実現への苦しい過程を経て、故郷の地で再建する道を選んだ勤和住民は、昨年10月紅十字会台中支部の協力を得て、勤和平台に共同避難屋の建設に入った。現在既に避難屋は完成し、今後、増水警報時にはおよそ160人が避難し身を守ることが可能だ。1月15日には、勤和平台で、中央、地方の政府高官、そして勤和再建にあたって援助や支援を提供した各界の団体を招いて落成式典が行われた。
避難屋の完成は、再建過程にとって鍵になる一歩だ。今後住民の代表たちは、より完全で長期的な村の再建計画作りに安心して取り組むことができる。式典に出席した高雄市原住民族委員会范織欽主任委員は、市政府を代表し、援助を提供した紅十字会に謝意を述べながら、「文化の伝承は、自らが属する地でこそ発揮でき、長く受け継いでいける」と指摘、勤和住民が故郷に留まろうとする努力に理解を示した。そして、「信念と責任を持って、皆さん族人のニーズにしたがって、皆さんの福祉を実現したい」と述べ、市政府は被災地の産業再建、社会発展などの各項の支援に全力を挙げたいと表明した。
「Ma Hun Du Han」と命名,末長く平穏で堅固な地
1月15日勤和平台の式典会場は、住民や来賓ともども喜びにあふれていた。避難屋の完成によって、勤和住民は現地再建のキーポイントを一歩踏み越えたといえる。住民は布農(ブノン)語で「堅固な地」を意味する「Ma
Hun Du Han」と命名、代代にわたり長く平穏に住みたいという切なる思いを託している。
式典は紅十字会台中支部陳?甫総幹事が司会を務め、牧師の先導で全員祈りを捧げ、八八災害後苦楽を共にしてきたこの1年を振り返った。勤和の住民達は伝統の出猟祭儀、八部合音、戦功に報いる儀式で、この「鍵となる一歩」に対する慇懃なる気持ちを来賓たちに表した。
紅十字会台中支部劉昭恵会長は、山に上がってくる途中の生活風景、住民が演じた伝統祭儀を見て、族人と土地の連携を深く感じたと述べ、紅十字会の支援によって、故郷を離れることなく、伝承生活や文化の中に暮らせるとすれば大変喜ばしい、と挨拶した。
前高雄県政府が定めた「避難屋は3年後重建条例の失効とともに撤去する」との規定があるが、多くの住民はこの地を恒久的な避難空間にしてほしいと願っている。この共用避難屋は、勤和の人の避難に供するだけでなく、増水期に滞在する親戚や観光客が共同で使用したり、特に平台付近にある桃源国中にとっては、避難を要する際の最寄りの避難場所になる。式典に参加した桃源国中の先生は、避難屋の落成で安心できると喜び、既に生徒の避難訓練の初歩構想を練っている。
勤和村の里長に就任した高正勇さんは「Ma Hun Du Han」の完成の意義は大きいと認めながら、「(永久屋に)転出した族人も戻りたいのなら、彼らに提供することもできる。」と指摘する。復興過程で生じた勤和の分裂も、短期で解消できなくても、「私たちが努力しなければならないことだ。」と考えている。
原民会主任委員:族人のニーズにしたがって、福祉を実現
避難屋は地域の住民にとって意義は多い。新たに就任した高雄市政府原民会范織欽主任委員は、自分の出身地でやはり被災地である茂林郷萬山でも、勤和のような情況を体験した。彼は「大愛村では、私たちのために大変きれいな永久屋を建てたけれども、我々原住民の生活形態や方式に照らせば、先ほどの儀式にもあったが、我々の本当の要求に合わないのだ。文化の伝承は、自らが属する地でこそ発揮できるし、長く受け継いでいける」と述べ、勤和住民が故郷に留まる努力を肯定し、祝福した。
また彼は、避難だけでなく、部落は生産や発展面での支援が必要で、「原住民族委員会としては、信念と責任を持って、皆さん族人のニーズを尊重し、皆さんの福祉を実現したい」と表明した。市政府を代表して式典に出席した范織欽さんと社会局蘇麗瓊局長は、部落の復興と発展に全力を挙げたいと表明した。(翻訳 垂水英司 ・ 邵珮君)
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出席した来賓と住民、碑の除幕後記念撮影
謝英俊建築師事務所が設計した
避難屋は平台の自然素材を多用する。
住民は「Ma Hun Du Han」が末永く
平穏な場所になることを願う


高雄市原民會主委范織欽(上)、
紅十字會台中支會會長劉昭惠

式典開始。
牧師の先導で敬虔な祈りをささげる |