教えることは、希望を語ること。井上塾

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ゆるがぬ「平和のとりで」を
1人1人の心の中に

〜あの日の景色が見えますか あの日の声が聞こえますか〜

6年国語は,例年,修学旅行の9月初旬に『平和のとりでを築く』という説明文を学習する。これは広島平和文化センターの理事長だった大牟田稔の文章で,広島の原爆ドームがユネスコの世界文化遺産に登録されるまでの道のりと,その意義を語ったものである。今,6年生が戦争と平和を真正面から取り上げて学ぶ単元はこれだけである。彼は『原爆ドームは平和を守ろう,戦争を拒否しようという強い意志を人々の心の中に築くための世界の遺産である』と述べる。簡潔でまっすぐな力強さを感じさせる内容だが,7ページ立てのうち8月6日の記述は実質5行。写真2枚。もみじまんじゅうとサンフレッチェしか知らない生徒が1人で通読して「広島」が見えてくるものではない。

塾では,原則として学校で学ぶ1~2週間前に学習するローテーションを組んでいるが,夏休み中は教科書を離れ,主に6年間の総まとめの授業とするため,この単元は7月の学習となる。

私はこの単元に入るとき,皆でまず一冊の絵本を読むことにしている。『絵で読む広島の原爆』(文:那須正幹,絵:西村繁男,福音館書店刊)である。自身,被爆者でもある那須の事実を淡々と語っていく文体に,西村の1ページに 100 人ともいえる人々を丹念に描きこんだ絵。それは 580m上空から見た広島の俯瞰図から始まる。原爆が爆発した高度である。まず 1945 年 8 月 6 日以前の広島,8 月 6 日,そして,その後。人々の暮らしも街並みも資料通り克明に再現されている。

絵本の本文は既に資料として,ノートに張り,熟読してくることにしていた。授業は絵本の絵が見えるところに集まり,文章は輪読形式でリレーしていく。ページが繰られるたびに熟視する。絵の中の知らないもの,気になるもの,ヒラメクもの,どんどん声にだしていく。『 “絵で読む広島の原爆”って表題だよ』「 “絵で見る”でないの?」 「読むって,目だけでなく考えるってこと?」『このページでも,次のページでも男の子が高いところから広島の街を眺めているね』「この子,飛んでるし,透けているみたい」 「じゃ亡霊?」 「魂かも」

『教科書には2枚写真があるよね。1枚めの写真をじっと見てごらん。』

『次にこの写真』(用意してきた写真を見せる)

「似てる」 「ずっと大きいけど」 「教科書のは,原爆ドームがまだ無事だったときの写真だけど,その写真は何ですか」

『このよく似ている建物は,私が7年前,偶然目にした建物なんだけど。バスの窓から,ぼんやり過ぎていく景色を眺めているとき, 「あれっ?」ピピピピって記憶回路がつながったのよね。建物の前は街を貫通するヴルタヴァ川(モルダウ川) 。教科書のこの写真と同じように川の向こうに立つ角度で目に飛び込んできたのが幸いしたと思うけど。プラハという街でした。チェコの首都です。帰って調べてみると,やはり,広島の産業奨励館(原爆ドーム)を設計した同じ建築家のものでした。ヤン・レツルという人です。このチェコという国の人です。日本からずっと離れた小さな国に,兄弟のような建物があるって驚きだね。 たしか通産省だったか, チェコ政府の役所だったけど, 兄さんは元気だったよ』

『教科書の2枚目の写真を見てごらん。焼け野原の中にあばら骨を見せているような原爆ドームが見えるね。前を流れているのが元安川。そのすぐ右手に大きな橋があるでしょう』「橋の上に電車のレールも通っている」『これが相生橋,原爆を落とす目標地点だったそうだよ。原爆は 71 ㎝×3m20 ㎝。今使っているこの机を2脚つなげたくらいの大きさだね。アメリカが世界で初めてつくった原子爆弾だったんだよ。どれだけの威力があるのか,広島で実験したといわれているよね。この爆弾には名前もあるんだよ。リトルボーイってね』『8月6日,月曜日,朝 8 時 15 分,この爆発の瞬間にいあわせた人は 35 万人。このあと,救援活動や家族を捜すためかけつけ,大量の放射線におかされた人が 10 万人。 たった一発で 45万人もの人の人生がなくなったんだね』

目指すところは,生徒たちに広島が見えてくるように,そこにいた人達の声がきこえてくるように,恐怖と痛みと絶望がいくらかでも想像できるように。そして,まだ戦争というものの実体はつかめなくても,核兵器をもっていい国などないのだと,戦争でしか解決できない問題などないのだと,当たり前のことが彼らの共通認識になればと思っている。

1930 年代以降, 「戦争」はおもちゃの武器さえ手にしたこともない人を戦闘部隊と同列視し,無差別爆撃で殺し尽くすものになった。病人も,老人も,小学生も,赤ちゃんも標的となった。また戦争は勝った国だけが殺人集団だったのではなく,負けた日本もアジアの多くの国々で無抵抗な市民を殺す殺人者となってきた。被害者の顔と加害者の顔をあわせもつのである。生徒たちには今はたとえ 12 歳でも,今まで知ったこと,これから知ること1つ1つつなぎあわせて戦争とは何なのか考える人間であってほしい。今はたとえ自分の日常は平和一色にしか見えなくても,平和な星にいるのではないことを知っていてほしい。現在,核兵器保有国8ヶ国.核保有が確実視されている国4ヶ国.アメリカとロシアの戦略核弾頭弾だけで広島の原爆 52 万発分。(1990 年代の資料。現在のデーターは不詳)

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授業直後,『この絵本,皆で読んで何か感じたこと言ってもいいなという人は?』全体を見回す。シーン。ただ一人のリアクションもなし。ガックリ!仕方なく『次の回,一行感想でも書けたら教えてね』で解散。その次回となる3日後,授業前の教卓に国語のノートが積まれていた。ド~ンと。書き込まれたこと数行もあれば,1ページをこえるものも。提出しなかった生徒はなし。

ここに欠席者以外全員の文章を紹介し,6年国語の報告にかえようと思う。

パッと思ったことをパッと言う行為と,思いを文字にする行為とはまるで別ものです。文章にすると言うことは,自分はあの 40 ページ 20 シーンの「広島の原爆」という本のどこに何を思ったのか沈思黙考しなければなりません。自分で自分の感じ方,考え方を検証する手間が必要になります。しかし,その行きつ戻りつの思考時間こそ,自分の思いを整理し,自分を深めるものとなります。授業直後,最も気楽なはずの「パッと言う」をしなかった彼らが,皆,それぞれに考えたことを記してくれました。どの文章も沈思黙考のあとが見え,どの文章も,もっともっと話したいなという気持ちをおこさせてくれました。大作ぞろいでした。

PS

『六二三 八六八九 八一五 五三に繋げ 我ら今生く』 これは,電話番号でも暗号でもありません。2011 年 1 月 31 日の朝日新聞『天声人語』で紹介され,話題になった短歌です。(詠み人は,ごく普通の市民である西野防人さんです)何が詠まれているのでしょう。6年生の今日の宿題です。簡単でしょうか,それとも難問でしょうか。

<小6国語担当:井上 博子>