寺の歴史

飛鳥時代(始まりはなんと、1400年前!)
本尊の不動明王は、1400年前に作られております。時代でいうと、飛鳥時代から奈良時代に変わる頃の話で、聖徳太子がおられた時代です。 敏達(びだつ)天皇(西暦538年~585年)の時代、胡宮(このみや)神社という境内に、「清涼山敏満寺(せいりょうざんびんまんじ)」という巨大な寺が建てられました。
神社の境内に寺?と、現在のわれわれの感覚では不思議に思いますが、聖徳太子のご活躍もあって、当時は仏教が非常に盛んになっており、現在と違って神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代でもあったのです。 神仏習合とは、神様も仏様も区別せず、同様に聖なるものとして一緒にお祭りすることで、当時の神社と寺院は、神と仏が渾然一体となっているものがほとんどでした。
不動院はこの伝統を強く受け継ぎ、現在に至るまで神仏習合の形をはっきりと残しており、仏様と一緒に神様もお祀りしており、ご神体まであります。 本尊のお不動様は、この寺院にお祭りされていたのです。
そのため、日本の不動明王像の最初期にあたる特徴を持っておられます。 古来よりまことに霊験あらたかな仏様として、たくさんの方の信仰をあつまめてまいりました。

室町時代(約800年前)
当時の近江国(滋賀県)の守護職でありました、佐々木左衛門之尉(ささきさえもんのじょう)氏が、この不動明王を深く信仰され、歴代佐々木家の守護本尊とされました。現在も清涼山不動院の住職は代々佐々木家がつとめておりますが、これは実に、室町時代にさかのぼる縁なのです。 佐々木左衛門之尉の先祖は、近江の国の守護大名であった佐々木道誉(ささきどうよ)であり、現在でも佐々木家は、「バサラ大名」こと佐々木道誉の直系の子孫として、清涼山不動院を守り続けております。

戦国時代末期(約450年前)
この頃、織田信長が京都を手に入れて天下平定を狙おうとし、近江の国は交通の要所として重要な戦略拠点となりました。浅井長政(あさいながまさ)は戦略敵政策に迫られ、各地の神社仏閣を焼き払いましたが、飛鳥時代に作られた「清涼山敏満寺」もその際、むなしく灰燼(かいじん)に帰(き)してしまいました。
清涼山敏満寺のあったあたりは、ちょうど今名神多賀サービスエリアとなっており、サービスエリア建設の工事の際には、金箔の押された仏像、サンゴの玉、寺の飾りの一部などが発掘され、工事関係の方によって当寺院に奉納されました。
現在のサービスエリアとほぼ同じ面積を占める巨大寺院であり、寺院の名は「敏満寺(びんまんじ)」という地名として現在に残っております。
この「清涼山敏満寺」焼き討ちの数日前、近江の国守護頭領職にありました、佐々木隼人庄宰相(ささきはやとのしょうさいしょう)氏は、霊夢霊感によってこの災厄を事前に察知し、この人の背に背負われて不動明王像は山を降り、山のふもとに安置され、人々の信仰の念を集めることとなりました。

江戸時代(約300年前)
徳川幕府三代将軍家光(いえみつ)の時代、当院は日光東照宮の配下となり、広大な土地と建物を与えられ、「日光御配下福寿院(にっこうごはいかふくじゅいん)」という名前になりました。
本尊の不動明王像を救い出した、佐々木隼人庄宰相(ささきはやとのしょうさいしょう)氏にならい、以後斎主(さいしゅ)は、代々「宰相(さいしょう)」の名を名乗ることと定められ、当時きわめて信仰の扱った郡山(現在の奈良県)藩主より扶持六十石を賜り、不動明王像は郡山藩の守護本尊とされました。
「斎主」とは、要するに「神主」のこと。日光東照宮は徳川家康を神としてお祀りする神社です。つまり、当院は江戸時代、「寺ではなくて神社だった」のです!当院は現在に至るまで神仏習合が色濃く残っているので注目されますが、それもそのはず、寺院よりも神社である時期の方が長かった!のですから、当然といえば当然です。
近江の国(滋賀県)彦根藩主井伊家も、歴代藩主の信仰がきわめて厚く、年々藩主の参拝や家臣の代理参拝がありました。

現在でも、「日光御配下福寿院」の石碑は境内に残っています。

明治時代(約150年前)
明治維新となって、神仏分離の方針が出され、福寿院は胡宮神社から完全に独立して清涼山不動院という現在の名前になり、佐々木宰相家がお守りすることになりました。神社から独立はしたものの、前述のように実際には現在に至るまで神仏習合は色濃く残っています。


昭和時代(約70年前~)
昭和25年4月28日、信者約500名の発起にて清涼山不動院奉讃会を創設、同年10月28日に、高野山真言宗総本山金剛峰寺(こんごうぶじ)の直轄寺院(ちょっかつじいん)として、法務手続きが終了しました。
昭和55年(1980年)、現在の本堂が完成。
平成7年(2006年)、不動院第一駐車場完成。
平成25年(2014年)、翌年が高野山が開かれて1200年目となるのを記念して、弘法大師ゆかりの宝物が、リレー形式で全国の真言宗寺院に展示されることになりました。当院もその一つに選ばれ、8月19日から21日までの間、宝物展示の会場になりました。


この展示のことは評判を呼び、新聞や地域の機関誌に取り上げられることになりました。

弘法大師ゆかりの仏具です。お大師様ゆかりのものだけに、「仏さま」として礼拝の対象になりました。現在不動院にはこの複製品があり、毎月28日のご本尊のご命日のみ、展示されています.

平成26年(2015年)、不動院第二駐車場完成。