2  新庁舎落成(定員10名)5月28日
  69-3   83-5   87-1
  70-3   84-6   88-0
  (続らい予防法を問うより) 87年11月より「不在監)
たった一人11月までの為に新庁舎が作られた。

以上です。


この提起を下に、僅かな皆さまですが・・・、論議をさせて頂きました・・・。

昨日の、
続 東京裁判について 投稿者:Ichiro 投稿日: 8月16日(水)13時36分48秒

Ichiro さんの書き込みが、偶然なのか必然なのか知る由も有りませんが、
> まあ、弁護も充分できないと、納得できる裁判ともいえないであろう。

この提起は、「藤本事件」の司法への大疑惑となっている部分だと、感じています。

 確かに「藤本事件」から、多くが見え、考えさせられます。この 考証・検証 無しには来月・・・、次なる政権(安倍政権?)への大いなる疑念も、見えてはこないのでしょうね!

 人気投票的、政権が国家運営される時ほど、怖ろしいものはない!ことは、他国の史実からも推察できます。

 そういった意味からも、この 藤本事件 の「再審」は、なくてはならないものと考えます。
 どうか・・・、映画化が国民意識の変容まで結びつくことと、ぶ厚い壁ではありますが、その壁を破り 再審の扉(とびら) を、開く一助になってくれればと、渇望しています!!
 


昨年の8月から・・・(リベルさんの掲示板より)  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 3日(土)09時49分7秒   返信・引用
  私の「藤本事件」・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月14日(月)07時22分42秒   引用

「志村さんとキャッチ」より・・・
春の嵐の中・・・ ( No.89 )
日時: 2004/04/19 07:27
名前: 夕焼け


 台風接近前を思わせる雨、風の中・・・足早に歩いてきました。(運よく、老犬が早めにウンチをしてくれました)

 昨日は、今年4月5日に発行されたある紙面より1951年の藤本事件に関する記事が、わりと詳しく「藤本差別裁判」として記載されていましたので、目を通してみました。この記事を読み、もっと詳しい記事はないかと探してみましたら、「復権の日月」の中に事件の概要が記されていました。

 どうしてこの事件をもっと知りたくなったのか!
 犯人とされた本人がこの世にいないから、死んでしまっているからもうどうでも良い!!

 そうではなくて、国(再審請求中であったにもかかわらず法務大臣の判により死刑執行された)に国家に殺された可能性があるからと思えたからです。
 今まで「黒髪校の通学拒否事件」と「藤本事件」は恵楓園と直接関係あるということで概要はそれなりに知っていたつもりだったのですが。

 今朝の嵐の重苦しい中を早々と歩きながらでも、藤本さんのご家族、親戚の方々の心情などを考えてしまうと結着どころか、この事件は今も直、生きている事件だと・・・今度の中間報告の中でもしっかり触れられているのだろうか・・・?
 藤本さんの死【処刑】について?という視点から今後の成り行きを見守っていきたい。

 拉致された3人が何であんなに落ち込んで帰ってこなければならないのか?
 政府がそのような雰囲気づくりを仕向けたのでは?藤本事件同様、国家の都合からという疑念が私の心を覆った。外の嵐以上に・・・重苦しい朝だった。


 Re: 「いつでもつぶやき~小さな思いをよせあって」2 ( No.90 )
日時: 2004/04/19 13:24
名前: 志村 康 <kiss-yo@aioros.ocn.ne.jp>


夕焼さん
1962年(S37)4月23日熊本地裁に第3回再審請求
          6月15日全患協ニュースを藤本事件特集で出す
          8月25,26救う会本部及び九州代表による現地検証
          9月11日中垣國男法務大臣刑執行押印
          9月13日志村康 懸案報告のため藤本さんに面会
             同日第3回再審請求・却下
             同日深夜福岡刑務所に移監命令
          9月14日7:45菊池医療刑務所を発つ
               10:30分福岡刑務所着
               13:07刑執行
電文「一四ヒマツオシス」15ヒ12ジマデニオイデコウー中略―インカンジサンノコト」フクオカケイムショ
 皆さんも感じてください、再審請求中に押印までするとは嗚呼!
 遺書は無かった。


どうしても知っておきたいこと! ( No.91 )
日時: 2004/04/20 07:16
名前: 夕焼け


 この藤本事件を語るとき、藤本松夫さんの人物像が見えてこないところに「そんな事件も起きたのか!!」に留まっていた様な気がします。逮捕されるまでの29年間、犯罪者扱いされたままで生涯を終えさせられた11年間。今私は、松夫さんについてたくさん語っておきたい!そんな朝です
 藤本松夫さんが40歳で亡くなった!!
       処刑されたのか?
       殺されてしまったのか?
 この真実を探ることが、私のハンセン病の歴史に、新たな一ページを開くことのように思えます。
 国民の皆さんに「藤本事件」を知ってもらうことが良いことなのか?私には解る術もありませんが、私個人としましてはこの事件を追うことで、ハンセン病問題の“怒り”が新たに沸き起こりそうです。

 政府が、今回とった帰国する三人【イラク人質事件】の、必要以上と思われる護送手段(あなた方は大変なことをしでかしたのだ)と、権威ある方々の、拉致された3人の方々についてのコメント(大変な迷惑をかけたのだ)。
 「お召し列車」ならぬ、輸送の弊害で国民を惑わした国家の思惑とがダブり「私たちに何をしょうとしているのか政府は?」またまた疑念は膨らんでいく。
 皮肉にも外は清々しさが漂う素晴しい朝だった。


どうしても、知らねばならぬこと! ( No.92 )
日時: 2004/04/20 23:12
名前: 夕焼け


 願い叶ってか!藤本松夫さんの僅か一部にでも、触れることができました。

  押し鮨(ずし)のように
  狭苦しい箱の中に閉じ込められて
  消えかけた命を今日もまた引きずっていく

  ああ…わずかな空き地でいい
  腹の底から『馬鹿野郎』と
  大きな声が出せるところが欲しい

 藤本松夫さんが獄中で書き残した詩だそうです・・・・・・。


志村さんの言葉! ( No.93 )
日時: 2004/04/21 07:08
名前: 夕焼け


 『遺書はなかった』という過去形の言葉が・・・私には疑問文の言葉のように捉えられ、重い言葉となっています。

 熊本日日新聞の小林義人記者が、無実を訴えたまま殺人罪で死刑になったハンセン病患者、故、藤本松夫さんの数ある詩・短歌の中から『馬鹿野郎』・・・なぜこの詩を掲載したのか?この事件を取材したからこそ選べた詩のような気がします。
 私には解る・・・理解できそうな気がしています。こうして一夜明けた朝でもこの 慟哭・己の運命への愁訴 とも取れるこの詩が、朝の散歩時でも私の脳裏に投げ掛けてくるからです。

 『遺書はなかった』・・・この言葉が投げ掛けるもの。処刑されたとされた【処刑されるにしてもそれなりの 慈悲 というものがこの時代であればあるはず、なのにそれらしいものが無いことが新たな疑念となっています】松夫さんと前日にお会いしたからこそ生まれる言葉なのだと感じています。
 一体なぜ?誰に?なぜ死ななければならなかったのか?

 遺書を書く時間も与えられないままに死刑が執行されたことへの“大いなる疑念!!”

 今、改めて「隔離政策がもたらした冤罪だったのではなかろうか?」という視点から、この「藤本事件」を注視していきたい!!

 5月の大型連休には、園内に保管されているといわれる遺品の中からせめて自治会誌に頻繁に投稿されたという手記や詩・短歌を覗くことはできないだろうかと・・・願いは募る朝だった。
 


Ichiro さま  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 3日(土)09時32分33秒   返信・引用
   私は、この度の「映画制作」に関しては、一貫して無言のお立場であると、その心情も私なりに理解されると・・・、悔しいが納得をせざるを得ませんでいました。

 だが、ここに至り、映画制作についての「疑問」を、お持ちであるから、と、いう書き込みを読ませていただき、私は落胆を通り越えた「嘆きの感」を、持ってしまいました。私も「あなた」もリベルさんのBBSに、随時お顔を出すようになったのは昨年の夏、時は「藤本事件の映画化に対する論議」の最中であったと思います・・・。

 私は、この映画企画が前進することにより、菊池の辛辣で頑固な方に及ぼす これからの影響 を危惧し、映画制作の根本からの見直し、そして、再考からの出直しを!九州も関東もない中での・・・、仲間としての“皆が押さねば成らぬ”という意識下で、達成して頂きたかった・・・。

 たぶん、あなたは菊池の辛辣な方の お立場からの動向 で 無言という手法 なのだと、感じていましたが・・・、
では、なぜ?ここ(映画撮影が開始された・クランクイン)に来て、今更と思える映画に関する思いなどを書き込むのですか・・・、窮地のお立場(辛辣な方)になる、その人のことを考えれば、当然!昨年の、8月時からの論議の中に入り、「砂の城になりはしないか?」と、思える要素について、共に議論されなかったのですか?

 議論の最中、とても大事な 要点 に触れようとした時、あなたの書き込みが、如何に多くの熱い思いを削いでいたことか・・・?
 共に中に入って あなた の感性からの主観をお聞きしたかったか!?私は逆に、わざと大事と思える論議をさせないとする行為なのか?と、疑念を抱え イラツキモ 持っていたのです!

 私は、今は・・・、菊池の辛辣な方には 「何を偉そうなことを言っ取るか!?、貴様などに養護と思える自惚れた行為など頼んだ覚えは、無い!?」と、一掃されそうですが・・・、・・・この想いは伝わるを信じ、苦悩していた、いいえ、苦悩しているのです!

 Ichiro さま、私がなぜ?辛口の批評するのかといえば・・・。
 あなたも、「志村さんとキャッチ」に2年前より、ご参加されていたからなのです!

 この2年間の中に、「藤本松夫」さんに纏わる・関わる主要なお話はしていたにも拘らず、どうもあなたは ご自分の研究テーマ以外 には 関心の域は出ていなかったようですね・・・、残念です!
 当時の志村さんが持つ「藤本事件の疑惑」ましてや、ご遺族をの了解・支持なしには、到底出来上がる映画化などでは、無い!ことは百も承知している、にも拘らず・・・、なぜ?その土台を蔑ろにしたかの・・・映画制作協力と成ってしまったのか!?
 私は決して、中山さんちの映画blog内の編集者言う、
>今回の映画製作にかける全国の入所者の方々の強い思いは、もしこの機会を逃せばもう次の機会はないという、そうした切実な思いや願いに裏づけられたものであるということを痛切に実感しました。一刻も早く映画を完成させ、その曉には、現在の入所者、退所者、そのご家族のみなさんにこそ、第1番目に観ていただきたいと切に願っています。<

 つまり、高齢化率が深刻な為の、急がなければならない映画制作である!というは、詭弁としか私には思えません!如何にも訴えている感はしていますが、急がなければ成らない真実は、包んで仕舞い込まなければ成らない現実が、制作費も半分で出来上がるのかどうかは分かりませんが、クランクインした・・・、そのことからの 彼ら の今ある窮状を、報道の記事や、彼らのブログ内から読み取れます・・・。

 「報道陣よ!しっかりしろ。あなた方は、社会的な責任・責務に携わっていることを、今一度!心し、活字からの怖さを、考えて欲しい・・・」


 先生!私の書き込みが悔しかったら今一度、当時の志村さんに触れてみてください!

 先生は、志村さんのことが、心配では「ありませんか?」

 是非!上記の貼り付けを・・・、目を通されて、頂きたい!!

 「支持する行為とは?」は、全幅の信用・信頼から導き出したい!が、私の考えです!?
 


リベルさんへ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 3日(土)04時50分42秒   返信・引用  編集済
  リベルさんへ

 映画製作についての疑問、たしかにありますので 質問してくださいませんか。

 しかし 募金して映画製作というのは 確かにあるようで、昨年もうちの団体(病院、介護老人施設、その他を経営している)では 切符を前に買って、当地(阿蘇市)に映画館がないので バスを連ねて(正確にいうと数日に分けて でした。勤務の都合がありますので) 隣町(小国町)に映画を見にいきました。いい映画でした。

 題は忘れてしまいましたが、内容は 心に傷を負った少女が 阿蘇の牧場の生活で 立ち直るという筋でした。熊本でだいぶ募金したようです。阿蘇のロケーションが大々的にあったので 協力にやぶさかではないという話でしたが、勿論内容に賛同して協力したわけです。

 今回も うちの会では 申し出以上に 切符を買いました。監督が近くで講演会を行われたそうで それは私は知りませんでしたので 出席していません。
 


夕焼けさんへ Re: (無題)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 3日(土)02時25分10秒   返信・引用  編集済
  リベルさん、私は「二律背反」も尊びたいし(蔑ろにしたくはありません)、「副次的矛盾」が生ずる世は、私なりに理解しているつもりですが・・・、今回の映画制作が内包している「基本的矛盾」に関しては・・・、もっと市民間での合意形成、理念の共有するという行為が求められているような気がしています。

>リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。(上手く伝えられません・・・、ごめんなさい!  投稿者:夕焼け  投稿日: 2月 1日(木)07時21分46秒  内の書き込み)

と、書き込ませていただいているように、リベルさんの思いが、>、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。だが、私は映画を「支持する」<

 この点が、私なりの努力しなければならない部位なのでしょうが、このことが私には難しすぎるのです・・・。私は、この 争点 を、深めていくことが 大事 なことのように 今 は考えているのですが・・・!?


私の中では、誠にスッキリと割り切れていると感じているのですが、でも、どうも説明が不十分なのかも知れません。自分の中の整理も兼ねて、もう一度書いてみます。

1)冤罪を追求する「死刑台のメロディー」のように、藤本事件を映画化するのかと、最初私は思っていました。しかし、ご遺族の意志でそれは不可能になりました。それでやむなく、藤本事件を「モチーフ」とした「ハンセン病差別の解決に取り組む映画」へと、路線変更になったのだろうと、私は推測しています。これは、やむを得ない事情だと思います。それならばそれで、その映画を作ることは、良いことだ。賛成する、『支持する』、声援する。というのが今の私です。

2)しかし、この路線変更について、何の説明も無いのはどうなのか?また、山下さんの「シナリオ批判」に対して、直接の回答が無いのはなぜなのか?制作費が篦棒に高い(皆様のお陰で、最近知った情報です)のは、どうしたことか?未だ「疑問」は有るかと思います。

私は「映画作り」の作法などについて、全く素人です。だから、そういう疑問に制作サイドが一々答えなければいけないのかどうかは、知りません。知らないから言えるのかも知れませんが、こういう疑問を見事に一掃してくれるような、メッセージを発してもらいたいのです。それが無い。それが不満です。『「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでない』というのは、そのことです。


100%良しとはしないが、支持するというのは、こういう意味です。こんな説明で、如何でしょう?分かって頂けたでしょうか?もし分かり難ければ更に追求して下さい。

そこで下のような提案をしているのです。サッパリと、疑問を一掃してもらうために、こちらから、働きかけてはどうか?疑問を箇条書きにして、ぶつけたらどうか?

こうしている内にも、撮影は着々と進行しています。さあ、どうしましょう。そうこうしている内に、はい完成。と言うことになって、いや結構良いのが出来たじゃないか。なるほど1億5000万円(1億8000万円でしたか)は、そこに使われていたのかと判明して、目出度し目出度しでチョン。ですか???(o_ _)oパタッ!

気を取り直して再掲載:さあ、どうしようと・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 3日(土)01時21分24秒   返信・引用  編集済
  このような文章を作りました。このblogの一番下にある投稿欄から投稿するとか、上映実行委員会にメール(nakayama2005@dowbow.net)する(この場合は文章の一部を訂正しますが)とかを考えています。


『いつも拝読しています。
「新・あつい壁」がようやくクランクインし、菊池恵楓園でもロケが行われている由、新聞記事や、BBS「志村さんとキャッチボール」での志村さんの書き込みからも存じております。極寒の中、大変な撮影作業に、心から敬意を表します。

私の運営しているBBS「ハンセン病の落書き板」でもこのクランクインとその報道を契機に盛んな意見交換がなされています。一度ご来駕の栄を得たく存じます。「冤罪」問題のフェードアウトのこと、膨大な制作費の協力要請のことなど、批判的な立場の発言も、勿論あります。だからこそ、本当に参考になることが、お目に止まるかも知れないと思い、お勧めしてみる次第です。私達が本当に知りたいことだからです。

十分な情報を得られないでいる私達が、今回の映画化をどういう風に感じ、考えているか、その辺をお汲み取り頂けるかも知れません。

中山監督にも坂本克明委員長にもお読み頂き、厳しい反論を戴ければ、あらぬ誤解や、推測が解ける良い機会になるか、とも愚考します。

適当な投稿場所が見付からなかったので、こちらに書かせて頂きました。お目にとまることを祈っています。

665-0871 宝塚市中山五月台1-4-17  大槻雅俊 』


皆様の、1人で考えて勝手にせいとか、個人名を売り込むつもりかとか、出すならメールが良いとか、ここはこうした方がという文章の修正案とか、納得すれば積極的に応援する旨書いた方が良いとか、書かない方が良いとか、がいただければ有り難いと思って、お待ちしています・・・m(_ _)m

文章の、ここが悪いと言ったら、「削除」だの「アクセス禁止」だの穏やかでない手段に出たではないか! と仰有られると、これはもう穴があったら・・・(>_<)
 


お詫び!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 3日(土)00時34分11秒   返信・引用
  やれやれ、またやってしまったか、という心境です。

「○○○桟敷」はいけませんでした。私の大きなミスです。あの文章は、反省のため、削除も訂正もせずに、あそこに置いておきます。修正して改めて再掲載します。

人権感覚の欠如と言われても一言もありません。「」で囲めば良いか? という安直な感覚であったと、白状します。今後は、一層慎重に、言葉に気を付けるよういたします。厳しく反省致します。

ご不快にお感じになった方も、多くいらっしゃったと思います。心から、お詫び申し上げます。

なお、アクセス禁止は、解除しましたので、匿名さんどうぞまた何でもお書きください。ただし上↑のタイトルの下は、良くお読みください。また下のペイスト部分は、明日鬼が居なくなった頃、削除することを、今、お断りしておきます。

北風さんが、折角、冷静に擁護して下さっているのに、読みもせず先ず削除に走ってしまった軽率を、これも、お詫びします。


そうですね。爺い、消えろ! の声が出ない内に、進退を(柳沢さんでもなかろうに、大袈裟な)考えるべきかも知れません。今日、戸籍上は(実際のと二つ有るのです)、72歳になったことですし・・・。いや、真面目な話、です。
 


削除のお知らせ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)18時28分3秒   返信・引用  編集済
  Re:さあ、どうしようと・・・  投稿者:匿名  投稿日: 2月 2日(金)12時27分35秒

の投稿を、削除し、アクセス禁止にさせて頂きました。理由は、「悪意」のみからの投稿と判断したからです。投稿はコピーしてありますので、ご希望の方には、お知らせできます。

と書いてから、北風さんの投稿を読んで、やや、これは早とちりを・・・と。

ご参考までにその「投稿」をペイストします。私のレスも含めて。


と書いて、ペイストしていましたが、削除しました。害虫の死骸は排除、です。上に書いたとおり、ご希望の方には、お送りします。
 


人権感覚  Re: 宮古島の懐かしい顔  投稿者:  投稿日:2007年 2月 2日(金)17時42分30秒   返信・引用
  >
>  そういえば私のエッセイの出だしにこういうのがある。 ”目が不自由な人は ヘビにおじずと言う言葉があります。”

これは、ふざけた態度ですね。

>  魚の学会は いざり魚 などを訂正するそうである。人権というのは人間だけに認められているわけではなさそう。文章が不自由になってきたのはご時世であろう。

これも、ふざけていますね。
 


宮古島の懐かしい顔  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 2日(金)17時21分59秒   返信・引用  編集済
  宮古島の懐かしい顔

宮古島の懐かしい顔がでてきました。

見過ごしていた。やっぱり検索力を強化しなくちゃ!

 http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei01.htm

http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei02.htm

http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei03.htm

http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei04.htm

 リベル様

 そういえば私のエッセイの出だしにこういうのがある。 ”目が不自由な人は ヘビにおじずと言う言葉があります。”
 魚の学会は いざり魚 などを訂正するそうである。人権というのは人間だけに認められているわけではなさそう。文章が不自由になってきたのはご時世であろう。
 
    (リベル) 私に、呼びかけて頂いていますが、意味が、チョット分かりませんが・・・???

>文章が不自由になってきたのはご時世であろう。
私の「○○○桟敷」発言のことを仰有って頂いているのなら、これは、私が間違っていると思っています。私が削除したのは別の理由からなのです。(2.3 02:31)
 


失礼ながら  投稿者: 北風  投稿日:2007年 2月 2日(金)13時10分30秒   返信・引用  編集済
  Ichiro先生は跨がせていただいて。

差別の問題は、本当に難しい。
昔(確か1972年)、そのものずばりの『偏見と差別』という本がありました。
「ヒロシマそして被爆朝鮮人」と言う副題で、平岡敬(この人はどっかの新聞記者で、のちに広島市長もしたと記憶しています)編、 未来社から出版された。
この編集をしたのも尊敬する僕らの大先輩で、もちろん人権感覚にあふれる立派な人だった。

ところが、この本の「序文」だったか「はしがき」だったかに、朝鮮人被爆者の代表が「(ケロイドのある)われわれを世間は○病やみのように扱う」と抗議しているのにびっくり仰天したことがあり強烈な記憶として残っています。朝鮮人被爆者への差別と偏見を告発しそれと闘っている人たちが、ハンセン病の人たちへの想像力が及んでいない。(もちろん、コトバの問題をいっているのではありません)

そのときから、「人権」を守り、「差別」と闘うということは、非常に個別的なことだ。人権一般、反差別一般ということはありえないのだ、と思い知りました。(あえて言いますが、差別と闘っている療養所の中は差別のない世界かといえば、全くそうではありません)
何かの差別に反対している自分が、気づかずにあるいは気づきながら他の部分では「差別者」になっていることが「普通」なのだと思います。そうならないためには、逆説的ですが、自分が「本質的に差別者」であることを自覚し、常に自分のうちの「差別者」をひとつひとつ克服しようとすることでしか、ありえないのではないかと思うようになりました。

だから「○○桟敷」一件をとり上げて「失望」するのは、早いと。リベルさんに「課題」があることを指摘すればいいんではないでしょうか。
まあ、昨日絡んだお返しに「リベルさん擁護」に回ったと取られると困るんだけど、真面目にそう思っています。

追加
ハンセン病の「啓発」に「ハンセン病は遺伝病ではなく感染症だ(だから、そういう「偏見」や「差別」はやめてほしい)ということがあります。これに対し稀少難病の会が「稀少難病の9割は遺伝性だ。そういうキャンペーンはやめてほしいとハンセン病の側に申し入れたけれど、聞いてもらえない」という抗議をしていますね。
 
    (リベル) あ~あ、申し訳も有りません。折角のご厚意を、私の早とちりで、台無しにしてしまって。

有り難うございました。感謝の言葉が見付かりません・・・。そうじゃないんだ、と言われそうですが・・・。(2.3 01:13)
 


ハンセン病と医学:紹介  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 2日(金)12時30分24秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病と医学Ⅱ
 -絶対隔離政策の進展と確立ー

 森修一、石井則久
 日本ハンセン病学会雑誌、76,(1),29-65,2007

 雑誌の最新号の論文。ページ数からわかるように大著で、文献も135も引用している。この問題については、世界のハンセン病史、中世、ノルウエー、ハワイなどの歴史から日本の隔離政策への歴史、プロミンの出現、WHOの政策まで、論じて倦むことを知らない。お勧めの論文である。キーワードとして、医学、隔離政策、北里柴三郎、ハンセン病、光田健輔が書かれている。

 昭和2年に菊池寛らが土肥慶蔵(定年を迎えた東大皮膚科教授)へ座談会で質問したが、「らい病は隔離さえすれば、(完治)できます」と言われたのは初めて小生は知りました。「一番難しいのは結核です」と続く。

 この論文の読みたい場合の一つの方法は、日本ハンセン病学会に入会されることです。元入園者の方も何名もおられます。学会はHPを持っています。

  http://www.hansen-gakkai.jp
 
    (リベル) 日本ハンセン病学会のサイトは、私も紹介していますが、なかなか良いサイトだと思います。参考になるところへのリンクも有ります。(2.3 01:35)  


出版屋端役  投稿者:あずき  投稿日:2007年 2月 2日(金)11時56分8秒   返信・引用  編集済
  「小豆」の身で「大豆」並みの騒ぎのもとを起こしてしまって、すみません。
リベルさんの丁寧な対応に感謝いたします。

北風さん。「レベルさん」じゃないでしょ。

↓これは、アンリ・ド・ブラーケレールの「窓辺の男」です。
 
    (リベル) なにも「すみません」など、仰有ることは有りません。いろいろ考えたりして、勉強になりました。感謝するのみです。有り難うございました。

アンリ・ド・ブラーケレールという画家を知らなくて、検索してみました。「トランプ遊び」というのも好評のようですね。スペルが分かればもっと大きな画像が見られるのでしょうが、ご存知有りませんか?もしお分かりでしたら、お教えください・・・m(_ _)m (2.3 01:07)
 


出版屋代表  投稿者: 北風  投稿日:2007年 2月 2日(金)09時45分25秒   返信・引用  編集済
  「映画と比べちゃ可愛そう」に過剰反応してしまった(苦笑)。
どの世界でも安直なのもそうでないのもあるわけで、詰まんないことでレベルさんに絡んで御免。

【書き直すと、辻褄が合わなくなるので。「レベルさん」は「リベルさん」の間違いです。訂正してお詫びします】
 
    (リベル) あ、レベルさんにはお伝えしておきました。ホッと安堵の胸を撫で下ろされた様子で、本当に嬉しそうに相好を崩しておられました。私までつられて嬉しくなったほどです。くれぐれもよろしくお伝えして下さい、と仰有っていました・・・(笑) (2.3 00:45)  


(無題)  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 2日(金)07時42分37秒   返信・引用
  匿名さま

 匿名さん、  ・・・どういう、どのような方なのでしょう!?と、考えてしまいました。

>「したいこと」と「すべきこと」との交錯が生み出すエネルギーが
他者への感動を伝えられるのだと思います。

 この 言霊 を、発信できる 方(ひと)がこのHPを訪れていることを知り、感慨無量の 朝 を、迎えています。
お礼が言いたいです。


 リベルさん、私は「二律背反」も尊びたいし(蔑ろにしたくはありません)、「副次的矛盾」が生ずる世は、私なりに理解しているつもりですが・・・、今回の映画制作が内包している「基本的矛盾」に関しては・・・、もっと市民間での合意形成、理念の共有するという行為が求められているような気がしています。

>リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。(上手く伝えられません・・・、ごめんなさい!  投稿者:夕焼け  投稿日: 2月 1日(木)07時21分46秒  内の書き込み)

と、書き込ませていただいているように、リベルさんの思いが、>、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。だが、私は映画を「支持する」<

 この点が、私なりの努力しなければならない部位なのでしょうが、このことが私には難しすぎるのです・・・。私は、この 争点 を、深めていくことが 大事 なことのように 今 は考えているのですが・・・!?
 


さあ、どうしようと・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)06時18分24秒   返信・引用  編集済
  このような文章を作りました。このblogの一番下にある投稿欄から投稿するとか、上映実行委員会にメール(nakayama2005@dowbow.net)する(この場合は文章の一部を訂正しますが)とかを考えています。


『いつも拝読しています。
「新・あつい壁」がようやくクランクインし、菊池恵楓園でもロケが行われている由、新聞記事や、BBS「志村さんとキャッチボール」での志村さんの書き込みからも存じております。極寒の中、大変な撮影作業に、心から敬意を表します。

私の運営しているBBS「ハンセン病の落書き板」でもこのクランクインとその報道を契機に盛んな意見交換がなされています。一度ご来駕の栄を得たく存知ます。「冤罪」問題のフェードアウトのこと、膨大な制作費の協力要請のことなど、批判的な立場の発言も、勿論あります。だからこそ、本当に参考になることが、お目に止まるかも知れないと思い、お勧めしてみる次第です。私達が本当に知りたいことだからです。

私達、十分な情報から「つんぼ桟敷」に置かれている者達が、今回の映画化をどういう風に感じ考えているか、お汲み取り頂けるかも知れません。

中山監督にも坂本克明委員長にもお読み頂き、厳しい反論を戴ければ、あらぬ誤解や、推測が解ける良い機会になるか、とも愚考します。

適当な投稿場所が見付からなかったので、こちらに書かせて頂きました。お目にとまることを祈っています。

665-0871 宝塚市中山五月台1-4-17  大槻雅俊 』


皆様の、出せとか出すなのご意見とか、出すならメールが良いとか、ここはこうした方がという文章の修正案とか、納得すれば積極的に応援する旨書いた方が良いとか、書かない方が良いとか、がいただければ有り難いと思って、お待ちしています・・・m(_ _)m
 
    (リベル) 上記の文中に「○○○桟敷」という、誠に不適切な表現があります。しかし、反省(みせしめ)のために、このまま放置します。修正したものを改めて後日再掲載します。(2.3 00:38)  


念のため・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)05時49分10秒   返信・引用
  夕焼けさんと、ドン・キショットさんへ、レスを書いておきました。大分離れましたので、念のため。

遅くなってご免なさい・・・m(_ _)m
 


匿名さんへ Re: 夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)05時08分27秒   返信・引用  編集済
  冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。
>

冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になったが、モチーフとして扱って差別の解消に取り組む、

ですか。

よく読むと、映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけですね。


匿名さんの受け取り方はそうかも知れません。が、私はそういうことを書いているのではありません。「映画サイドの言っていること」ではなく、それは「事実として存在すること」でしょう。また、仮に」映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけ」であっても、それがいけないことのように仰有る理由が分かりません。私は映画を「支持する」と言っていますが、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。

十坪住宅推進運動としてはご名答、という感じですが・・・
リベルさんのような聡明なお方が、これで納得してしまわれるとなると考えてしまいます。


十坪住宅推進運動との結びつきが私には分かりません。それから私は決して聡明ではありません。いずれにしろ私が納得しているのですから、「納得するな」と仰有られてもそれは無理なことでしょう・・・(笑)少なくとも、私はこれで納得することを恥じては居ません。

全療協にせよ恵楓園の志村さんにせよ、どうしてそんなに「藤本事件」を、あるいは藤本松夫さんを、ご自分たちの歴史の重みや厚みを、安売り、切り売りしてしまったのでしょう。

そうさせてしまったものは何だったのでしょうか。

言い換えれば、売り急がせてしまったものは何だったのでしょうか。


「売り急がせてしまった」と断定するのはどうなのでしょう。内情を知らない私達が、口にしてもよい言葉でしょうか。

そういふもの から在園者を守っていかなければならないというのが、
むしろ過剰なまでに、そういう力からは守って行かなければならないという使命のようなものが、私たちの間には、あったと思うのですが。


そういう思いは、「使命感」からではなく、心の底からの叫びが、自ずと抱かせるものであるべきなのでしょう。私は自分が、そのことを忘れがちであることに気付かせて頂きました。その点を感謝しています。有り難うございました。
 


猪武者@自宅さんへ Re: にもかかわらず Re: これはリベルさんの言葉とは思えないね。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)03時17分13秒   返信・引用  編集済
  > しつこいようですが。
> まさにその「問答」そのものに対して申し上げた。
> 「一人歩きしている言葉」ではなく、まさに「リベルさんの腕の中に抱かれた」言葉に対して申し上げました。
>
> 自分の「仕事」を言うのではありません。「映画」と「出版」のかかわりについて申し上げている。
>
> なぜ「映画の仕事」を「出版」と比べたら「監督が可哀想」なのでしょうか。むしろ、そういわれた「出版」がかわいそうです。
> まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。

しつこい、などという受け止め方は、全くしておりません。それだけ私の説明が、不十分、不誠実、横着であったのではないかと、恐れておりました。お読みになる他の方に分かりにくいといけませんし、もう一度、最初の問答を再掲載させて下さい。

(無題)  投稿者:あずき  投稿日: 1月30日(火)16時42分58秒    引用  編集済
   映画「新・あつい壁」の制作過程、資金問題などを、ずっと読んできて思ったことなので
すが、これを「出版」に置き換えて考えてみるとどうでしょうか?「ハンセン病」をテー
マとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例
は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない。何故、映画の世界はそれを可能に
するのか?それに協力している方々にたずねてみたいものです。
(後略)
(リベル) いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。たとえば「もののけ姫」のエンディングロールを見てみると、ずらり、大スポンサーが名を連ねているでしょう。映画作りに詳しいわけではありませんが、興行収入の見込めるものは、あのようにスポンサーがどさっと大金を投じるのだと、そう思われます。だからそこは、理解して行かなければいけないと、私は思います。(1.30 23:30)



実は、プリントアウトしたものを、歩きながら読んで、ミニレコーダーに思うことを録音して、先程からそれを書き写して、再度考えていました。録音はとぎれとぎれに11回有りました。最後から二番目に「最初の問答に、本質的なものが有る気がするから注意」、という一言が有りました。

そのお陰で、本質を見付けられた気がします。だから、録音して、書き写したものの大半(誠実ではあるが、本質を見落とした弁明でした)は無駄にして、新たに書きます。

上のあずきさんの言葉の中の「ハンセン病」をテーマとして出版されたもの」から、私がイメージしたものは、1人の著者による単行本でした。後に太宰治の例が臆面もなく出てくるのがその証左ですが。これが、「問題の本質」です。「ハンセン病文学全集」「大辞林」「裁判全史」「日本国語大辞典」(並べ方に工夫しておる!)などの「出版」を完全に失念していました。弁解になりますが「出版」という事業と「映画制作」を比較する、という意識が、念頭に登らなかったのです。

いかがでしょうか?これで私の失言の理由がお分かり頂けたでしょうか?初めの方に「私の説明が不十分云々」と有りますが、これは残しておいて(書き直さずに)その言葉も間違いであった、とお詫びします。「説明」とか「不十分」とかの問題ではありませんでした。

「ハンセン病文学全集」を考えても、随分昔に、「発想」があり、作品の収集、編集委員の説得に始まって、長大な難路を踏破するのも「出版」という仕事です。言わずもがな、ですが。

> まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。

と猪武者さんを嘆かせてしまった、私の罪は重いです。あずきさんの文章の読み方が不十分、横着でありました。でも良かったです、私の軽率を、気付かせて頂いて。頂門の一針として、今後の発言を、うんと慎重にするよう、気を付けます。

本当に、申し訳ありませんでした。猪武者さん、あずきさんだけでなく、他の皆さんにも心からのお詫びを申し上げます。
 


余談:芸術とは  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 2日(金)00時59分33秒   返信・引用  編集済
  千住博さんの本を読んでいて、思い出しました。

十数年前、行きつけのバーで、某民放のおえらいさんと雑談をしていて、談たまたま芸術に及びました。

「ところで芸術とは、一口に言えば、何なんでしょう?」
彼は言下に
「芸術とは画商なり」と言い切りました。
「画商?」
「そう、画商です」
「?」
「家内の親父さんが、所謂『売れない絵描き』でしてね」
「・・・?・・・なるほどおっ・・・!」

となりました。かれの居宅は台所、トイレ、階段まで絵で埋まっているとやら。

「芸術とは画商なり」で検索すると、この話を紹介した私のサイトだけしか出てこないところを見ると、この言葉は、彼の創作なんでしょうね・・・恐れ入りました・・・。


モディリアニも売れない絵描きでした
 


Re: 上手く伝えられません・・・、ごめんなさい!  投稿者:匿名  投稿日:2007年 2月 1日(木)22時24分31秒   返信・引用
  夕焼け さま

ありがとう。
あなたのおかげでまた一つ世界を知りました。
「したいこと」と「すべきこと」との交錯が生み出すエネルギーが
他者への感動を伝えられるのだと思います。
 


Re: 上手く伝えられません・・・、ごめんなさい!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 1日(木)21時59分6秒   返信・引用
  >  この裏づけは、田中等さんご夫婦が出所した鳥取のTさんに、スーパーへの買出しや、これからのTさんのサポート役を買っている事実を知らされたと同じに、非入所者問題、鳥取の高○事件から見える、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時の疑問!が、私を大きく悩ましているからです。
>

申し訳ございません!上記の文を下記のように 訂正 してお詫び申し上げます。

  この裏づけは、田中等さんの奥さんが、東日本退所者の会・柴 田 良 平 氏(http://www009.upp.so-net.ne.jp/shutoken/message1.html)をサポート(スーパーの買出し等、など)することをかっている事実や、非入所者問題が下で、起きたと推察される事件!鳥取の高○事件・・・、つい最近 Tさん は出所されましたが、ここにも心ある方々のサポートを知ることが出来ました。この退所者・非入所者問題から生じている多くの課題は、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時との関わりが懸念されています。



 田中等さんの友人からのメールで、事実誤認を知ることが出来ました。友人である方に感謝とご迷惑をお詫びし、事実誤認からの書き込みに対して皆さまにも・・・謝罪いたします。「申し訳ございません」
 


もっかいトラ狸  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 1日(木)20時26分6秒   返信・引用
  4 製作資金の調達計画

  1)製作・上映協力券の普及
     全国で33万枚の製作・上映協力券の普及を目標とする。(総製作費3億3,000万円)
     このうちの約50%(1億5,000万円)を製作費とする。
  2)製作助成金の申請
     関係自治体及び各種団体等に製作助成金の申請をする。以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うーん、どうしても理解できない。
*上映協力券普及目標=33万人×1000円=3億3000万円(←これが総製作費?)
*このうち1億5000万円を製作費とする

「総製作費」-「製作費」=1億8000万円
(ってことは、最初っから、「製作費」名目で1億8000万円の粗利益を盛り込んだ目標設定になっているわけよね。)
そして最終目標として、3000ヶ所の上映と100万人の鑑賞を目指す。

これだけ短期間につくられる映画に1億5000万円の製作費がかかるとは、
私にはとても理解できない!!
 


Re: 同じ構造  投稿者:  投稿日:2007年 2月 1日(木)19時16分38秒   返信・引用
  >
> ところで、Ichiroさんの投稿は、
> これもあれですか、ジツは何か深い訳があるとか??(苦笑
 


ダミアン神父の感染発病:Skinsnes先生の話  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 1日(木)18時57分57秒   返信・引用  編集済
  ダミアン神父の感染発病:Skinsnes先生の話

 ダミアン神父みたいに謎の多い人物については 色々の人の意見で総合して考えた方がよさそうである。私はJopling先生に色々話を聞いてエッセイを書いたが(●このブログにもある)、同じ問題について有名なハンセン病学者 Olaf K. Skinsnesが書かれたThe leprosy of Father Damien De Veuster. The Star, 43(2)10-11,1983-Nov-Dec)を書かれたのに気づいた。

 ●モロカイ島の殉教者ダミアン神父 日本医事新報、3669,65-67,1994.


 ダミアンはジョセフ ダットン(年下の神父、ダミアンーダットン賞の)に、彼は既にハワイ島で顔に痒い、ひりひりする感じがあると告白したが、この著者はこれは心理的なものだろうと述べている。

 ●私は某大学に在籍した時に、痒みが著名であったハンセン病を2例発表したことがある。雑誌は皮膚病診療であり、この雑誌は、Medlineに採用されていない。しかしSkinsnes先生と私では横綱と前頭以下であるので、先生を信用しよう。


 ダミアンは汗のない皮膚の変化を初めて1876年に気づいた。これが最初のサインであったろう。医学的には1885年1月に診断がつけられている。(または1884年の後半)彼のはっきりした皮膚の変化は死ぬ13年前、カラワオ(モロカイ島)到着後3年出現した。

 ダミアンは1874年か75年、足が熱いと訴えた。これはらいに対する神経血管の反応だろう。らいそのものではない。ダミアンは凄く歩いていたし、労働者の靴を履いていた。

 ハンセン病の潜伏期間は3-5年とも、また、15-20年とも言われる。

 (ここに潜伏期間と 年少の人のL型らいの話がでてくるが省略する。)

 ダミアンの時代、ハンセン病は人口の3-5%が罹患した。(文献を引いていないが、私が前に挙げた文献によると 1割であった)流行の通常は1%以下であるが、殆どの住民が罹患した例がある。(文献を挙げてあるが私はまだ読んでない)

 中略

 ダミアンはカラワオ(モロカイ島)に1873年5月10日に上陸した。(たぶん、同年2月、ハンセンは菌を発見した)著者の想像によると、ダミアンは彼の家族内にらい患者がいないので、少しは安心したろうという。(遺伝説を考えて)ナイセル(ハンセンのライバルでもある細菌学者)の弟子、アーニングがハワイに訪れ、ダミアンに細菌説を説明したので(?)ダミアンは半島に3年いたうちに菌をもらったと確信したのだろう。(アーニングはダミアン神父に診断を申し渡した)

 ●このあたり想像が混じっている。

 当時の極めて悪い衛生状態を考えると、ハンセン病患者をお世話する人や、患者自身と比べてみても、ダミアン神父は、物凄い大量の菌の暴露を受けていることは間違いない。

 ダミアンはたしかに体質的にらい菌に弱い体質ではあったが、発病後、13年も生き長らえた。

 以前、ベルギーにハンセン病があったので、そこで感染したという説をとなえた中傷者もいる。2歳以下で感染したという人もいる。それはダミアンのハワイにおける経験と動機を貶め、科学的想像を名誉毀損にまでもっていくものである。

 私の結論:ジョップリングがらいに罹り易い体質は5%としたのに対し、この著者はフィリッピンの研究で2%、または1%弱と考えている。%の相違はあるが、ジョップリングもこの著者も、体質により、凄い暴露があればL型を発病したという所は同じである。

 ●最後のcoincidence;Jopling先生は平成9年8月20日、Skinsnes先生は平成9年12月21日なくなられた。Skinsnes先生のお弟子さんの松尾英一先生(当時 国立感染症研究所ハンセン病研究センター長)がSkinsnes先生の弔辞を、私がJopling先生の弔辞をハンセン病学会雑誌の同じ号(67,2,1998)で書いた。
 


覗いてきました  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 1日(木)11時21分12秒   返信・引用
  > 時間の許す限り、このHPを、覗いてみてください・・・、映画制作へのカンパの、あまりにもの、その差異に驚かされます。・・・私にはこのHPから「誠意」が伝わってきます。映画制作への 挑戦 の、ひとつでもあります。

http://homepage2.nifty.com/bokuumi/
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↑を覗いてきました。(私も、海が見たくなりました。)
 


1962年の全患協の声明  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月 1日(木)10時46分51秒   返信・引用
  ◇声明書  [「全患協ニュース」1962年10月15日号より]
私たちは第7会全国ハンセン氏病療養所患者協議会支部長会議を開き、患者の権利を守り、生活の向上をかちとるための会議の席上、藤本松夫氏の死刑執行の報に接し深い悲しみといきどおりを感ずるものであります。藤本氏に対する死刑の判決は、まつたくハンセン氏病なるが故の偏見と予断にもとづく不当きわまるものであります。その裁判も世間の目にふれず暗やみでおこなわれたものでありました。私たちは、守る会、国民救援会、その他国民各層の支援にまもられて再審の斗いをつづけてまいりました。犯行時のアリバイも明らかになり無罪をかちとる日も近いと確信していたや先、ひそかに死刑執行したことは、人権を無視し、人命を軽んずる検察、法務の反動性をバクロしたものであります。私たちは、この人命軽視と、人権の侵害をてつてい的に追及し、無実の人命をうばつたものに対する斗いを、さらにおし進める決意であります。
  1962年9月16日    全国ハンセン氏病患者協議会
             第7回臨時支部長会議
 
    (リベル) これは、死刑執行の二日後に出された抗議声明文ですね。早速頂戴して「資料」にしました。「藤本事件関連年表」からもリンクを張りました。貴重な情報を有り難うございました。(2.2 5:46)  


追記  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 1日(木)07時26分14秒   返信・引用
  貼り付けられた、HP内の「制作費募集」は、必見である!と、感じています!!  


上手く伝えられません・・・、ごめんなさい!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月 1日(木)07時21分46秒   返信・引用
   リベルさん!もしや、ですが・・・、この BBS をリベルさん以上に読み込んでいるのは私の方かもしれませんよ・・・。コピーだって、ほとんど取っているのです!リベルさんの散歩時の趣きとは多少の違いはありますが、色鉛筆などでコピーされた言霊などに、チェックや語りかけを、場所を変え・・・行なっているんです。

 北風さんの言う、>小生は、理に走りすぎる「性」があって、

 このことに、「あこがれからの学びを持ち得たい!」という、行動と自分では解釈しています。

 「密約」なることばで、リベルさんを怒らせた感はありますが、どうぞ深い意味も、この言葉が地に落ちた言葉であったことすら知らずにいました。「内緒話」ぐらいの認識だったのです。ごめんなさい!


 リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。

 ですから、そのことを重要視すれば、クランクインとして動き出した現実に対しては「横槍は入れるべきでない」「見守る姿勢も、必要で・・・、悔しいけれど・・・」と、判断していた次第です。
 この思いは、北風さんを含めた多くの心ある(真理を追い求め、そのことに汗を掻くことは決して厭わない)方々も、持ちえているのかなぁ~!との判断で、リベルさん、北風さんの友情をお互いの書き込み内より、私なりに感じていましたので、このような書き込みとなりました。

 今、私が持つ大きな課題!
「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争(熊本国賠訴訟)時の、「2年10ヶ月間」に、藤本松夫さんのご遺族や、「藤本事件」を支援されて来た方々との、接点については、どうだったのだろう?と、いう真実・事実を考えているところです。

 多くの民意を巻き込む(民意の同意!)?ことに成功したと思える熊本国賠訴訟、闘争時・・・、この時期にハンセン病問題との大きな軋轢をつくってしまい、松夫さんの家族・遺族の頑なまでの、壁が生じたのではと、感じているのです。
 この裏づけは、田中等さんご夫婦が出所した鳥取のTさんに、スーパーへの買出しや、これからのTさんのサポート役を買っている事実を知らされたと同じに、非入所者問題、鳥取の高○事件から見える、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時の疑問!が、私を大きく悩ましているからです。

 この外にも、植民地以下のハンセン病被差別化問題・・・、川田えつこ元議員の国会内での一人だけの闘い・・・、控訴断念よりひと月も経たない六月という考えられないほどの速さでの告示224号の問題など・・・!?

 私が、もしも・・・、もしも松夫さんの身内なら、本気で冤罪を暴くという観点からの闘いをしてくれるという真意がそこにあると、思えれば・・・、飛び込んでいくでしょうね・・・、私なら・・・

 「父」の「兄」の汚名が、晴らされる!そのことが確信できれば、飛び込んでゆくでしょうね・・・、私なら・・・。

 世間、マスコミの多くの民意を惹き寄せた、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争(熊本国賠訴訟)・・・ここに・・・、ご遺族の方々に触れていたのだろうか?という、傲慢としか思えないであろう想いが、私を襲っています・・・。

 マスコミというより、全国版の新聞その支局長と知り合える切っ掛けを頂きました。彼の身内である新聞記者の気質への「理」を追究する姿に、心打たれ・・・、そのジャーナリストがもし、この「新・あつい壁」を、記事にするならと考えてしまった時、容赦なく追究のペンは離さないことでしょう!と、感じてしまいました。


 北風さんのご紹介、「詩人尹東柱とともに集う」内の、>その非命の生涯を肝に銘じ、今の私たちの行くべき道を考える、そんな集いを開きます。

 このような集会は、とても、心動かされます。


 私からの情報としては、昨年の春より僅かばかりの支援しかできていませんが・・・、「映画制作をする行為」といった観点からは、決して無駄な情報とは思えませんので、紹介させて頂きます・・・!
 時間の許す限り、このHPを、覗いてみてください・・・、映画制作へのカンパの、あまりにもの、その差異に驚かされます。・・・私にはこのHPから「誠意」が伝わってきます。映画制作への 挑戦 の、ひとつでもあります。

http://homepage2.nifty.com/bokuumi/
 
    (リベル) >「密約」なることばで、リベルさんを怒らせた感はありますが、どうぞ深い意味も、この言葉が地に落ちた言葉であったことすら知らずにいました。「内緒話」ぐらいの認識だったのです。ごめんなさい!

夕焼けさん、そうでなくて、「天地神明に誓って」と言ったあのエコノミストさんが、簡単に再犯を犯したから「天地神明・・」が地に落ちた、と書いたのです。「密約」は未だ落ちていないし、落ちないだろうから、どうぞご安心ください。また、私が「密約」に過剰反応したことを恥ずかしく思っています。

「ぼくはうみがみたくなりました」の制作費を知って、ありゃっ!と驚きました。1億5000萬円???と。

レスが遅くなってご免なさい・・・m(_ _)m (2.2 5:19)
 


にもかかわらず Re: これはリベルさんの言葉とは思えないね。  投稿者:猪武者@自宅  投稿日:2007年 2月 1日(木)05時49分3秒   返信・引用  編集済
  >「「ハンセン病」をテーマとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない」
>に対して私が
>「いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に」
>と答えたのが、あの問答を生んだのです。

>言葉は、一人歩きし始めると、恐ろしい生き物になる、と実感しました。


しつこいようですが。
まさにその「問答」そのものに対して申し上げた。
「一人歩きしている言葉」ではなく、まさに「リベルさんの腕の中に抱かれた」言葉に対して申し上げました。

自分の「仕事」を言うのではありません。「映画」と「出版」のかかわりについて申し上げている。

なぜ「映画の仕事」を「出版」と比べたら「監督が可哀想」なのでしょうか。むしろ、そういわれた「出版」がかわいそうです。
まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。
 


Re: 夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明  投稿者:匿名  投稿日:2007年 2月 1日(木)05時22分3秒   返信・引用  編集済
  >冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。
>

冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になったが、モチーフとして扱って差別の解消に取り組む、

ですか。

よく読むと、映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけですね。

十坪住宅推進運動としてはご名答、という感じですが・・・
リベルさんのような聡明なお方が、これで納得してしまわれるとなると考えてしまいます。


全療協にせよ恵楓園の志村さんにせよ、どうしてそんなに「藤本事件」を、あるいは藤本松夫さんを、ご自分たちの歴史の重みや厚みを、安売り、切り売りしてしまったのでしょう。

そうさせてしまったものは何だったのでしょうか。

言い換えれば、売り急がせてしまったものは何だったのでしょうか。

そういふもの から在園者を守っていかなければならないというのが、
むしろ過剰なまでに、そういう力からは守って行かなければならないという使命のようなものが、私たちの間には、あったと思うのですが。
 


昭和14年15年という時代  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月 1日(木)03時22分41秒   返信・引用  編集済
  昭和14年、15年という時代

 リベル様 遅くなりました。

 らい予防協会発行”療養の手引き”(昭和14年7月発行、内容は大体多磨全生園のことである)には 目的がハンセン病患者を入所させるという大目的のためですから、病気に関する説明は一切ありません。まあ無らい県運動の極期でしょうか。
 治療に関しては写真多数で、大風子油を数年つづけると斑紋結節浸潤は消え、眉毛頭髪が再び生えるなど頗る効果があります、と書かれている。写真を見ると顔面頭部に包帯を巻いた患者さんが多いですね。ついでにいいますと、頭部の禿頭症は 日本では 特異的の多いといいます。
(外国では余りみられない)その理由はよくわかりません。
 入所させるという目的のための写真は多いですね。農場、印刷工場、竹細工を行っている所、ミシンを使用している写真、芝居をしている写真、ブラスバンド、野球、宗教行事、図書館、学校、保育所、売店、豚舎、牛舎、果樹園、三浦環夫人の独唱会、消防団の出初式(軽症の人50名が団員とある。)文章は普通であり特に易しく書いた印象はない。
 重症室は2列合計10名の部屋のようだ。各療養所の写真もある。時期的な問題で国頭愛楽園は建設中である。収容に使う大型自動車(16名乗れる)は 正に大型自動車で(バスという印象はない)、前に大きく 東京府というプレートがある。
 多磨全生園が菊池恵楓園と異なることは、夫婦舎がこの時期に出来ていることでしょうか。恵楓園ではたしか昭和26年です。

 昭和15年9月ナースの座談会(主婦の友)では、当時の考えがでています。
 ナース:接触伝染ですが、接触しても健康な皮膚からは病菌は入りません。創傷のある部分から入りますから、そこの消毒さえしておけば大丈夫です。
 婦長:カトリック信者の方は宗教上消毒をいたしませんから感染された方が稀にありますが(ママ)全国15,6ヵ所の療養所の看護婦が全部で200余名おりますが日本人の看護婦は今まで犠牲者は一人もでておりません。

 患者さんに関して泣かせることを多数語っています。ちょっと初めて知ったのですが
 婦長:朝夕の2回、患者が包帯のまま入浴して上がってきますから、すぐその場で包帯交換をしてやるのです。
 


厚労省が逃げを打つ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 1日(木)03時01分57秒   返信・引用  編集済
  「ニュース速報から持参しました。

WAM NET(独立行政法人 福祉医療機構)に「検証会議最終報告書」が?(2/1)
    #「ハンセン病の落書き板」Re: 転載〔1〕 投稿者:リベル投稿日: 1月27日(土)01時00分57秒  をお読みください。
     こうして、バラマキが始まったのです。この蠢動は、その内「厚生労働省」のHPから「検証会議」の文字が消え去ることを
   予告しています。
     WAM NET
 


夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月 1日(木)02時08分45秒   返信・引用  編集済
  夕焼けさん、ご無沙汰でした。志村さんのところでチラッとお見かけした以外、見かけなかったので、お身体でも?と案じていましたが、先ず安心しました。遅くなりましたが、私は午前11時と午後11時に起床するものですから・・・。前に書きました下の二つのことに、お答えします。

この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。

私と北風さんの間に「密約」をお感じになったとあります。それは間違った想像です。北風さんとはメールの交換を通じて資料を送り、送られることはあっても、それ以上の深い関係(笑)は全くありません。お会いしたこともなければ、電話でお話ししたことも有りません。

ましてや「密約」などという類のことは、天地神明に・・・おっと、これは某エコノミスト氏によって、地に落ちてしまいました・・・尊敬する父の霊に誓って、有りません。


そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)

私は映画化には「疑問」を持っていません。これは昨年の暮れに書いているように、私の中では解決し、皆さんにお詫びを申し上げています。冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。

私は、先に書いたように「あつい壁」(前作)は見ていません。だから中山監督を「好きだ、嫌いだ」と評価する資格もなく、どちらもいたしていません。ただ、上に述べたような、企画の根幹の変更について、その間の事情を全く説明せず、単に資金難を訴えられるというのは、我々にはいかにも唐突で、素直には頷けません。

もっと、胸襟を開いたオープンな姿勢で、語りかけて欲しいと思い、「期待しています」と書いています。

そういうわけで、「中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という・・・」は誤解で、私は中山監督が好きだと申し上げたことは一度もなく、また、映画化については何の疑問も抱いてはいないのです。


お分かり頂けたでしょうか?疑問があれば、どしどしご投稿ください。お待ちしています。