1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。
お知らせ
今月は「干支の紙巻き」を行います。
来年の干支の絵、寿の文字、宝珠の三枚をワンセットにして巻き、
年末年始に参拝の方にお渡しすることになっています。
作業をするには人手がいりますので、ご奉仕していただく方がおられますと大変助かります。
干支の紙を作る寺院もめっきり少なくなったということです。
以前は専用の和紙を使っていましたが、作っても使う人がいなくなってしまったため、
専用和紙は製造中止になってしまったそうです。
1月の托鉢とならんで当院は、古来からの伝統を守る数少ない寺院の一つになっています。
過去の「ともしび」は
不動院機関誌「ともしび」
とグーグル検索などの打ち込んでみてください。 すべてのページが読めます。
ともしび
第百四十七号 十
転んだら起きる
ひょんなことから一冊の古い本を手に入れました。読まなかったら、紙資源にしてしまえばいいというくらいの軽い気持ちで、当然ただなのですが、予想外にいいことが書いてありました。
本の題名は「若人に贈ることば」です。著者は赤尾好夫という人で、旺文社の創設者で初代社長だとか。さっぱりなじみがないなあと思っていたら、ひょんなことで思いだしたのが、「赤尾のマメ単」という単語帳でした。1970年代の受験生にとっては、受験のバイブルみたいに言われていた単語帳で、これをやってないと一人前じゃないくらいの権威があった本です。最初のページにいきなり「人間は忘れる動物である。忘れる以上に覚えることである。赤尾好夫」と書いてあって、このページが妙に説教くさくて、げんなりした私は別の単語帳にして、それで受験を乗りきってしまったのでした。
そんなことを思い出しながら、今度の本を読んでみると、内容は予想にたがわす実に説教くさいです。しかし、非常にいいこともたくさん書いてあるのも事実で、一番いいと思ったのが、なんと言っても最初の話でした。以下、原文を引用します。
転んだら起きる
奥多摩のさらに奥、大菩薩峠(だいぼさつとうげ)に近い所のある山に登った。調査の必要があって、東京都の役人や土地の案内人といっしょであった。海抜千四百メートルぐらいで、普通の高さの山であるが、急勾配のため疲れる。夏の山はさわやかで、駒鳥(こまどり)やうぐいすが鳴いてすてきだ。富士や大菩薩や雲取山がみえる。東京ものはすっかり疲れて風景を賛美したり、鳥の声に聞き入るようなふうをしては休むのである。
山の中腹に七、八戸の小さな部落がある。平家の落人(おちうど)だと伝えられているが、とんでもない所に家を作ったものだと驚嘆した。四十度以上の角度の所を切り開いて住みついたのである。こどもは一里以上の小道、道といってもくまの通るような道で、やわらかい、小石でうっかりするとすべり落ちる、その道を通って学校に通っている。小学校二、三年生ぐらいの女の子たちが数名、ひどい傾斜の道を平気で降りて行く。
気になる。ひとりの役人が声をかけた
「君たちは実に達者だな。だがこんなひどい道で転んだらどうする」
利発そうな目のクリクリしているかわいい子がふり返った。
「おじさんはおかしなことを言うね。転んだら起きてまた歩けばいいじゃないか」
役人と私とは目を見合った。私は心の中でうなった。子供をみると、みんな平気で早足で降りて行く。
「転んだら起きてまた歩けばいいじゃないか」もう一度私は自分に言いきかせて、気の弱い青年の事を頭に思い浮かべたのである。
原文はここまでです。ごく短い文章ですが、これを読んで目の覚めるような思いがしました。筆者は大学受験の専門家だったので、最後のあたりに出てくる青年というのは、失敗したらどうしよう、不合格だったらどうしようと心配ばかりしている、弱気な受験生のことでしょうが、我々一般の人間にも、等しく当てはまることなのです。挫折のない人生は存在しません。何か新しいことに挑戦した場合、成功するのはチャレンジ数1000回に対して3回程度と言われていますから、997回は失敗します。確率的にうまくいかないのが当然なのですが、私たちは、他の人はうまくいっているのに、なぜ自分だけ失敗するのか、どうして自分はこんな不運な境遇に生まれてきたのか、転んだらどうなるのか、転ぶのが怖くて仕方がないとか、ありとあらゆることを考えます。これらはみな、お釈迦様のいう煩悩、迷いそのものに他なりません。なぜ転んだのか理由を考えるのはとても大事なことで、失敗から多くのものを得られるのは事実ですが、いつまでもくよくよしているだけということになりかねません。「転んだらどうしよう」と気に病んでばかりというのは、典型的な愚の骨頂の生き方です。
「転んだらまた起きて歩けばいいじゃないか」
本当にそうなのです。この記事は昭和三十二年十月の記録がありますから、もう七十年近く前の話で、著者の赤尾氏はとっくの昔、昭和の時代に他界してしまっているし、この言葉を言った子も、場合によってはもう亡くなっているかもしれません。しかし、時代がいくら変わろうとも、真理であり神仏の教えそのものと言えるでしょう。
合掌
合掌
522-0342 滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地
電話 0749-48-0335 FAX 0749-48-2679
高野山真言宗清涼山不動院