日記

■バイク乗りの週刊日記−2002年前期版

ここではその週にあったことや思ったことを徒然なるままに書いていこうかと思っております。

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■5/25(土)

 二輪車安全運転講習会(グッドライダーズスクール)に行って来た。2年前、ワンデースクール大阪と言っていたのが有料化して多少様変わりしたらしい。有料化してからは初参加である。
 残念なことに当日は午前中は雨で路面が濡れていた。まあそれも練習ではあるが。今回はDF200E-陸自郎君-なので、ハヤブサでやるよりは良いというものである。そうそう、ワンデーの頃はマフラーを換えていると参加できなかったのだが、いつのまにやら参加できるようになったらしい。これでハヤブサでも参加出来るということだ。逆に残念だったのが、指導の白バイ隊員の女の子が半減したことだろうか。教えて貰うなら綺麗でうまい人に教えて貰えた方がありがたみもあるというものである(笑)。
 やることは千鳥足・パイロンスラローム・急制動・8の字・一本橋と応用走行である。正直どれもこれも手一杯で自身の未熟さが知れるというものである。だいたいDF200Eで苦労していたら、ハヤブサで来るどころの騒ぎではない。まあ、自分の下手さ加減が分かるというのはそれはそれでいいことではあるのだが。
 そんなこんなで8の字で転倒してしまった。パイロンを曲がって、アクセルを開けたところが白線の上でスリップダウンである。低速ではあるし、ニーガードも付けているんで特にダメージはなく、バイクもDF200Eだけにどこも壊れずに済んだのが幸いである。
 今年はライテク向上に勤しもうと決意したのであるが、その第一回目の講習会参加である。これからも参加して、どれくらいうまくなれるだろうか。そしてどれだけバイクが楽しくなるだろうか。楽しみである。


■5/20(月)

 GW四国行第二章。
 GWの四国行は、なにやら物足りなく、次の週に4連休を取って再度四国行を決意する。もっともこの時も天気がよくなさそうで、先行きの不安なことではある。さて。いつものように和歌山港を目指す。初日は天気がよいという予報だったが、あまりよくない。二日目はなおさらよくなさそうである。今回はいくつかプランを考えていたが、天気のいい内に四国カルストを目指そうと決めて、徳島から高速に乗って一路四国カルストを目指すことにする。松山道川内で降りてR494を下る。しかしどうにも天気が悪い。久万町で食材を買ったあと、ライダーズインに予約を入れた。その後、四国カルストに行ってみるが、霧が出ていて夕焼けを見るどころではなさそうである。ひとりライダーがキャンプしていたが。
 2日目。朝から雨である。今日から4日目まで雨っぽい天気予報で、3日で帰ることも考えに入れて、剣山の行きつけの民宿霧の峰(今現在ウェブ予約できません)の予約を今日に変更して貰う。朝から晩まで雨なのが分かっているから、今日はひたすら移動である。雨の中をR439で剣山まで。R439をGSX1300R隼-雪風-が走る。もう何年も走ってきた道である。見覚えのある景色が道が通りすぎる。GWでは得られなかった何かを得たような満足感。毎年恒例の四国カルスト巡礼に来たという実感がようやく湧いてきたとでもいうか。
 雨の京柱峠を越え、いつもの民宿へ。ここはすでに友人の家に泊まりに来たような感じで、夜は主人と飲んで語って過ごした。
 3日目。剣山では曇っているが、他は天気が良さそうである。どうするか決めかねて、とりあえず西に走ってみる。早明浦ダムを見て、もう一度四国カルストに行ってみる決意を固める。結局のところ、私は四国カルスト巡礼に来たのだから。これまたいつもの古岩屋温泉に入って四国カルストへ。残念ながら、今年も夕焼けは見ることが出来なかったが、それもいつものこと。また来年も来るだろう。
 四国カルスト巡礼を始めてもう6,7年になるだろうか。不思議と飽きることもなく、いやそれが当然のようになって、行かないと何かを忘れたような気になっている。それほどに好きで大事な場所があるということを知った、四国の旅の話。


■5/18(土)

 例年のように四国で、例年の如くいつものメンバーで、例年同様R439と四国カルストである、はずなのに違ってしまった今年のGWのお話。
 そもそも夜勤明けの出発で、風邪を引いてしまったことが予定を狂わせた気がしないでもない。仕事を上がったら風邪引いて熱っぽい身体で寝ずに支度をしてすぐに出発。岸和田SAでだいす氏を待つこと1時間。眠いような眠くないような、しかし眠ることはない待ち時間を過ごす。だいす氏、時間通りゼルビスで登場。新婚の妻を置いて出てくるナイスガイである(笑)。
 和歌山発のフェリーはバイクは先着順なので、挨拶もそこそこに出発。フェリー乗り場に着いてみると、思ったよりもバイクは少なくて無事に乗ることができる。私は甲板の椅子がいつもの場所なので、乗るとすぐに陣取って寝ることにする。夜勤明けで、ともかく寝ないと。先は長い。
 1時間ほど眠れただろうか。徳島港に到着。乗船中に木の精氏と連絡を取って3時に見ノ越に集合ということになった。もっともこれは私の読み間違いで、急いで行くことに。見ノ越の近くまで来たときに前から来たバイクにピースサインを出して通り過ぎようとするとホーンを鳴らしてきた。私もすぐにそれが木の精氏であることがわかり、先を行くだいす氏にホーンを鳴らす。これで全員揃ったところでいったん見ノ越まで行ってどうするかを協議。結局天気も悪いし私もあまり調子が良くないので宿を探すことに。観光パンフレットから観光案内所を探して電話。池田市にて宿を取ることが出来たので行く。駅前商店街の中の旅館で、8000円なり。場所代か、質の割にちょっと高めである。
 次の日も天気が良くない。実はキャンプ用にと買っていた食材を旅館の人にあげて、四国カルストは諦めて小豆島へ流れることに。まずは記憶を頼りに「山内」を探してうどんを食す。うーん、うまいのだけど、10時過ぎに入って腹が減っていないのは敗因か。
 そこから高松港〜小豆島へ。まずはYHに荷物を預けて、岬の分教場を目指す。有名な観光地だけにGWともなると車が多いのが困りものである。分教場近くにはあちこちに路駐が見られる状態で。そこにバイクを停めて映画村の方に歩く。で、外から眺めて帰る。何をやっているんだか(笑)。その後温泉に行こうということになったが、天気が良くない。私が行こうと言ってしまったために、降られて温泉に入らずに帰ることになる。ああ、申し訳ない。全員上着は防水ジャケットだが、ズボンを濡らしてしまった。
 だいす氏はYHは初めてだったらしく少々ノリが悪かったが、配慮が足りなかったか。次の日はオリーブ園など行ってフェリーで帰阪。ふと気が付いてみると500km少々しか走っておらず、なにやら走り足りない気分のGWツーリングであった。まあだからこそ次に続くのだが。


■4/29(月)

 バイク用の地図ツーリングマップルのアンケートを「TOURING WAVE」でやっています。次期ツーリングマップルをより良くするために、興味のある方はどうぞ。
 ドライバースタンドに買い物に行ったら、たまたま遠く長野県から個人売買でFZ250フェザーを買いに来ている人に出会った。フェザー自身が80年代のバイクであることもあって、4万円とかいう値段だった様だが、すでにメンテ費でその額をオーバーしそうな状態である。だが、それでも彼の目には期待と満足感があった・・・ように思う。
 彼は昔にフェザーに乗っていたという。そして今、フェザーを忘れられなくて手に入れた。
 「またフェザーに乗ることができるなんて・・・」
 つぶやいた彼はとても満足そうだった。そうつぶやける彼をとても羨ましく感じた。


■4/21(日)

 1月以来久しぶりにツーリングに出た。直前までどこに行くか決めていなかったのだが、なんとなく伊勢の方に行こうと決定。近畿道から名阪道へ。針ICで降りて下道で伊勢志摩スカイラインを目指す。交通安全週間でもあるし、リアタイヤも換えたばかり、久しぶりの峠走りでもあり、ゆっくりと確実にマシンとシンクロすることを目標に走る。ブレーキ。ステップワーク。バンク。アクセルオープン。気持ちいい道も、酷道も。操ることでマシンと対話し、そしてマシンとの一体感が増していき、その感覚に酔う。バイカーズ・ジャンキー。
 伊勢志摩スカイラインからパールロードへ。日曜日だというのに食堂や土産物屋が閉まっている。不況の所為なのだろうか。飯を食い損ねたので、ガソリンスタンドに入ったときにいい飯屋を聞いてみる。すぐ近所の飯屋を教えてくれたので行ってみた。まあ普通の飯屋で、海の近くだからと期待したようなメニューは無かったが、こぢんまりした店は悪くない雰囲気である。いや、客の一人からうさんくさい目で見られたのは何だが、革パン・ブーツにプロテクターでは仕方ない。
 その後、伊勢神宮内宮に行き、赤福本店で赤福餅を買って帰った。帰りのパーキングで、アメリカンの二人組に声を掛けられた。朝の高速で見ました、とかなんとか。そんなことでも話のネタになるのだから面白い。親子ほど離れた2人組だったが、そうだったのだろうか。そういえば珍しいバイクを見かけることが多かった。トライアンフ・デイトナ955iとかViper X-4とか。思ったよりもバイク全体の数は少なかったが。
 帰ってビールを開けて、ツーリングは終了。そんなこんなで書くのは1週間も後になってしまうのだが(苦笑)。


■4/3(水)

 徒然なるままに、駄文モードで。
 最近のお気に入りはブラインド・ガーディアンの「A NIGHT AT THE OPERA」である。ここのところ部屋にいるときはエンドレスで掛かっていたり。音楽はあまり詳しくないが、ノリノリで元気になるアルバムである。ま、ドイツのヘビーメタルを万人にお勧めするわけではないが。
 よく行く四国の民宿霧の峰がホームページを持ったらしい。この程度の規模なら独自ドメイン取ったら赤字じゃなかろうかと思うのだが、それはまあ余計なお節介か。ただまあ残念なのはこの民宿の良さが伝わってこないことだと思うのだが。いや、これも余計なお節介だ。
 たのみこむの企画雑誌部門でツーリング雑誌「アウトライダー」が一位を走っている。興味のある方は投票されてはいかが。
 「戦闘妖精・雪風」(神林長平 ハヤカワJA 500円)が映像化されるらしい。(impress watch記事) 私が神林ファンになったきっかけとなる小説が映像化されるのはうれしい。特に想像しにくい敵のジャム戦闘機がどの様な姿で出てくるか興味津々である。・・・もっともMPEGをみる限りでは雪風や零やブッカー少佐がイメージと違うのが困惑する部分でもあるのだが。


■3/31(日)

 大阪モーターサイクルショーに行って来た。今回は天気も良くないことだし地下鉄で行ったのだが、その所為で免許証を忘れるというミスをしてしまう。これで試乗車には乗れなくなってしまった。R1000とかもあったというのに。まあ私は油冷1400ccのGSX1400に乗ったような気がしないでもないが。
 目玉は当然バイクの展示である。が、思ったほど気になるモデルがないせいか、バイク談義が出来る仲間がいないせいか、もうひとつとても面白かった!というほどでもなく。結構跨ってきたりもしたのだけど、どうも実際に走ってみないと。結構格好良かったと言えば、雑誌よりもZZ-R1200は格好良かった。最近流行りのツリ目のバイク達はいかつくてあまり好きになれないんで、丸みのある独特のデザインは新鮮である。
 国産は大排気量車とストリート系モデルが目立つ。特にホンダは大排気量車よりもストリート系モデルの方が多いような印象を受ける。まあ、これも時代の流れである。私自身はストリート系モデルもありだと思うのだが、購入対象としては見ていないのでホンダブースは割とつまらなかった。  外車はボスホスが来ていて、笑ってしまいそうなでかさが一番である。まあシボレーとかのアメ車のV8 8200ccエンジン(500馬力のモンスターである)とか5700ccエンジン搭載だからその化け物っぷりは他に真似の出来るもんじゃない。もっともタイヤなんか見てるとまともに走るのか?と思うが、これまたそのばかばかしさがよかったりも。
 モーターサイクルショーで不満があると言えば、用品メーカーが少ないことである。もっと来てくれると色々見ることが出来ていいのだが。まあスペースの関係もあるだろうが。去年はベスラの隼フロント用ブレーキパッドをタダで貰ったのでかなりお得だったが、今年はそういう幸運には恵まれず、キーホルダーやらタオルくらいである。なお、ベスラホームページではパッドの試供品を毎月10様にプレゼントしているので興味のある方はどうぞ。
 実のところ、バイクがあまり興味をひくものが少なかった所為か、写真はキャンギャルの方が多かったり(笑)。ま、あれもひとつの華ではある。


■3/24(日)

 一通の葉書が届いた。ワープロ打ちで、何人もの人に出したであろうと思われる様な、私信のない葉書。裏にはデジカメ撮影とおぼしき剣山の雪景色。剣山のふもと、見ノ越にあるお気に入りの民宿・霧の峰の主人からの近況報告だった。それはワープロ打ちで全員同じ内容の一見冷たい葉書ではあったが、そこには確かに愛が存在した。


■3/10(日)

 前々から計画していたことだが、ついに2つめのサイトを立ち上げてしまった。「色彩DF倶楽部」、DF125E/DF200EオーナーズクラブHPである。いや、そうなるとサイトどころかクラブを設立してしまったことになる。Webページ管理人ではなくオーナーズクラブ会長だ。WAO! こうして私はバイク乗りレベルをまたひとつ進め、一般人からまたひとつ遠のいたわけだ。
 勢いで「色彩DF倶楽部」を立ち上げたのだが、だからこそ不安もあったりするわけで。本当に私で良かったのだろうか。そもそも愛の薄い性格の私だから、私よりもDFを愛している人間は幾らでもいるだろうに。以前、RFOCに在籍し、メンバーのRFに対する愛の濃さが心理的圧迫となってRFOCをやめてしまった私が?会長?(2ヶ月後に買い換え。逆に言うと買い換え決意以前に退会)
 まあ、当時と今とでは私の状況も違うし、立場もできてしまったことだから投げ出すことはしない。やる以上は責任を持ってやるべきだし、そういう腹はくくっている。愛は偏るものだから、愛の薄さが時には平衡感覚となって有利なこともあるだろう。そう考えるから、平衡感覚で運営していきたいと思っている。
 ただ、それでも不安はあって、本当にこういう運営方針でみんながいいのだろうかとかも思ったりもする。ま、そのことの直接的心理圧迫は未だ3人しかいない会員数なのだが(爆)。


■3/2(土)

 DF200Eの走行距離がもうすぐ2万キロになることもあって、近くのバイク屋に偵察に行ってきた。選んだのはSBSでも某チェーン店でもなく、独立のバイク屋っぽそうなところである。インターネットで調べたのだが、住所と電話番号と店名しか分からないのでどういう店か分からない。バイクで行って停めると、例えばカワサキ専門店だったりした場合に困るので、歩いて行く。見た感じ、店は大きくもなく前の山田サイクルほど小さくもなく、ストリートファッション系のバイクが多いがメーカーにこだわりはなく、店長らしき人が一人で作業している。そう、私好みの雰囲気である。そんなわけで、ぎこちないながらも話をして、エアフィルターを注文して帰ってきた。年数回サーキット走行会もやっているらしいので、見た目よりもロードスポーツ系も強そうなので安心したってのもある。今度のバイク屋も、いい店で、そして永くつき合えたならいいのだけど。
 友人はる氏のお薦めの漫画を購入。「ナルミさん愛してる」(山川直人:少年画報社ヤングコミック 857円)。別に感動巨編ではなく、それからはほど遠い日常を描いた4ページ漫画である。主人公は一人暮らしの女性ナルミさんの可愛がっているUFOキャッチャーのぬいぐるみドミノ。ナルミさんのごく普通の日常に、しゃべることもできないドミノはただ想うだけ。ドミノはナルミさんを愛してる。愛故に些細なことに悩み、嫉妬し、そして優しくなれる。こういう痛くて切なくて暖かい物語、好きです。これで泣ける私ってのもどうかとは思うけれど(^_^;;


■2/24(日)

 先週から来週にかけて、少々忙しい予定になっているので、まともに更新できないことをまずお詫びします。もっとももしかしたら来週以降も忙しく過ごすかも知れず。
 ようやく暖かくなって来、それと同時に花粉の季節にもなった。私の場合、あまり目には来ないので酷いというほどのことはないが、集中力がとぎれるとかもあるし不愉快であることには違いない。が、不思議なことに、ツーリングの時には例え杉林の中を走ろうとあまり症状が出なかったりする。某アウトドア屋さん曰く「仕事の時には気にならない」そうで、結構気のもんだなぁと笑いあったことがある。もっとも私は仕事の時に収まったりしないが(爆)。


■2/12(火)

 日々の色々。
。  引っ越してから初めて近所で散髪した。半年以上も近場で行かなかったのは、いかにも高そうだったからである。今までが洗髪までして1800円とか2000円といった安い店だったので、どうも普通の値段が高く感じてしまうだけなのだが。というわけで、一見やっているかやっていないか分からないような店に入る。すぐに座れて、さっそく髪を切り始める主人。って、どんな風にしてくれと言っていないし聞かれてもないんですけど(^_^;; 私ものーてんきなもんでお任せモードである。始まってすぐに隣の常連らしい客が終わって主人と話を始め、ついで次の客がやってきて彼のいた席に着いた。するとその常連、「今日はよく入る日やね」・・・日曜日に客待ちもしてないのによく入っているんで?(^_^;; もっとも散髪の方は滞りなく進み(客待ちもしてないことだし)、見た感じも結構良くて−というか下手に指示したよりお任せの方が良い−、マッサージ器のマッサージと耳掃除と洗髪がついて3700円。うーん、高い? しかしまあ、現代的な店よりも、こういう職人的な店の方が好きなんだなと再確認できたり。
 以前はまったく4輪に乗らなかったが、親が4輪を買い換えたこともあって、少し乗るようになった。スズキのエブリィ ワゴンである。というわけで一家揃ってスズキだったりする。乗っていると不満も出てくるわけだが、とりあえずは親とルームミラーの角度が違うのが不便なので、ミラーの上から被せる大型ミラーをホームセンターで買ってきて取り付ける。ついでにあれもこれもやりたい・・・バイクで改造癖がついてしまったらしい(苦笑)。


■2/6(水)

 10年ほど前、私はテーブルトークRPGゲーマーだった。会社に入り、バイクに乗り出した頃から遠ざかっていき、もう何年も縁がないが。
 友人はる氏に「馬場秀和ライブラリ」というWebページを教えて貰った。どこも良いのだが、特に「馬場秀和のRPGコラム」が秀逸でとても面白い。
 ここで紹介されるテーブルトークRPGとは、コンピュータRPGの元となったゲームである。ただし、コンピュータRPGは生まれたときから独自の進化を遂げたので、両者は別の楽しみを持つ、まったく別のゲームではある。テーブルトークRPGは、10年程前(いや、15年程前か)にブームを迎えた。そしてトレーディングカードゲームが取って代わるようにして、ブームが過ぎ去った。
 馬場秀和のRPGコラムでは、何故にテーブルトークRPGが廃れたかを企業とプレイヤーの側から書き、プレイヤーがどうするべきかをくどいほどに書いている。それが、私(私ごときだから、かも知れないが)には目から鱗が落ちるような視点でありながらなおかつ正論なのである。
 ここでは手短に書くのは難しいし、手短に紹介して氏の言葉を誤解してもらっても困るし、それにあの面白いコラムを読んで貰いたいので紹介はしないつもりであるが、どうしてもひとつだけ。あのコラムは普遍的な正論で書かれている。だから読んだときに、「RPG」という言葉を「バイク」に置き換えてみたらどうなるかを考えてみて欲しい。私には個人的なこと、業界のことでの良くない部分が新しい視点で見えてきてショックでもあり、反省もさせられた。個人的にはもっと講習会に行こうと思ったりしたわけである。
 例えば。初心者向けバイクとはなんだろうか。スズキで言うならボルティーとかDF200Eもそうだろうかと思ったりしていた。だが、馬場氏曰く、初心者向けRPGはルールが簡単とかであるべきではない。教育効果の高い物を選ぶべきだ、というのである。これはまさに正しい。バイクで言うなら、正しいライディングを学べて上達すればした分だけ面白くなる、そんなバイクだろうか。そんなバイクを、初心者に対して、企業も、(お薦めする)バイク乗りも提示できているのだろうかと思うのである。少なくともここ数年250マルチネイキッドのなかったスズキは提示できてなかったよなと思ったりしたわけで。
 バイクが好きで、なおかつテーブルトークRPGをプレイしていたことがあるなら是非とも読んで欲しい。きっと面白くて参考になることと思う。


■1/20(日)

 先週はやたら暖かい日が続いたので、GSX1300R隼で2002年初ツーリングに行ってきた。行き先は暖かいだろうと淡路島である。7時半くらいに家を出る。暖かいと言ってもさすがに朝はそうでもなく、真冬装備でちょうどいい感じである。
 中国道から山陽道を通って明石大橋へ。どちらかというとフェリーを好む私だが、四国と本州を結ぶ橋は雄大で景色も良くていいものだとあらためて思う。明石SAでも停まって、コーヒーで暖を取りながら眺めていた。
 ここから下道に降りて、時計回りに淡路島を回ることにする。全体的に下道は思ったよりも混んでいて、のんびりと回ることになる。オーバーパンツ装備だとどうもホールド感や路面からの体感情報が薄れて不安感があるので、あまり飛ばす気にならないのもあるが。
 最初の目的地は灘黒岩水仙郷である。今が見頃という話を聞いて行ってみたが、駐車場がいっぱいで4輪を停めるのに困っている様な状態。かなりの人出である。水仙郷は一面の水仙で、しかも満開ととても綺麗だった。ただ、あまりに人が多いので、写真を撮りにくいのが残念。
 暑くなってきたのでオーバーパンツは脱いで、次は道の駅うずしおである。ここは淡路島に来ると毎回来ているところで、ちょうど鳴門大橋が目の前に見ることができるし、橋脚のところまで行けるので、行ったことがない人にはお勧めである。ただ、この時は工事で橋脚には行けなかったが。
 そこから北上して、野島断層記念館へ。これがまた凄い。1メートル以上地面がずれていたりする。動かないものと思っている地面がこれだけ動くのだという事実が、なんとも凄い迫力である。
 津名港からのフェリーで帰ろうかと思ったので津名港に急いだが、団体予約で押さえられていてバイクはすでに打ち切りだった。仕方ないので、温泉にでも寄ろうと岩屋温泉に行くことにする。岩屋温泉は地元の人の温泉という感じでそれはそれで好きなのだが、こういうところはどうにも部外者が一人混じっているような感じで居心地があまり良くない。ま、来る方も悪いのかも知れないが。それでもゆっくりとしてから出た。帰りの高速は混むかと思ったがそんなことはなく、これならフェリーでなくても良かったと安堵。
 そんなこんなで初ツーリングも無事終了。久々だから「何か」を期待しすぎて少し不満も持ったり。後から思えば良かったと思うのだけれども。


■1/12(土)

 行きつけのバイク屋「山田サイクル」の店長である山田さんが亡くなった。きのうはその葬儀に参列。他の常連客が皆泣く中で、泣いていない自分は常連ではないのだなと思ったりした。もっとも常連であった上で、単に私が愛の薄い人間だったということである可能性は否定しないが。
 山田サイクルに行ったのは、RF-MLで知り合ったnokonoko氏が山田サイクルの常連だったからで、その頃いいバイク屋を探していた私はnokonoko氏の紹介で行ったのだった。行ってみれば自転車屋兼バイク屋の小さな店で、正直な話「大丈夫か?」と思ったものだった(笑)。しかし整備の技術は間違いなかったし、それに加えて工賃の安いのが魅力だった。山田さんの職人肌の性格も好きだった。まあ、職人肌の性格は、客の選り好みが激しかったし、作業も少々あらっぽかったが。しかし、こんなちっぽけな店でできる整備や、職人肌の性格ですらできる接客、その程度のことの出来ない店が大規模店も含めてどんなに多いことだろう。
 掲示板で訃報を書いたときも、そして今も文章を書いてみて思うのは、どうにも山田さんが亡くなったことより、整備のできる店を失ったのが残念だと書いているようで、自分でも嫌な気になる。しかしながら、山田さんのことは好きだったが、用もないのに山田サイクルに遊びに行く様な常連でもなかったことを思うと、結局のところ、そういうことなのかも知れない。
 ・・・私にとって山田さんという人は、「信頼」だったのだと思うようになった。世の中に、信頼できるバイク屋の、いかに少ないことだろう。そういう価値観・重さで、私は山田さんの死を悼む。・・・ご冥福をお祈りしています。


■1/4(金)

 あけましておめでとうございます。去年は多くの方々に来て頂き感謝しております。また今年もよろしくお願いします。
 日々の色々。FORZAのオンロードブーツを1980円で入手。正確にはタダみたいなものだが。
 神林長平「永久帰還装置」読了。神林長平的な現実喪失感とソノラマ風アクション要素が調和した、とでもいうような内容。
 去年を振り返ってみると、なにやらあまりツーリングに行っていなかった気がするのだが、結局は10回くらいは行っている。まあ、一昨年が14回ほどだから減ってはいるのだが。あとはどうも一人で出かけることが少なかったように思われ、仲間が増えたことは喜ばしいことではあるものの、ひとりでも行くというほどの意志を持てなくなりつつあるのではとも思うわけである。その割にGWやお盆のロングはなかなか都合が付かなくてひとりだったり。そういう辺り、私も回りも年を取ったのだと思わないでもない。
 もっとも年齢はいいわけにしか過ぎない。だから今年はもっと旅に出よう。それが今年の抱負。



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