●words from SAYOKO
●第一章 女性の太鼓奏者として
●第二章 ドラムを叩くため、のはずが
●第三章 佐渡での研修生活
●第四章 世界を広げた坂東玉三郎との共演
●第五章 和太鼓が持つエネルギーを引き出す
 
佐渡での研修生活

山口 研修生になったら徹底した団体生活を送るわけでしょう。いかがでした?
大変でしたね(笑)。面接に行ったときも、実は、頭はピンク色で、ピアスもいっぱい空けていたくらいで。未だに「あのときはびっくりした」とメンバーに言われるんですけれど(笑)。

その面接のときに「鼓童に入ると集団生活になりますが、大丈夫ですか」と聞かれて「やってみないとわからない」と答えたんですけれど。慣れるまで大変でした。時間もきっちり厳しくてそれに合わせなくてはいけないし、人間関係がタテの世界だったりするから。

先輩に対する対応とかあるじゃないですか。白いものでも黒と言われたら黒、みたいな。私はすごく民主主義的な家庭で育ったので、納得いかなかったり理由がわからないと「え? どうして?」という感じになってしまう自分を抑えきれなくて、最初は困りました。

今でもそうかもしれないけれど。もう、10年近くいるから、周りから大目に見てもらえているところもあって、できているところもあると思います。
山口 私、鼓童創設メンバーでもある林英哲さんが、その前身の「鬼太鼓(おんでこ)座」をやっていらした時代に一度佐渡に行って、お稽古を拝見したことがあるんです。確か研修所は廃校になった校舎を買い取って、稽古場と住まいにしているんですよね。
たぶん小夜子さんが以前に行かれたところは、「真野の研修所」といって鬼太鼓座時代に稽古をしていた場所だと思います。今はだいぶ施設も増えました。「柿野浦」という所の廃校になった中学校が研修生の稽古場と住まいになっていて、「小木」には本拠地である「鼓童村」と呼んでいるところがあり、事務所である本部棟や住居棟、ゲストハウスや稽古場があります。
山口 だいぶ変わったんですね。お稽古なんですが、当時はご飯を食べるときは左手で、テレビも新聞もラジオを日常の中から排除する、というようなことを伺ったんですが、今でもそうなんでしょうか。
だいぶ変わりましたね。私が入ったときは、左手でお箸を食べる、テレビや新聞がない、というのは同じでしたけれど。最近は研修生も携帯は持っていますし。

トレーニングの方法にしても、精神面を鍛える、というのに加えて、ほんとうに太鼓を叩くためにいい身体を作るために、合理的なトレーニング方法も取り入れてますし。
山口 研修生になって最初の1年は具体的にどういう訓練や稽古をしたんですか。
私が入ったときまで、研修生は1年制度だったので、2年制度になった今とは違うと思いますが。その頃は、朝4時45分に起きて、10km走って、雑巾がけをして、みんなでご飯を食べて、それから午前の稽古、午後の稽古に入っていました。
山口 その稽古というのは、太鼓を叩く稽古ですか。
ひたすら一つの演目を叩き続けたり、一つの踊りを踊り続けたり、唄の稽古であったり。その他にお茶やお琴、狂言の稽古もありましたね。
山口 お茶などのお稽古もあるんですね。太鼓を叩く練習は、たくさんある鼓童の演目の中から、今日はこれ、明日はこれ、と練習していくんしょうか。
そうです。でも、だいたい研修生がやる演目というのは決まっていて、鼓童でベーシックだと思われているものや、打つことの基本になるものが多いですね。
山口 リズムの練習とかもあるのかしら。太鼓のリズムってすごく難しいでしょう。それとも、あらかじめそういうことができる人が入っているのかしら。
リズムは身体で覚えていきます。楽譜とかないので。口で伝えて、見たものを真似て、実際に打って自分の身体で覚えていく。研修所のときは、時間が結構あるのでゆっくり覚えられるんだけれど、舞台に立ち始めると、それまでにリズムを覚えたり、というのは時間との戦いになりますね。
山口 たとえばどんなリズムがあるんですか。
いろいろありますけれど、いわゆる手揉みみたいな、テンケテンケテンケテンケ……というのから始まって。それから自分で新しく作ったりもするので、そういうときには五拍子や、七拍子、いろいろですね。


    
 



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