・ブルドーザーがついに来た!
・勤和平台で共同避難屋が・・
・故郷の土で新たな土を覆う・…・
・兄弟登山の第一歩:小林一村…

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 兄弟登山の第一歩:小林一村喜びの落成、二村では造成始まる
文/何欣潔 2011.1.15 
2011年1月15日、莫拉克災害から526日、旧暦の年明けまでに、小林一村の住民は待ちに待った五里埔の新居に入居した。ちょうどこの日、杉林組合屋(仮設住宅)傍にある小林二村の敷地では起工式が行われ、折よく同じ日に二つの新しい小林の誕生が始まることとなった。

この日から小林村の人たちは地理的に離れた3ヵ所の地区に分かれて住むことになる。つまり、高雄市甲仙区の五里埔、杉林区の小林二村と大愛村内の小林区である。族人の先頭に立って小林二村を実現させた蔡松諭さんは、外から見ると「小林村の分裂」とも取れるが、これは小林村再建にとって辿らなければならない過程だと考える。「私は皆さんに率直な気持ちでこの情況を見守ってほしいと考えている。私の見方は、今は正に一つの陣痛期として、辿らなければならない過程だということです。兄弟の分家を考えてください。最初は不愉快なことがあっても、それは通るべき過程であって、いずれはどんな衝突も過去のものになるのです。」

さらに蔡松諭さんは、小林村の人たちが再起するのは容易でない、皆さんの大いなる励ましをお願いしたいが、過度のご心配は無用という。「私たちは八八水害という大災害で、多くの家族を失ったうえ、不合理な永久屋政策に対抗しなければならず、もう並大抵のことではなかった。」

 

 

 

 

小林一村五里埔の新住居



小林二村を選択した人は、目下組合屋
で二村の完成を待つ

「小林小愛」、すなわち大愛村の小林区に入居することを選択した岳中峯さんは、被災者がどこに住もうと、それぞれの自由だ、外からとやかく言われることはない、と言う。「いつも慈済の女性信者が、山の上はとても危険だといって勧めるように、私も山の方は被災地点に近すぎると思う。蔡松諭さんは、このような考え方を認めつつ、五里埔の人も台風の時期には危険を避けて下山しなければならないし、小林二村の人たちは永遠に故郷を思い、山を下りても故郷との関係は決してなくならないと考えている。「外部の人はいくら言っても、住民の危険な生活を替れないのだから、私たちは自分の責任で決める以外にない。」

 五里埔に戻る予定の住民は、喜び勇んで新居の完成を迎えた。小林社区発展協会は、既に政府関係のサイトに、「大難の後、麗しき小林村は既に思い出になったが、獻肚山(八八水害で崩壊し村を飲み込んだ山)が見守る地で、我々は新生活をスタート」と書いている。人達は入居を待ち切れずに足を運び、早くも主要道路を「西拉雅路(シラヤ路)」と命名した。

どの居住地を選んだ小林村民にとっても、1月15日の一村完成式と二村起工式は重要な出来事だ。注目を浴びる被災地・小林村が、ついに再建の第1段階を通過し、各々の永久屋の新生活に向かって歩みだしたことを象徴している。五里埔に戻る小林村民と甲仙にとどまる村民との新たな協力はどうなるか? 平地の小林二村は「日光小林」の名のもとに、どのような再出発をするか? 小林二村に隣接する「小林小愛」は、大愛村と小林二村の間で活路を見いだせるか? 私たちは引き続き関心を持って注視したい。(翻訳: 垂水英司 ・ 李宇寶)