●words from SAYOKO
●第一章 女性の太鼓奏者として
●第二章 ドラムを叩くため、のはずが
●第三章 佐渡での研修生活
●第四章 世界を広げた坂東玉三郎との共演
●第五章 和太鼓が持つエネルギーを引き出す
 
ドラムを叩くため、のはずが

山口 鼓童に入られるまでのいきさつを教えていただけますか。
私は京都の出身なんですけれど、小学生の頃から母に連れられて公演を見たりしていたので、鼓童そのものは知っていたんです。小さい頃から和太鼓もやっていましたし。
山口 音楽はもともとお好きだったんですよね。それでどうして鼓童に入られたんでしょうか。
3歳からピアノもやっていて。中学生くらいのときに、ちょっとグレる時期がくるじゃないですか。そうしたら「夢がないからだ」と言われて。「君は音楽が得意なんだから、音楽の高校にでも行ったらどうだ」と。

それで堀川音楽高校と宝塚音楽高校の2つの高校があって、宝塚のほうの入学案内パンフレットを見たら日本舞踊とか書いてあって、これはちょっと違う、と。それで京都の堀川音楽高校にパーカッション専攻で進んだんです。
山口 そのときから叩く楽器、パーカッションを選ばれたんですね。高校に入ってその後はどうされたのですか。
音楽は好きだったんですけれど、その高校は音大に行くための高校だったから……机の上でやるような音楽の勉強が多くて、楽しめなかったんです。そんなとき、中学校の同級生に「バンドでドラムを探しているんだけれど、やらない?」と言われて。軽い気持ちで始めたら、これがすごく楽しくて。“生きてる音楽”という感じがしたんです。

それで「私は音大には行かないで、ドラムでイギリスに留学する」と決意して。イギリスのロックが大好きだったんですよ。受験をやめてイギリス留学しよう、と、下見がてらロンドンに遊びに行ったんです。そうしたらすごいカルチャーショックを受けてしまって。

みんな背も高いし、英語を話しているし、自分は日本人で背も低く見下されているような感じがして。このままこの人たちの国の音楽を練習して技術を上げても、無理だなぁ、と思ってしまったんです。その頃やっていたバンドでデビューの話もあったんですけれど、ちょっとドラムを叩けない心境になってしまった。ふつうにロックをやっていても、なんていうのか……自分で納得が行かない。

それで悶々としていたときに、ちょうど家にあった鼓童のパンフレットが目にとまったんです。そこに研修生募集というのが載っていて、何かのきっかけになればいい、と思って受けたら、受かったんです。
山口 鼓童の本拠地である佐渡に渡るわけですよね。家を捨てて、出家のように。ホームシックとかありませんでしたか?
めちゃめちゃなりました(笑)。最初は泣いてばかりいて。ほんと、軽い気持ちで、不用意に出てきてしまったんですよね。バンドのメンバーにも「ちょっと修行に行ってくる」って。「もしかしたら1週間で帰ってくるかもしれない」くらいの勢いでしたから。


    
 



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