敏満寺 清涼山不動院

1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。

お知らせ

弘法大師は6月15日にお生まれになっていますので、本山の高野山をはじめとして、
6月15日には「青葉まつり」と称して、宗祖の弘法大師をお祀りする行事を行っています。
当院でも、二週間ほど早いですが5月28日には「弘法大師まつり」として、
宗祖の弘法大師をおまつりしています。ご都合のつく方はぜひお参りください。
台座の文字が料理店の窓ガラスに浮き出たという、有名な弘法大師像をはじめ、
数多くの弘法大師を当院ではおまつりしています。

過去の「ともしび」は​ ​

不動院機関誌「ともしび」

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ともしび                

第百四五十三号

五月二八日発行

変化するもの、しないもの


旺文社の創設者、赤尾氏の著作の内容を紹介しています。氏の著作は戦前から昭和40年までの、だいたい30年間にわたりますが、赤尾氏自身、時代がいかに変わろうとも言っていることは首尾一貫している、と記しています。これは納得できる話で、この「ともしび」も、半分くらいは40年近く前に書いたものです。当時はバブル経済真っ只中で、カネさえあれば何とかなるという風潮でした。当時、「おぼっちゃま君」というギャグアニメがありまして、主人公は大金持ちの息子で、主題歌の中に「金で解決ワッハッハ」というフレーズがあり、ストレートすぎる内容に苦笑したのと同時に、「こいつは将来、マトモな大人にならんな」と思ったのを思い出します。バブルの頃の風潮を如実に表していたマンガでした。ちなみに、作者は「ゴーマニズム宣言」で有名になる前の、小林よしのりでした。このように成金趣味そのものだったような時代があのバブルですが、その頃に書いた内容は、結局今でも通用します。時代がいくら変わっても人間の本質は変化しないものだということが分かります。
その一方、あまり多くはありませんが、時代の変化に従って内容を書き直したものもあります。代表例が「一粒5000円のさくらんぼ」の話で、
「温室栽培で冬に採れるようになったさくらんぼが、一粒5000円で販売され、飛ぶように売れた。」
という話で、一粒が5000円ですから、1パックだったら10万円以上したことでしょう。この記事を見て当時私は
「いくら何でも贅沢が過ぎる。金だ金だと浮かれすぎて、精神的な幸せの追求をやっていないのではないか。」
ということを書きました。いまどきこんな馬鹿なことにお金を使う人はいませんから、当然この部分だけは書き直しています。
今回紹介する赤尾氏の話は、昭和34年、1959年の話です。

創意
南米に行った時のことである。店頭をのぞいてみると、日本製らしい玩具が多い。手にとって入念にみると、まぎれもなく日本製である。Made in Japanと銘うってあるのもあるし、ないのもあるし、中には、Hong Kongなどとプリントしてあるのもある。値段が他の国、米国や欧州のものに比べて極度に安い。私は同行の土地の婦人に話しかけた。
「日本品は特に悪いわけではないのに、値段が安すぎるのはどういうわけでしょうか?」彼女はしばらく困ったような顔をして答えることをためらっていたが、私が答えを待っているのでついに決心したとみえて気の毒そうに答えた。「あのう、実は日本品はたいてい欧米品のイミテーションだというので、低く評価されているのです。」
私の顔は赤くなり、しばらく話の受け答えができなかった。
ことしドイツで行なわれたおもちゃの展覧会でも、製品の陳列所では、日本の代表が観覧にはいることを拒否されて問題を起こしていた。日本人の代表たちは、私などが味わったのとは比較にならないほど恥ずかしい思いをしたに違いないと思う。(一九五九年二月、ドイツ、ニュールンベルグで開催されたおもちゃの展示会で日本代表は、日本が過去においてドイツ製品のまねをしたという理由で入場を拒否された。)
それにしても、こうした恥ずかしい模倣性というものは、いったいなぜ日本人に強いのかと思う。わが社でやっている作品の募集にもまったくの模倣があって、ときどき問題を起こす。
ところで今度、皇太子の御成婚を記念して、わが社で作品を募集した。全国の学生諸君から多くの作品が集まった。選者ではないが、私もそれらの若千に目を通してみた。実に創意に満ちた意見がもられている。文は拙くとも、字はへたでも、いかにも青年らしい純心さや熱意のあふれているものをみると、なんともいえない感激に打たれるのである。やはりわれらの民族の将来は希望が持てると思うのである。私は、青年の自主的な創意に大いに期待をかけたいのである。
昭和三四年五月

当時、日本製は「安かろう悪かろう」だと思われていて、ちょうど現在の我々が中国製品に対して抱くイメージと同じだったわけです。それが現在のように「日本製と言えば高品質の代名詞」とまで言われるようになったのには、筆者が後半で触れているように、当時の若者、多分団塊の世代と言われる人たちが必死に働いてくれたおかげで、現在の日本製への信頼があるわけです。この点は多いに感謝しないといけません。時代によって大きく状況は変わったものだと思います。その一方で、未来をひらくのは常に若者であり、よりよい形でバトンを渡していかなければならないのも事実で、こちらの方は時代がいくら変わろうとも変化しない、恒久の真理とも言うべきものでありましょう。
 


 

合掌



                          合掌
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高野山真言宗清涼山不動院