功山寺仏殿

所在地 山口県下関市長府川端町 種別 近世以前/寺院(曹洞宗)
構造形式 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺
時代区分 鎌倉後期 年代 元応2年(1320)
指定年月日 1953.11.14(No0158) 所有者 功山寺
功山寺は、仏殿内部の墨書から嘉暦2年(1327)に創建されたとされる(仏殿の建立年よりも後なのが不可解)。功山寺の名は、毛利元就に攻められた大内義長の最後の地、幕末においては七卿落ちの五卿が滞在した地、高杉晋作が挙兵した地、としても知られる。
仏殿は、内陣柱上の墨書から、元応2年(1320)に建てられたものとみられている。鎌倉・円覚寺舎利殿、東京・正福寺地蔵堂、岐阜・永保寺観音堂などとともに、禅宗様の仏殿を代表する遺構。


禅宗様の仏殿に特有の、檜皮葺の屋根に反りをみせ、また裳階にも反りが有る。内部は敷瓦の床になっている。千手観音坐像を本尊とする。


前面と側面のそれぞれの角部に華頭窓を設け、禅宗様を強く感じさせる。 裳階の垂木は平行垂木であるが、屋根の垂木は禅宗様に特有の扇垂木となっている。


功山寺はもと、臨済宗・長福寺と呼ばれていたが、毛利秀元によって曹洞宗・笑山寺と改称され、さらに慶安3年(1650)に毛利秀元の戒名をもって功山寺と改称された。寺の創建と仏殿の建立の年が食い違うのはこのためだろうか。
国道9号線を、長府の城下町へと入り、狭い路地道を通り抜けて、功山寺に達する。寺の横に駐車場がある。境内は自由であり、無料。仏殿内の拝観が可能なときもある。

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