日記

■バイク乗りの週刊日記−2001年後期版

ここではその週にあったことや思ったことを徒然なるままに書いていこうかと思っております。

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■12/28(金)

 ここ3日ほど、道がかなり混んでいる。車が増え、慣れない人が走り、渋滞は人の神経を逆撫でる。事故が増えて、さらに渋滞が悪化する。悪循環だ。
 先日、会社に行く途上で、3件もの事故を見た。1件は4輪の自爆事故で、1件は4輪の追突事故、もうひとつはアメリカンが4輪に追突していた。思わずライダーを目で探し、歩道で佇んでいるのを見て、あの様子なら大丈夫だろうと少し安心する。
 会社についてすぐに、ケータイに電話が入る。行きつけのバイク屋の常連客が、正面衝突で亡くなったという。そういう人もいたね、という程度のごく浅い関係ではあったが、それでもまったく見ず知らずの他人ではない人の死に、少なからずショックを受けた。
 どんなことにもリスクは存在し、だからこそ危険度を数字で判断する考え方が大事だと思ってきた。それでも死という現実は、そういう知識を越えて魂を揺さぶらずにはいられない。人々が死なないようにと祈りたくなる。人は皆いつか死ぬものだとしても。


■12/23(日)

 難波から日本橋にかけて買い物に出てきた。難波の高島屋でフォションの紅茶を買い、日本橋の中川ムセン−ナカヌキヤにて1万円を切るブラザーのFAX-200を購入。FAXはかなり安く手に入ったのでご満悦である。
 10月からこっち、バイク通勤である。2ヶ月もすると慣れてきたこともあるし、渋滞も酷い区間もあって、すり抜けを多用する日々である。慣れてくると、なにやらついつい調子に乗ってしまって、これはちょっと押さえないと不味いかなと思っていたら、案の定ひやっとするような目にあった。事故ったら実に面倒だし、痛い目をするのは自分なので、自分を押さえねば。
 通勤には主にDF200E-陸自郎君-を使用している。燃費が倍ほど違うし、すり抜けもしやすいからである。が、それでもGSX1300R隼-雪風-の方には、官能があるということを、最近になって知った。官能は、実用とは無関係に存在するのだ。まあ、官能に浸った走りをしていればいつか死ぬだろうから、今のままがいいのかも知れないとは思うが。


■12/9(日)

 レーシングワールドのバーゲンに行った。今回は主にクリプトナイトなどのロックがメインである。あんまり安くないが、一生もんだと納得させて高めのを購入。
 暇をみて年賀状を作成する。最近はパソコンで手軽に、かつ印刷並みのクオリティで作れてしまうので便利である。プリンタも最新のインクジェットではないがアルプス電気の名機MD-5500であるからして、生産中止になったとはいえまだまだ現役である。いや、方式の違いもあって、未だインクジェットに負けない部分もあるマシンである。
 さくっとGoogleでイメージ検索。「馬」で馬の画像を探す。使えそうなのは少ないが、良さそうなのを選んで住所録ソフトに貼り付けて文章をいじって完成。なんというか、実に便利な世の中だと今更ながらに思ってしまう。ちなみに友人宛の年賀状はバイクの写真なのであしからず。
 こういうところ、バイク乗りはついつい愛機を写真にしてしまうのだろうか(笑)。こういうのも愛の形なんだろうかと思いつつ。


■12/7(金)

 仕事から帰ると家には誰も居ず、「出かけてきます。晩ご飯食べておいてください」とのメモが置いてあった。その夕食は「焼き肉」だった・・・狂牛病騒ぎ以来、家では一度も出たことの無いメニューである。・・・なんか恨みでもあるですか(爆)。
 あ、事実ですが、ネタです(笑)。私は狂牛病はさほどの脅威ではないと判断しています。イギリスでの変異型クロイツフェルトヤコブ病患者は、あれだけ狂牛病が流行ったにもかかわらず100人程度ですし、他の国になるとたったの4人です。この辺は私の巡回しているサイト「市民のための環境学ガイド」の「狂牛病ファイナル」や「リスクセンス」に詳しいです。
 コンピュータウイルスが流行っています。皆様もお気を付け下さい。ウインドウズのインターネットエクスプローラやアウトルックはウイルスに弱く、知らない間に掛かることがあります。コンピュータに詳しくない方々は、とにもかくにもアンチウイルスソフトを買ってきて使用することを強くお薦めします。ここ2週間ほどの間に私のところには5度ほどウイルスがやってきました。全ての人にとって他人事ではないと思われます。


■11/26(月)

 友人のnokonoko氏に誘われて、SRXオーナーズクラブのオフミに参加。場所は小豆島である。SRXのミーティングとは言っても、参加者の半分はSRXではなかったりして多彩で面白い。最初の集合場所は道の駅大阪城残石記念公園である。大阪城築城の折りに石を運び出したのだが、使われなかった石や道具が置かれている。私はひとりで資料館などを巡って見る。みなさん走り屋系なのか、楽しみ方が違うのか、終始この辺の感覚はすれ違い気味ではあった。ルートはお猿の国自然園から岬の分教場跡へ。だいたい最後尾を走る。みなさん先へ先へと行くので、ハーレーやフォルツァの後で殿を務めることになる。まあ、ハーレーが道を間違えて行ったので、やはり最後尾を守る人間がいるだろうと残ったのが始まりではあるが、ハヤブサが最後尾ならいざとなったらなんとでもなるとも思ったこともある(他にも立場とか気分とかもあるのだけど)。
 小豆島は全島ワインディングという感じだし車も少ないしで走りやすいが、町中ではみんなマフラーをいじっているのでかなりうるさい。後で聞くと、やはりいい顔はされていなかったらしい。都合のいいことを言っていると思われるだろうが、悪感情は我々の集団だけに向いていて欲しいと願うしかない。自分はやってしまった人間だから受けとめなければならないと思うが、全てのライダーに対して悪感情が向くのは本意ではない。
 最後に試乗会。FJ1200に乗ってみる。これはこれでありだと思う。ただ、逆輸入の1200なのに思ったよりパワーが無い。自分がいかにパワーのあるバイクに乗っているのかとつくづく実感する。その後解散、福田港で飯を食い(刺身がうまかった!)姫路から帰着。小豆島はワインディングも楽しめるし観光としてもいいところで、また来年にでも行ってみたいと思わせてくれるところだった。ミーティングとしては・・まあ私がミーティング嫌いだから、ねぇ。その割には良かったかなとは思ったのだが、他の人にはどう写ったのだろうか。


■11/19(月)

 久しぶりに街に出る。ようやく神林長平の「永久機関装置」を入手。新刊だというに、近くの本屋には置いていなかった。マイナーな作家のファンだとこういうときに困ってしまう。ついでに士郎正宗の「攻殻機動隊2」もようやく見つける。こちらは第2版での入手である。それに散髪。駅前で献血車が来ていたので、献血もする。まあ、いつ自分が貰う立場になるか分からないので機会があればと思っていたが、なかなか縁のないものではある。
 ハヤブサに乗るうぜう氏DF200Eを買おうかどうしようかと迷っているらしい。そういえば私もDF200Eを追加するときは悩んだので分かる気がする。
 それは2台分の維持費のこともあるが、それよりももっと漠然とした不安感だったと思う。バイクを複数台所有する人というのは、私のイメージではバイクが好きで好きで一般人からは離れてしまった様な存在だと思っていた。自分はそんなにもバイクを愛しているのだろうかとも思った。自分はバイクを2台持つのにふさわしいのかという、想い。
 欲しいバイクが見つかってしまった。だから超越した。ある種、勢いだった。DF200Eを手にしたとき、「これでバイク乗りという、一般人から理解されない存在になった」と強く感じた。実際、一般人にバイクを2台持ってると言っても「えっ、何で2台も?」という反応をされてしまう。当然だ。一般人なら。すでにバイク乗り(注:私が使うバイク乗りってのは多分に逝ってしまった人の意味です)になってしまった私には、そういう価値観は無くなってしまったが。
 ・・・つまり、うぜうさん、コチラガワに来てしまえば怖くないですよ〜ってことで(笑)。


■11/4(日)

 とある掲示板で「実用車を除けばバイクの役割は終わったんじゃないですか」とか「バイクレースに意味あるんですか」といった書き込みを見て悲しくなってしまった。一般の人というのはかくのごとくバイクに対して無理解なのであろうかと。まあ、警察の宣伝工作やバイクメーカーの宣伝の下手さも誤解を招いている要素であるわけで、彼の人を責めているわけではない。
 もっとも、先の書き込みに対して私が返事を書くとすれば、もちろん意味なぞ無いですよ、と答えるだろう。ただし、F1も登山も野球も絵画や歌だって無意味です、バイクだけを特別視することじゃないですと続けるが。彼の発言にあるように、実用を除いてしまえば、残るのは趣味であったり嗜好であったり生き方であったりでしかない。そんなものに意味なんぞ無い。人間らしさとも言うべき文化的活動に、実用的な意味なんぞないのだ。そうであるのに、ことさらにバイクだけが無意味であるかのように言われるのは、ある意味人格の否定にも近いものを感じて悔しく思うのである。
 私にとってバイクとは。実用的な意味ではない。ただ、そこに魂の叫びがあるから、悪魔に魂を売り渡したのだと言うこと。スタイル。不利益やリスクはその前に無力だ。ただ、人様に迷惑を掛けているという意識は常に持っていたい。


■10/29(月)

 週末は2日とも出勤で、要するに休み無しである。年を取り、仕事を任されるようになってくると、同時に仕事から逃れられなくなるものなのだろう。ただ、それは悪いことでもない。とは思う。だが、いっそ悪いとかいいことだとか言い切れる方が良い様に思う。悪いことでもない、などという中途半端な考えが一番不幸ではなかろうかと。
 そんなことはさておき。早めに仕事が終わったこともあって、DF200E「陸自郎君」にアーシングをやってみることにした。こういうとき現場勤務だと工具やある程度の材料が揃うのが良い点である。オイル交換でも廃油捨て場があるし、当然分別収集のゴミ箱も完備である。バイク乗りなら職場は現場(笑)。


■10/21(日)

 随分と久しぶりにひとりでツーリングに出た。今回の目的は浜焼き鯖である。アウトライダー誌2000年12月号で見たときから食べに行こうと思っていたので、ほぼ一年来の念願のツーリングである。
 下道を走って琵琶湖東岸のせせらぎ街道を北上するが、流れるもののあまり面白くない道なので、琵琶湖大橋を渡って鯖街道に出る。まあこちらも決して車が少ない道ではないので面白い道とは言えないが、まだしもワインディングに近いとは言える。鯖街道でそのまま小浜へ。目指すは鯖街道起点のいずみ町商店街である。が、実はどこにあるか知らない。フィッシャーマンズワーフの近くらしいという情報で、その辺をぐるぐる回ってみるが分からないのでフィッシャーマンズワーフに入る。で、焼き鯖寿司というのを買って、若い店員に聞くと・・・知らなかった(爆)。奥に行って人に聞いてきたのでまあ場所は分かったが・・・ついでによく見ると壁に貼ってある観光マップに載っていたので聞くまでもなかったり(笑)。それどころか、バイクの鍵を落としてしまった。用心のために予備の鍵をカバンの中に入れてあるので大事には至らないが、まさか役に立つ日が来ようとは。フィッシャーマンズワーフ内の観光案内所に見つかったら電話をくれると言うことで、いずみ町商店街を目指した。西友を目印に商店街に停める。が、どうも違うらしい。ここでも通りすがりのおばさんに聞いた。表の商店街から脇に伸びる小さい商店街がいずみ町商店街だった。むぅ、わかりにくい。朽木屋にて無事浜焼き鯖を購入。思わず大1400円を買った。30〜40cmはある鯖がまるまる串刺しに焼いてあるのは豪快のひとことである。ここで、鍵が見つかったと電話が入る。フィッシャーマンズワーフに戻って鍵を受け取って、裏で浜焼き鯖を食す。・・・うまい! たっぷりと脂がのっていて、調味料などなくても充分にうまいのである。・・・が、脂のりすぎで、脂っこさに負けてしまった。中や小で充分らしい。いや、ポン酢と大根おろしがあればいけるのだが。
 帰りは箱館山から奥琵琶湖パークウェイへ。買ったばかりという同色のハヤブサ乗りと歓談したあと、ちょっとサスペンションをいじって遊んでみる。結局、標準設定は良くできてるのね、ってことで納得。リアの圧側を1柔らかくして様子を見ることに。ちょっと走ったあと、帰途についた。
 ・・・帰って気が付いたこと。予備の鍵が無い(爆)。


■10/9(火)

 職場異動があり、久しぶりにバイク通勤復活である。通勤ラッシュや雨はあまり快適ではないのだが、電車通勤とて快適なわけではなく、それならば快楽のあるバイク通勤の方が良い。バイクにしてみても、冬場でも乗ってやれるのは良いことでもあることだし。まあその分、電車で小説を読む楽しみはなくなってしまったのだけれども。
 燃費計算をしてみたら、思ったよりもDF200E「陸自郎君」で通勤した方が金が浮くことが分かり、多くはそちらで通勤している。まあ、すり抜けもしやすいし、便利は便利であるし。ただ、3連休の出勤では、空いていることを見越してGSX1300R隼「雪風」で出撃した。ハヤブサは久しぶりに乗ると違和感バリバリで、「そうそう、だから前はハヤブサで通勤することが多かったんだよな」と思ったりする。
 3連休中日の出勤は早くあがれたので、ついでに洗車した。私はあまり洗車をしない人間で、バイク屋にいつも汚いと言われているのだ。もっとも使ったワックスは7ヶ月持続とかいう代物だが(笑)。
 まあそんなこんなで、バイク通勤を楽しんでいるわけである。


■10/3(水)

 先日は3年前の九州ツーリングで知り合ったやまさんと、紀伊半島1泊ツーリングに行ってきた。やまさんはセローなので、DF200E「陸自郎君」で出撃である。やまさんは愛知県人で、伊勢湾フェリーを使って来るということだったので、待ち合わせ場所を飯南町の道の駅茶倉にする。私は名阪針ICで降りてゆっくりと流していたら、11時の待ち合わせ時間ぎりぎりに到着。5分ほどでやまさんも到着した。3年前の九州ではお互いに別のバイクに乗っていたのだが、姿形は懐かしい3年前と変わらない気がして、懐かしさでいっぱいである。
 一応目的地は瀞峡ということで走り始める。というか、11時から瀞峡に向かうのは急がないと難しい。道自身は空いていたものの、結局移動のみという感じで、瀞峡近くの道の駅おくとろにてキャンプした。やまさんは旅慣れているので、どんな料理を作るのかと楽しみにしていたら、きのこキムチ鍋だった。むう。焼くだけとかの私とはえらい違いである。
 近くに吊り橋があったのでやまさんが渡ろうというので行くと、バイクでも通れるようなので渡ってみる。・・・歩いた方が面白かったか。その後は千枚田を見に行き(もっとも刈り入れ後だったのが残念)、佐渡林道に挑む。ダートはどうも遅いのが悔しいところだ。なんとかやまさんに付いていったが、付いていけたと言うよりはペースを合わせてくれていたのが正しいところである。その後は「きいながしま古里温泉」に入って、道の駅奥伊勢でお別れ。思ったよりも時間が掛かってしまい、やまさんは最終のフェリーに乗るために高速道路を使うことになってしまった。もっとも臨時でもう一便出たらしいのだが。
 やまさんとならのんびりツーリングが出来るかと思ったのだが、予想外に駆け足ツーリングになってしまった(笑)。まあ、目的地が遠かったのと、具体的な目標を決めていなかったから走っていることが多くなってしまったのだが。まあ、今回はやまさんとキャンプして、久しぶりに話をしたということが目的だとも言えなくもない。そういう意味では、九州で知り合って以来のやまさんと会って、走って、話ができたのは、それだけで良かったと思えるのである。


■9/17(月)

 2週続けて仮面ライダーアギトを見る。実はその前の時間にやってる百獣戦隊ガオレンジャーを見てみたかったのだが、あいにく寝てたりでこちらは見ず。それはさておき、仮面ライダーアギトである。前作の仮面ライダークウガも何度か見たことがあるのだが、クウガがスタントに成田匠氏(トライアルの日本チャンピオン、だったかな)を起用していたこともあって、バイクアクションもウリの一つだったのだが、今回はそうでもなさそうである。というか先週のはバイクが一度も出ずである。しかし仮面ライダー登場の時に歩いて出てくるのはどうなんですかね? 今週はと言うと変身前の仮面ライダーが普通のVTRとXRに乗って登場。アクションはないけど(怪人に進路を防がれたらアクセルターンで逃げるくらいは見せて欲しいもんである)、まあこれはこれでいいかも。VTRとXRに乗っている人は子供に「仮面ライダーのバイク」と自慢できることだし(笑)。
 こういう風にバイクが格好良くTVで使われるのって良いと思うわけです。バイクレースやバイクの番組、更に言うならオートバイメーカーの宣伝のほとんどがバイク関連メディアに付属するのだけど、それらはバイクに興味のある人間しか見ないわけで、バイクに乗る人のすそ野を広げる役には立たない。そうではなく、特撮物やドラマでさりげなくバイクが使われている方がすそ野を広げることになるだろう。TW200のキムタク効果とかも実際あるわけだし、少々うさんくさいもののガチンコ!で8耐ってのも影響があるかも知れない。CMにしても、もっと普通の時間帯に格好いいのを流すとか、逆に方向性を変えて「通勤は車ではなく燃費と環境に優しい4ストスクーター(カブならもっと良し)を」などと、一般の人に訴えかけるものを作れないのだろうか、と思ったりするわけです。十数年前に比べると、ずいぶんと日本のオートバイの市場規模は小さくなっているので、メーカーももっと手を考えて欲しいのですけどねぇ。


■9/15(土)

 8/28付の日記の追記。原付を含むバイクの保有台数は1370万台だそうな。この人数の中には私の様に2台以上持つ人は少ないであろうし、そういう意味ではかなり分母に近い数字ではなかろうか。この数字は私の予想よりも一桁多い。案外普及しているのかもと思わせる数字である。
 友人に「バイクは危ないし、小説書くんだって危ないし、街歩くんだって危ないと思ってますよ」と言われた。確かにその通りで、ぐうの音も出なかった。他の人にとってはリアルに感じられないかも知れないが、私や友人にはリアルな現実である。特に友人のそのあとに続く言葉が「人に気易く勧める気にもならないわけで」であり、このことはまったくもってその通りである。
 前々回の日記については、具体的な数字を出してはいるものの、根底にあるのは感情であるなぁとあらためて思ったり。まあ今でも煙草吸ってる奴には言われたくないぞとは思うのだけど。
 先日、飛行機に乗っていてもオフィスにいても数千人も死ねることが実証されてしまった。次の日の朝刊で知ったのだけど、とてもショックだった。何の罪もない民間人があんなにも殺されていいものだろうか。そしてアメリカの報復で数多の人々が死ぬのだろう。私はただ冥福を祈ることしかできないけれど。


■9/2(日)

 猪名川サーキットのライディングスクールに参加。午前中はパイロンスラロームや8の字で、午後からはコース走行である。当日は天気も曇りがちでさほど暑くもなく(でもヘルメットの中は汗だらけだったが)、練習日和だった。まずはウォームアップ走行である。いきなり転倒する私(爆)。なんだろう? コーナー入り口でアクセルを戻したつもりが引っかかった様で、エンジンの回転数が落ちずにスリップダウンである。ウォームアップ走行から転倒するとは恥ずかしい。GSX1300R隼はジェネレーターカバー破損、カウルもひびが入ってしまった。身体の方は左手首をねんざしたくらいで、服装はほとんどダメージを受けずである。こういう点、大したスピードでないことと、しっかりとした装備だったことが幸いしている。その後は少し休憩と手首に湿布をして、パイロンスラローム、急制動の練習。
 昼飯のときに、ジェネレーターカバーからオイルが漏れているのを発見。サーキットの人(?)に応急処置をしてもらい、なんとか午後の講習に参加できる。こういう点、実に親切でありがたいことである。午後のコース走行では腕の優劣がはっきり出るのが面白くもつらいところである。サーキットで前を行くD-トラッカーに置いて行かれるのは腕のなさ以外の何者でもないわけで。そんなわけで2班で最後尾辺りを走っていた。
 いきなりの転倒もあって気分は沈みがちではあったが、終わってから考えるに結構良い内容だったと思う。普通の講習会ではなかなか実際のワインディングに近いコーナーやスピードは体験できないがここではできるのでかなり実際の走行に近い練習が出来るのが良い。あとは値段さえ安ければ良いのだけど。


■8/28(火)

 バイクは危険だ、という。が、ふとあることが気になったのでインターネットで調べ物をしていた。99年の日本のバイク(原付から大型まで)の交通事故死者数は1500人ほどである。年々減少傾向にあるらしい。もうひとつ調べたのが、99年の日本の肺ガンの死者数で、こちらが約5万人。つまり、おおざっぱな話ではあるが、煙草はバイクの30倍以上の死者を生んでいるわけである。まあ、この数字自身は正しくても、いい加減なところもあって、例えば交通事故死者の数は24時間以内に亡くなった人の数でしかないし、肺ガンの全てが煙草の所為でもないが、しかし喉頭癌なども煙草の影響が大きい(喉頭癌は肺ガン以上に煙草が関わるらしい)ので、実際とは少し違うかも知れない。それでも桁違いであることは間違いない。にもかかわらず、「バイクは危険」といわれ、煙草の害はさほどに言われていないように思われるのが残念でもあり。いや、調べ物をしたのは、「バイクは危険」と言われたときに反論するためなんで、自己保身なんだが(笑)。
 ちなみに調べ物のキーワードは「バイク 交通事故 数」「肺ガン 数」だったかな。興味のある方、詳しい数字などを知りたい方の参考までに。本当は死亡率を調べるべきで、その場合は喫煙者数とバイク利用者数が必要なのだが、バイク利用者数はどうも出てこず、である。実はあるページでそこまで(パラグライダーのページなのでパラグライダーの死亡率も)調べていたのだが、バイク利用者数を自動2輪免許保持者にしているので、当てにならないのが残念。持っていても乗らない人もいるし、原付は自動2輪免許でなくても乗れるのでねぇ。


■8/15(水)

 盆休みはだいす氏と2人で中国地方探訪だった。中国道は当然のように渋滞で、旅の初めから5年ぶりくらいの違反切符を貰う私(泣)。ま、それはさておき、渋滞を考えて早く出た私は赤松PAでだいす氏を待つこと3時間ほど。だいす氏は1時間以上の遅刻である。まあ、お盆だしね。赤松PAからは混むこともなく、米子自動車道に入ってすぐに降りる。そこからは下道で蒜山へ。途中降られもしたし、天気の悪さで景色もあまり良くないが、それでもここは綺麗なところである。この日はうまく民宿を押さえることが出来たので、民宿に泊まる。
 次の日は大山へ。だいす氏は1泊2日なので、大山を見たところでお別れである。私は本来のペースで大山を一周し(だいす氏はゼルビス(ホンダの2気筒250cc)だしね)、それからは比婆山の方へ向かう。途中に金持神社というのがあるので、ちょっと寄ってみる(笑)。つい金持饅(リッチマンと読むらしい)とか買ったり。ちなみに、1500円といい値段だが、味の方もなかなかだったのでとりあえずは良し。昼頃に雨に降られたので食堂に飛びこむと臨時休業だったが、「カレーなら」ということで中に入れて貰う。そこにいたおじさんにお勧め温泉など聞いて、雨が止んだのを見て温泉へ。温泉というか、見晴らしの良い展望台あり、日本庭園ありのレジャースポットという感じの所である。そこからは比婆山・・・の隣の天竜山へ。ここにキャンプ場があるのだが、これがバイクを止められるところからキャンプ地が遠く、あの装備で山歩きをしたい気にはならずに、第2駐車場の方へ向かう。そこはちょうど水もトイレも小屋まであって、野宿にはもってこいだったりして、結局小屋で野宿である。ところが飯の時に、食材を落としたことに気が付く(泣)。晩飯は非常食として持っていた缶詰と、前の残りのみそ汁である。
 朝はみそ汁掛けご飯である。つか、それしかないし。今日は帝釈峡を目指す。帝釈峡は天然の石がくりぬかれて出来た雄橋とか鍾乳洞などを見学。次に福山ナンバーの人に勧められた鯉が窪湿原へ。管理人のおじさんと色々な話を聞いたり。鉄条網を張ったり、「マムシが出ます。注意!」という看板を出したりしての、写真家や植物愛好家との戦いは聞いていて笑ってしまったが、しかし笑い事ではないですな。ここからは、県道づたいに西に向かったのだが、この辺の県道は標識が少なくてわかりにくい。何度か間違えたし、人にも道を聞いた。で、当初の予定より近くの総社市にある高間キャンプ場へ。
 キャンプ場にいた家族の子供をハヤブサに乗せてあげる。結構喜んでいたし、このときの親は、娘がバイクに乗っているとかで寛容的である。ま、実はきのうも、それから帰りの高速でも子供をハヤブサに乗せてあげたのだが、子供の反応とか親の反応とかが面白くて、これは癖になりそうである(笑)。ハヤブサって目玉がついていて、特撮系のバイクに近いからねぇ。特に喜ばれるのかも。帰りは渋滞を予想して、早々に帰ることにする。帰着は1時過ぎだったか。その所為で渋滞知らずだったが。
 今回は、いつも以上に人に関わって、それが結構良かったかなぁと思ったり。あちこちで、「この辺いいところないですかねぇ?」と聞いたし。もちろん知らない穴場を知ることもできるわけだけど、そうでなくても、おらが町の自慢、みたいなものが感じられて、(失礼な話だが)ほほえましく思ったり。子供をバイクに乗せてあげるのも、バイクを通じてコミュニケーションを楽しんでいたわけで。別に人と会話しなくても困りはしないのだろうけど、人間関係が煩わしくて離れたくなることもあるだろうけど、それでも、人と会話することで少し暖かい気持ちになれることがあるから、ツーリングではつい見ず知らずの他人と話し込んだりするのです。そういうことって無いですか?


■8/5(日)

 暑い暑い。連日続く暑さで、整備しようにもする気にならずについつい自堕落に過ごしてしまう日々である。とは言っても来週から盆休みなので、整備しないわけにもいかず、汗をかきながら整備をした。もっともそんなに汗をかいたかというと、思ったほどでもなかったので、気温もさほど高くなかったのかも知れず。
 整備をしていると、おじさんに話しかけられた。向かいで建てている家の不動産屋の人らしい。まあ、誰か来ないと暇なのでよく近所の人とも話しているようだが、昔バイクに乗っていたとかで、結構バイクの話で盛り上がったり。
 次はおばさんに話しかけられて、こちらはバイクに興味があるわけでなく、この辺の昔の話などを聞かせて頂いたりした。その度に整備が中断されるわけだが、時間もあることだし、できるだけおつきあいする。いや、私もこうやって話をするのは好きなのだろう。不思議なもので、バイクがないときはあまり話好きではないし話もうまくないのだが、バイクが共にあると案外と話が出来たりする。言うなればバイク依存症である(笑)。しかしまあ、話のきっかけになるのであれば、バイクというのもいいのではないかなと思ったりするわけで。


■7/23(月)

 3連休は「彷徨猫旅記録」のオフ会、四国酷道オフに参加してきた。四国の酷道、R193やR439を走ろうというオフ会である(笑)。木曜日の夜、大阪南港に主催のあめふらし氏とsatouno氏、そして私の3人が集合、甲ノ浦行きのフェリーに乗る。このフェリーが振動が多いわ、人がいっぱいだわで酔い止めを飲んでいたにもかかわらず、次の日は船酔いしてしまった。このフェリー、夜11:20発の4:20着である。明るくなるまで喫茶店で時間をつぶし、そこからすぐR193に挑戦である。R193に入ると各人バラバラに自分のペースで走る。私は船酔いの所為でどうにも調子が良くない。最初の待ち合わせポイントでついに吐いてしまった。吐いてしまうと徐々に楽になったが、今度はフェリーであまり眠れなかった分眠気が襲ってきて転倒しそうになったり。そんなこんなで、いつもの民宿に入るなり1時間ほど眠りにつく。
 2日目の朝でsatouno氏とはお別れである。私とあめふらし氏はR439に挑むことに。R439の京柱峠東側は国道では最高レベルの悪路であることをあらためて確認(笑)。西側からやってきた3人組が西側も酷いようなことを言っていたが、それほどでもなく。後で「あれで酷かったら下りの東側は大丈夫だろうか」と笑い合ったり。その後は奥白髪温泉へ。悪路を何キロか走った所にある、まさに秘湯という風情のところである。ここは高知でも珍しい個人経営の温泉で、高知で3つしかない硫黄泉なのだとか。さらにもうひとつの硫黄泉である蘇鶴温泉に行った。私はGWに残りの硫黄泉である笹温泉に行っているので、偶然にも3つとも制覇したことになる。蘇鶴温泉を出ると遅かったので高知港のフェリー乗り場に急ぐ。晩飯はフェリーの食堂で、と思っていたら食堂が無く、慌てて3つ残っていた弁当を買って食う。帰りは2等寝台で少しは楽だったが、2等はやっぱり2等室からあふれるほどの人だった。朝、南港につくと、そこであめふらし氏とお別れ。結構楽な行程だったのだが、それでも帰ったらまず寝入ってしまった。
 奥白髪温泉で、あめふらし氏に「よく隼で(奥白髪温泉までの悪路を)あのペースで走れますね」と言われてしまった(苦笑)。共に悪路屋であるあめふらし氏にその様に言われるとは思ってもみなかったわけで。しかし、今回の酷道オフでは私とあめふらし氏のスタンスの違いが目立っていて、同好の士でもずいぶんと違うものだなぁと思ったり。あめふらし氏が取材のためにゆっくりと走って、いいポイントで写真を撮っていたのに対し、私は酷道走行を楽しむがごとく走り回って、最後に簡単なコメントを書いて終わり、という具合に全然違っていたのである。なるほど、あめふらし氏のWebページが良くできているわけだ。とはいえ、このスタンスの違いで、私のWebページもコンテンツを作れないだろうかとも思ったわけで。・・・走り屋系酷道ページ?(爆)


■7/16(月)

 引っ越してから、初めてツーリングに出た。今回は木の精氏との2人旅である。いつもの待ち合わせ場所である伊勢自動車道安濃SAにて落ちあい、大台ヶ原を目指す。大台ヶ原で宿を取るつもりだったが、次の日はヒルクライムがあるとかで、朝は11時まで交通規制があるというので諦めて、川湯のユースホステルに予約を入れた。川湯だと距離があるので、ゆっくりツーリングの予定がいつの間にか走行主体に変わっていたり。もっとも大台ヶ原の辺りで大雨に降られたので、大台ヶ原で宿を取らなかったのは正解でもあったが。大雨に降られたとき、不幸にして合羽を着ていなく、着るタイミングも逸してしまい、川湯近くまで降られて走ることになる。川湯のYH(ユースホステル)ではライダー5人でバイク談義で夜を過ごす。次の日は高野龍神スカイラインへ。もっともここも料金所から数キロは路面が乾いていたが、そこからは濡れていたので、そう楽しむこともせず。護摩壇山の展望台で休憩しているとまた雨に降られて長めの休憩に。高野山からR24の方に出て、そこで木の精氏と別れて帰った。今回は一枚の写真も撮らず、走ってばかりという感じのツーリングになってしまった。
 走ってばかり、と書いたが、それでも楽しかったのである。それに加えて木の精氏と走るのは楽なのだ。安心できる、とかストレスを感じないというか。木の精氏とはバイクの免許を取ったのも近く、もっとも一緒に走った仲だ。だから、お互いに走行のペースが似ているし、考えることもだいたい読める。腕も知っているし、そういう点では付き合いの長さが安心感や楽しさを生み出しているのだと実感する。
 2人は走る。デュエットを歌うように。少し音程を外れることもあるけれど、協調するように、また合わせてレベルを維持して走る。
 ワインディングを2人で走るというのはどういうことだろう。速さという勝ち負けの基準はもちろん存在する。これは当然大きな存在だ。だが、私はもうひとつ存在すると思っている。「拳で語り合う」という言葉がある(あるのか?)ように、バイクで語り合う世界がある、と思うのだ。テクニックと性能から産まれるライディングの応酬が対話となり、お互いの理解へとなる、そんな世界が好きなのです。


■7/9(月)

 引っ越しも無事終了し、ようやく一息というところである。なんとかDF200E「陸自郎君」GSX1300R隼「雪風」も置くことが出来て、こちらの方も一安心というところ。まあ、ミラー折り曲げないと置けなかったりもするのだけど、2台所有が続けられるのなら、この程度のことは仕方がないであろう。
 ツーリングクラブ「BURN TO RUN」の面々に、「速さにこだわってる」と言われて、本当に驚いた。むしろこだわっていない部類であると思っていたくらいである。私はツーリングには行っても走りに行ったことはない(講習会には行ったが(^_^;;)し、ここでも速さに言及することはあっても、それ以上に他の価値観について語っていたはずである。それはまあ私ごときが走りについて語れるレベルにないと思っているからでもあるのだが。
 とはいえ、まったくこだわっていないわけではない。ただ、そのこだわりはスポーツバイク乗りなら誰でも持っている程度のもので、スポーツバイクに乗っている諸氏から「こだわっている」などと言われるような代物ではないと思っていたのである。どうやらこの認識が違っていたようで、私程度のこだわり方ならば充分に「こだわっている」と言われるレベルなのだと納得した次第である。もちろんそのこだわりは、真に速さについてこだわっている人から見れば、「こだわってない」と言われてもおかしくない程度のものであるとは思っているが。
 今回の件は、実は結構感謝している。今までは「私ごときの認識や走りのレベルで速さ(や走り)を語るなんておこがましい」と思っていたのだが、そんなことはないと気付かせて貰ったからである。速さにこだわる者として、速さという価値基準で話をしてもいいということだ。それはまた、速さという価値基準を受け入れることができたということでもある。このことに気が付いたとき、なにやら世界が広がったくらいの新鮮な感動を覚えたのだ。そう、速さという価値観の世界が広がったのだ。
 私は「速さにこだわっていない」というこだわりがあったのだと思う。もしそういう人がいたら、そのこだわりを捨ててみるのも、良いかも知れない。私の様に世界が広がるかも知れないのだから。


■6/17(日)

 今日は足回り専門チューニングショップG.M.Dジャパンに行って来た。GSX1300R隼の前後サスのオーバーホールの為である。引っ越しもあることだししばらく乗らないので行ってみることにする。雑誌に広告も載せている有名なところなので大きいところかと思っていたら、屋根付きガレージでの営業である(笑)。いや、こういうのも悪くないが。
 まずは車体計測からである。この車体計測がG.M.Dのウリでもある。・・・「フレームに捻れが出てますね」 この場合、ここではサスペンションのオーバーホールは後回しにしてフレーム修正からするので金が掛かるのである。もっともフレームが捩れてると言われて乗り続けるのは私にはできないのでフレーム修正をお願いすることになる。というわけで隼を預けて帰ってきた。どうも私は、マシンを信頼できないと走る気にならないので、フレームが捩れてますなんて言われた日には直さないと気が済まないのだ。まあ性分なので仕方がない。仕上がったときに変化が体感できることを祈るばかりである。
 PS.引っ越しするのでしばらく更新を休む可能性があります。


■6/11(月)

 ライバルが、居る。いや、ライバルというのは正確ではない。向こうは別にそんなことは思っていないだろうし、私からしても私などはライバルに成り得ていない。言うならば漫画「キリン」に出てくる言葉・ホリゾンタル グレイズである。地平線に立つ銀馬。地平線に立つ銀馬には、どこまで行っても追いつけない。そう、私は常に彼に勝ったと思えたことがない。負け続けなのである。
 木の精氏という、もっとも古い付き合いの友人である。意識したのは木の精氏がNSR250Rに乗ったときからである。ワインディングでの速さで、私は常に劣っていた。もっとも氏と走ることで私も速くなっていったし、少しずつ自信もついてきていた。そしてそろそろ対等に走れそうかという自信を持った頃に、それは起こった。木の精氏が一人旅の途中で転倒したのである。別に怪我をしたとかいうことではない。ただ、ワインディングでは実に遅くなってしまったのである。私は氏に勝つきっかけを失ってしまった。遅くなった氏に勝っても、そんなのは本来の氏に勝ったことにはならないし、そういう意味では当分氏を越えることができなくなったのである。
 まあ、それだけなら別に木の精氏を特別扱いすることはない。なにせ、私よりも木の精氏よりも速い奴なんていくらでもいるし。常に負け続けたのはそれから後のことである。速さ以外の楽しみの面で、常に私の一歩先を行く様になったのだ。キャンプを始めたのも氏が先であったし、海外にも行ったし、ツーリングでの楽しみの多様性でもバラエティに富んでいた。旅先で乗馬やパラグライダーもやっていたし、キャンプ場ではコーヒーミルを持ち込んで豆を挽いたりもした。オフ車に乗るのを誘ったのも氏だったし、エンジンのオーバーホールまでする整備の腕なんかは私の及ぶところではない。負け続けである。
 そんなわけで、私の中では常に木の精氏に負けていると感じてきたわけである。だが、ついに勝つかも知れないチャンスがやってきた。木の精氏のNSRとワインディングでの腕が復活したらしいのである。これで再戦して勝てば、負い目(別に感じる必要などないといえばないのだけど)から解放されるかも知れない。負けても、木の精氏が地平線ではなく形のある目標になるということで、励みになるというものである。
 ただ、もし木の精に勝ったとしても、「あの頃の木の精氏はもっと速かった」と思ってしまうかも知れない。まあその時はホリゾンタル・グレイズはホリゾンタル・グレイズのままでもいいとも思ったりもする。走りについても、楽しみ方についても、私の目標がありつづけるということなのだから。


■6/4(月)

 6月は引っ越しやその他諸々の用事があって、バイクで出かけることなく終わりそうな感じである。乗らないとストレスが溜まりそうな状況で、どうにもよろしくない。というわけで出かけるかも(笑)。
 引っ越す予定の家を見に行った。外観はだいたいできあがっているのだが、周辺をコンクリートで固めたりとか内装はまだである。気になるのはガレージや駐輪スペースで、これが思ったよりも狭そうである。自転車3台とバイク2台に自動車1台を置かないといけないので、考えてみれば結構なスペースを必要とするのだが。あわよくばメンテナンススペースを、なんてのは論外であった(苦笑)。
 場所は、狭い路地を通って袋小路になるところに建っているので、治安は良さそうである。これならバイクの盗難もなさそうで、その点は安心。一応U字ロックを埋め込んで貰うことになっているのだけど。道が狭いのはちょっと問題で、私は4輪ではあまりここには帰ってきたくない(笑)。2輪でも、隼なら袋小路のこともあってUターンが面倒そうである。
 そんな感じで、立地条件などはこんなものなのだけど、スペースがないのがどうにもつらいところで。引っ越してからバイクを並べてみないとなんとも言えないのだけど、もしかしたらDF200E「陸自郎君」を手放さないといけないかもなぁと思ったわけで。あまり考えたくない事態ではあるのだけど。



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