◇浄土宗 清光山成就院 権現寺



◇縁 起



  858年(天安2年)に文徳天皇が、奈良の法隆寺へ行幸されて祈願されたところ、心願
成就したまい。仏像を平安京に移して寺院を建立するよう法興寺に宣下され、梅小路小学
校あたりに「歓喜壽院」として建立されたのが、起源であると伝えられております。
 その後、度重なる火災などにより諸堂宇が焼失しましたが、のちに「朱雀の地蔵堂」と呼
ばれる「勝軍地蔵をお祀りする御堂」のみが残りました。
 1596年(慶長元年)に住道上人が、大地震で倒壊した伏見桃山城下にあった書院を
払い下げてもらい、「歓喜壽院」の法灯を継ぐ「祇陀林寺」として再興するとともに、古く
から地域の人々に親しまれておりました『火印地蔵菩薩譚(津子王の出世譚)』の伝承が
ある「身代り地蔵」と、「源為義公墓」をも護持することになりました。
 当寺が、丹波口にあったことからも愛宕権現信仰と相まって、元禄の頃には「防災、
厄払い、病気平癒」などの祈願所として賑わうようになりました。
 法然上人の500年遠忌を迎え、1711年(正徳元年)に「権現寺」へと改称しました。
1911年(明治44年)の京都駅操作場の拡張に伴って、1913年(大正2年)に「梅小路
京都西駅」西側辺りから現在地へ移転してきました。
また、同時期に「源為義公墓」も七条旧千本通上る西側より移設しました。