「小林二村」と住民が称する小林村杉林永久屋の敷地は、2011年1月15日造成工事がスタートした。住民はこの新たに誕生する村の名称を「日光小林」と名付け、ひまわりをイメージし、明るく晴れやかな印象を人々に与えようとしている。
この地は杉林大愛村の付近で、村の後方は永齢農場と境界を接し、15分ほど車で行くと月光山トンネルを通って美濃、旗山市街地に達する交通便利な所だ。小林二村と言われるのは、遺跡となった元の小林付近に五里埔「小林一村」があって、これは2番目の小林村民のための居住場所だからだ。
再三の挫折を超え、ついに喜びの起工
自主再建を目指す小林二村は、これまで多くの小林村民の共通の願いであった。莫拉克台風1周年に至る過程、当初、行政院重建会と高雄県政府は、慈済が小林二村を建設するか、少なくとも「大愛村と同じ外観を維持し、国際モデル村の水準に合わす」ことを求めたが、小林村民の反対にあって、二村再建は一旦こう着状態に陥った。2010年の5月、小林村の生存者劉朝義の自殺、中央、地方政府は永久屋資格審査や用地協議のスピードを加速する、こうした過程は次の稿を参照してほしい。「長引く協議の末、小林自主再建宣言は破局へ!」
?經漫長協商,小林自主重建宣告破局! 文/鐘聖雄 2010.7.31
2010年莫拉克台風1周年の小林村「八八点燈追思」行事の中で、ついに馬英九総統は地方と共同して小林村自主再建を推進すること、建設を担当するNGO
を紅十字会とすることに承諾すると自ら宣言した。昨日(1.15)の起工式で、小林再建会の蔡松諭会長は再び馬英九総統へ「馬総統有難うございます! 昨年の1周年の夜会で、二村再建の知らせを聞かせていただき安心できました。」と感謝の気持ちを忘れなかった。
傷心の地を離れ、山下で再出発
資料によれば、「日光小林」は平地に位置し、区域面積と計画可能面積は同じ5.83ヘクタール、合計120戸の住宅、入居する住民は現在118戸だ。その内116戸は28坪、3戸が34坪の予定である。造成が始まるまでに、台糖と高雄市政府の間の土地手続きがまだ終わっておらず、建築許可も未発行だが、引き続き進める。
小林二村へ住むことを選んだ洪玉恵さんは、ともかく悲しみの土地五里埔から離れ、別の土地で再出発したかったという。「たとえこのまま組合屋(仮設)に住んでもいい、五里埔には絶対戻らない。実際、八八水害後戻ったのは5回だけ。」と手で五の形を示しながら、言い切る。「お姑さん、長男がみな埋まってしまったの。それを思い出すと悲しくて。」
洪玉恵さんが日光小林村を選んだのには、悲しみから離れるためだけでなく、実際的な要因もある。「八八風害前も、五里埔は一雨来れば道路が不通になるのは、毎年のことだ。私の長男はもういないけど、次男はまだ学校よ。今はこの隣の杉林国中だから、とっても便利。私や夫の仕事も、このあたりは町に結構近いし。」車なら5分で行ける杉林国中、子供は歩いても通学可能だ。これは若い父母たちが住まいを決める重要な要素となっている。
小林村を代表して式典のシャベルを持った長老徐吉禄さんはいう。「ついに始まった。本当に、本当にうれしい。」徐吉禄さんは式典で小林村民を代表して故郷の土を新しい敷地の上に撒いた。心中に感慨が溢れだし、こう述べた。「故郷を思う気持ちは誰もが持っている、それがいかばかりでも、新たな家にはみんなの努力が必要だ。」
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日光小林村の村落配置、かつての
小林村の配置と同じ

二村の村民は組合屋の傍で養鶏や畑
をして、既に山下の生活にも慣れ、
新居の完成を待つ。
小林再建会の蔡松諭会長は、馬英九、
呉敦義、陳菊の各氏に建設予定の
新住宅模型を説明する。長い待機は
記憶に新しいが、いずれ過去
のものになる。馬英九総統は元々
「今年の農歴年初までに小林二村の
新住居完成」を願っていたが、
小林村民はむしろ「永久に住む所、
丁寧にゆっくり、急ぐことはない」
という考えで、2011年4月完成予定だ。
風雨を越えて、住民は向日葵のように
日光が照らす小林を渇望

小林村長老徐吉禄は住民を代表して
旧小林の土を日光小林の敷地に撒く

日光小林に接する永齢農場、
住民の就業問題を解決できるか?
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