2009年莫拉克台風によって、台東県金峰郷嘉蘭村では60数戸の住宅が流失、あるいは居住不能になった。加えて危険な家屋や政府の防災工事のため撤去される住宅が30戸あり、合わせて嘉蘭で必要とされる永久屋は90数戸の多数にのぼった。政府は「原村再建」方式で住宅を再建しようとしたが、住民の反対を顧みなかったため、1年近い紛争を経て、昨年(2010)12月22日ka-aluwan部落(嘉蘭部落)の伝統領域である嘉蘭村東側土地の強制収用の公告をした。一部の東側地主は強烈に反発し、自救会を結成、今年1月22日監察院監察委員の劉興善、趙栄耀に陳情することになった。
村民は陳情の横断幕を架ける
(撮影:胡人元)
「今日我々のスローガンは「収用反対」「分裂反対」である、今日監察委員をここに迎え、民の声を聞き、政府の如何なる政策といえども、不法や不当なところがあれば、監察委員に糺していただく。だから、私が収用反対と叫んだら、皆さんはmasalu(東排湾族語で感謝の意)と叫ぼう。なぜmasaluなのか、監査委員がここへ来て民の声を聞き、それらの声を持ち帰って改めて検討し、政府に是正を提起していただきたいからだ。」陳情前の準備に当たって、嘉蘭部落会議の李文彰主席はこのように述べた。
「分裂反対」というのは、政府の不当な行政措置によって、土地を収用される住民と被災者の間に対立が生じ、村民間の感情を引き裂くことへの反対である。
陳情現場。左に立つ黒帽の人は劉興善及び趙栄耀監査委員。 右に立つ黄色ハチマキの人は嘉蘭部落会議主席で東側地主自 救会総幹事の李文彰氏。紺の帽子の人は嘉蘭安息日会牧師で 東側地主自救会主席の黄進成牧師。(撮影:楊程宇)
なぜ収用反対なのか?地主の声
Ka-aluwan部落は最も初期の嘉蘭村住民の移住地で、今の嘉蘭村の発祥地だ。日本植民地時代から国民政府の来台以来、多くの先祖たちが開墾や植民のため辛酸を舐めた歴史がある。再建は原住民の文化や主体を尊重すると政府は言葉では言いながら、一片の命令で、嘉蘭村の伝統領域をはく奪できるのはなぜだ。監査委員が来るのを知って、地主たちは腹にたまった悔しい思いを吐き出した。
「我々(ka-aluwan部落)は、民国20年代、日本時代に強制的に下され、夜昼となく働き、爺さんばあさんたちは働きつめで、やっとこの土地に家を建てたのだ。その頃若かったものも大部分はここで死んだ。亡くなった私の父母もこのあたりで死んだんだ。私たちが苦労して耕した土地、勝手に土地を売っぱらえるものか。抗議するぞ!」老人は憤慨しながら、あの頃の山上の良かった暮らしが、日本人の植民によって下山や苦役を迫られ、今また国民政府の植民政策で迫害されるのかと怒る。
嘉蘭新富社区東側永久屋用地の範囲:西側は5年前の海棠台風による15戸の被災者住宅と莫拉克被災者住宅48戸の合計63戸。図は2010/7/30空撮。西側の整地や海棠用住宅の建設情況が確認できる。東側は45戸を予定、敷地上に2軒の住宅がある。(図はGoogle
Earthによる)
「以前は夜中の3時に、日本人のラッパで起こされ、仕事に行った。朝の7時になると、まるで人民公社のように、碗を持ってほんのわずかの飯を貰いに行く。たくさんの人間で分け合って食べるのだから、たくさん飢え死にしたよ、可哀そうに。あの頃は毎日開墾さ。昼も夜も仕事。今日は疲れている、飢えている、病気だという連中に先に飯を食べさせる。子供には飯がなかった。老人は仕事があれば、やっと飯が当たった。家へ帰るや否や、急いで碗におかずを入れて、比較的多ければ、やっとわしらも飯が食えた。あの頃赤ん坊はよく死んだけど、大人以外は墓が無くてね。日本人は、捨てて来いっていうんだ。親たちは耐えられないから、こっそり床の下を掘って埋めたんだ。(この土地の)下に、わしらの弟や妹たちがいるのだよ。それを召し上げるなんて辛抱出来ん、わしらは絶対ここを離れんぞ。」別の老人が涙ながらに言う。
ka-aluwan部落が山上にあった時の位置(図はGoogle
Earthによる)
「現在は非常に危険だ。もし下の(下部落)家が流されてしまったら、わしらはどこへ行けばいい? 孫らはどこへ行けばいい? わしらの本当の嘉蘭村はどこに行けばいい。別の人間が住みにやって来て、その人たちは気分いいのか? わしらの田地、わしらの妹達がここにいる。わしらをやっつけようとしても絶対ここを離れないぞ。」と老人は言う。当時は国民政府の計画だったので、元の部落から下へ降りたが(但し、元の部落の土地は持っていた)、今回は太麻里渓の洪水浸食のため、下部落の土地がだんだん狭くなり、住民達は家がいつ流されるかと心配している。だから、東側土地を最期の棲みかとして残しておきたいのだ。」
2009年災害前の嘉蘭村下部落
(左) 2010年災害後の嘉蘭村下部落 (図はGoogle Earthによる)
仕事のため都会に出ている記さん、心配して駆けつける
「次の台風で(もしわが家が流れたら)、私らはどこへ行けばいい? 私らは兄弟もこんなに多い。もし、収用されたら、出て行けとでもいうのか? 私は普段は台中で仕事をしており、わざわざ駆けつけるため(収用説明会がよく開かれるので)行ったり来たりだ。私たちが家を建てられるのはここの土地しかない、弟がここに住むためにも、あくまで頑張る。」
「私は外部にいるので(莫拉克)台風の際ここにはいなかったが、すぐに災情を聞き、活動に参加しようとおもった。被災者をどのように支援し、物資や義援金を渡したらいいか聞きたいと思った矢先、収用されると聞き、どんなにショックを受けたことか、泣きたい思いだ。政府が私たちを公平に扱い、ここに長くいられるようにして欲しい。ほかの場所に移さないでほしい。被災者だけが可哀そうで、我々は可哀そうでないのか? 私たちの弟たちは可哀そうでないのか?」
安息日会の教会予定地も収用の運命、安息日会用地の責任者黄進成牧師も監査委員に陳情
「監査委員にはわざわざお越しいただき感謝します。私たちがどうしてこの土地をこんなに重視するのか、それはここが正に嘉蘭村発祥の地だからです。つまり文化歴史の淵源であって、たくさんの子供たち(亡骸)が眠っている。日本時代、植民時代、子供は公墓に埋葬を許されず、大人や老人たちは仕方なく、夜こっそりと夭折した子供を自分の家や作業場に埋葬したのです。だから、この土地にはたくさんの幼子の霊が宿り、地主の皆さんも心が痛むのです。これらの土地を売ってしまうのは、自ら大変な不孝をするに等しい。祖先から今に至るまで、日本時代このあたりには小学校があり、部落があった。だから、ここには歴史がある。強制収用はいやだし、この土地を動かして欲しくない。ここには土地の文化や倫理があるのです。」
「第2に、我々原住民が尊厳を持てる空間を与えてほしい。自然災害に起因して、さらに傷口を広げ、地主、被災者、政府の間に、本当に厚く越え難い垣根を作るようなことがあってはならない。我々宗教団体も、彼らに寄り添ってともに難関を越え、政府が安全な公有地を見つけ、よりよい話し合い方式を見いだすよう働きかけようと決めたところだ。」
政府のこうしたやり方が、地主たちを間接的な被災者にしてしまっただけでなく、被災者に2度目の傷を負わせた。身内の人の土地を奪って、村を引き裂くような、そんな永久屋に住んで被災者は安心できるのか? 部落の族人に政府に対する不信を募らせ、長期の傷と断裂を招くだろう。
嘉蘭部落会議李文彰主席は語る
「聯合報によると、政府はすでにかなり優遇していると書いている(政府の買収価格を指す)が、お金で決まる問題じゃない。聯合報は県政府の考え方を書いているので、私らには不公平だ。1分地(=293.4坪)21万で、強制収用できるなんて、台東政府の適当なやり方、いい加減な計画で内政部に送って審査したのだ。地主がお金をもらっても、周辺の土地さえ買えない。一筆の土地しか持っていない人は、21万元の徴収金を受け取っても、生活はどうすればいいのか分からない。(どの土地に頼って暮らせばいいか?) 」
左は?進成牧師,右は李文章主席(撮影:胡人元)
「我々の下部落は安全とはいえない。このあたりは予備の居住地だ。土地と我々原住民は密接な関係にある。これからは、部落のみんなが土地の重要性に気付いて欲しいと願っている。単にお金の問題じゃない、伝承の問題なのだ。地主はごく少ないけれども、正義はここにある。被災者への支援は必要だが、土地所有権者も平等に扱ってほしい。」
住民が収用を望まないのは2点に帰する
1.歴史的情感が根強く、この土地と文化を子供たちに伝承したいと願っている。
2.災害に遭って家が流された時の安住の用地。
度重なる絶望
王爺さんvuvu(排湾族老人の敬称)は今回の土地争議で、何度も痛手をおった。「4隣54号のわしらの家(莫拉克台風時は)は既に流されてしまって、住むところがない。西側の土地は収用されたら(元々西側の土地を持っていたが、同様に永久屋を建てるため、既に収用されている。)、わしたちはどこへ行けばいいか。わしには9人の子供(現在長男だけが村にいて、ほかは外へ出て働いている)と、36人の孫がいる。こども達はどこに住めばいいか。わしら原住民は小米(アワ)やイモを植えるのだが、何を食べればいい。土地はもうないのだ…ご先祖にどう申し上げたらいいのやら。」
2009年の莫拉克台風は、下部落で王爺さんvuvuの長男が新築して半月も経たない住宅を押し流した。仕事のない王兄ちゃん(長男)は、流された住宅のための借金がまだ200万以上あり、毎月1万5千を少なくとも10年払わねばならない。風水害の苦しみを受けた上、最大の厳しい現実に直面している。
その流された住宅というのは、爺さん(vuvu)の唯一の居場所だったので、自分で東側土地に作業場を建て仮住まいにした。続いて政府は被災者の住まいのため嘉蘭の私有土地を買収する必要から、新富社区の西側及び東側の土地を探しだした。爺さん(vuvu)は言う。西側の土地を政府に渡せば、東側の土地は必要ないだろうってね。70年来居住や農作業に使ってきた、かけがえない土地を政府が強制収用するなんて思ってもいなかったよ。家を失う苦境に直面した老人は、かつて民国20年代父母たちが日本人に強制的にこの地に移されて働かされたこと、自分たちの11人の兄弟姉妹がまだ物心つかない頃、苦しい生活のためみなこの地で亡くなったことを思い出さずにはおれないのだ。
公有地の可能性は?
監査委員、地主、県政府の三者会談で、監査委員は地主の声を聞いた後、問題を明らかにして解決しようと試みた。地主の方から正興村の下にある公有地を永久屋用地にできないかと提案があった。部落会議主席の李さんは、「私が登記簿を調べたところ、あの土地は少なくとも2ヘクタールある。」と述べた。
正興村の下の公有地のおよその範囲
(図はGoogle
Earthによる)
県政府原住民処王国政科長の回答
「あの正興村の下にある公有地は、太麻里郷都市計画内にある土地で、住宅用地に変更する必要があるが、都市計画の変更にはかなりの時間が必要だ。さらに、2ヘクタールはなく、合計11筆であるが、0.5ヘクタール近くは潜在的危険地区だ。また、土地の上には賃借地人や占用者が(すべて漢人、公有地を借用あるいは占用して農作物を栽培)いて…」
政府は都市計画の土地変更には多くの時間がかかるというが、莫拉克条例第21条によれば「被災者の居住のため必要な土地は、環境影響説明書に代替する環境対策に合致すれば、一定規模以下で、土地利用、地質、環境影響評価、水土保持及び水利の関係機関が安全上支障ないと認定した場合、区域計画法、都市計画法、国家公園法、環境影響評価法、水土保持法及びその他関係法規の制限を受けない。」とある。政府が言うように多くの時間はかからないのではないか。いわんや台湾全土にある多くの永久屋用地は、莫拉克条例に基づいて公有地を取得したものだ。台東県大武郷旧大武国小の公有地も、この法律によって大武郷富山部落の住民の住まいに用いるもので、政府の説明は納得がいかない。
筆者は、一番困惑しているのは県政府だと考える。あの土地には漢人が合法的に借用したり、法に基づかない占用をしている。県政府は地上物件の補償金だけでも頭が痛いが、土地を取られる漢人の強い反発(公用地であろうと、あるいは占用であろうと)を考えるとその処理は大変だ。これは、台東県の大量の公有地が漢人に占用され、農作物が開発され、ひいては漢人高官の票や利益問題とも関係するからである。
又、政府担当者が説明したように、その土地の面積は永久屋の用地として足りないのだろうか? 東側永久屋用地は約2.6ヘクタールだが、斜面地のため、法に基づき35%近い土地を公園、緑地、遊水地などの公共施設に使わねばならない(本来山林で育った部落の族人にとっては大変不合理な法規である)。

資料は、6割近くが公共施設であることを示す(聯成開発計画書慨報)
また、地主や何人かの被災者は、台東市にある知本開発隊の公有地を永久屋として考えられないかと政府に提案した。嘉蘭自救及文化産業促進会の?爭光さんも陳情する族人に向かって表明した。
「このような困難や衝突をどのように解決するか、昨日黄牧師と討論した。実は自分たちも以前(去年3,4月)アンケートに答えて、資料を県政府に送った。半数近い被災者は台東の開発隊、あるいは台東市の土地に行きたいと思っている。だけど、なぜか解らないが、台東県政府の城郷発展処はこれらの資料を無視して、明らかにしない。我々が要求しても、私たちに渡さない。」
「この件に関して郷役所が行った第2回目の調査は、アンケート調査票が不備だったり、説明や説得の後だったこともあって、みんな嘉蘭村に留まりたいという方に変わった。実際は、この土地が難しいのは解っているし、我々も総統府に公文を送って陳情しているが、県政府の機関はこの土地の処理を行っている。政府の莫拉克条例によるこの手続きの正当性や正義性は不備であり、不完全である。だから、総統府だけでなく、内政部や県政府へ陳情し、県長のところへ行って、我々はこんなやり方は駄目だと言っている。もしこの辺りを強制的に収用して家を建てても、我々は住めないし、被災者も住めない。族人の仲間を傷つけて建てた家に、誰も住める訳がない。こうした説明をしたのだ。県政府は別の考え方を持っているのか、今は辛抱しているが、非常によくないやり方をするのではなかろうか。つまり、成績を上げること、どうして成績ばかり考えるのか?」
当初被災者は東側住民のこのような反発を予想していなかった。今、被災者は族人との衝突を望まない。政府はもう一度被災者の意向調査をし、別の公有地を探すことができないか? 台東県政府原民処王国政科長は、東側土地の開発案は、既に内政部の決定がなされ、数百万の計画費も使い、計画案は1年を費やしやっと完成したところで、やり直すとすればお金と時間がかかるし、中央は大変難しい、という。
それでは、政府の無茶な政策を、被災者や地主は承知せよというのか? もし誰も傷つけなくて済むなら、被災者は待つ方を望む。どうしてやり直せないのか?
2月15日筆者とともに王科長を訪ねた同僚の蘇雅?さんが科長に尋ねた。「もう少し時間をかけられないのかしら?
族人が引き裂かれた傷をいやすのには、10年、20年あるいはもっと時間が必要だわ。」政府官僚機構のもとでは、こうした弱い立場の原住民問題に対する体制的な難題に関しては、原住民身分の職員といえどもでも避けざるをえないのだ。

部落のこどもたち。土地と歴史の継承者として、
共に祖先の土地を守る(撮影:胡人元)
監査委員の回答
地主や県政府の担当者の意見を概略聞いた後、趙栄耀監査委員が発言した。「今陳情を聞いて、私たちも道理があると思う。歴史性の尊重いかんを問わず、ここは暮らしの糧であり、住まいの場所だ。皆さんはここの住人として、監査委員や政府が土地を探すのを助けて欲しい。」
劉興善監査委員は、「県政府は幾つかの資料を用意してほしい。一つは、嘉蘭村付近にほかの公有土地あるいは国営企業の土地はないか。二つは、全省のその他の地域で、被災者の住宅のためよく似た収用事例があるか、調べて欲しい。もしあればどのような処理をしたか、参考にしたい。もしなければ、県政府は大きな裁量権があるわけで、別の処理方式を考えるべきだ。どのくらいで資料を用意できますか?」
王政国科長は、「1週間でできます。」と答える。1週間後王科長を訪問した監査委員に、詳細な資料を示して手渡した。そして、監査委員の返答を待って、地主らに県政府の調査資料と監査委員の回答を知らせることになる。
嘉蘭郷民代表高勤書さんが最後に尋ねた。「あの強制収用の動きをまず止められないのか、公告したからか?」12月22日既に強制収用の公告がされ、多くの老人はおおいにあせって恐慌をきたしている。
監査委員は、「私たちも法律手続きはどうしようもない。権限はない…。」という。
ブルドーザーがついに来た!
2011年1月29日,やはりブルドーザーは東側土地─ka-aluwan部落の伝統領域にはいってきた。工事人は「工事は既に始まったから、問題の場所があればまず先に空けて…、墓碑がなければ我々には解らない…問題の場所があればとりあえず避けておく。」などという。
「わしの1番目の兄貴、2番目の兄貴もここに埋まっている。兄貴たちは、皆、家の床下にいるのじゃ。おふくろは動かすなと言ったぞ。」蘇爺さんvuvuは目に涙をためて訴える。
「今は掘らないよ、樹を切って、測量するだけだ。みんなよく解っているよね。県政府が工事用地として引き渡してから、始めることになる。みんなを困らせたくないし、お年寄りがそんなことを言うなら、私らも避けて…。」工事人は仕方なさそうに言った。
ちょうどこの日、嘉蘭海棠台風永久屋(2005年の海棠台風によって嘉蘭村の住宅15戸が流失したが、その復興住宅が今完成した)の落成式典で、黄健庭県長が式典に参加していた。王爺さんvuvuは気持ちが高ぶり、声を詰まらせながら県長に陳情した。「どうして回答もしないで、工事をやるんだ。金は要らん。金は要らんのだ。」
県長は仕方なくお定まりの回答をする。「我々がそんなに安易に収用するつもりなら、工事が今日まで遅れてなかった。全体でここが一番遅れた工事になっているのです。」県長は間違ってないのか?
再建というのは、被災者だけ(現在被災者は中継屋で仮住まい中)の問題で、部落全体のことは考えなくていいのか?
建物の完成速度を追求する前に、まずその建物が復興にとって有効かを検討しなくていいのか? やはり県長は中央の政策圧力に屈しているのか?
県長は続けて言う。「彼の気持ちは本当につらいと思う。我々もさらにいい方法があるか検討してみたい。ただ、全体計画を原点に戻し、改めて新計画を考えるため引き延ばしても、中央は我々や地主の権利にどんな支援をしてくれるか解らない。我々は、合法的合理的な範囲で最適の方法を講じたい。」曖昧な官僚の回答では、依然として問題は残り、地主や被災者の心情は汲み取られず、部落は引き裂かれたままだ。
県政府城郷処長の許瑞貴氏はさらに誇張して言う。「最初から今まで我々が言ってきたのは、スピードだ。」続けて「現在、東側土地は、紅十字会は既に経費がなく、世界展望会などもない。あなたの言うように、場所を変えたら、住宅を建てることができなくなる。」
これは脅しなのか?明らかに最初政府の政策が間違いだったのに、どうして今自信を持って、少しも反省しないのか。台東県の役人は民主の素養がないのか。人々は彼らの言いなりになって、「復興の効率」という筋書きに従わねばならないのか。
政府役人は例によって写真を撮って話を打ち切り、後には驚き、怒り、悲しむ村民が残された。
政府が出した代替案:建築用地の拡大と収用された人への再分譲
2月14日,県政府原民処の王国政科長は、章正輝金峰郷長と郷民代表会に対し、東側土地の紛争処理の代替案を提出した。これは、東側永久屋用地以外に、周辺の私人の土地を拡大して買収し、買収した原住民保留地を建築用地に変え、地主の代替地あるいは分譲地にする(当然地主は土地を売っても買い戻す必要はない)。この方法は、「原住民保留地建築用地統一規劃作業須知」に基づき、「区段徴収」と同様で、莫拉克重建条例には関係なく、海棠の被災者永久屋はこの方法により土地を取得した。
但し、この代替案には2つの前提条件があると、王科長は付け加えた。第1は、地主がまず土地を売り計画開発を施行することに同意することである。第2に、郷役場の提案のように、金峰郷民に優先的購入権があり、県政府の提案があれば、購入権は全県の原住民に広げる。
筆者は内々に、土地収用反対者の意見を聞いてみた。彼らは政府がやっと代替案を考え始めたことに喜び、ほっとしながらも、れっきとした保障がないこの代替案では依然として疑義が強く、その上、開発への答えを先にすれば、未知数に満ちた拡大買収案に、この種の乾坤一擲の承認をすれは、村内に更なる紛争をもたらしかねず、政府の積極的な行為の保障をどこに求めるかだ。
このやり方については、良い面が考えられる。本来大多数の地主が持っているのは農地で、子供に家を建てる夢の実現は困難で、多くは一層の作業場か、農舎を建てるぐらいだが、計画変更した建設地を利用すれば、住宅が建てられることだ。
但し、買収は元の保留地の低価格で行われるとすると、大部分の地主は変更計画後の建築地を買えるだろうか?(農地との価格差は少なくとも5倍以上ある)さらに、東側土地と拡張計画は、買収する土地の筆数が拡大し、地主の数も多く、それら地主の同意を求めるのも問題で、計画後の土地をどのように分配するかも問題である。
王科長は、こうした課題について計画や考え方も持っているとし、まず金峰郷役場の積極的な推進があれば、仕事を始めて最短半年で完成するだろう、と表明した。

部落族人、誰もが土地とその物語を後代に伝えたいと願う(撮影:胡人元)
反収用の行動
現在、東側土地収用反対の住民は、弁護士に依頼し訴訟提出の準備をしている。法律によって政府の私人土地を強制収用し他人を住ませる行為を阻止しようというわけだ。一方、東側地主自救会主席の?進成牧師は、近く嘉蘭村で開かれる部落会議で、収用反対者と被災者が聯合し、村民も政府のこうした不当で部落を引き裂く政策に対し一緒に連書し、これらの声を県政府、さらには中央に陳情し、政府に変更の決定をさせたいと願っている。
さもなく本当に訴訟となり、訴訟に勝ったとすれば、その時東側永久屋に入っていた被災者は出て行けるだろうか?
二つの村民の感情はさらに傷つき、政府はこの問題に向き合い続けなければならない。
(翻訳: 垂水英司 ・ 李宇寶)
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