高知城
所 在 地 | 高知県高知市丸の内 | 別 名 | |
遺 構 | 天守 櫓 門 堀 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 山内一豊 | 築 城 年 | 慶長8年(1603) |
歴 史 | 関ヶ原の戦いの功により、山内一豊に土佐一国が与えられ、慶長6年(1601)に土佐に入国して、浦戸城を居城とする。 同時に、大高坂山に高知城の築城を開始し、慶長8年(1603)に二の丸と本丸の石垣が完成した段階で、居城を高知城に移す。 慶長16年(1610)に三の丸が完成し、高知城の全容がほぼ整う。 享保12年(1727)に城下町の大火で、追手門を残して、天守その他のほとんどの建物を焼失する。 寛延2年(1749)に、天守、櫓、城門等が再建され、宝暦3年(1753)に至って、全城郭の再建がなる。 |
歴 代 城 主 | 山内氏16代(22.2万石) |
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追手門と天守 |
高知城は、標高44mの城山(大高坂山)に天守を置いた平山城である。川に挟まれて水害の多い地であり、難工事のすえに、着工から10年を要してようやく全貌が完成した。その後も火災に度々さらされ、現在の遺構の大部分は、享保12年(1727)以降に再建されたものである。 本丸と二の丸を三の丸と獅子の段で囲み、これらはいずれも高い石垣の上にある。石垣の迫力は、さすが豊臣系大名の城であることを実感するのに十分。本丸の面積は広くないが、周囲が現存する多聞櫓と土塀で完全に囲まれているので、往時の城の雰囲気をそのまま味わえる。 |
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御馬場跡の堀 | 追手門(国重要文化財)の城内側 大手にふさわしい堂々とした櫓門である。 |
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三の丸の石垣 高さが約13mある | 本丸の黒金門と土塀 |
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詰門(橋廊下、国重要文化財)) 二の丸と本丸の間の堀切に設けられており、二階は二の丸から本丸への通路になっている。 |
詰門の二階の通路 家老・中老・平侍の詰所にもなっており、このため、詰門と呼ばれる。 |
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本丸御殿(懐徳館、国重要文化財)) 本丸御殿が残っているのは、高知城のみ。 |
本丸御殿の内部 |
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天守(国重要文化財) 外観四重 内部三層六階 高さ18.5m |
天守の内部 |