敏満寺 清涼山不動院

1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。

お知らせ

今月はいよいよ年に一回の大祭です。
四国八十八カ所の「お砂踏み」を行います。10分足らずで四国八十八カ所の札所を回ったのと
同じだけのご利益がいただけるというおすすめの行事です。
法要は午前10時からと、午後8時からの2回行います。ぜひご参拝ください。

 

ともしび                                          

読んでおきたい孔子の言葉
 とてもよく耳にする意見に「物質文明はどんどん進歩していっているのに対し、人の心はどんどん貧しくなっている。」「凶悪犯罪が増加し、世の中はどんどん悪くなっている。」「青少年の非行はどんどん深刻になっている。」というのがあります。結論を先に言うと、これらはすべて妄想にすぎません。時間が経過するにしたがって人心が荒廃し、凶悪犯罪が増加し、青少年の非行が増加するのならば、時代が昔にさかのぼれば、人心はどんどん善良になり、凶悪犯罪はなくなり、青少年はよい子ばかり、つまり昔になればなるほどよい時代だということになります。となると、第二次次大戦当時、赤紙一枚で招集されて敵艦に体当たりしていた時代は、今よりよほど幸せな時代だったということになります。さらに時代をさかのぼると江戸時代になりますが、士農工商の身分社会ですから、お侍の機嫌を損ねたら無礼討ちされても文句が言えません。もっと時代をさかのぼって古墳時代になると、大君(おおきみ)が死んだら臣下は殉死しなきゃいけなくなります。みんな殺されて古墳に一緒に埋められてしまうんですから、私はまっぴらごめんです。「世の中がどんどん悪くなっている」説が論理的に矛盾しているのは明らかです。
 では、本当のところはどうなのかというと、時代が変わっても、人心は何ら変化していないのです。この「ともしび」も、1号から100号までは40年近く前に発行されていたものを、今の時代に再び発行しております。そのため檀家さんの中には、黄色くなってしまった昔の「ともしび」を、いまだに大事に取ってくださっていることがあります。檀家参りでそれを目にすると、なんだかタイムマシンに乗って過去に戻ったような気がします。最初の発行の頃はバブル経済の真っ最中で、日本の経済力は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて飛ぶ鳥を落とす勢いでした、日本中が好景気で社員の補充が追いつかず、採用試験をすっぽかした会社から内定通知が来たという、今では到底信じられないような話まであります。では、その頃、イケイケドンドンだった時代に書かれた「ともしび」と現代のものとではどこか違うかというと、何のことはない、全く変わっておりません。文体から論の進め方、内容に至るまですべて同じです。そして、バブルの頃も現代も、同じように支持されています。人間の本質が同じだからこその現象と言えるでしょう。
 孔子は紀元前400年ごろと言いますから、今からおよそ2400年も前の人です。当時、世界各地で一斉に賢人たちが活躍し、面白いことにみなほぼ同じ教えを説いています。ギリシアではソクラテスが哲学を始め、インドではお釈迦様が仏教を開かれ、中国では孔子が教えを説き、それぞれの地域の教えの根幹になりました。当時の中国は戦乱が200年以上も続き、どうしたら平和で安定した社会が作り出せるのか、賢人たちが頭をひねって考えました。いろいろな考え方があったのですが、最も正統派と言えるのが孔子で、道徳教育の重要性を説きました。以下にその言葉を引用してみましょう。

原典 子(し)曰く、人の己(おのれ)を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを思う
現代語訳 世間が自分を認めてくれないと嘆くものがいるが、自分の周りにいる人の才能や長所に自分が気づいていないことを嘆くのが先だろうよ。

なんと、先月号の「ともしび」で私が書いた内容と全く同じです。参考までに先月号の内容をざっとふり返ると、
「職場で認めてくれ」というのは「クレクレ要求」、「職場で認めてもらえない」と嘆くのも考えてみればおかしな話で、業績を上げたら必ず評価には結びつくわけですから、要求を突きつける前にやるべきことは、業績という結果を出すこと。
と私は書いています。孔子には三千人もの弟子がいて、いろいろな国に官僚として就職していました。おそらく業績に関する不満を孔子にぶつけるものがいて、それに対する答えとして語られた言葉でしょう。
「他人の才能や長所に気づく能力を身につけたなら、世間はそういう人を放っておきゃしないよ。」
と孔子は言っていて、まさにこれは真実です。戦乱の時代に道徳教育を説いたため、各国の王に政策を聞き入れてもらうことは残念ながらなく、孔子が生前活躍できることはほとんどありませんでした。その後中国は秦の始皇帝が武力により統一しますが、力ずくの政治だったため、秦帝国はたった30年で崩壊してしまいます。あとをついだ漢帝国は前の政権の失敗を教訓とし、武力面では秦帝国のやり方を踏襲しながら、一方で道徳教育に力を入れ、孔子の教えを全国民に学ばせるようにしました。その結果漢帝国は400年も続き、孔子の教えは中国の基本的なバックボーンとなったほか、日本にも多大な影響を及ぼすこととなりました。




                          合掌
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高野山真言宗清涼山不動院