甘崎城

所 在 地  愛媛県今治市上浦町甘崎 別 名  天崎城
遺 構  曲輪 石垣 柱穴 形 式  海城(島城)
築 城 者  天智天皇 築 城 年  天智10年(671)
歴 史 甘崎城の起源は、古代・天智天皇の時代に遡る。天智2年(663)、百済救援のために朝鮮半島に派遣された日本軍は、唐・新羅連合軍に白村江で大敗し、唐軍の侵攻に備えるために各地に築城された。そして天智10年(671)に勅命により、瀬戸内海の要所に位置する古城島に甘崎城が築かれたと伝わる。日本最古の水軍城である。
中世には甘崎城は、能島村上氏系とされる今岡氏の城であった。
天正12年(1584)頃からは、来島村上一族の村上吉嗣の城となった。
さらに慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の後は、伊予を与えられた藤堂高虎の城となった。藤堂高虎が慶長13年(1608)に伊勢・に移封された後も、その重臣の須知出羽が城代として残ったが、しばらくして廃城になったものとみられる。
歴 代 城 主  今岡氏 来島村上氏 藤堂高虎


右が城の主郭がある古城島 古城島の南端部


城は、周囲が500m程の小さい古城島に築かれていた。古城島の頂部に沿って三つの曲輪を連ねている。山頂部に礎石建物跡があり、土器や多数の瓦も出土しているので、狭いながらも恒常的な生活空間があったようだ。
西瀬戸自動車道の大三島ICを下りて国道317号線を右折し、約800mで甘崎城の案内標識がある。案内標識のある三叉路を海側へ左折して狭い道を100m程で堤防道に出る。この堤防道の沖約100mに古城島が浮かんでいる。堤防道の脇に車を一台置けるスペースがある。

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