ようこそ!
HAPPY-PDCへ
星になった猫へ
この話は、全て実話を基にしております。登場人物の名前、
建物等は実際とは異なりますので、ご了承下さい。
幼い頃にやってきた子猫に対し、今ならもっと何かができたのではないかという後悔と
懺悔の気持ちと、猫たちが教えてくれた素晴らしいぬくもりと一心の愛情を、
皆様に知っていただくことによって、自己満足かもしれませんが、何かをわかっていただき、
また、私自身がもっと、動物達に対して、今まで以上の愛情をかけれるような・・・
もっと動物達が幸せな一生を全うできることを願ってやみません。


                         
                           
                                  INDEX
―第1章―     やってきた子猫
―第2章―     子猫から成猫へ
―第3章―      動物を飼う責任
―第4章―      病気
―第5章―     戦い
―第6章―      レオの最後の夏
―第7章―      天国へ
―第8章―      レオの傍らで
―第9章―     お葬式
―第10章―    レオが残した愛

―第1章―やってきた子猫
 私、かおりは、小さい頃から動物が好きで、小さい家で、賃貸住宅に住んでいる為、犬を飼うことはでませんでしたが、猫を拾ってきてお母さんにお願いするということが、幼い頃の記憶をたどると、小学一年生の頃からだったような気がします。
 両親が幼い頃から共働きだったせいか、私は二つ年上の姉にひっついてどこまでもついていく妹でした。姉妹二人だったので、姉も私を可愛がってくれてました。私が小学5年の時、当時、家族の一員だった猫のミケが不慮の事故でこの世を去りました。
悲しみに暮れた私たち家族は「こんなに辛い思いをするぐらいなら猫は飼わない」そう決めました。
いつも、家に帰ると、暖かい猫が出迎えてくれるということが当たり前になってしまっていた私は、ミケがいなくなってから、
すごく辛かったのを、今でもはっきりと覚えています。

 
私が中学2年生になった時に、二つ年上の姉は高校生になり、帰宅が遅くなることも多く、寂しかった私は、母にお願いをしました。
「絶対に勉強も頑張るから、猫飼いたい!おうちに帰ってきたら寂しい!」
あまりにも、私がきつく、強くお願いしたので、母も父も姉も猫を飼うことを承知してくれました。
 私は早速、友達に手伝ってもらいながら、猫を譲ってくれる新聞や、地方のタウン誌などを片っ端から目を通し、見つけたのが、二つ駅向こうに生後2か月のオス猫を譲ってくれる佐々木さんというお宅を見つけ、電話をし、自転車で行くことにしました。
佐々木さんのお宅で産まれたという子猫は、真っ白な体に茶色と黒の
縞模様が頭と顔と背中から尻尾、そして口の周りにあるという愛らしい、
なんとも言えない
可愛らしさをもった猫でした。
私はその猫に一目惚れでした。

家に連れ帰った小さな子猫を、家族皆で囲いながら、なんて名前を
つけるか考えましたが、佐々木さんのお宅で「レオ」と呼んでいたことを
聞いていた私は、他の名前にすると、猫が迷ってしまうといけないと思い、
「レオのままがいいんじゃない?」
そう言うと、皆が納得し、「レオ」になりました。

 
久しぶりに我が家に猫がやってきたことで、家の中は猫一色に活気づきました。帰宅が遅くなっていた姉の帰りも早くなり、私も家に帰ってくるのが楽しみで仕方ありませんでした。

ただ、その頃の私は、猫を育てるための知識も何もなく、餌をあげるのも、
お母さん任せにしていてでも、お母さんもお父さんも姉も、もちろん私も、猫に与えないといけない餌、また、与えてはいけない物があるという知識もなく、ドライフードもあげつつ、人間が食べてるものをレオに与え、レオが家と外を自由に行ききでき
るように、裏のドアを少しだけ開けておく、トイレは外でするように躾、定期的に病院に連れていくこともなく、猫に予防接種が必要だということも知りませんでした。
今までの猫たちは、具合がおかしくなれば、お父さんの知り合いの渡部動物病院に連れて行くという感じでした。。
今から考えると、信じられない位、安易に、無責任に猫を飼っていたのです。でも、その頃の知識のない私には、ただ可愛いという気持ちだけがあったのかもしれません。
 そして、その結果、レオの寿命を縮めてしまったことに気がついたのは、レオが星になってしまったずっと後になってからです。

―第2章―子猫から成猫へ
 レオが家族の一員になったのは、夏でした。当初のレオは生後2か月という、一番やんちゃな、
そして可愛らしい時期でした。
私が愛用していた白色で黒色の水玉模様のリボンをレオが気に入ったらしく、そのリボンをくわえ、小さな手でさわって遊ぶ、外に行く時も、そのリボンを口にくわえて、外に持って行き、帰ってくる時も、そのリボンを忘れることなく、持って帰ってくる。そんなレオを見て、家族みんなで笑ってました。
 お母さんの一番のお気に入りは、朝、お母さんがコーヒーを飲む時に、コーヒーに入れるフレッシュ(液体のミルク)をレオが欲しがるので、フレッシュをコーヒーに入れた後、残りの少しをレオになめさせるということでした。そのうち、お母さんがコーヒーを飲む準備を始めると、レオはお母さんのすぐそばでフレッシュがもらえるように待つようになりました。そんなレオを見ていた、私と姉はお母さんがいない時に、コーヒーを飲むわけではないのに、内緒でレオにフレッシュをあげて、よくお母さんに怒られました。
そんな愛らしいレオは、お父さんが帰ってくると、外にいても、すぐに帰ってきて、玄関で出迎え、お母さんが帰ってくる自転車の音で、どこにいても、すぐに帰ってきて、玄関で「おかえり」をしてくれる、それは、レオがこの世を去ってしまう前日まで続けられたことでした。

 猫の成長は早いもので、私たち家族が一番心配していたことは、外に出ているレオが他の猫とケンカをして、ケガをしないかということでした。(オス猫は縄張りを争ったり、メス猫の取り合いなどでケンカをします)
 冬になった頃のレオは帰ってくると、少しケガをしていることも、たまにあって、私と姉はレオがお出けしている時に、猫の威嚇の声が聞こえてきたりすると、すぐに
「レオ!」
と言って、探しに外へ飛び出しました。

 ある夜、私たち、家族4人で夜ごはんを食べている時、猫の威嚇している声聞こえてきました。私は、
声がする、家の裏庭のほうに走っていきました。そこにいたのは、まぎれもないうちのレオでした。
レオと大きな黒猫はすぐ近くにいて、お互いに唸り声をあげてました。
私はとっさに、レオを守る為、黒猫に飛びかかっていきました。
素手で威嚇している猫に近づくことは、例え、飼い猫でも、危険なことは、私にはわかっていませんでした。
黒猫は容赦なく、私の右腕にかみつきました。右腕に激痛が走ったと同時位に、遅れて様子を見にきたお父さんが
「かおり!」

と私の名前を叫びました。
私は黒猫を振り払う為、腕を精一杯振りましたが、黒猫は私の右腕にかみついたまま放しません。
大きな黒猫の全体重をかんでいる牙だけで、腕を振り回してるんですから、腕の痛みはたまったもんじゃありません。

 お父さんはすぐ近くにあった木刀を持ち、黒猫を何度も何度も叩きました。それでも、なかなか腕を放さない黒猫は、後で聞くと、この近くの猫たちのボス的存在だったようです。
お父さんが、何度か叩いて、黒猫はやっと、私の腕から口を放し、高い塀を飛び越えてどこかへ行って
しまいました。私は血が流れだす右腕を押さえながら、その場に座り込みました。
すぐに病院に行って治療をしてもらいましたが、全治1か月だと言われました。
その傷は20年経った今でも牙の跡で私の腕に残っています。

―第3章―動物を飼う責任
 幼い頃は大きな猫におびえたりしていたレオが成長していくのは早いもので、かつて、黒猫とケンカをし、、唸り声しか出すのが精一杯だったレオが、黒猫とケンカをし、他の近所に縄張りをもっていた猫達と戦い、この近所でボスの座についたのは、我が家にやってきてから1年もかかりませんでした。
家族で、そんなレオを強い猫だと誇らしげに語っていたのが、本当はよくないことだと知ったのは、私たち家族がレオを失う3か月前になってからのことになります。

 レオが我が家にやってきて、8年の年月が流れ、私は22歳になってました。いつも元気だったレオが、食欲を失くし、あまり外に行かなくなったのです。
私は慌てて、姉と一緒にレオを動物病院に連れていくことにしました。我が家は、私が高校生の時に引っ越しをした為、今回は、今の家の近所の動物病院をタウンページで調べて、徒歩10分程度の福田動物病院にレオを連れて行くことに決めました。
 初めて行く福田動物病院は、優しく、そして適切にレオの体を診察し、私と姉に聞きました。
「レオちゃんは外に出してる?」
姉が答えました。
「はい。外でトイレをさせてるんで」
すると、先生は言いました。
「外に出したりするとケンカして、病気もらったり、おしっこをする時に他の猫の病気をもらったりするから、外に出さないことが大切なんですよ」
私と姉は顔を見合せて
「そうなんですか?」
驚きました。また先生は言いました。
「あと、レオちゃんは普段、なにを食べさせてる?」
「え〜と・・・お魚とか、ご飯に混ぜたり、猫の缶詰もあげてます」
「猫に魚をあげてると、イエローファットっていう病気になったりするから、あんまりあげないほうがいいからね。栄養バランスを考えて、それが無理なら猫用のドライフードだけをあげないと」
私と姉は顔を見合わせました。全然知らないことだったんです。飼い主として失格だと思いました。
次に先生の口から出た言葉は、私と姉が絶望に陥る言葉でした。
「血液検査をして、はっきりわかるまでは一週間かかるけど、疑いがあるのは、猫伝染性腹膜炎、猫白血病ウィルス感染症、猫免疫不全ウィルス性感染症だね」
初めて聞いた長い名前に私と姉は何もわからずキョトンとしてました。
「まず、血液を採ってから、病気の説明をします」
「はい・・・」
先生が、血液検査の為、レオの体から血を採っている姿を私と姉は、ただ茫然と見ているしかありませんでした。
 先生が紙と鉛筆を用意して私と姉の顔を一瞬見て、説明が始まりました。その病気は、とても恐ろしい病気で、もし、レオがその病気にかかってしまっていたとしたら、その全ての責任は私達家族にあるんだと思うようなものでした。


 猫伝染性腹膜炎の説明はこうでした。
猫の病気の中で、最も恐ろしい病気で、胸に水が溜まって、呼吸困難になり、とても苦しみ、そして、とても高い確率で死に至ってしまうとのことでした。
 次に猫白血病ウィルス感染症、これも、とても完治は厳しく、免疫が下がってくる為、他の病気を引き起こす大変危険で、死亡率の高い病気のことでした。
 最後の3つ目の猫免疫不全ウィルス性感染症は、別名、猫エイズと言われる病気で、人には移らないが、猫同士で移っていき、この病気になると、抵抗力がなくなってしまい、最後は、死んでしまうとのことでした。
 いずれの病気も、外に出してるオス猫がよくかかる病気で、オス猫同士のケンカなどで感染してしまうらしいです。
そして、この3つの病気は猫の三大病気と言われていて、1つでも感染すると治療が難しく、いずれは死に至ってしまうケースがほとんどとのこと。
レオの場合は、最低でも3つのうち、2つの病気が疑われるとのことでした。

先生が言いました。
「今は、血液検査の結果が出ないと、治療に入っていけないので、とりあえず、レオちゃんの体が少しでも楽になれるように、点滴しておきます。
1週間後に検査の結果を聞きに来て下さい」
「・・・はい・・・」
私と姉は、その言葉が精一杯でした。

 レオの点滴が終わり、家に着くまでの10分間、私と姉は会話ができませんでした。言葉が出ないほどのショックを受けていました。
 ただ、二人共が心の中でレオに謝り続けていました。
「私たちがちゃんとしてれば・・・ごめん・・・レオ・・・」
でも、心のどこかには、結果が出るまではわからない!レオは死なない!助かるかもしれない!そう信じたい部分がありました。

―第4章―病気
 長い1週間が過ぎて、私と姉は、検査の結果を聞きに、レオを連れ、福田動物病院に行きました。
その日は、雨が降ってました。梅雨に入ったばかりで、蒸し暑い6月中旬でした。
 名前を呼ばれて、レオを連れ、診察室に入ると、先生が言いました。
「検査の結果が出ました」
「はい」
「レオちゃんは、恐れていたとおり、猫の三大病気の腹膜炎、白血病、猫エイズ、全てに感染していました」
私はその言葉を聞いて、咄嗟に聞きました。
「レオは死ぬんですか?」
先生は言いました。
「・・・今のレオちゃんの症状、体力からいって、三か月もたないでしょう」
私は泣きました。このレオが死んでしまう・・・私はレオをギュッと抱きしめました。
先生は言葉を続けました。
「1週間前もお話ししたとおり、腹膜炎が最も危険で、最も猫ちゃんが苦しむ最後になってしまいます。胸に水が溜まり呼吸もろくにできなくなります。正直、毎日、胸に溜まった腹水を注射で抜くということになりますと、治療費も毎日のことなんで相当かかってしまいますし、安楽死という方法も・・・」
先生がそう言った時、今まで黙っていた姉が、先生の言葉をさえぎるように言いました。
「お金はいいです!いくらかかっても、私が払います!できるだけの治療をお願いします!少しでも長く・・・」
その先の言葉は声がつまって、言葉になりませんでした。
その間、レオは動く元気もなかったのか、私に抱かれておとなしくしていました。
 その後、先生と話し合って、レオを2日に一度、腹水を抜きにくるということ、何か変化があれば、夜中でも連絡を下さいということ、餌の与え方、外には絶対に出さないことを約束し、私たちは家に帰りました。

 帰り道は、姉がレオを抱いて歩きました。姉は家に着くと、レオを、いつもレオの餌が置いてある台所に連れて行き、レオを抱きしめたまま、床にペタンと座り込み、はりつめた糸が切れたかのように泣きました。病院では私が号泣していた為、泣けなかったんでしょう。嗚咽をあげ、泣いていました。
レオは自分の命が残り少ないことをわかっているのか、それとも体力がなくて、動けないためか、姉におとなしく抱かれたまま動こうとしませんでした。
 私は、レオが外に出ていかないように、家中のドアを閉め、窓を閉める為に、窓へ近づきました。
窓の外には、いつもレオが庭に出て、日向ぼっこをしてた庭が見えました。まるで、走馬灯のように、元気だったレオが庭でゴロゴロしている姿が、目に思い浮かび、完治することのないレオは、この大好きだった庭で、もう二度と・・・日向ぼっこをすることはないんだと思い、涙が出ました。

 うっとおしい梅雨が明けたら、暑い夏がやってくる。
体力のないレオが、どこまでこの夏を乗り切れるんだろう・・・いっそのこと夏がこなければいい。医者が言った、3か月なんてこなければいい。このまま、レオがいる生活のままでいたい。私は、窓の下にしゃがみ込んで泣き続けました。
 台所にいる姉の泣き声がまだ続いています。
私は、あんな悲鳴のような姉の泣き声を、初めて聞きました。
泣き声のところどころに、姉は
「レオ・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・」
そう言い続けています。
 私たちが、外に出さなければ・・・予防接種をしてれば・・・強い猫が自慢じゃなく、ケンカなんてさせずに、長生きができるように考えないといけなかったんだ。
レオをこんな病気にしたのは、私たち家族だったんだ・・・。
まだ諦めたわけじゃない!もしかしたらレオは助かるかもしれない!そう口には出してみたものの、私も姉もレオが助からないであろうということは、わかっていました。
 医者が言うように、安楽死させてあげたほうがレオにとっては楽なんだろう・・・わかっていても、私たちが決めた日にレオを殺してしまうことはできなかった。だって、明日まで生きれる命を、今日、薬を使って死なすということは、やっぱり、私たちには無理でした。

 
生きながらえて苦しいのはレオだけど、やっぱり、生きてて欲しかったのです
―第5章―戦い
 梅雨が明けたころ、レオの容態は日に日に悪くなっていきました。
餌も少ししか食べなくなり、、餌とトイレ以外はずっと、布団の上で寝てるようになっていきました。
全然、レオが動かない時は、家族の誰かがレオの近くに行き、呼吸をしてることを確かめに行きました。
 そんな体力のないレオなのに、毎日恒例になっている、誰かが帰ってくると、玄関に出迎えに行くという行動は、体が思うように動かなくなってからも、続けられていました。
ゆっくりゆっくり来るので時間はかかりましたが。私たち家族は話し合ったわけではないのに、自然に、レオがゆっくり玄関まで来るのを、待って、玄関までたどり着いたレオに頭を撫で、
「ただいま、レオ」
と言ってから、家の中に上がるようになりました。

7月中旬のある日、姉が帰宅すると、いつものようにレオはゆっくり玄関に向かいました。
居間にいた私と母は、レオが玄関に向かっていく姿を見てました。
しばらくすると、姉の大きな声が聞こえました。
「レオ!」
只事じゃないと思った私と母は、玄関へ走って行きました。
姉がレオの頬を両手で優しく包み込みながら言いました。
「レオの呼吸がおかしい!」
レオは口を開け、苦しそうに息をしていました。
私はレオの体をさすりました。すると、レオの胸の辺りがふくらんでいることに、すぐに気がつきました。
すぐに福田動物病院に電話をしました。
「すぐに連れてきてください!」
そう言われ、レオを抱き、タクシーに乗り込みました。
一刻の猶予もないと感じました。

病院に着くと、先生が言いました。
「入院です」
先生から言われた言葉は、まるで死刑の宣告のように聞こえました。
「今日の午前中にも、腹水を抜いてるのに、この時間になって、もうすでに胸がパンパンの状態です。水が溜まるのが早くなってきてます。腹水が溜まってることで息をするのがとても苦しい状態です。この水を抜いて、24時間、点滴をしないとレオちゃんの体はもちません」
 家に連れて帰っても治療もできない。苦しんでるレオを助けてほしい、そんな気持ちでレオを病院に委ねることにしました。
 「レオちゃんにとって、ご家族に会えることが、すごくうれしいことだから、いつでも面会にきてあげてくださいね」
先生はレオに打つ為の点滴を用意しながら言いました。
 残り2か月とわかっていながらも、心の底では、入院したら元気なレオに戻ってくれるかも!
少なくとも今の苦しい状態からは抜けれる!そんな気持ちが心の中でいっぱいいっぱいで。  家に帰ると、ついさっき帰宅していた父が、母から病院に行ったと聞かされ、まさに今、病院に行こうとしていたところでした。
「おかえり。今病院に行くとこだった。レオは?」
その父の問いかけに、私も姉も涙が止まりませんでした。
病院での話を父と母にすると、父が言いました。
「毎日、必ず、誰かが病院に行くこと」
「うん」
神にも、悪魔にすらお願いしました。
私たちのかけがえのない小さな命を救ってください。どうか連れて行かないでと。

それから私も姉も、もちろん母も父も、時間の許される限り、レオに会いに行きました。
私は夜のバイトをしていた為、寝る時間を削り、午前中と、夕方。仕事をしてる姉は仕事が終わってから夜に。母も父も仕事が休みの時は、朝から昼。夕方から夜。仕事のある日は、仕事が終わってからと。
 会いに行くとレオは点滴につながれながらも、しんどい体を起こそうとします。
鳴き声はありません。ただ、体を一生懸命にすり寄せようとするのです。
 この頃のレオは9kgあった体が、ほっそりと5kgまで落ちていました。
痩せた体なのに、すぐに胸に水が溜まってしまう為、異様な程、胸だけが膨らんでいて、触ってみると、やはり、そこだけ水が溜まっているとわかるほど、胸だけが柔らかく、他の部分は骨がゴツゴツしていました。
 入院生活1週間。先生が言った言葉は
「回復には向かっていませんが、できる限り、残された時間をおうちのほうで過ごさせてあげたいので、退院という形をとりますが、毎日、診察に連れてきてください。水を抜いてあげないと・・・呼吸が止まってしまいます」
「あと、2か月大丈夫なんですよね?」
姉が聞くと、先生が言いました。
「思ってたよりも病状が早いので、早まるかもしれません。もともとの体力がある子なんで、頑張ってほしいです」
その言葉を聞いたあとは、もう何も聞けませんでした。

 レオを抱き、病院を出て歩きました。
しばらく歩くと、夕焼けが赤く照らしていました。 赤い夕焼けは夏を物語っています。
この夏を、この子が乗り切れるんだろうか・・・私も姉も同じことを考えながら、それでも口に出来ずに、歩きました。

―第6章―レオの最後の夏
 一向に回復に向かわないレオのそばで、姉が言いました。
「ほとんど食べないね」
「寝てばっかりだね」
私が言いました。
6月中旬に3か月もたないと言われたレオが、宣告されてから2か月が過ぎ、宣告されたとおりだと、残りは1か月だという頃、いつものようにレオを連れ、福田動物病院に行くと、先生に言われた言葉は、レオが死んでしまうということを前提とした言葉でした。
 
 「レオちゃんが好きな食べ物はなんですか?」
私が答えました。
「食べ物というか、コーヒーのフレッシュです」
「あまりそうゆうものはよくないんですが、レオちゃんが喜ぶなら、フレッシュを与えてあげて下さい。好きなものを」
そうなんです・・・その頃のレオは餌もろくに食べないで、だんだん体力がなくなってきている状態でした。

早速、家に帰り、フレッシュをレオの口元へ持っていきました。
あれだけ、餌も、水さえもあまり口にしなかったレオがピチャピチャ音を立てて飲んでくれました。家族で
「今、見た?見たよね?飲んだよ!」
喜びました。
 あれだけ、フレッシュをあげると怒っていたお母さんが
「もう1個あげて!もう1個!」
と、何個も何個もフレッシュを冷蔵庫から持ってきました。
 もう、家族は口には出さなくとも、「レオが回復する」ということはないのだと、みんながわかっていました。

 8月下旬には、私はできるだけレオのそばにいたくて、仕事を休みがちになっていました。
お母さんは、毎日、何袋もフレッシュを買ってきます。そんなに一気に与えれないことはわかっているのに、買わずにはいられなかった様子でした。
レオは、私たちの願いもむなしく、どんどん、痩せていき、とうとう、体重は3kgになってしまいました。

 痩せ細っていき、体力もなく、ろくに歩くことのできないレオは、それでも、トイレだけは律義にゆっくり歩いてトイレまで行き、用を足す。そして、家族の誰かが帰ってくると玄関に出迎えるということだけは、欠かさず続けていました。
「ゆっくりしてていいよ」
「無理しなくていいんだよ」
そんな言葉が何度も出かけては、止め。レオの思うようにしてあげないとと言葉を飲み込みました。

 9月になり、少しづつ暑さが和らぎ、家族のみんなが恐れていた「3か月」が来ようとする頃、姉が突然
カメラを取り出しました。
「レオの写真、撮ろう!」

それまで、我が家では、変な迷信を信じていて(今となれば、迷信でもなんでもないんですが)
「動物を写真に撮ると死期が早くなる」
という言葉を昔の人は言ってたと、なにかで聞いて、あまりレオを写真に撮るということをしなかったので、レオの写真は何枚か数えれるくらいしかありませんでした。
その時は誰も反対せず、写真を撮りました。

 
以前のような、たくましい体ではなく、ほっそりしたレオにカメラを向けます。
体を伸ばすわけでもなく、ただ丸くなって・・・。フラッシュをつけても、目も開けることもなく。ずっと、姉のベットに寝たまま。
ベットに上がることすら、今のレオにはしんどいはず・・・なのに、トイレに行くのに、ゆっくり降りては、またゆっくり上がり、姉の布団の上で丸くなるのは、レオにとって、姉の匂いがある布団の上が一番落ち着くのでしょうか。

 かつては、ねずみやスズメを採ってきて自慢気にこのベットに運んできたこともありました。
ベットの上で大きくお腹を上に向け、大の字になって寝てることもありました。
以前、遊び場でもあった布団の上は、今はただ、寝るだけの場所になってしまっています。

 何枚か写真を撮り終えた姉は、カメラの枚数を見て
「まだ残ってるけど、明日現像してくるわ」
そう言いました。

その時に撮った写真が、レオを撮った最後の写真となってしまい、後に、お母さんの部屋とレオの仏壇に飾られることになってしまいました。

 
―第7章―天国へ
平成6年9月21日、その日は母の仕事の休みの日で、私と姉と父はレオのことが気になりながらも仕事に出かけました。
「レオ、行ってくるね。早く帰ってくるからね」
私はいつものように、レオの顔を撫でました。それが、私が生きているレオを見たのが最後になってしまうことを、もし、その時の私がわかっていれば、仕事にも行かず、レオのそばにいたでしょう。

 その日、母は夕方近所のスーパーで買い物をし、いつものように、レオのおみやげのフレッシュを買い、急いで帰り、玄関を開けたそうです。昨日まで、出迎えにきていたレオが玄関にきません。かわりに、玄関に置いてあった、レオのトイレの近くに汚物が大量にあったそうです。
 母は急いで、買い物袋を玄関にほうり出し、お茶の間のドアを開けると、いつもお茶の間で母が座っていた座布団の上で、レオは口から胃液のようなものを出しながら、横たわっていました。
「レオ!」
母がレオを抱きかかえた時には、まだレオの体はあたたかく、だけど、呼吸も止まり、心臓も動いてはいませんでした。
「レオー!レオー!」
何度も母はレオを抱きかかえたまま名前を呼び続けましたが、レオは動きません。
 突然、電話が鳴りました。母はレオを抱いたまま、受話器を取りました。電話の相手は、父でした。普段、父が仕事中に家に電話をかけてくることは滅多にないのに、虫の知らせでしょうか。
父が真っ先に言った言葉は
「レオは?」
でした。母は、
「レオが死んでるーーー!死んでるーー!」
泣き叫びました。母は、レオの体があたたかいうちにレオを抱き、冷たく、固くなっていくレオを体で感じたのですからショックは相当だったと思います。
 その1時間後、私が家に帰りました。家に着き、やはり出迎えてこないレオを不審に思い、お茶の間のドアを開けるとレオを抱いて、泣いている母を見ました。
 レオはもう冷たくなっていました。苦しかったのでしょう・・・目を開けたまま死んでいました。

 3か月と言われてから、覚悟はしていたはずだったのに、なんにもできてませんでした。
私はレオの目が開いたまま死んでしまってることが辛くて、冷たくなった体が辛くて、声を上げて泣き叫びました。
しばらくすると、父が帰ってきました。父はダンボールと菊の花を持っていて、
「レオがしんどいからダンボールに入れてあげ」
と言いました。私はレオをそっと、ダンボールに寝かせました。すると、父がレオの周りに菊の花を入れました。
しばらくすると、姉が帰ってきました。姉は母から連絡をもらっていたみたいで、泣きながら家に入ってきました。
 姉はそっと、レオの体に触れ、レオの顔を撫で、レオの目を押さえて
「もうみんな、帰ってきたから・・・レオ・・・目つぶっていいよ」
そう言うと、不思議なことに、死後硬直して固くなっていたはずのレオの目がそっと閉じました。
家族みんなが帰ってくるのを待っていたかのように・・・。本当に不思議でした。
そして、レオの体に、姉が愛用していたトレーナーでくるみ、父が言いました。
「今までの猫は死んでも庭に埋めたりしてたけど、レオは動物霊園に入れよう」
「うん・・・」
姉がタウンページを開いて番号を調べ、かけたところ、24時間受け付けはしてくれるとのことと、腐敗が始まると猫ちゃんが可哀想なので、今からでもつれてきてもらったほうがと言われ、連れていくことにしました。
 父が運転する車に乗り、姉がレオを抱き、1時間かけて、動物霊園まで行きました。
姉はずっと
「レオ・・・ごめんね・・・苦しかったよね・・・ごめんね・・・」
と、何度も何度も謝り続けていました。
私は、ただ言葉もなく、レオが死んでしまったことが、とにかく悲しくて、悔しくて、もうレオの温かい体がなくなるんだと思うと、ただただ涙が止まりませんでした。


―第8章―レオの傍らで
 夜、10時頃に辿り着いた動物病院は、山の上にある、ひっそりとした夜景の綺麗な場所に
ありました。父が静かにポツリと言いました。
「こんなに夜景が綺麗やったら、レオもさみしくないやろ」
私も姉も言葉が出てこず、ただうなずくことが精一杯でした。
 事務所で手続きをとると、住職さんが案内してくれた本堂へ行きました。そこはたくさんの
動物を奉ってあり、ろうそく、お線香、また死んでしまった動物を抱いてある家族の写真、
お供え物がたくさん置いてありました。
 「今からお通夜をさせていただきます」
住職さんが言いました。
 レオの冷たくなった体を棺に入れ、お経が始まりました。お経は30分程、続き、私たちの
涙は枯れていました。お通夜が終わり、住職さんからお話がありました。
「明日、お葬式をさせていただきます。墓地のほうは、個人墓地と共同墓地がありまして、
火葬は、共同墓地も個人墓地も同じように1個体ずつ火葬させていただき、火葬が終わり
お骨あげをしてから、共同墓地の場合は、共同墓地にお骨を納め、1ヶ月ごと、1年ごと、
もちろん、お盆やお彼岸等に法要をさせていただきます。個人墓地の場合は、お骨あげを
した後、個人の墓地にお骨を納め、法要は同じようにさせていただきますが、個人墓地、
いわゆる、お墓は10年でお名前がなくなり、別の方のお墓に変わります、というのも、土地
のスペースを考えると、10年で変えていかないと、スペースが足りません。個人墓地と、
共同墓地、どちらになさいますか?」
私たちは、しばらく考えて、レオを共同墓地に入れることにしました。
理由は1つでした。
最後は、大きな病気と闘い、大好きだった外へ出ることも、お友達と遊ぶこともできなくなった
レオを、これ以上、1人ぼっちにしたくないという思いでした。個人墓地に入れて、1人孤独に
して、10年経てばお墓もなくなってしまうより、共同墓地でみんなと一緒にいてるほうが寂し
くないだろうと考えたのです。
 また、住職さんが言いました。
「お墓参りは24時間、いつ来ていただいても門は開いております。明日のお葬式はどなたが
来られますか?」
「私が!」
私は言いました。
姉は、もう首を横に振っていました。レオの最後を見れないほどの悲しみだったのでしょう。
私は逆に最後まで見届けたいという気持ちと、ただ少しでもレオのそばにいたくて・・・。
 「よろしくお願い致します」
父が深々と頭を下げると、姉がまた涙を流し、レオのそばに行き、棺を開け、レオの顔を
触っていました。
姉がレオの姿を見るのは、これが最後になってしまうのです・・・。

―第9章―お葬式
 翌日、レオのお葬式は、家族を代表して、私が行くことになり、姉の友人が、心配して
一緒についてきてくれることになりました。
 友人は、朝、私を車で迎えにきてくれて、動物霊園に向かう最中もずっと私をなぐさめて
くれていました。
 友人は、以前からよく家に遊びにきてくれていて、レオが元気な時も、病気になってしまって
からの姿も家族同様に見てくれていた友人で、このレオのお葬式という辛い日に、私に付き
添ってくれたことが、私にとって大きな励ましとなりました。
 動物霊園に着くと、昨夜と同じ本堂で、レオのお葬式が始りました。
レオの体は、こころなしか、昨日の夜よりも小さく、毛もパサついてるようにも見えました。
 お経が始まり、私はまた涙があふれ出てきました。
レオの小さい頃からの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け廻りました。楽しかった思い出
と、なぜもっと責任を持ってレオを見てあげてなかったんだろうという後悔と、もうあたたかい
レオをこの手で抱けなくなったんだという悲しみとで、涙が止まらないのです。

 お経が終わり、レオが火葬場に運ばれ、レオを火葬する時間がきました。
「1時間程かかりますので、こちらでお待ち下さい」
そう言われ、私と友人は火葬場のドアの前の小さな部屋で、レオが骨になってしまうのを
待ちました。
お葬式も終わり、今、レオの体を焼いている・・・そう思うと、信じがたい、信じたくないレオの
死が、信じざるおえないことに変わってきました。
1時間が過ぎた頃、火葬係の方が出てこられ、
「この子はとても骨がしっかりしているので、もうちょっと時間がかかりそうです」
と言いました。享年8歳だったレオは、日本猫特有の骨太でしっかりした骨格でした。
 結局、1時間半が過ぎた頃、私と友人は呼ばれ、中へ入って行きました。
台の上に乗せられている猫型の骨は、もう、レオの面影もなく、私はショックでした。
私は、この時、生まれて初めて、火葬されたばかりの骨を見たのです。
 「順番にここへ入れていってあげてください」
そう係りの方に言われ、言われるがまま、愛しいレオの骨を骨壺に入れました。
途中で係の方が言いました。
「この骨が、喉仏です。たいがいの猫ちゃんは、ここまで綺麗に喉仏は残らないものなん
ですが、この猫ちゃんは、こんなに立派に喉仏が残ってるので、とても珍しいことなんですが
とても良い階級の天国に逝けます。天国に逝ったら痛みも何もなく、元気に走ってるでしょう」
そう言ってもらって、少し気が楽になりました。もう苦しみがないんだと思うと・・・。
 骨壺に収めた後、その骨壺を抱えて、外に出ました。
すると、係りの方が、山の上を指、指しました。
「あそこに見える塔がわかりますか?」
その方向を見ると、綺麗な白い塔が建っていました。
「この猫ちゃんは、あの塔の階級に召されたんですよ」
私と友人は頭を下げ、
「ありがとうございました」
そう係の方へ告げ、レオの骨壺を胸に抱え、家に帰りました。

―第10章ーレオが残した愛
 今、レオが星になってしまった平成6年9月21日から14年が過ぎ、今、我が家では、猫を
3匹、犬を5匹育てています。
レオがこの世を去ってしまってから、私は、通信教育で「アニマルナース」の勉強を始め、
動物のボランティア活動にも時間が許す限り参加しようと思っています。
まだまだ勉強不足ではありますが、勉強する度に胸が痛くなるのは、今のこの知識があれば
きっともっとレオが長生きできたはずだという後悔です。
 死ぬ前日まで、家族を慕い、一途な愛で、しんどい体を起こし、玄関まで迎えに来るという
行動を続けてくれたレオ。家族が見守る中で眼を閉じてくれたレオ。いつも私が泣いていると
膝の上に座って、私を慰めてくれてたレオ。もっと飼い主として出来ることがもっともっとあっ
たはずなのに、苦しませてごめんね・・・。
 レオの大好きなお父さんは、今でもずっと毎日欠かさず、レオの遺影の前に、お水を供え、
今でも、しょっちゅう、レオのお墓参りに行ってるよ。レオのお墓の近くに車を停めて寝ると、
すっきりするみたいだよ。
 レオの大好きなお母さんは、今でもレオの思い出話をして、あんな良い猫はいない!って
自慢してるよ。
 レオの大好きなお姉ちゃんは、今でも当時を振り返って、あなたのぬくもりを忘れないで
いるよ。お姉ちゃんの守護霊様になってくれてるみたいで、ありがとう。
 私は、二度と同じ過ちを繰り返さないために、少しでも多くの人に、動物への愛情を確認
してほしくて、今、自分ができることを頑張ってる。

 周りの人が、私のことを「異常な動物好き」とか言うけど、私はその言葉を口にする人の
ほうが可哀想な人なんだと思う。だって、動物を愛せない人を私は可哀想な人だと思うし、
許せないとも思う。最近のニュースなどで、動物を虐待したりという報道がされているけど、
飼っている動物を「かわいい、かわいい」というだけで、知識もなく、挙句の果てには、
面倒になると世話をしなくなる。そんな飼い主は、動物を虐待している最低な人間と一緒
だと思う。飼っている動物は、飼い主次第で、寿命が決まってしまうということをもっと
理解してほしい。そして、当り前の予防接種はもちろんのこと。できるだけ、外に出さず、
もし外に出すなら、去勢手術、避妊手術をきちんとして、外に野良猫(犬)や捨て猫(犬)が
増えないようにして下さい。
犬や猫だけではなく、ハムスターやうさぎなどの小動物を家族にされてる方も、人間より
短い命をもった小さな命を大切にしてほしいのです。もし、最後まで責任を持って飼えない
なら、最初から飼わないで下さい。

動物はしゃべることができませんが、「ただ飼っている」だけではなく、「家族」として目を
向ければ、もっとお話ができると思います。
 レオを育てている間、何も知識もなく、飼い主としての責任を感じたことが遅すぎた事を
私は恥ずかしく思い、一生、レオに謝り続けます。そして、こんな至らない私たち家族を
一途に想ってくれたレオにありがとうと・・・。

 最後になりましたが、レオを適切に診断していただき、最後の最後まで一緒に戦って
いただいた大阪府豊中市の福田動物病院(仮名)の両先生、そのせつは本当にありがとう
ございました。そして、レオのお葬式に一緒に参列し、私たち家族を慰めてくれた友人Tさん。
今は連絡が取れなくなってしまいましたが、本当に心の支えになっていただき、ありがとう
ございました。感謝しております。
そして、今回、レオの思い出を綴ることに応援していただき、お手伝いしてくれた、私の今、
身近にいてる方にも深く感謝しております。
そして、至らない文章に最後までお付き合いいただいたあなた様方にも、深い感謝の
気持ちでいっぱいです。

この星になった猫を読んでいただいた方が、1匹ずつの小さな命を大切にしていただけたら
感無量です。
人も犬も猫も、生きとし生けるものが、みんな幸せになってくれることを願っています。
私は、3年前に、癌を患いました。幸い、早期発見で、大事には至りませんでしたが、
正直、再発にはおびえて生きてます。でも、病気したことでわかったことは、たくさん
ありました。当り前のように、家族とご飯を食べ、当り前のように、布団で眠る・・・そんな
当り前の日常が、一番大切なんだってこと。
毎日が特別で、生かされていることを、自分で実感しました。
みんなが人を思いやったり、動物を大切にしたら、この世で争いごとなんて起こらないはず。
どうか、みんなが幸せに生きていけますように・・・。

                                     平成20年10月














































                             

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