日記

■バイク乗りの週刊日記−2001年前期版

ここではその週にあったことや思ったことを徒然なるままに書いていこうかと思っております。

|2000年後期||2001年後期||HOME|

■5/27(日)

 友人のnokonoko氏がCB1300SFからSRX400に乗り換えた。1300のフラグシップマシンから単気筒400に乗り換えたのである。氏はCB1300SFに乗っていたときはあまり楽しそうではなく、SRX400に乗っているときは実に楽しそうだったので乗り換えたことは良いことだと思っているが、それでも様々なことを考えさせられる出来事ではある。
 結局私は乗る機会がなかったので正確には伝えられないが、CB1300SFは重くてブレーキが利かなくてパワーがありすぎてアクセルが開けられない、nokonoko氏にはワインディングで遊ぶ気にならないバイクだったらしい。その点、SRX400は軽量で小回りが利き、パワーも過激ではないのでアクセル全開にできるのだ、そうな。ロードスポーツに属するバイクに乗る人の多くはワインディングで楽しくスポーツする性能-純粋な速さである必要はないの意-を求めているだろうし、そういう意味では正しい選択である。かく言う私もワインディングでは気持ちよく走りたいと思っている。
 ただまあ、その上で人によって価値観が違うわけで、マシン選択も変わってくる。nokonoko氏は「アクセルを開けられること」を何度も言っていたのだが、その言葉にはずっと違和感を感じていた。いや、いまひとつ理解できなかったと言っていい。私はアクセルをあまり開けないからであるし、好みで言うなら「寝かせられるマシン」が好きだからである。まあ、乗り方や好みの問題でしかないのだけど。
 ここを読んでいる方で、マシン購入を考えている方は、よく考えて欲しい。何が楽しめるのかを。ホンダのフラグシップマシンを所有していながら不幸そうなnokonoko氏を見ているだけに、バイクを買って不幸になって貰いたくないから。エラソなことは書きたくないのだけど。私は扱いきれるマシンにするのがいいと言いたいわけではない。特に最近雑誌で「600ccクラスが扱いきれるからいい」などと書かれているが、いい加減な話である。600ccでも扱いきれない人もいるだろうし、1300ccでも扱いきれる人がいるかも知れない。そもそも私は400ccでも怪しいものである。当然GSX1300R隼は扱い切れていない。それでも隼に満足しているしRF400に戻ろうとは思わない。扱いきれなくても隼にはRF400にはない良いところが多くある。開けられるバイクを魂が要求するなら開けられるバイクを、ツーリングに快適なバイクがいいならそういうバイクを・・・、様々な情報に惑わされず、バイクライフが幸せであるバイクを手に入れることを願っているわけです。
 PS. 価値観の違いというと、「BLACK MOON」のコラムが面白いです。隼に乗るパワー至上主義者のページ。


■5/21(月)

 久しぶりにツーリングクラブ「BORN TO RUN」の面々でツーリングに出かけた。行き先は青山高原である。途中、沈下橋を見つけたので、そこで撮影会。橋の上で、橋を走行してと写真を撮る。そこから上野市のドライブインへ。私は途中で仲間とバイクを交換して走ってみたりする。しかし、バイクを買い換えたばかりでうれしいのか先頭のSRX400がやたらと飛ばす。こちらは人のバイクでもあるし、ついていけないことはないが無茶はしたくないので時々遅れたりしつつ。
 上野のドライブインで、タンデムのRF900と合流。そこから青山高原へ。青山高原は、予想しなかったことにツツジの見頃で、やたらと4輪がいてワインディングロードを楽しむなどという状況ではない。そこで行きつけのお店「クランズハウスT&U」に行くが、今日は紅茶はなしとのこと。一気に萎えてしまう私。その時のウェイトレスもレジのウェイター(いつもは顔見知りのおばさんである)もろくでもない応対をしてくれて、いつもがいいだけに怒り心頭といった気分になる。ここのところ、どうも怒りっぽくなっているようだ。少し反省。
 気を取り直して風車のところまで走り、そこでまたおのおののバイクで試乗会をする。ちなみにバイクはSRX400(実はボアアップで430くらい)、GSX-R750、RF900、GSX1300R隼の4車種である。お互いに乗り比べて、「やっぱり自分のバイクがいいねぇ」ということで落ち着く(笑)。揃いも揃って親ばかバイク乗りである(苦笑)。
 その後は月ヶ瀬から最初の沈下橋へ。途中はフリー走行モードと化す。こういう場合、2番手を走るのが美味しい。先頭のSRX400の後をべったり張り付いて走る(笑)。久しぶりに、いや、隼に乗ってからは初めて人と本気モードで走ったのでかなり楽しかった。それに「リッターバイクに乗って遅くなった」と言われなかったのが、大いなる満足と自信を得られたり。巷では「でかくて重いビッグバイクに乗り換えると遅くなる」等とよく言われるので、できることならそうはならないでいたいと心中期するものがあったので、「遅くなっていない」というだけでもなにやらうれしかったわけで。まあ、あまり根拠のない自己満足の世界ではあるのだけど。


■5/15(火)

 日曜日はGSX1300R-隼-のオーナーズクラブ「hayabusa-touring.net」のミーティングに行って来た。集合場所は道の駅琵琶湖大橋米プラザである。今回の参加は7人で、会長の旅風氏は東京からの出陣と、私ならやらないだろう元気さを発揮しての到着である。
 私が先頭で出発である。実は日付を決定したのも、採用されたルート案を出したのも私で、嫌な予感はしたのだが、そうなる。私はあまりグループツーリングの経験がないし、先頭の経験はもっと無い。それに方向音痴で遅いしで、先頭には立ちたくないのである。が、仕方ない。予想はしていたので諦めて先頭に立つ。遅い、と書いたが、その中身は私があまり車を抜かないという点にある。信号で前に出るのも、全員が前に出るまでに信号が変わらないという確信が持てないと行かない。また、逆に道が空いてくると「隼に乗る人はこれくらい出すのではなかろうか」というイメージで、普段以上にスピードを出したり。まあ、何にしても気を使うのである。
 私には琵琶湖の光景は見慣れたもので、特に感動するほどの物ではないのだけれど、東京から来た旅風氏にはそうではなかったらしい。「対岸が見えない!」等とやたらとその大きさに感動していた。そういう他地方から来た人の言葉で琵琶湖の魅力をあらためて教えられたようで、なにやら得したような気分に。
 その後、奥琵琶湖パークウェイから賤ヶ岳へ。この辺はフリー走行区間にしたために、ひとり行方不明が出たりもして心配したが、道に迷っただけですぐに会えたので笑い話で済んだ。賤ヶ岳は、思っていたよりも景色のいいところで、来て良かったと思った。まあロープウェイ代が掛かるのだけど。しかし、あちらこちらに見える山に陣取って戦をやっていたのだというのが信じられない光景である。それくらい広大で、険しい山々がそびえている。
 最後に長浜城址にある長浜太閤温泉に入って解散。みんな、普通のツアラーか普通の人で、隼乗りとはどんな人だろうかと思っていたのだが、自分とさほど遠くない人々であった。もっとカリカリに改造した人が来るかと思っていたのだが、4人までもがノーマルマフラーであるくらいに、さほどいじってない人々の集まりだった。隼に乗っていると、どこか速く走ることを要求されているようで心苦しかったのだけど、6人と出会って、そんな気持ちから解放されたのが一番の収穫だったかも知れないと思ったり。


■5/8(火)

 GWは古くからの付き合いである木の精氏とだいす氏の3人で四国だった。「四国だった」というのも妙な表現だが、3人で「四国に行った」わけでもなく。
 初日は雨だった。和歌山港からフェリーに乗るやいなやいつもの民宿「霧の峰」に電話。幸いにも部屋を確保できる。フェリーは揺れて気分が良くない。上陸してしばらく走ってから昼食。大衆食堂風の店で、玄関で合羽を脱いでいると「中に入り!」と言ってくれる。濡れた合羽で遠慮していたのだが、そう言ってくれるとありがたい。冷えた身体にお茶がうまいが、梅酒まで頂いて、気分まで暖かくなる。食べ終わっても降りは強いが、おばちゃんとおっちゃんと少し話した2人組のお客さんに見送られつつ出る。剣山に向かうほどに標高も上がって寒くなるが、とにかく早く着こうと急ぐ。思ったよりも早く、2時半には民宿に。おかみさんも娘さんも顔なじみで、笑顔で迎えてくれる。ここでも合羽をストーブで乾かさせてもらう。
 荷物を運び込んでいると、GPZ900ニンジャに乗った人がやってきた。「さっぶ〜! コーヒーでも飲めるところ無い?」と聞くので、民宿の食堂を紹介する。するといつの間にかここに泊まるという話になっていて、しかも私と相部屋という方向で話が進んでいる(笑)。いや、いいんですけどね。その夜は主人とニンジャ乗りと常連の夫婦とで宴会モードであった。食い物がうまいのがここのいいところで、食べきれなかったのが実にもったいなく。
 R439で四国カルストを目指す。迷ったが10時前にいつもの祖谷蕎麦屋さん「蕎麦道場」に行く。うまかったが、やっぱり腹が減ってないとダメですな。それからR439、京柱峠の峠の茶屋で話などしつつ。結構いいペースで進んでいるので、古岩屋温泉によってから四国カルストを目指す。すでにだいす氏と木の精氏は着いていて、遠目にもいつもの場所に陣取っているのが分かる。支払いを済ませて彼らの所へ。あまり変わらないタイミングで着いたらしい。NSR(レーサーレプリカ)・ゼルビス(ツアラー)・DF200E(ツーリングオフ)と車種も違えばナンバーの地名もバラバラで、他人から見れば一体何の集団かと思うような3人である。テント設営が済むと早速2人は景色を見に行くが、あいにくの曇り空である。「また来年やねぇ」と、毎年聞いている台詞をまた聞くことに。その夜も宴会・・・というほどのことはなく。2人は飲まないしね。しかし何故私だけ3人分の米とか調味料とか持ってるんですか?(笑) 木の精氏は米すら持ってないし。ううむ、私の荷物が減らないわけである(笑)。
 朝。数キロほど友人達と走る。私は県道を、友人達もR32ですぐに別れることになる。しばし名残を惜しんで記念撮影をして2人を見送る。私たちは、休みの日程も、そしていつの間にかマシンも価値観も大きく違っていたのだ。だから、ここでお別れ。それでも毎年ここに集うのは私達がツアラーだからだろう。
 私はr340を走って、その後はR439から林道を通って笹温泉へ。木の湯船がなかなか良い感じである。雲が黒くてかなり悩んだが、ライダーズイン奥物部へ。ホールで雑魚寝1000円だという。ちゃんと泊まって3000円より良いというものだ。ただ、「なんで予約しなかったの?」ときつい口調で訊ねたおかみさん、それはあまりにもバイク乗りというものを理解してないよ。少なくとも私の知る(ロングツーリングに出るような)バイク乗りは、旅行に出たい訳じゃない、旅に出たいのさ。
 その晩は近くにいた3人(KLE乗りとセロー乗り)を巻き込んで宴会。ここでもまともに飯を作ったのは私だけである(苦笑)。いや、軽量化のために荷物を減らすことを否定はしないので、単なる価値観の違いではあるのだけど。朝はKLE乗りがさっさと出ていき、私とセロー乗りは似たようなタイミングで、でも一緒には出ずに剣山スーパー林道に挑む。セロー乗りは林道初めてだと言うのに、私と同じ様なペースで走る。休憩ポイントごとに似たようなタイミングで出たり入ったりするのである。むぅ、私はそれでいいのだろうか(苦笑)。Internet DJEBEL owners clubのミーティングが小豆島であったので、そういう人たちとも出会ったりした。スーパー林道も、霧と雨で、景色は良くなく。
 フェリー乗り場に行くと、前便に乗る事が出来なかったバイク乗りが溢れている。その中にKLE乗りもいたり。次の便に乗れるかかなり不安になるが、なんとか乗ることが出来た。かなり混んでいて、甲板の椅子に座っていたがそちらも人が多くなる。帰りはさほど揺れず。
 今回はあまり天気に恵まれなかった。まあ、こればかりはどうしようもない。それでも、夜には宴会したりと楽しく過ごしたのは言うまでもない。民宿の娘さんに「何故バイク?」と聞かれて答えに困った。これを読んで貰えば「だからバイク」なのが分かって頂けるのだろうか。


■4/29(日)

 自民党総裁が代わり、Dr.マシリト政権になったらしい。Dr.マシリトの世界征服もそう遠くないかも(笑)。とあるWebページで「小泉氏はDr.マシリトに似ている」という話があって、笑わせて貰ったので採用(笑)。
 先週は、「彷徨猫旅記録」のオフ会、今週はもっとも長い付き合いの友人と四国へ、再来週は「Hayabusa.Touring.net」のオフ会で、その次はツーリングクラブ「BURN TO RUN」のツーリングが予定されている。実に忙しい限りである(苦笑)。
 ふと気が付くと、いつの間にか多くのしがらみが出来ていたりする。昔、というか、つい最近まで一人で走ることが多かったことを思うと、随分と変わったものである。ツーリングするにしても人によってどこに行くか、何を見るかがその人の感性で違っていて面白いし、バイクに対する考え方の違いもまた千差万別で面白い。
 考えてみると、古い付き合いの友人を除けば、全てネットで知り合った人ばかりである。ネットがあることで、コミュニケーションが変わってきているのは間違いのないところで。便利になった、と思うわけです。インターネットとコミュニケーションというと、お堅い新聞論説なんかでは、良くないことも書かれることも多いのだけど、書いている人は本当にネットを使っているのだろうかと疑ってしまいますね。


■4/24(火)

 あめふらしさんのWebページ「彷徨猫旅記録」のオフ会に参加。今回は天橋立方面である。主に高速道路を使って福知山ICで降りる。そこから鬼瓦公園、日本鬼の交流博物館へ行く。そう、この辺は酒呑童子で有名な大江山のお膝元である。鬼瓦公園は名前の通り鬼瓦をたくさん置いてある駅前公園である。様々な地方から集められた鬼瓦は、地方色があって面白い。ついでにここのお土産も、画一的でなくて面白かったり。「鬼のパンツ」も売ってます(笑)。その後もゆっくりとしたペースで天橋立へ。傘松公園には歩いて登る。15分だが運動不足にはつらい勾配である。股覗きをするが、純真な心を失った我々には天に橋が架かっている様には見えない(笑)。最後に、おおみや小町温泉へ。小野小町ゆかりの温泉らしい。ここで長湯。いやもう、オフ会だから、話が長いのである。帰りは渋滞を避けるために福知山で飯食って帰ったのだけど、想像以上に寒くて震え上がったのだった。
 こうやって書いてみると、古代探訪ツーリングとでもいう感じでなかなか良いルーティングであるなと感心したり。どうも私なんかは、そういう細かい観光地は無視してしまいがちで、走るばかりになってしまうので、こういうのも新鮮でいいよなぁとか思うわけで。いや、自分にはなかなかできない楽しみを知っているということに羨望したりもするわけです。だから、価値観の違う人と出かけるのは楽しいのですよ。


■4/16(月)

 4連休だったというに、飲み会やらなにやらで、どうも腹具合と胸焼けで気分が良くなく、どこにも出かけることもなく。まあ、仕事がないから1週間も休んで旅行をした私に、金の余裕があるはずもないわけで。GSX1300R隼-雪風-DF200E「陸自郎君」のオイル交換もしなければならなかったので、オイル交換などして1日は潰れる。
 そんな折に、女性から手紙が届いた。私自身は過去にPBMでハードに遊んでいたこともあるので、別に女性から手紙が届くのは、違和感のないことである。ただし今回はまったく記憶にない名前であったが。中身を見てみると、観光案内のパンフと、手紙だった・・・今回の旅で泊まった宿で働いていた女の子からの。その子とは事務的なこと以外は話をした記憶がない。が、なんか「知り合いたい」とか書いてあるし!!(意図的に切り取ったとかゆーな) こ、これは一目惚れですかっ!? そうですねっ、そうに違いないですっ! ああっ、しかし、しかしっこの距離は遠いですっっ!! くううぅぅぅうううぅぅ!!! これはGWにはかの地までいかなくてはならないのですか? しかし、宿で働いているなら、GWに行ったところで彼女は忙しくて意味がないです。ということは有休をもう一度取れと? それは今年分の許された有休を取ってしまった私には難しいのです。ですよ。もう一度言おうものなら「2度と会社に来なくていいよ」なんて言われることも覚悟しなくてはならないのですよ。・・・はっ! それともこれは巧妙な客引き戦略なのでしょうか!? 危ない危ない、そんなことで会社を辞められませぬ。これは判断が難しいです。男なら突っ走るべきですか? でも遠いしなぁ・・・
 ちなみにどうやら関西系のノリの宿の主人との掛け合い漫才が面白かったらしい。むぅ、多大な誤解を受けている気がする。関西人の素養としてツッコミはできるが普段は別に面白くもない人間です。つーか、私が誤解してるって? ・・・いいじゃないかよぅ、ちょっとくらい夢見たってさぁ・・・


■4/8(日)

 4月1日から今日まで旅に出ていた。四国から九州の方を。今回は珍しくも雨に降られることもなく。天気がいいと景色も良く、もちろん気分的にもずいぶんと良い。天気の割にはキャンプは一度しかしなかったが。しかしまあ、寝袋で寝るのと布団で寝るのは疲れの取れ方がずいぶんと違っていて、かなり身体に余裕のある状態で旅が出来た。のは良いけれど、逆に寝袋ではあまり眠れないことに気が付いて、今後の旅に課題を残したりもしつつ。
 今回の宿のお値段だが、
1日目:ライダーズイン奥物部 素泊まり3000円
2日目;ライダーズイン四万十 素泊まり+布団3500円
3日目:別府ユースホステル 素泊まり3000円(火水割引)
4日目:阿蘇ユースホステル 朝食付き2980円(多分。3000円しなかった)
5日目:天草の民宿武田 1泊2食5000円
6日目:キャンプ 0円
 である。どれが得だろうか(笑)。ただまあ、値段と内容だけで判断できない部分もあるわけで。ライダーズイン四万十や阿蘇YHの様に夜遅くまでペアレントさんや宿泊客と話ができたなら、それだけで楽しかったりもするし、タダでも誰もいないキャンプ場というのはあまり寄りつきたくはないものではある。もっとも貧乏旅行をしている人を見ると、こんな事が言えるのは金のある証拠なんだなとも思ったりもしたのだけど。
 PS. 雑誌「アウトライダー」2001年5月号に「かざねかたなの旅之書」が紹介されました。ありがとうございます。しかし、雑誌で紹介されてもアクセスが増えないってのは本当なのですね(笑)。


■3/26(月)

 土曜日はツーリングクラブ「BURN TO RUN」の面々と大阪モーターサイクルショーに行って来た。会場のインテックス大阪は埋め立て地である南港の中程にある。港風の倉庫やクレーンと、多分に人工的な匂いのする景色の中で道に迷いつつ会場に着く。会場前からしてすでに来場者のバイクだらけ。中に入っても色とりどりのバイクがいっぱいである。外にあるバイクも中にあるのと変わらないものもあるが、さすがにライトアップされていると格好いいなと妙に感心したり。
 皆が試乗会のチケットを取るために並んだが、私は免許を忘れてしまったので乗ることが出来なかった。それでひとりで見て回ったのだけど、ついつい買い物をしてしまった。隼のイラストにスイス製時計、本など。ベスラのブレーキパッドはアンケートに答えるとタダでもらえたが。隼用フロント2組で11000円分。日本メーカーなのに日本で有名でない所為か知名度アップを狙っているのだろうが、タダでくれるのだからいいメーカーである(笑)。
 試乗は変化の少ないコースを3周である。友人3人は試乗車にCBR600Fiを選択。デジカメで狙うが、速いのと連写が利かないのでほとんど撮れず。試乗車については3人とも印象は良くなかったらしい。そうそう、ハーレーは公道走行可だし、無料でジュースや綿菓子をくれたりとサービス精神旺盛である。BMWも試乗車が多かったし。その点国内メーカーは試乗車の数も少なく全体的に元気がない感じで寂しいものがある。
 結構楽しかったのだが、それと同時につまらなさも感じてしまった。結局モーターサイクルショーの目的は販促だと思うのだが、これといって欲しいと思うマシンがなかったからである。これは!というのが無い。いやまあ、隼を越えるマシンが無いってことだけどね(笑)。もちろん個々の性能で上回るマシンは幾らでもあるが、性能とデザインと圧倒的なまでの存在感という総合的なもので隼を遙かに越えて買い換えたいとまで思わせてくれるマシンはないなと。いやぁ、お惚気を拝聴していただいて失礼(笑)。


■3/11(月)

 もうすぐ春である。冬眠もそろそろ終わり、バイクを起こすときが来る。そんなわけで、日曜日はDF200E「陸自郎君」のリアサスのリンク部をグリスアップしていた。ま、4年も触っていないことでもあり、動きが良くなっただろうが、さほど体感しなくても自己満足できるので良い。
 先日、友人と話をしていたときのこと。4月辺り仕事が暇で長期の休みがあるかもと言うと、金が無くてもどこかに(ロングツーリング)出かけるんでしょ?と言われた。私が「アレは生きるために必要だ」と答えたら、ビョーキですねと言われた。まあ、自覚があるくらいにビョーキだから仕方ない。
 「アレは生きるために必要だ」 とはいえおそらく肉体的死を迎えることはないだろう。たぶん。ちょっと自信はないが。ただ、私からバイクを取ったとき、何が残るのだろう。人は肉体だけで構成されるのではない。経験や知識、今まで過ごしてきた時間等々が人格を形成し、それも含めて個人(個性)となるのではないだろうか。今の私からバイクを取ったとき、それが私と言えるだろうか。私らしく生きるということ、それがあの言葉に込められているのだ。


■3/5(月)

 家を買うことになり、次の家が手狭でもあり維持費の要ることでもあり、DF200E「陸自郎君」を売ろうかと思った。思ったよりも素直にそんな気になり、少ししてから葛藤が始まった。確かにメインバイク隼「雪風」があり、2台も必要ないと言えばそうである。この点はバイクに乗らない人には理解さえしてもらえないことだろう。ただ、そんな正論とは別に。実際の便利さ。様々な場所へ行った思い出。苦楽を共にした日々。DF200Eに関連しての人々との出会い。そんな感傷が手放したくないという気持ちを押し上げてくるわけで。これが、いっそ買い換えならまだ気持ちが楽だったろう。買い換えならば次に出会うバイクへの期待と、別れるに足る理由を持っているだろうから。
 結局、売らないことにした。あらためてDF200Eで走った距離を隼で走ると仮定して維持費を計算してみれば、保険代を考えても維持費はさほど変わらないということになったからである(笑)。


■2/25(日)

 腕が痛い。慣れない仕事と、毎週のようにある休日出勤で、腱鞘炎と筋肉痛が収まってくれないままになっている。このまま仕事を続けていれば、良ければ収まり、悪ければ悪化するだろう。インドメタシン製剤という奴はよく効くらしいが、しかしこういう悪い状態にむち打つようなことをしていると効果がさほどでもなく。もしくは効いているからこそこの程度で済んでいるのかどうかはさておき。
 休みがない。週休2日の内、ひとつは出勤であるが、もうひとつある。家である。家を買うことになった。そんなこんなで1月から物件を見て回ったり、不動産屋と打ち合わせたりで、だいたい休日が半日は潰れてくれるのである。いやもうストレス溜まりまくりである。
 家を買う動機は、まあ様々にあったのだけど、やっぱりバイク乗りとしては防犯性の悪いアパート(共同駐輪場)なんかよりも家を持ってしまおうと思ったりするわけで。もっともメンテナンススペースを作るほどに大きい家を買えるはずもなく、そういう意味では中途半端ではあるが。それでも今よりはずっと融通が利くわけで、警報機も設置できるし固定用のアンカーも埋め込めるので、かなり安心感があるのは間違いない。
 バイク乗り的家観はさておき。休日が潰れてくれることを除けば、家探しなども結構面白く、かつ悩むものである。予算からあちこち見に行くが、やっぱり場所が良ければ家が小さかったり、道が狭かったり駅から遠かったりと値段相応は値段相応で、一長一短悩んでえいやっと決めるとすでに取られていたり。決まれば決まったで部屋の配置や外壁などの選択に悩んだり。部屋の配置なぞはパズルのようでもあり、しかし真面目に考えないと何十年と住む家なわけで。
 これからローン地獄になるわけであるのだけど、まあそれはそれとして一国一城の主というか、自分の家を持つというのは心躍るものがある。まだ見ぬ内からそう思うのだから、できあがればきっと感動するに違いない。その日を楽しみにしつつ。


■2/18(日)

 価格破壊。消費者にとってはいいものである。が、売り手も人もしくは人の集団であることには変わりないわけで。
 行きつけのバイク屋「山田サイクル」に行った。雑談の中で2,3年前から自転車の売り上げが落ちているという。特に一番儲かる自転車の修理がなくなったとか。数年前に自転車が1万円を切ったとき、「修理が減るのでは?」と思っていたら、案の定修理がほとんどなくなったらしい。今では6800円とかで自転車が手にはいるという。私が10月に前後タイヤを交換して6500円だったのだから、それは修理しないわなぁと。しかも小さい自転車屋にはそんな値段で自転車が入らないのだから、自転車も売れないわけで。
 ある雑誌のライターが、本業の本屋を廃業したという。小さい本屋で、月5万円では食えないと。最近流行りの古本チェーンの所為で、本屋もずいぶんと売れなくなっているらしい。
 私は数はそれほどではないが小説を読むのは好きで、好きな作家もいる。そういう意味では安く手にはいるのはいいのだけど。新刊が売れないと作家に印税収入が入らないわけで、作家という商売が儲からないものになるかも知れない。そうすれば出版業界は縮小、売れる作家のみが生き残るという結果になるだろう。
 私に何かできるわけでなく、これを書くことで人を啓蒙しようとかいうわけではもちろんない(できっこない)。ただ、愛しい物や場所が失われることになるのは悲しいのです。


■2/11日)

 今日は久々に休みらしい休みである。ま、きのうの飲み会の影響で二日酔いの頭が痛いが。昼からバイク屋に行く。1ヶ月ぶりにGSX1300R隼「雪風」に乗ったので妙に慎重になったり。それでも、別に乗りがたいわけでない辺りが隼のいいところである。
 今回はマフラー交換である。SP忠男スーパーコンバット・ピュアスポーツである。ノーマルマフラーを外すのは大変そうな作業ではあったが、付くのはすんなりと付く。音はあまり好みではなかったが、見た目は嫌いではなく、「幸せなら何でもいい」が信条の私はとりあえず満足することにする。走り出してみると、ちょっとうるさいなと思いながらも、少しアクセルを開けて感触を楽しむ。街乗りレベルでのパワーの出方はかなり良くて、ノーマルよりも出来がいい。だいたいマフラーを換えると低速トルクがなくなるとかトルクの谷が出来ると言うが、トルクの谷はわからないが低速トルクはむしろ増えたようである。発進もしやすく、扱いやすくなっている。面白くて/楽しくて/エキサイティングで、アクセルを開けて走っていたり。ま、開けすぎると死ぬバイクであるから、町中ではそんなに開けられないのだけど。
 ま、所有欲や快楽のためにマフラーを換えたことは否定しない。それが人様に与える影響を考えると、あまり喜んでもいられない・・・なんてのは買う前に考えるべき事で、これまた言い訳の出来ることではないのだけど。こうして少しばかり悪魔に魂を売ったことを、心の傷としつつ。


■1/28(日)

 土曜日は出勤で、日曜日は所用である。風邪を引いて休んだのが休暇になっていたり(泣)。しばらく土曜日の出勤が続きそうである。ま、安い給料では出勤するのも悪いことではないのだが、それはそれで安い給料が悲しくもあり。
 山岡荘八氏「小説・太平洋戦争」全九巻読了。八巻まではこの凄い本を紹介せずにおられるものかという気分であったが、九巻が少々肌に合わなかったので気持ちが削がれているのだけど、書く。この小説は、従軍作家として帝国軍と行動をともにした体験と、帝国軍将兵や政治家への取材を行った氏によって書かれている。いささか右翼的な部分が無いわけでもない、ということでもあるが。しかしそんなことはどうでもいいくらい「凄い本」であり、それはこの小説を書かずに入られないという氏の魂の叫びが文中から見えるからである。直接的には勇敢に戦い亡くなった将兵(軍属・一般人も)の供養であり、理不尽にも処刑された戦犯の代弁でもあるだろう。(彼の見た)真実から覆い隠されようとしている、日本軍の勇敢さや無茶な戦争を始めなければならなかった動機、理想、精神を伝えることもだろう。このことはこの作品の創作された戦後15-25年という時代の世相やそれに対する彼の憤りすら感じることが出来る。最後には平和への希求が書かれているのだが、正直私には氏がそう言いたくて書いたようには読めなかった。個々の日本人はこんなに優秀なんだということ(アメリカ人に決して劣るものではないと訴えること)と、亡くなった将兵の名誉回復と供養と。またここまでは書いていないが、戦後民主主義は、皇軍精神に替わるモラルになり得ていないのではないかとの想いを抱いたりもした。
 私がいかに太平洋戦争というものを知らないかということを、この小説を読んで思い知らされた。真珠湾攻撃より先に米駆逐艦が帝国軍潜航艇を撃沈していたなんて知らなかったし、緒戦の各方面で帝国陸軍は数倍の敵軍に攻勢を掛けるという常識から言っても無茶な戦争をしていたことも、それ以前の政治動向はもちろんのこと、今の日本人と当時の日本人の考え方の全然違うことも、ほとんど知らなかった。逆に知らないから氏の言うことが正しいのか間違っているのかの判断が出来ないことも、残念な事実である。
 今更であるが、この小説を読んで、祖父に戦争当時のことを聞いておけば良かったと痛切に感じた。祖父はどの様な精神で出征したのか、とか。今となってはもう聞くことは出来ないのだけど。


■1/21(日)

 書くほどのこともなく、日々平穏に過ぎつつ。つまり仕事は忙しく、休日は雪と雨と所用である(泣)。あえて言うならちょっと金の掛かる買い物を画策していることであろうか。そんなわけで少ないながら金を作ろうとしていたりする。ヤフーオークションに幾つか出品し、古本屋に本を持ち込む。昔からある古本屋で歴史物5冊で150円、そこで買ってくれなかったホラー2冊を復活書房というブックオフ風のところで40円(笑)。ま、微々たるものではあるが、塵も積もればという風に思うしかない。しかしそれで600円ほど古本を買っていたらなんのことやら(笑)。しかしあの客層の違いには驚くばかりである。復活書房に入ったときは、10代の女の子ばかりで、一瞬場違いな場所にいると思ってしまった(笑)。
 なんというか、ブランドというものを感じてしまったわけで。流行りもの、でもいい。ま、確かに雰囲気は違うのだけどね。前に日曜日にユニクロに行ったら、あまりの人の多さに辟易してしまって帰ったことがある。試着室前で行列できているのだ。その後で某洋服チェーンに行くと、客は私一人だった(笑)。しかし、値段や品質にそう差があるように思えないんよね。そんなことを考えつつ。


■1/14(日)

 先週の日曜・月曜は東京にいた。初日は観光で、玉川上水巡りである。実にマニアックな選択である(笑)。東京案内人・はる氏の趣味によるものだが、知っているからこそ要求したことでもある。はる氏は多角的に玉川上水を語る。江戸期に用水路として整備されたことから、その廃止と下水を流すことでの親水公園化、現在の管理についてと玉川上水の歴史と現状だけでなく、周辺の植生や道に人の営みまで。その話は面白かった。のだけど、こんな話を付近の人はどれほど知っているのだろうかと思ったり。ま、別にそんなことはどうでもいいのだろうが、ちともったいないなと。
 夕方には雪が降り始めていた。そして朝には積もっていて、昼になっても周辺住民は雪かきをしていた。20cmはありそうな雪も雪かきも見たことのない私には実に新鮮な光景で、それははる氏が言うには2,3年に1度の大雪だったらしい。
 今回の東京行の目的である、師匠の家に行った。師匠は仏壇の中に居た。悲しいことにベッドに居たわけでなく、悔しいことにお棺の中に居たわけでもない。師匠がガンで入院しているのを知ったのが1月。32歳で亡くなったのが3月。そのことを知ったのが5月。1月の時点で見舞いに行かなかったことが、ずっと心の中に罪として存在した。だから、冥福を祈るというよりは、位牌を前に謝罪しに行ったというのが本当のところで。それで罪が許されることはないと断定するけれど、少なくとも果たさねばならない事をひとつ終えたという心境。
 師匠、と言っても、格別親しい付き合いがあったわけではない。ま、元々が東京と大阪なのだ。師匠の両親も私に連絡できない程度に親しくなかったわけで。季節の挨拶とメールのやりとりが中心だった。ただ、師匠と出会ってから、聴く音楽が一変した。私にヘビーメタルを教えてくれた人。そういう人だった。
 両親に、CDを持って帰るかと、段ボール数個を指さされた。それよりも写真をと写真を貰った。ちなみに段ボールを開けてひとつ取ってみると、CDではなくCD-ROMだった。美少女ゲームの(笑)。貰わなかったのは言うまでもない。
 私はあまりゲームというのはやらない。たまには買うのだが。少し前のゲームだが、「加奈−妹」というノベルタイプのゲームがある。評判が良くて買ったのだがいいゲームである。ただ、今の私にはプレイする自信がない。不治の病にかかった加奈という妹の闘病物だからである。しかし出来がいい上に考えさせられるだけの内容を持っている。惜しむらくは18歳未満は購入できないことである。師匠も、加奈のように死の恐怖におびえたりしたのだろうか。当たり前だが両親には何も聞けなかったが。


■1/6(土)

 2001年の始まりである。年始にはちょっといいことがあったりして、幸先が良い。1つめに元日には木曽福島の国民宿舎から年賀状が届いた。一度泊まっただけなのに、こうして年賀状が届くというのは予期していなかっただけにうれしい。ま、予期していてもうれしいのだけど。こういうことがあると、そちらに行く機会があったら泊まってもいいなと思ってしまうし。ま、お値段と温泉が付いている以外はもひとつだったけどね(笑)。2つめは、紅茶菓子のクッキーを買うために行きつけの洋菓子屋さんに入ったら生チョコレートが売っていたこと。生チョコレートってあんまりないんよね。過去に一度食べたことがあるだけだが、それがとても美味しくて、探していたわけではないけどうれしくて買ってしまった。思い出の味とはまた違ったけど、これはこれで美味しかったので満足である。3つめ。その洋菓子屋さんで「あまりやけど」と言って年賀と書いた熨斗の貼った箱をくれた。帰って開けてみるとパウンドケーキが6つ入っていて、凄く感激してしまった。6つだったら結構いい値段だろうに、うれしいやね。そんなこんなで、2001年の正月は人情を受けつつ過ぎ、このまま今年がこのようであればいいなと思うわけでした。



2000年後期版|旅の書
All Right Reserved Copyright 1998~2001 Katana Kazane