こころがいつも明るいとはかぎらない、だが、こころはいつも明るくあるべきはずだと思う。
どこを旅していても‥富良野や道東でも‥花畑が眼前にパッと広がると、こころは晴れやかになる。
富良野のラベンダー、滝上(たきのうえ)の芝桜、どこかのヒマワリ、タンポポ、ポピー畑。
 
自然の色は実にいい、人工の色ならこんなにまで人のこころをなごませたり、明るくさせたりできない。
ある種の音楽にも似て私たちのこころをいやし解放する。ここまで旅をしてよかった、そう思わせる
何かが自然のなかにある。それはもしかしたら、私たちのなかにも森や湖、花畑が存在する
からなのかもしれない、何千万分の一、何億分の一の縮図として自然が組み込まれているのでは‥。
16世紀以来、英国は森林の樹木を次々に伐採していった。海洋王国・英国の面目を保ち、
他国との競争に打ち克っていくには、造船の拡大は至上命令であったのである。19世紀、
ようやく英国は自国のはげ山ぶりに気づき、森林の保護育成につとめこんにちに至っている
英国らしい場所をあげなさい、そういわれたら私はムーアというだろう。
 
勿論ほかにもあげるものはいっぱいあり、Cotswolds、スノードン山、古城、城跡、
みなそれぞれに英国らしいし、英国のこころを語るにふさわしいようにも思うのだ。
しかし、ムーアほど英国の原風景のごとき何かを感じた風景がほかにあったろうか。
 
もしかしたらそれは私自身のこころの風景なのかもしれない、そうに違いあるまい。
ノース・ヨークシャー・ムーアもそうだが、スコットランド、とりわけハイランドでは、
一部の都市部をのぞき、ほとんどがムーアであるといっても過言ではない。ハイランドは
みたもののほとんどが自分自身のこころの風景であったのでは‥と今も思っている。
 
都会にはあって当然のものがそこにはない、しかし、ないがゆえに在るものがある。
何もないはずのムーアには多くのものがある、それを知ることが旅の果実ではないだろうか。
ムーアに群生する茶色のヒースのなかで風がうめき声をあげていた。風の奏でる音楽‥
荒涼とはこういうものか、そう思わずにはいられない風の音だった。
 
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