浦戸城

所 在 地  高知県高知市浦戸・桂浜 別 名  
遺 構  曲輪 石垣 堀切 井戸 形 式  山城
築 城 者  本山氏 築 城 年  戦国時代
歴 史 浦戸城は、本格的な城郭としては、土佐の有力豪族・本山氏が勢力拡張のために築いたのに始まる。
永禄3年(1560)、長宗我部国親は山本氏を破り、浦戸城を奪った。
羽柴秀吉の四国征伐の結果、土佐一国を認められた長宗我部元親は、居城を岡豊城から大高坂山城に移すが、治水に失敗した。そこで天正19年(1591)、居城を浦戸城に移し、本格的な城郭に改修した。
長宗我部元親を継いだ長宗我部盛親は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに西軍に属して改易され、土佐には山内一豊が入封した。
山内一豊は浦戸城に入城したが、大高坂山に高知城を築いて、慶長8年(1603)に居城を移し、浦戸城は廃城となった。
歴 代 城 主 本山氏 長宗我部氏 山内氏


この石垣は、天守台から伸びた石塁の一部を移転して保存されているもの。野面積である。


天守台。浦戸城の最高所であり、標高59m。上面は南北16m×東西10mの長方形。三層の天守が建てられていた。 西二ノ段と西三ノ段の間の堀切。三本の堀切が連ねて設けられている。


詰ノ段(本城)を中心に、東と西にそれぞれ、二ノ段、三ノ段当が階段状に連なる連郭式の縄張りである。
現在、詰ノ段と、西側のニノ段、三ノ段などが残されている。天守台は詰ノ段にあるが、詰ノ段には坂本竜馬記念館と桂浜荘が建てられており、曲輪としての面影はない。


<アクセス>
坂本竜馬像で有名な桂浜公園をめざす。桂浜公園の手前の三叉路を、坂本竜馬記念館や桂浜荘がある左手の坂へと進むと、すぐ駐車場に着く。この駐車場が浦戸城の詰ノ段。坂本竜馬記念館や桂浜荘のための駐車場のようであるが、そのまま利用する。桂浜公園の駐車場のように有料でないのがうれしい。(2011.05.16)

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