敏満寺 清涼山不動院

1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。

お知らせ

いよいよ7月になり、「おみがきもの」の月となりました。
8月はお盆やら何やらで先祖供養などの行事が多く、それに備えて、
祈祷道具などをきれいに磨いていただくご奉仕作業があります。
人数が多いと大変短い時間で済むので助かります。
祈祷道具を磨いていただくと、ご利益もいただけるのでおすすめです。
また、今月と来月の夜8時からは、夜間ライトアップも行われます。
ライトアップで明かりを灯すと、いかにも夏という風物詩です。。

 

ともしび                 

第百四十三号


幸福とは


 江戸時代の戯れ歌(ざれうた)にこんなものがあります。

 幸せは 弥生(やよい)三月花の頃
 おまえ十九で わしゃ二十歳(はたち)
 死なぬ子三人 親孝行
 使って減らぬ金百両
 死んでも命があるように

思わず吹き出すような内容ですが、人生にぐちをこぼしてばかりいるならば、幸福な人生はこんな願いが全部かなわない限り、やってこないということが分かりましょう。現実はこれとは全く逆といってもさしつかえがありません。
 季節は春三月頃の、暑すぎず寒すぎずの状態が、誰でもいいに決まっています。しかし実際には寒い冬もあり、暑い夏もあり、台風も来るし日照りで水不足も起こります。厳しい自然環境が不屈の意志をはぐくむという要素もあります。そのため歴史上の偉人の出身地は、大体が自然環境の厳しい東北、四国、九州地方で占められています。
 年を取るのも人間には避けられない運命です。いつまでも十九や二十歳でいられたらいいのですが、現実にはそうはいきません。必ず中年をむかえ、老いがやってきます。同じように戯れ歌を歌うなら、

 「母親のテニス姿に目をそむけ」
 「化粧品 年々減りが早くなり」

というものの方が、現実に近いのではないでしょうか。
 「死なぬ子三人 親孝行」というのも、気持ちはわかりますがなかなかうまくはいきません。子どもが病弱でいつもはらはらしなければならないこともありますし、親孝行してくれるかどうかについても、確たる保障はありません。下手をすると親孝行どころか、子どもの非行に手を焼いて死ぬような苦しみを味わったりすることさえあります。場合によっては子どもに恵まれなかった方がましだったと思える場合すらあるでしょう。そこまでひどくはなくとも、「世代のギャップ」などで、親子関係がぎくしゃくすることも多いものです。「親孝行 したいときには 親はなし」
と言いますが、親子関係がこじれると、
「親孝行 したくないのに 親はおり」
になってしまいます。まあ、当然のルールとして、自分がわが子に老後の世話をしてほしいならば、我が親の老後の世話をしっかりしておくべきでしょう。自分は親の面倒をみないでいながら、わが子には老後をみてもらうように要求するのでは、あまりにも自分勝手というものでしょう。目上を敬うとか、年寄りを大事にするとかいうのは大体が家庭の雰囲気の中で自然に形成されていくものですから、自分が我が親にどう接しているかということは、子どもを教育していくのに非常に大切です。父母がおじいちゃん、おばあちゃんを邪見に扱っている家庭に育つ子どもは、「目上にも反抗しても別にかまわないのだ」という雰囲気の中で育つわけですから、非行に走りやすいのもまた、当然なのではないでしょうか。
 「使って減らぬ金百両」に至っては、全くのナンセンスです。しかし私たちはそのナンセンスな夢を追いかけてしまいがちな存在です。飽きることのない所有欲の追求は、結局は私たち自身を追いつめ、自らの作りだしたストレスで身を滅ぼす事になりかねません。
 人生は無常です。人生には3つの坂があるとも言います。それは、

 上り坂
 下り坂
 まさか
 
なのだそうです。世俗の欲得ばかりで生きていく限り、乗り越えられるのは最初の「上り坂」だけです。現実は「下り坂」と「まさか」の方がよほどたくさんあるものです。そんなときには、信仰という杖しか頼るものはありますまい。



                          合掌
522-0342 滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地
電話 0749-48-0335 FAX 0749-48-2679
高野山真言宗清涼山不動院