能島城

所 在 地  愛媛県今治市宮窪町能島 別 名  
遺 構  曲輪 柱穴(ピット)   形 式  海城(島城)
築 城 者  能島村上雅房 築 城 年  応永26年(1419)
歴 史 村上氏は、能島の雅房、因島の顕長、来島の吉房の三家に分かれ、来島城は応永26年(1419)に、村上雅房によって築かれたとされる。
能島村上氏は、村上武吉とその子の元吉、景親の時代に全盛を迎え、天文から元亀にかけて大内氏、毛利氏、大友氏と離合を繰り返し、勢力を広げる。天正期に入りと、毛利方の海上勢力として織田方と戦う。
天正13年(1585)の羽柴秀吉の四国平定の後は、伊予の国守となった小早川隆景の配下に入った。
しかし、天正15年(1587)に小早川隆景の筑前への転封に従って、能島村上氏は能島城を退去した。さらに、天正16年(1588)に豊臣秀吉が海賊禁止令を発布し、この頃能島城は廃城になったと考えられている。
歴 代 城 主 能島村上氏


大島の宮窪の海岸道路から見た
左・能島 右・鯛崎島 億・鵜島
カレイ山展望公園から見た
左・能島 右・鯛崎島


能島城は、瀬戸内海の大島と伯方島に挟まれた海峡に浮かぶ、周囲1kmの能島の全体を要塞化して築かれた海賊城である。能島の南に付属する鯛崎島にも出城が設けられており、橋で繋がれていたともいわれる。
能島は無人島であるので、連絡船はない。桜の時期の土・日に桜見物用の船が宮窪港から出る。陸から遠望する場合、大島のカレイ山展望公園の展望台から約1kmの距離で見ることができる。また大島の宮窪の海岸道路から300mの距離で見ることができる。


大島の村上水軍博物館に展示されている、能島城の模型

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